第12話 セシルには、セシルの人生が
今世のセシルは本来明るくて社交的な性格だ。
宰相令息として生まれ、物心がつく前から国内外の王国貴族との社交に引っ張りだこだったので、他人と会話をするのが苦ではない。
子供の頃からずっと人の輪の中心にいるのが当たり前だった。
相棒であり未来の主君であるエルンストも、温厚かつ物腰穏やかで、人と衝突するタイプではない。
そのため、二人で並んでパーティ会場の真ん中でにこにこしていれば、大人全員に可愛がってもらえた。
アリスの登場がきっかけで二人の関係にひびが入り、セシルのほうは妹を奪われまいとしてどんどん暗くねちっこい人間になっていった。
アリスと過ごす時間が長くなるにつれて、セシルの周りから人が離れていく。
けれど、セシルはどんな有象無象よりアリスのほうが大事だったから、周りが自分の理解してくれないせいだと決めつけて自分の殻に閉じこもっていた。
しかし前世の記憶を取り戻したセシルはもう目が覚めてしまった。
アリスは可愛いが、あくまで妹だ。しかもセシルがいなくてもずうずうしくふてぶてしく生きていけそうな人間だ。そんな彼女に張りついている必要はない。
そう思った途端コンタクトレンズでもしたかと思うほど視界が晴れて、アリスと出会う前の自分に戻ってもっと積極的に社交パーティなどに顔を出してもいいのではないかと思えてきた。
今世のセシルは前世のセシルに感謝している。彼が理知的で心優しい性格の持ち主でよかった。彼がこの世界で最初に導いた人間はセシル自身だ。
ヴァルトラウトとのダンスが終わったあと、セシルは数人の貴族の男女と談笑を楽しんだ。こんなのはアリスが来る前以来、三年ぶりだ。アリスが現れてからというものずっとアリスにくっついていたので、自分の意思で話し相手を選ぶということすらなかった。
けれど、自戒としておぼえておかなければならない。
伯爵家に養女として引き取られた時のアリスはまだ、魅了の魔法を使えなかった。魔法学園に編入学して魔法の勉強をするようになってから少しずつ身につけていったものであり、セシルが彼女に惚れ込んだきっかけは魔法ではなく、もっと感情的で情動的な理由、つまりシンプルな愛ゆえだった。
コントロールしないといけないのは、アリスではなく、セシル自身だ。
バルコニーで夜風に吹かれる。ダンスでの運動と交流での興奮で熱くなっていた体を、冷ましていく。心地よい。
広間からはまだ音楽が聞こえているが、セシルはもう満足だった。
やっと、自分の人生を生き始めた。
「セシル」
名前を呼ばれて振り向くと、そこにヴァルトラウトが立っていた。まったく乱れることのない結い上げた髪とドレスは美しく、上品で、十八歳とは思えないほど大人びている。
そういえば、彼女は転生者である女性二人の記憶を引き継いでいる。由良みかんが何歳なのかはわからないが、少なくともユウカはアラサーで社会人経験があるという設定になっていた。今世の現在のヴァルトラウトより十歳程度年長だろう。だから大人っぽいのだろうか。
ヴァルトラウトは、穏やかに微笑んでいた。悪役令嬢として気を張ってきた彼女がこんな顔をセシルに見せるのは初めてかもしれない。
「今日はありがとう。エスコートしてくださって嬉しかったわ」
彼女のそんな素直な言葉に、セシルは少しどきりとした。
「いや、だって、女性を一人にするわけにはいかないし」
「紳士なのね」
「当然のことをしたまでだよ。それに――」
ふと、セシルも笑みを作る。
「あなたに気に入られたい。僕を気に入ってほしい」
すると、ヴァルトラウトが驚いた顔をした。それから少しうつむく。失敗しただろうか。
「アリス以外の人間なんてどうでもいいのかと思っていたわよ」
そこで、「いえ」と自分で自分が言ったことを否定する。
「そういう設定だったのよ。セシルは、アリス以外に興味がない男のはずなのよ」
「由良先生が作った設定?」
からかうようにそう問い掛けたところ、ヴァルトラウトは無言でこくりと頷いた。
「そのほうがおもしろいと思っていたの。セシルはどうせ攻略対象の一人でしかないんだから、ブレないようにシンプルな設定のほうがいい、って。今考えたら、キャラにも読者にも失礼だったかもしれないわね」
ヴァルトラウトが静かに歩み寄ってくる。セシルの隣に移動して、バルコニーの手すりに手を置いて、遠くを見る。中心市街地の明かりが見える。建設途中の教会や、市役所や飲食店の照明だ。たぶん火属性の魔法が使われていて、燃料がなくてもひと晩じゅう尽きず、火事にもならない。
「でもあなたは子供の頃の僕に社交スキルを授けてくれた」
