第21話 タイトルを回収しよう
セシルはヴァルトラウトとともに生徒会室に戻った。
どちらから何を言うでもなく、なんとなく、応接セットのテーブルのこちら側と向こう側に座る。対面で、なんとなく、お互いの顔を見る。
いつの間にか、これが馴染みのある展開になっていた。
セシルは緩く微笑んだ。
「ありがとう」
魔法で作った穴の中、亜空間からティーセットを取り出しつつ、ヴァルトラウトが「何かしら」と呟くように言った。
「アリスがいなくなっても僕が正気でいられるのはヴァルトラウトのおかげなんだろうな、と思って。ヴァルトラウトがこうして僕と対面で会話をしてくれるのがとても嬉しい。ほら、最近、一緒にいることが増えたでしょう?」
ティーポットに、火属性の魔法で温めたやかんから湯を注ぐ。
「お互い転生者で情報共有しないといけないことが多いからじゃないかしら? あなたがわたくしに話し掛けてくるのよ、由良みかんの知識を目当てに」
「それでも真面目に対応してくれるのがありがたい。同じ転生者だからといって仲良くできるとは限らないじゃないか。なんなら転生者同士いがみ合う小説なんてごまんとあったよ」
「前世のわたくしより前世のあなたのほうが異世界転生に詳しそうね」
「その中でもふくすべは特におもしろかったよ」
ヴァルトラウトの手が、わずかに震えた。
「あなたやあなたの作品に出会えて、僕の人生は豊かになったよ」
彼女は少しの間黙っていた。
差し出された紅茶に、口をつける。芳醇な香りがする。ストレートなのにほんのり甘い。セシルもよく知る生産地の茶葉だ。彼女は趣味がいい。
「ザカリアスがオルファリアを訪ねてくることになったわ」
この前第二部がどうこうという話をしていたばかりなのに、展開が早い――と思ったが、彼女はあの時一ヵ月以内に次のイベントが起こると言っていた。王族の正式な外遊は何週間も前からスケジュールを組む。
「国王陛下から供応役の打診があったわ。けれど、なんだかんだ言い訳をして、カーティヤ伯爵に押しつけておいたわよ」
「え、うちの父?」
「セシルとザカリアスを対面させるのもアリかもしれないと思って、絡みを持っても自然なように仕向けておいたわ」
そこで彼女も、一口、紅茶を飲む。
「セシルは本来ここにいない予定のキャラだから、ザカリアスと顔を合わせることはないはずだった。でも、生きている。なんらかの化学反応が起こるかも、と思ったら、見てみたくなったのよ」
「見てみたくなった、って……見世物みたいに言うね」
「失礼ね、わたくしからしたら未来を賭けて期待を込めた一世一代の賭けなのに」
「どういうこと?」
また、もう一口。
「この前途中で終わってしまった第二部の話の続きをするわね」
セシルは少し、姿勢を正した。
「第二部では、ザカリアスがオルファリアの王都を訪問する。そのエピソードの中では当たり障りなく終わるのだけれど、それをきっかけにパルカールとの融和を説くフレデリク王とパルカールとの交戦を目指すナタニエル王子の対立が始まる。ナタニエル王子は挙兵、フレデリク王を殺害。自ら王位に座り、パルカールとの国交を断絶――」
その展開はかなり人が死ぬ……。由良みかん、恐るべし。
「ヴァルトラウトはザカリアスと秘密裏に連絡を取り、ナタニエル王子のクーデターを支持したパルカール国内の不穏分子の存在を知る。ヴァルトラウトは暴君と化したナタニエル王子を倒すための二回目のクーデターへ。その際ザカリアスから兵を借りるので、恩を売ったり売られたりするわけ」
「なるほど――」
セシルは、「で」と問い掛けた。
「その恩を売ったり売られたりの中でヴァルトラウトとザカリアスが恋仲になるわけ?」
ヴァルトラウトがむせた。危うくテーブルの上に紅茶がぶちまけられるところだった。
「まあ……っ、そうね……っ」
彼女がそうして肯定した途端、セシルは、胸にむなしいものが去来するのを感じた。
「じゃあ、僕とあなたがこうして二人きりになれるのも、あとわずかだね」
「どうして……?」
「ザカリアスに誤解されたくないでしょう? せっかくやってくるメインヒーローで、兵士まで貸してもらえる関係になるのにさ」
言っていて、悲しくなってくる。
「僕はもう当て馬は嫌だな……」
「そ、そんなことないわ……」
「ああ、そうか。そもそも僕とヴァルトラウトはそういう関係じゃないもんね」
「そういう話でも……ないわ……」
セシルは苦笑した。
「そっか。原作では現時点でセシルはもういないはずだから、ザカリアスと会うこともなかった。メインヒーローとは会えない。二人がどんな関係になるのか、僕は知らない――」
その後、数秒、二人とも静かになった。一分くらいだったかもしれない。嫌な間が空いた。
セシルはさらにもう一口紅茶を飲んだ。冷め始めた。
「僕がいると邪魔かな……。由良先生は僕を殺したかったんだもんな」
ぽつりぽつりと呟いたら、ヴァルトラウトが身を乗り出して「そんなことはないわ」と比較的大きな声を出した。
