第15話 いつまでも、あなたの幸福を祈る
セシルは、二週間の謹慎処分を受け入れ、自宅で大人しく過ごしていた。
この間アリスも兄同様自宅で謹慎していた。
身内以外との交流を断ち、家族四人で静かに暮らす。
この暮らしもあとわずかだ。
アリスが北ビュルトブルクに行ってしまうのも、ある。
それ以上に、セシルがもうすぐ死ぬ。
原作では、セシルはエルンストについていくことを決め、一緒に辺境に旅立とうとする。その旅立ちのシーンで、学園のある生徒が、生徒会役員は無責任だと糾弾して、刃物を持って襲ってくる。その場にはマテオやローレンツも居合わせるので、凶行に及んだ生徒はあっと言う間に制圧されるが、ろくな魔法も使えない、武術もさほど強くないセシルは、妹をかばって刺されて死ぬ。
その展開を読んだセシルは、いろいろ考え込んでしまった。
処理が雑だな、と思ったのだ。
ここでセシルが死ぬ必要はあったのか。凶行に及ぶ生徒の出現について伏線はあっただろうか。学園の生徒たちがアリスにヘイトを溜め込んでいたのはわかっていたが、我が身を顧みず世直しを標榜して刃物を振り回すほどのキャラが出現するほどの何かはあっただろうか――。
とはいえ、自分がセシルの立場ならアリスをかばって刺されるのはアリだとは思った。妹のために死ぬのは兄の本懐だ。たぶん。実際前世のセシルは妹のありすを失ったことで世界に絶望して死んだ。いや前世の自分もシスコンだったかもしれない、全世界の妹を持つ兄が妹のために死ぬとは限らないかもしれない、主語がでかくて申し訳ない。
というわけで、同じシチュエーションが繰り返されるようならセシルはたぶん死ぬが、前世の記憶があるヴァルトラウトはそれを阻止したいと思っている。
アリスとエルンストが王都を追い出されるのは、判決が言い渡されてから一週間後。
つまり、セシルはその時まだ謹慎処分中である。
それだと、二人の旅立ちの時に家から出られない、立ち会えない可能性がある。
ヴァルトラウト、頭がいい。由良みかんはセシルを雑に殺したが、ヴァルトラウトは自然な流れでセシルを守ろうとしている。彼女が作家として成長しているのかもしれない。
ありがたく思うところなのだろうが、何か釈然としないものがある。
ともかく、セシルはアリスとゆっくり語らって過ごした。
最後の別れを惜しむやり取りは、ごく静かなものだった。
ヴァルトラウトの言うとおり、前世のセシルの影響を受けた今世のセシルは、アリスに必要以上に甘くしない。
それを感じ取ったアリスも、どこかわきまえた態度を取るようになった。
もっと早くからこういう兄妹関係だったら、アリスは追放されなかっただろう。
しかし後悔してももう遅い。
セシルが謹慎を始めてからもうすぐ一週間になろうという六日目のこと、予想外の来客が訪れた。
「最後のお別れを言うだけなら、ということで父上に許可をいただいたよ」
そう言って顔を見せたのは、エルンストだった。
セシルは嬉しかった。エルンストのことも気に掛けていたからだ。
エルンストも追放される、しかも原作とは違う危険地帯に、と思うと悔しかった。
だが、彼も彼で王城に軟禁されていると聞いていた。謹慎処分中のセシルが自分から会いに行くことはできないし、もし会ったら例の生徒の凶行で殺される可能性もゼロではない。
その点、エルンストのほうからこの屋敷に来てくれたというのはありがたい。この屋敷の中で惣領息子のセシルが刺されるのは考えにくいからだ。
屋敷の応接室で、エルンストを奥の日本で言うところの上座であると思われるソファに導く。内緒の脱走計画についての密談を交わしていると誤解されぬよう、あえて扉は開け放ったままだ。エルンストはセシルのそういう意図を理解してくれているらしく、何も言わずに座った。
「アリスとは何か話しましたか?」
「これからだ。彼女の顔を見ると頭がおかしくなってしまうからね」
いたずらっぽくそう言ったエルンストを、セシルは笑えなかった。
アリスの魅了魔法が彼をおかしくしたのだろうか。そして彼はそれに気づいているのだろうか。すべて憶測だが、ありえる話だ。セシルの胸が痛む。
けれど、エルンストに直接殿下は騙されていますと言うことははばかられた。
彼は明日、王都を出る。アリスとは今生の別れだろう。いきなり目が覚めて明日アリスを断罪するのは、いろんな意味で厳しくないか。セシルはそんな二人を見たくなかった。関係者全員が傷つく。
「アリス抜きでお前と話をしたかった。この三年間、ほぼずっと三人だったから」
胸がずきりと痛んだ。
「お前と会う時にアリスを同席させないのは難しかったよ、お前はアリスなしでの生活はままならないようだったからね。アリスと二人きりになることよりお前と二人きりになることのほうが難しかった」
