第13話 物語が、明確に、原作からはずれた
というわけであっという間にフレデリク王によるエルンスト王子廃太子宣告から三ヵ月が経った。
この間セシルはあちこち駆けずり回っていた。
エルンスト王子派の貴族たちに援護を依頼するため、学園での授業のあとは王都で、休日は郊外や近隣の町村に住む貴族の邸宅でいろんな人に会った。
彼ら彼女らはセシルの登場に驚いていた。
セシルがエルンスト王子のために活動するとは思っていなかった、とのことであった。
今となっては過去の話だから、と言って笑いながら聞かせてくれたことによれば、アリスを奪い返したいセシルはエルンストの地位の剥奪を望んでいる様子を見せていたのに、ということらしい。
頭の痛い話だが、今からでもセシルやエルンストの名誉を挽回できると信じて動くしかない。
ふくすべの本文はヴァルトラウト視点で書かれていた。
ヴァルトラウトが知らない場面のことは書かれていなかった。
つまり、ヴァルトラウトの目が届かないところでセシルがどんな活動をしていたのかは、読者は誰も知らないし、作者も設定を考えていなかったようである。
だから、セシルがどう動いても、特別な力が働いて妨害されることはない。
ヴァルトラウト――というか由良みかん――は「余計なことをしないで」と怒りまくっていたが、彼女も公爵令嬢であり辺境領主なので、四六時中セシルに張りついているわけにはいかない。
セシルが勝手に貴族の間を行脚していても、ヴァルトラウトには止めることができなかったのだ。
とにかく、そんなセシルの熱意に動かされて、何人かが王に面会してくれたそうだ。
そして、いくらなんでもやりすぎではないか、エルンストに温情ある対応を、と進言してくれたとのことである。
前世のセシルが読んだふくすべはとてもシビアな世界だったが、こうして本当に各キャラに接してみるとみんな血が通った人間で、セシルは一人ではないと思えた。
同時に、ヴァルトラウトの孤独も浮かび上がってきた。
たった十六歳の少女が王都から追放されて魔獣の闊歩する辺境に行かされたことを思うと、どうして誰も彼女をかばってくれなかったのか、と悔しい気持ちになる。
これからはもっと彼女を大切にしなければ、と思ったセシルは、貴族の邸宅からの帰り道に菓子などを買っては王都のヴァルトラウトの自宅に押し掛け、プロットにない行動を取ったセシルへの怒りをぶちまけるヴァルトラウトにお土産として渡して、それとなくご機嫌伺いをする日々であった。
しかしそんなセシルの努力もむなしく、運命の日が来る。
「エルンストよ」
謁見の間に呼び出された一同は、厳しい表情で宣言するフレデリク王の言葉を、首を垂れて聞いた。
「そなたを廃太子とし、新たに第二王子ナタニエルを立太子する」
だめだったか――。
セシルは頭を下げたまま奥歯を噛み締め、拳を握り締めた。
原作どおりだ。
エルンストとアリスは追放され、ざまぁされて、一巻が終わる。
この三ヵ月の努力は、無駄だったのか。
ちらりとヴァルトラウトのほうを見た。
彼女もセシルのほうを見ていたらしい。目が合った。
すぐにばつの悪そうな顔をして目を逸らした。
あんな表情をするということは、彼女もこの状況を心から望んでいたわけではなさそうだ。
ふくすべのユウカがヴァルトラウトのためにお膳立てしたざまぁを、由良みかんの魂を吸収した今の彼女は苦々しく思っている。
そうとしか思えない顔だった。
視線を、今度は反対隣にいるエルンストのほうに移した。
彼は、静かな、落ち着いた顔をしていた。
自身の地位剥奪の話をされているはずなのに、なぜか穏やかな顔をしていた。
原作もこんな顔だと描写されていただろうか。前世のセシルの読み間違えだっただろうか。挿絵がないから忘れたのだろうか。
ところが。
フレデリク王の話には、まだ続きがあった。
