第11話 今の僕に必要なのはク〇アア〇ヒ
繰り返しになるが、ふくすべの世界観における辺境は田舎ではない。
ましてヴァルトラウトの屋敷は近代ヨーロッパ風の城館であり、身分の高い賓客をもてなすのにもふさわしい調度品をしつらえてある。
ヴァルトラウトの屋敷で外国の高官を招いた社交パーティが行われることについては、事前に通知があった。
したがって生徒会メンバーも参加する予定で着替え等を準備していた。
生徒会メンバーは一代貴族のローレンツも含めて身分のある存在だ。
エルンストは王子だし、セシルは宰相令息である。
あのアリスでさえデビュタントは済ませている。
こういう場は初めてではない。
けれど、セシルは不安しかなかった。
二年前の学園のあるパーティで、エルンストがヴァルトラウトとの婚約を破棄した。その時、エルンストはヴァルトラウトを断罪した。アリスをいじめた罪だ。その時のセシルは心底憤っていたので、エルンストに同調してヴァルトラウトを責めたのだ。
今思えば悪役令嬢ものあるあるである。
それをきっかけにヴァルトラウトは辺境に追放されたのだが――結果はこれだ。
あの時のような失敗が繰り返されたら、どうしよう。
セシルは前世の記憶を取り戻したことで目が覚めたが、エルンストは今でもアリスを盲目的に愛している。王太子の身分を剥奪されそうになっているのに、それでもいいと言うほどにはアリスのことしか見えていない。
一方ヴァルトラウトは落ち着いたものだ。
このヴァルトラウトの余裕は、ヴァルトラウト本人のものなのか、ユウカのものなのか、由良みかんのものなのか、わからない。
全部の記憶が渾然一体となっている、と考えるのが妥当か。
ユウカも由良みかんも本来は現代日本に住んでいた一般女性だ。いや、由良みかんはプロ作家だから出版社のパーティとか行くのかも? そうしたらこういう場も参加済みかもしれないが、アニメにも映画にもならない一冊の書籍化で巨万の富を築くのは考えにくいから、そう何度もドレス姿で偉い人としゃべる機会があるとは思えない。
つまり公爵令嬢としてのヴァルトラウトの品格と教養、ユウカの穏やかな性格と洞察力、由良みかんの全知全能の神っぷりが重なっているものと思われる。
それを考えると、前世の記憶を取り戻したからといって今世の伯爵令息としての記憶を失ったわけではないセシルならなんとかなる、と思いたい。
いや、セシルがなんとかなってもアリスは……なわけだが……。
気を取り直して、ダンスパーティである。
訪れたのは地元の辺境貴族たち、近隣の領地の貴族や富豪、そしてパルカール王国の大使館の人間だった。
パルカール王国のオルファリア王国との外交を担う使節たちが訪問したのである。
王城での公的な行事以外では初だろう。
ヴァルトラウトの外交手腕を前にして宰相令息のセシルは崩れ落ちそうになった。こんなの勝てるわけがない。
ヴァルトラウトがパルカール語で大使たちと会話をしている。
パルカール語はそんなに難しい言葉ではない。オルファリア語とは姉妹言語で、スペイン語とイタリア語くらいの違いしかない。よってオルファリア人がパルカール語を習得するのはそれほど大変なことではない。
それでもヴァルトラウトのパルカール語は流暢で見事なものだったが、生徒会メンバーはみんなこれくらいしゃべれる。
アリス以外は。
『ご紹介しますわね』
ヴァルトラウトは美麗な笑顔と流麗な話し方で生徒会メンバーを紹介していった。大使も機嫌のよさそうな顔で挨拶し、握手を交わしていった。
アリス以外と。
顔を真っ赤にしてぷるぷる震えるアリスに、エルンストが優しく「これからはちゃんとお勉強しないとね」とささやいているが、セシルはアリスをビンタしてこの程度なんとかしろと言いたい気分になった。お前は養女とはいえ伯爵令嬢だぞ。
大使が気を遣ってアリスに『お可愛らしい方だ』『聖女様は魔法での活動がお忙しくて外国語の勉強どころではないのでしょう』と言ってくれた。しかし、兄のセシルが何度も何度も頭を下げて謝罪するはめになった。あーもうしんどい。でもこれもすべて三年間セシル自身がアリスを甘やかしてきた結果なのだ。
挨拶が終わって、ダンスパーティの時間になる。