「話の風呂敷を広げ過ぎたのよ! 結局エタっているし、物語はここで軌道修正されてしかるべきだったのよ」
「えたっている?」
聞き慣れない言葉に、首をかしげる。
「えたるって、なに?」
ヴァルトラウトは体を元に戻して、一度唇を引き結んでからこう答えた。
「エターナルに完結しない、の略。作者が続きを書くのをやめてしまって、永遠に未完になる、という意味」
「えっ、由良先生、ふくすべ途中で書くのやめたってこと?」
「そうなの……」
しゅんとうなだれる。
「知らなかったのね……。紙しか知らない、Webを知らないとそういうこともあるのね」
「なんで書くのやめちゃったの? あんなにおもしろいのに」
彼女はティーカップをソーサーに置いた。
「モチベがなくなってしまって……」
「書籍化したのに?」
「書籍化したからよ」
声が、震える。
「打ち切りに……なったからよ……」
雷が落ちたような衝撃を受けた。
「あなた、前に、どうして二巻を出さなかったのか、と聞いてきたでしょう」
膝の上に置かれた彼女の手が、ぎゅっと握り締められた。
「売上が良くなくて、続刊できなかったの。わたくしが出さなかったのではないの。出したかったけれど、版元にノーと言われたのよ……」
「そんな……! あんなにおもしろいのに……!」
「Webに元原稿があるから、改稿などを死ぬ気でがんばってスケジュールをかつかつにすれば、最短半年ちょっとくらいで二巻を出せたはず。でも、一年も出ていない。ということは、察してちょうだい、ということだったのよ」
セシルも拳を握り締めた。
「ふくすべ、Webには第三部の途中まであるの。由良みかんは、全三巻をイメージしていたから。でも、続刊できないという連絡が来た時、由良みかんはふくすべを書く手を止めてしまった」
セシルの脳内には、続きを、完結する瞬間を待ちわびているありすの姿が浮かんだ。ありすの無邪気な様子が見えてくるようで、込み上げてくるものがあった。
「わたくしは……ヴァルトラウトを女王にできなかった……。タイトルを回収できなかったわ……」
彼女の瞳も、涙で潤む。
「でも作家であることを諦めたくなかった。わたくしはもっと書いてもっと本を出したかった。作家として大成したかった」
興奮してきたのか、彼女の頬が赤くなってゆく。
「打ち切りなら打ち切りでいいじゃない。売れない作品にこだわっているひまはない。いくら書いても書籍化の見込みがないものを書くのは無駄。どんどん新しい作品を書かなければならない。弾数を増やしてチャレンジしていくしかない」
拳がぶるぶると震えている。
「わたくしは自分にわたくしならできると言い聞かせた。どうせ無職なのだからたくさん書くべきだと判断した。わたくしの執筆速度は一時間三千字。フルタイムで働いているつもりで八時間書けば二万四千字」
少しずつ早口になっていく。
「一日に二万字書けたら一年で七百三十万字になる。そうしたら七十三作品勝負ができる。そう計算してわたくしは来る日も来る日も机に向かい続けた。でも毎日書ける文字数が減っていく。二万字――一万五千字――一万字――。インプット不足だと思って本を読み始めた。小説も漫画も予算が尽きるまで買った。積読が消えたタイミングで経済的に苦しい中動画のサブスクを契約して毎日何本も映画を見た。流行りのドラマも見た。でもなんにも心が動かない。おもしろいと思えない。全部右から左へ通り過ぎていく。なんにも残らない!」
震える手を、開く。
「書けない……。真っ白な画面を眺めて、エナジードリンクを飲みながら、一日に執筆できる文字数がゼロになったのを受け入れられずに、毎日毎日、パソコンの前で呆然としていた……」
セシルは頭を抱えた。
「ひどい頭痛がするようになった。でもわたくしは運動不足の栄養不足であることに目をつぶって机に向かい続けたの。そして気づいた時には転生していた」
「エコノミークラス症候群の一種かな……」
「おそらく。前世のわたくしはたぶん座り過ぎが原因で血管が爆発して死んだのよ」
ヴァルトラウトの両目から、どっと涙があふれた。
「転生は天罰だわ……。売れないからと言ってふくすべを完結させなかったわたくしに神様がくだした罰。今度こそ完結させろと言われているに違いないと思った。そうしたらあなたが邪魔を始めたのよ……」
セシルは立ち上がった。
テーブルを迂回して、ヴァルトラウトのそばに立った。
腕を伸ばした。
「つらかったよね」
ヴァルトラウトを、強く、強く、抱き締めた。
「大切な作品が打ち切りになってショックを受けない作家はいないと思うんだよ」
ヴァルトラウトが腕の中で「うう」と唸る。
「そばにいてあげられたらよかった。ふくすべはおもしろいから続きを書いてほしいと言ってあげたかったし、できなくても健康を損ねるほど無理して書かないようにって定期的に説教ができる立場になりたかった」
「うう……う……」
「完結させよう、ヴァルトラウト」
腕に、力を込める。
「タイトルを回収しよう。――女王になろう」




