第25話 原作どおりに隣国の王太子と結ばれるまで
セシルはすぐに立ち上がった。相手はパルカール王国王太子のザカリアスと、父親とは絶縁関係とはいえ公爵令嬢のヴァルトラウトだ。座ったままでは失礼なのだ。
セシルの向かいに座っていたナタニエルは、立ち上がらなかった。彼はなおも足を組んだまま、二人を見上げている。
そんなナタニエルを見て、セシルは冷や汗をかいた。ナタニエルのその横柄な態度が、自分の立場がザカリアスより上であり、ザカリアスも含めた周りの人間が自分の目線に合わせて動くもの、という高慢さの表れであるように思われたからだ。
ナタニエルは、ザカリアスを格下の相手だと思っている。
「よお」
ザカリアスはその喧嘩を受けて立つ気のようだ。
彼は下町の青年のような軽い口調でナタニエルに声を掛けた。
もちろんひざまずくことなどしない。
身長は百八十センチを超えているであろう彼の高い位置にある目で見下ろされるとそれはそれで威圧感をおぼえそうなものだが、ナタニエルは気にしていないのだろうか。冷たい目でザカリアスを見上げている。
「なかなか肝の据わった坊やだ。俺は嫌いじゃない」
「あなたは言葉遣いが少し特徴的のようだ。専属の身分ある教育係はいなかったのかな」
「俺は子供の頃事情があって身分の低い乳母の家に預けられていたもので、少々ぶしつけなところもあるかもしれない。古い歴史に裏打ちされたオルファリア王国の王族ともなれば四角四面なしつけを受けてきたのだろうが、我がパルカール王国は若くて柔軟で威勢がいいのが取り柄でな。実力があれば次期国王でも何でもなれる」
「遠回しに我が国が古臭くて国家として年寄りであると言いたいらしい」
「年寄りであることは悪いことじゃない、その分蓄積された知恵と財産があるのだろう。問題は年を取っても格式に囚われない柔軟さだ」
「そしてそれはあなたの国にはある、と」
「坊やは頭の回転が速そうだ」
嫌味と嫌味の応酬だ。聞いていて心臓が止まりそうになる。人間は時としてセシルがびっくりするような悪意を発露させることがある。
勇気を振り絞って二人の間に入る。
「ザカリアス殿下、ナタニエル殿下、我々は友好国です。これから同盟関係を結ぼうとしている国の王子に対して取るべき態度とはどういうものですか」
そうたしなめると、ザカリアスが目を細めてセシルを見た。
「おい、ナタニエル。お前、家臣の息子にこんなことを言わせて恥ずかしくないのか?」
「どういう意味?」
「賢君は良臣の心労を増やさないものだ」
ナタニエルが目を見開いた。
「お前の不徳だ。命の危険も顧みずに諫言する忠義者を持ったことを誇りに思えよ」
「ぼくが父上の立場だったらあなたのような無礼者との同盟など破棄する」
「お前、大国オルファリアの王座には向いていなさそうだな。まあまだ十四歳だから仕方がないのかもしれないが」
ナタニエルが立ち上がった。けれどそれはザカリアスへの礼を示すためではなさそうだ。にらみ合う。ともすれば胸倉をつかみかねない空気だったが、身長も体重も年齢も圧倒的に不利なナタニエルから仕掛けることはないだろう。
念のため、セシルはナタニエルとザカリアスの間に入っていった。ナタニエルを背中にかばうようにして立ち、ザカリアスのほうに向かって頭を下げる。
「おっしゃるとおり、ナタニエル殿下はいまだ御年十四。ましてこの間まで兄王子のエルンスト殿下が王太子として父君に続く国家の顔として活動されていたので、表舞台での外国の方との交流の仕方に不慣れなのです」
「お前が詫びることはない」
「いいえ、お叱りはこのセシルがお受けします。なにとぞご容赦を」
ザカリアスがふと口元を緩めるようにして笑った。
「お前も肝が据わっている」
「いろいろありましたからね。それにこう見えて僕も将来は爵位を継ぐ身です」
「うらやましいくらいだ。ヴァルトラウトとのあれこれがなかったら俺はお前をうちに引き抜いていたかもしれない」
セシルは、ヴァルトラウトとのあれこれとは、と首を傾げた。ひょっとして、ヴァルトラウトはザカリアスとセシルの話をしていたのだろうか。そういえば、二人が交わしている手紙の近況報告にもセシルの名前が出てきたようだった。何の話をしているのか気になる。
けれどセシルがそれをどう問い掛けるか悩んでいるうちにザカリアスは一人で勝手に「まあ、宰相の一人息子を拉致して帰ったら戦争不可避だな」と結論づけた。