会場にはあえて地方での活動をメインにして王国全体への古典音楽の普及を目指しているという徳の高い楽団を招いている。
演奏が始まる。
疲れ果てたセシルは壁際で一人炭酸水を飲んでいた。前世のセシルなら今の僕に必要なものはクリアアサヒだと思っただろうが、今世のセシルはまだ十七歳の高校生だ。オルファリア王国の法律では十六歳でアルコール解禁だということは知っていたものの、手をつける気にはなれなかった。
あのローレンツとマテオでさえ、辺境貴族の令嬢たちをエスコートしている。宰相令息の自分がこんなところでぼんやりしていてはいけない。そうと思っていても、セシルはすでに疲れ果てていた。
だが、ふと会場全体を見渡した時、セシルは気づいてしまった。
ヴァルトラウトが、誰にもエスコートされていない。
彼女は公爵令嬢だ。そんなことはあってはならない。
けれど、きっと、気位が高いことや女主人として振る舞わないといけないと思い込んでいることあたりのせいで、男が近づいてこないのだろう。
いくらヴァルトラウトが、辺境を建て直して立派な街を築き上げ、パルカール王国との国交を回復させてその名誉を取り戻したといっても、エルンストとの婚約破棄のせいで、なんとなく傷物のイメージがついてしまった。
アリスのせいだ。
セシルは、グラスを近くのテーブルの上に置いて、ヴァルトラウトに近づいた。
ちょうどヴァルトラウトからある貴族の夫婦が離れたところだった。
いかにも下心がありそうな雰囲気の中年の富豪が近づきつつある。
それに気づいたヴァルトラウトがちょっと困った顔をした。
「ヴァルトラウト様、どうぞ今宵はわたくしめと一緒に――」
「ヴァルトラウト」
斜め後ろから、そっと、声を掛けた。
「よかったら、僕と一曲踊ってくれませんか」
ヴァルトラウトが振り返った。ぎょっと目を見開く。
「な、何を言っているのよ。アリスのほうに行きなさいよ」
「アリスはエルンスト殿下にぴったりくっついているよ」
視線と顎でアリスのほうを指す。先ほどパルカール語が話せなくて自業自得ながらも困っていた様子からはかけ離れたご機嫌の表情で、エルンストと踊っている。しゃべらなければ美少女の彼女に注目している人間もいるので、今はきっと虚栄心が満たされていることだろう。
先ほど話し掛けようとしてきた男が、何かもの言いたげな顔でこちらを見ていた。それに対して、セシルは「失礼」と言って微笑んだ。
さりげなく、ヴァルトラウトの肩を軽く抱くようにして腕を回す。
このへんは伯爵令息セシルの腕の見せ所である。だてに顔と育ちがいいだけではないのだ。
「ちょっと、セシル」
「では、ヴァルトラウト姫。今宵だけは僕のパートナーであってください」
かっこつけてそう言うと、ヴァルトラウトの顔が真っ赤に染まった。セシルの手をつかむ手もぎこちない。十八歳の若い女性の、うぶな態度だった。悪女だ何だと言われているが、この二年ほど働き詰めで男遊びなど一切考えてこなかった彼女は、本当は、無垢で清廉な女性なのである。
そっとホールに連れ出し、壊れ物を扱うように優しく腰に手を当てる。
ヴァルトラウトは照れたのか、赤く染まった耳のまま、目を逸らした。
「こんなの、原作にはないわよ。勝手に設定を増やさないで」
「そうは言っても、あなたを一人にしておくと、またさっきのおっさんみたいな変な人が寄ってくるかもしれないから」
「それくらい対応できるわ」
「かもしれない。あなたは賢くて肝が据わっているから。でも、周りの人間はそういうあなたを見てまたあることないこと言うよ」
彼女の華奢な手が、セシルの手を、握る。
「僕はあなたにこれ以上傷ついてほしくないな。大切なキャラクターを破滅させたいくらい疲れている人に、これ以上大変な思いをしてほしくない」
「あなた非オタでしょう……。推しが苦しむところを見たいわたくしたちオタクの心情など一生理解してくれないのでしょうね……」
「うん? 僕結構オタクだよ? 一週間に二、三冊漫画読むし、ラノベも結構読んでたよ」
ヴァルトラウトが「なんにもわかっていないのね」と笑った。その時の笑顔が無邪気で、セシルはなんだかほっとしてしまうのだった。