「申し訳ございません……」
「子供の頃はあんなに二人で遊んだのにな。城の中庭に秘密基地を作ったこともあったね、護衛騎士に見つかって取り壊されてしまったけれど」
セシルはうまく笑えなかった。懐かしい記憶が脳裏に浮かんで、あの頃にはもう戻れないのだと思うのが苦しかった。
「最近のお前はアリスとの適切な距離感を測っているように見えた。お前も変わったしアリスも変わった」
エルンストまで、察している。
「良い兆候だと思った。うらやましくも思ったよ。私も昔のようにお前に叱られたかった、怒りや妬みではなく愛をもって説教してほしかった」
「殿下……」
彼は長い足を組み、その膝の上で両手の指を組んだ。
「お前に言っておかなければならないことがある」
「なんでしょうか」
「私はアリスが私に魔法をかけていることに気づいていたよ」
セシルは、目を、大きく見開いた。
エルンストは、穏やかに微笑んでいる。
「そんな……」
「私は王族だ。魔力量はそこそこあるからね、対抗手段はある。ヴァルトラウトがアリスの魔法にかからなかったように、私も他者からかけられた魔法を解くすべを知っている」
だが、エルンストはアリスへの愛のためにヴァルトラウトを断罪し、婚約破棄をし、廃太子を受け入れた。理性を失ったとしか思えない行動だった。
「騙されたかったんだ」
彼のその告白に、崖の上から突き落とされたような気分になる。
「振り回されたかった」
「それは、どういう――」
「たとえアリスが顔と態度で私を選んだのだとしても、私は、性悪だが天真爛漫で傍若無人だがひとの顔色を窺うアリスを本気で可愛いと思っていたんだよ」
そして、視線を斜め下に落とす。
「疲れてしまったんだよ……第一王子として求められたことのすべてに。皆の期待に応えて、完璧な自分を演じて、国の将来のために勉強をして……。そういう自分の生き方に疲れ果てて、もうアリスに言われるがままにすべて叩き壊してどこかに逃げてしまいたいと思っていた」
彼はそこで「兄であるお前に対してはすまない」と言った。
「私も私でアリスを利用していたんだ。アリスに騙されているふりをして、アリスのためにめちゃくちゃな言動を取ればアリスが恨まれるということに気づいていながら、魔法にかかったまま暮らしていた」
愕然とする。
「ヴァルトラウトにも申し訳ない。けれど彼女は完璧すぎて息が詰まる。――彼女は、国のため、民の将来のために第一王子という結婚相手を受け入れた。私を愛してくれているわけではない。私が第一王子でなかったら、彼女は私のことなど見向きもしなかっただろう。そういう女に心底疲れて、でも王子として生まれた以上は受け入れなければならないと自分に必死に言い聞かせていた。アリスがめちゃくちゃにしてくれて助かった」
セシルは泣きそうになった。
悔しかった。
エルンストの卑怯さ、心の弱さも、何もかも理解できる。
ヴァルトラウトはヴァルトラウトなりに必死に国のためにがんばってノブレスオブリージュに応えてきた。それを否定するなんて、エルンストはどれだけ自分勝手なのだろう。王族ならば、王太子ならば、平民出のアリスに癒やしを見いだしていないで、高貴なヴァルトラウトと結婚すべきなのだ。
そうしてエルンストを罪に問うことは、現代日本を生きてきたセシルの中にある人権意識と相反していた。
エルンストを断罪すれば楽になれるだろう。
でも、アリスは本当に可愛い。言動がめちゃくちゃだが、そんな彼女に振り回されるのは楽しい。完璧でまったく隙のないヴァルトラウトの顔色をうかがうばかりでは芽生えない女性観を与えてくれる。
それに、セシルはエルンストの幼馴染で、彼が大好きだった。
十四歳でアリスに出会うまで、セシルは、国王になった彼の片腕として父のような政治家になって働くのが夢だった。
もう叶わぬ夢になった。
エルンストが立ち上がった。静かに歩み寄ってくる。
「ありがとう」
ゆっくり、腕を伸ばして、セシルを包み込む。
「お前のことが大事だった。誰よりも信頼していた。でもこれでお別れだ。王子としての責任を投げ捨てた今の私はお前にふさわしくない」
「殿下……っ」
「泣かないでくれセシル。私はお前の涙に弱い」
セシルの緑の髪にほおずりしながら、彼はささやいた。
「アリスが手に入らないのなら代わりにお前を連れて辺境に行きたいと考えたこともあったよ。でもお前の幸せを望むのならばそれも実現させてはいけない。お前は希望どおり政治家になっておくれ」
セシルもエルンストの背中に腕を回した。
「幸せになっておくれ、セシル。私は遠くでいつまでもお前の幸福を祈っているよ」