「無礼者」
ナタニエルが怒りをあらわにした顔で言う。
「ひとに王座が向いていないなどとは何事だ。他国の王位継承に口を出すなど内政干渉だぞ」
「単なる感想だ。受け止めきれないならそれがお前の器だ」
ザカリアスのその言葉を最後に、ナタニエルが踵を返して歩き出した。尻尾を巻いての逃げである。
いつの間にか周囲に集まってきた護衛の兵士たちがナタニエルを囲んで移動を開始する。
遠くで見物している貴族の姿もあるにはあるが、おおごとにはならずに済んだ、と思いたい。
「いじめ過ぎたか」
ザカリアスがそう言うと、ヴァルトラウトが自分の額を押さえた。
「これでザカリアス殿下の好感度は地に落ちましてよ」
「そんなものは最初からない。悪役ならやってやる。吉と出るか凶と出るかはあいつの教育についてフレデリク王がどれくらいの影響力を持っているか次第だ」
そして、ふ、と息を吐く。
「騎士の国パルカールでは王たるものは将であるべき、尚武の気風に見合った達人である必要があるが、風雅な国であるオルファリアの王に求められるのは寛大さだろう。そういう振る舞いができないならエルンストを呼び戻したほうがいい」
ヴァルトラウトが「ふふふ」と忍び笑いをする。
「そのエルンスト殿下も女に溺れてわたくしとの婚約破棄をした前科があるのですよ」
「傑作だ。あいつが惚れた女というのはよっぽどおもしろい女なのだろう、見てみたいものだ」
妹のことを言われて、セシルは「うう……」とうめいて胃のあたりを押さえた。ザカリアスは何をどこまで知っているのだろう。
「だいたいお前が男の一人や二人婚約破棄されたくらいで傷を負うようには見えない」
そんなザカリアスの言葉に、セシルもそう思う、と追従しようとした。実際にヴァルトラウトがエルンストの婚約破棄によって失ったものは実家とのつながりだけで、心の部分に傷を負ったようには見えなかったし、むしろ辺境領主という立場と財力を得て強大化したように思う。
ところが。
次の時、セシルの息は止まった。
「そうでしょうか」
ヴァルトラウトが、一瞬、普通の少女のような顔をした。琥珀色の瞳に悲しみを滲ませ、唇の端を下げている。どこか不安げな様子でもある。
「エルンスト殿下とはあくまで政略結婚でしたから。エルンスト殿下のお心がわたくしにはないのは明らかでしたし、わたくしも恋人にいだく愛など知りませんでしたから、何の感情も湧きませんでしたけれど。けれど――」
胸が、ずきりと、痛む。
「もし、今、何かあったら。わたくしは立っていられないかもしれません」
ザカリアスとの話だろうか。
運命の恋をしたのだろうか。
ザカリアスに婚約を拒まれたら、彼女は立っていられないほどのショックを受けるのだろうか。
物語のセオリーどおりに、ヒロインたる悪役令嬢はヒーローたる隣国の王太子との恋に落ちたのだろうか。
それを思った瞬間、セシルは足元が崩れ落ちたような気がした。
とうとう、セシルは理解した。
自分はきっと、ヴァルトラウトにザカリアスとの恋をしてほしくない。
ザカリアスがヴァルトラウトのことを想わなくても、ヴァルトラウトに傷ついてほしくない。
だって、ヴァルトラウトにはセシルがいるではないか。
セシルが、その、ヴァルトラウトと恋に落ちるポジションに行きたいのだ。
好きなのだ。
その事実が、心の中を電撃のように駆け巡る。
セシルがヴァルトラウトを愛していて、自分こそが彼女のパートナーであってほしいと思っている。
なんと不毛なのだろう。
悪役令嬢が隣国の王太子と恋をするのは誰もが知っている展開なのに、今のセシルはそれを拒んでいる。
急に顎に触れられて我に返った。気がつくと、ザカリアスがセシルの顎を軽くつまんでいた。
「おい、そういう顔をするな。気を確かに持て」
「どっ、どんな顔ですか?」
「まあいい。俺は便所に行ってから元の席に戻る」
ザカリアスはすぐにその場を離れて、廊下のほうへと消えていった。
セシルとヴァルトラウトは二人、その場に残された。しかし言葉を交わす気にはなれなくて、二人とも沈黙していた。何か言うべきだったが、何も思いつかなかった。
この恋は期限付きなのだと思うと、セシルは正気でいられなくなりそうだった。
ヴァルトラウトが原作どおりにザカリアスと結ばれるまでの、期限付きなのだ。




