第26話 世界に挑戦するための隠し事
ザカリアスは何事もなく帰っていった。あんなにナタニエルとばちばちしておいて本当に何事もなくと言ってもいいのかどうかは疑問だが、とりあえず大きな事件事故はなくパルカール王国に戻っていった。暗殺未遂とかが起きたら大変なことになっていたので、なんとか五体満足で帰国してくれてめでたしめでたしだ。
と言って終われたらこれほど楽なことはないのだが。
季節は冬へと移ろおうとしていた。といっても、オルファリアの秋は日本の太平洋側のような秋晴れが続くので、日向にいるとまだ暖かい。
セシルは学園の敷地内、正門と玄関をつなぐ前庭の通路のベンチで、一人ぼんやりしていた。
からのランチボックスを膝の上にのせたまま、突き抜けるように青い空を見上げる。
正面では、冬至祭――建前としては、太陽の神に祈りを捧げて復活を願う儀式、ということになっているが、実態としては、恋人や友達とパーティをする、クリスマスのような祝日――が近づいてきているからか、恋人同士と思われる二人組が行き交っている。どいつもこいつも発情期だ。
去年までは、セシルはアリス――を含んだ家族と冬至祭を過ごしていたので、孤独ではなかった。
けれど、今年はどうしよう。
ヴァルトラウトの顔が浮かぶ。
想いを自覚した途端意識するようになってしまって、何もかもがうまくいかない。
セシルはさりげなくヴァルトラウトを避けている。
一緒に過ごしたら自分が何を言い出すかわからないからだ。
アリスに異様に執着していた頃のことを思い出した。
誰か一人に気持ちが傾くと、周りが見えなくなってしまう。そして、周りを見ようとする相手に苛立ちを感じてしまう。束縛したくなってしまう。
セシルは、まがうことなく、ヤンデレだったのである。
いけない。
相手を人間として尊重するなら、そういう態度は控えるべきだ。
理性ではそう思っていても、ヴァルトラウトの視線がほんの少しでも誰かに向いただけで、怒鳴り散らしながら間に入っていきたくなっていく。
自分がおかしくなっていく――。
こんな状態の今の自分に、何ができるだろう。
由良みかんを成仏させるためにヴァルトラウトを女王にすると誓ったのはいいが、セシルにはその手段がわからなかった。
原作では、まずフレデリク王がナタニエルに打倒され、そのナタニエルをヴァルトラウトが討ち取ることになっているそうだ。
とりあえず、ナタニエルによるフレデリク王弑逆を黙って見守ればいいのだろうか。
それはよくない、と政治に明るい今世のセシルも世界史の試験の成績が良かった前世のセシルも心の中で意見が一致している。それをやってしまうと、国家は泥沼の内戦状態になるだろう。それを統一するのが女王ヴァルトラウトであるという理屈はわかるのだが、それまでにどれだけの血が流れるのか。
小説で読むだけならよかった。死にネタは好きではなかったものの、政治闘争による権謀術数は王侯貴族が登場する作品の醍醐味だとすら思っていた。
でも、実際に暮らしてみると、政治的な圧力ゆえに涙を流す人間は一人でも少ないほうがいい、と思う自分がいる。なんならモフモフとスローライフのほうが百万倍いい。
アリスに振り回されたエルンストによる混乱は収束した。ナタニエルはまだ立太子されていないが、健康で表向きはフレデリク王に従順なので、順調にいけばそのうち後継者として指名されてなんとかなるだろう。
平和ではないか。
これが永遠に続いてほしいと思うことと、ヴァルトラウトを女王にしてふくすべを完結させ由良みかんを成仏させたいと思うことが、噛み合わない。
自分はなんて無力なのだろう。
「セシル」
名前を呼ばれて、はっと我に返った。
気がつくと、目の前に銀の髪の少年が立っていた。邪悪なほど美しい顔に笑みを浮かべている。
ナタニエルだ。
彼もこの学園に在籍しているので、セシルと同じ制服を着ている。けれど、彼の制服姿はどこか禁欲的に見えて、かえってセクシーな気がした。十四歳の子供にそんなことを思うのは変態の思考回路だろうが、ナタニエルには他人の性癖を捻じ曲げる何かがある。
「たそがれているようだね。何か悩みでも?」
セシルは周囲を見渡しながら背もたれから背中を離して姿勢を正した。セシルとナタニエルに注目している人間はいなさそうだ。ナタニエルは王族なので、どこかから護衛が見ている可能性が高い。しかし、表向きは身分にかかわらず本人の自主自立を尊重する、というのがこの王立高等魔法学園の特色であるので、それを悟られないようにしている。
「殿下も座られますか」
「いや、すぐ移動するから立ち話でいい」
「では僕も立ちましょう。王族である殿下だけを立たせっぱなしにするわけにはいきませんので」
「真面目だね。文句のひとつもつけさせてくれない。君が王族を立たせっぱなしにする非常識ならばぼくも君をつけ狙わずに済んだだろうに、君が真面目で賢いのがいけない」
なんだかねっとりとした、ゆがんだ愛を感じる。厄介な相手に懐かれてしまったようだ。
「すぐ移動しよう。ぼくと二人で。ぼくは君とデートがしたい」
ナタニエルのヤンデレに危機を感じて反射的に断りそうになってしまったが、得体の知れないナタニエルが相手だからこそ、ついていったほうがいいだろう。少しでも情報を集めておきたい。孫子も敵を知れと言っていたではないか。
情報を集めて、ヴァルトラウトに流したい。
ヴァルトラウトの、役に立ちたい。
原作ではもういなくなっていたはずのセシルを、彼女が救って、今ここに存在させてくれているのだから。
ゆっくり立ち上がりつつ、セシルは言った。
「どちらに行かれるんですか? 僕もご一緒していいところなんですか」
「君に特別なものを見せてあげる」
ナタニエルの青い瞳が、笑っている。
「人間は秘密事を共有すると仲良くなるからね。お互いがお互いを監視し合い、抜け駆けを禁じ、裏切りを阻止しようとする」
「それは『仲良く』とは言いませんよ」
彼はやはり考え方がゆがんでいる。ヴァルトラウトに倒される悪の王になるのも頷ける気がする。
でも、まだ、十四歳の子供だ。
いくらでもやり直せる。
そしてそれを指導するのは、王の第一の家臣であるカーティヤ伯爵の息子のセシルの役目ではないのか。
正解がわからない以上、全力を尽くしたい。
「国王陛下に対して、隠し事ですか?」
「そうだよ」
にたりと、笑う。
「父上だけではない。ぼくと君だけの、世界に挑戦するための隠し事」
ごくりと、唾を飲んだ。
さて、どう出るべきか。