「第一王子エルンストならびに聖女アリスを、王都から追放する!」
そこまでは知っていたのだが――
「王子エルンストは東ヒルデリアの領主の館へ、聖女アリスは北ビュルトブルクの教会預かりの身分とする!」
セシルは愕然とした。
「え……」
それは、原作にはない展開だった。
原作では、二人とも辺境のガルツァー郡の中の村に追いやられるはずだったのだ。
それが、別々の地域への移動に、変更になった。
物語が、明確に、原作からはずれた。
「お待ちください!」
アリスが立ち上がり、真っ青な顔で叫ぶ。
「わたしは追放でもいいです」
血を吐くような叫びだった。
セシルは胸が締めつけられるような痛みを覚えた。
彼女のこんな台詞も、原作にはない。
「わたしは今まで好き勝手やってきましたから……っ、疎まれているのは……正直……わかっていましたから……」
アリスの声に、涙が滲んでいる。
「でも、殿下まで……! しかも、東ヒルデリアなんて、危険なところ……っ」
ヒルデリアはパルカール王国と国境を接している州だ。特に東ヒルデリアは今でも治安が安定しておらず、パルカール王国の軍人崩れのならず者たちが略奪行為を繰り返しているという噂だった。
「お願いです! わたしはどこに行かされても構いません。でも殿下には、どうかもう少し温情のある処罰を……っ」
「ならん。もう決まったことだ」
そこで立ち上がった者がある。
「そう、父上のおっしゃるとおり」
フレデリク王の隣に控えていた少年だ。
美しい少年だった。
さらりとした銀の髪には天使の輪ができている。大きな二重まぶたの縁にはびっしりと長い睫毛が生えている。きめ細やかな白い肌は陶器のようで、思春期の少年らしさがない。珊瑚色の唇は冷たく引き結ばれており、長い睫毛に守られた青い瞳は、冷たかった。
「兄上には東ヒルデリアに行っていただきます」
国でもっとも美しいと謳われている十四歳の第二王子、ナタニエルだ。
「それがぼくにとっての最初の政治です、兄上」
予想外の展開に、目眩がしそうになる。
「東ヒルデリアにはパルカール人がたくさんいます。兄上ほどの才覚がおありなら、彼らを平定することができるでしょう。ぼくはそう信じています」
口では信じていると言いながらも、彼が兄を見つめる瞳はひどく冷たく、言葉にも感情がない。
原作では、ナタニエルはエルンストをひどく嫌っていた。無能な兄を憎悪し、自分が統治するこの国から消えてほしいと願っていた。
けれど、まさか、東ヒルデリアに行かせるほどとは思っていなかった。
ヴァルトラウトに問いただしたかった。
これはあなたが望んだ展開ですかと訊きたかった。
しかし、この状況で、衆目の場で彼女が転生者でありこの物語の作者であることを明かしていいのか。
その場合どんな影響が出るのだろう。
今謁見の間にいる貴族たちに、セシルは妹の追放を受け入れられずにおかしくなったと思われたり、ヴァルトラウトも奇異の目で見られたり、しないだろうか。
そうしたら、誰がアリスやエルンストを助けられるのだろう。
ナタニエルがこちらに向かってきた。静かな、落ち着いた足取りだった。とてもたった今兄が追放を宣言されたばかりの十四歳の少年のものとは思えなかった。
ナタニエルが、エルンストの正面に立つ。
白くて華奢な手を伸ばす。
その指が、兄であるエルンストの顎をつかみ、顔を上げさせた。
ナタニエルが、笑った。
蔑みと悦びがないまぜになった、邪悪な笑みだった。
「さようなら、兄上」
この子は、悪魔だ。
この国は、破滅への道のりを、踏み出した。
物語のタイトルは、『悪役令嬢は華麗なる復讐者にして世界を統べる女王』。
悪役令嬢ヴァルトラウトが悪の王ナタニエルを倒し新生オルファリア王国の女王になるまでの物語が、今、始まろうとしている。