「他のキャラとの差別化よ。一番貴族っぽいキャラにしたかったの」
「感謝しているよ。おかげであなたにエスコートを申し出ることができた」
セシルは一人で「ふふっ」と笑った。
「といっても、僕は今十七歳で、こういう場に出るのは三年ぶりだから、最後にちゃんと人間と交流したのは十四歳の時ということになるね。そんな子供に何ができたんだか、と言われれば、何も言えないけど」
ヴァルトラウトも苦笑した。
「そういえば、あなた、前世では何をしていたの?」
「何って?」
「前世では現代日本人だったのでしょう? 高校生の妹さんがいた、ということは、その――」
彼女の瞳が、斜め下を見る。
「かなり若くして亡くなって転生したのではないかと思うのだけれど」
セシルは少し考えた。気を遣わせてしまっている気がしたからだ。セシルとしては隠す気もないのだが、言わずに済むならそのままのほうがいい気もしていた。
心配されるのが苦手だった。
前世のセシルも、今世のセシルも、長子として、男として、しっかりしている、と周りに思われたかった。
周りにもありのままでいてほしかった。セシルのために気を揉むところを見ると悲しかった。
中学高校と、同級生やその親に、妹さんが病気なんだって、大変だね、と言われるのが、つらかった。
普通に、対等に、接してほしかった。
でも、ヴァルトラウトは特別だ。セシルは心の底から、彼女に気に入られたいのだ。それがアリスの破滅を回避する唯一の手段なのだ。だから素直に話す気になった。
「二十三歳で、自分の意思で片側三車線の国道にかかった歩道橋から落ちて、国道を走る車にはねられて死んだ」
ヴァルトラウトが顔を上げ、目を真ん丸にしてセシルを見つめる。
セシルは極力穏やかな声と表情を保った。
彼女を不安にさせないように。
「妹が死んだ。その時点で、僕のあの人生は終わったんだ。それでよかった」
「妹さんが……その、ご病気で……?」
「そう。がんだった。ずっと治療のために入院していてね。ずっとベッドの上で、スマホやタブレットでWeb小説を読むことの他になんにもすることがなかったみたいだ」
案の定、彼女は言葉を失っている。優しい人なのだろう。
ヴァルトラウトもユウカも、根は優しい人だ。それは、三回も読んだから、知っている。
あんな優しいヒロインを書けるのだから、由良みかんも、きっととても優しい人なのだ。
「妹の病気を治したくて、医者になりたくて、医大を受験してたんだ。でも失敗し続けて、三浪もしちゃったんだよ。今思えば看護学部とかに切り替えればよかったんだろうけど、僕もずっと無理していて、意固地になっていて。それで、親や妹に考え直してくれと言われて、ここまで言われるならもういいや、ってなって。文学部を受験したらすぐ合格しちゃって、なんかむなしいなあ、と思いながら大学生活を送ってた」
「そう……だったの……」
「友達やカノジョもいなかったから、妹が死んだ時点で、もう虚無で。本当に虚無で、虚無でしかなくて。大学の同級生は三個も年上の僕に気を遣っているし、高校の同級生はみんな就職してるし、なんかもう、めちゃくちゃだった。だからもう、いいや! って思い切っちゃったんだねえ」
少し、間が空いた。
屋内から漏れる明かりで、彼女の目が潤んだのがわかった。
「まあ、もう、過去の話だよ。前世の、遠い昔の話」
あえて明るく振る舞った。けれど彼女はどうしても悲しかったらしくて、涙の粒がほろりと滑らかな頬にこぼれた。
「大丈夫だって、本当に」
ありすにしていたように、ヴァルトラウトの背を撫でる。ヴァルトラウトの頬に涙の筋ができる。
「つらかったわねえ」
震える声で、彼女が言った。
「今世でも前世でも、妹さんのことばっかり考えている人生なのねえ」
セシルは頷いた。
「今も、あなたに気に入られることでアリスを救ってもらえないかしか考えていない」
「ばか」
レースの手袋をした手が、自らの目元を押さえる。
「自分の人生を生きて」
その言葉に、ぎゅっと胸をつかまれる。
「自分のキャラに、それもプロットのキャラ設定の項目に『妹のことしか考えていない』と書いたのはわたくし自身なのに、変な話だけれど。あなたがどうしたら救われるのか、わたくし、本気を出して考えてみるわ」
「でも、アリスは破滅するんでしょう?」
「アリスが破滅することとあなたが破滅することをイコールで結んでいいのかしら」
考えたこともないことだった。
それが、自分の人生を生きるということ、なのだろうか。
セシルは、考え込んでしまった。
「わたくしも、ストーリーを見直してみるわ」




