10-5【視点A】母親
「ヴァレっちー! パパヴァレっち来てるよー!」
「げ」
人混みの中から、今度はタピとトゥーラ、そして知らない車椅子の男性が姿を現す。するとルリと一緒にオニキリギリスの卵のオニギリをつまみ食いしていたヴァレッタが、露骨に嫌そうな顔をした。
「ヴァレッタの、お父さん……?」
「初めまして。ヴァレッタの父のホッパー・ガタキリだ」
「は、初めまして。千歳アヤメです」
ちなみにヴァレッタは、ホッパーさんが現れるまではオニキリギリスの卵のオニギリを美味しそうに食べていた。どうやらこの世界で、昆虫食は一般的らしい。ルリはまぁ、基本何でも食べるし……。
「やあやあ。君が噂の、シーカーさんのお孫さんかい?」
ホッパーさんは、私の後ろで小さくなっているラノ君に気づくと優しく微笑む。そして私の横で、ヴァレッタの背中を押しているタピに視線を向ける。
「彼女もホークさんの若いころにそっくりだが……性別は違えど、君も確かにシーカーさんの面影がある」
どうやらこの人は、ラノ君のおばあちゃんの若いころを知っているらしい。そういえば、確かレン先生って鏡の魔女……つまり、ラノ君のおばあちゃんなんじゃないかっていう噂を聞いたことがあるような……。
「あれ、レン先生がいない……」
そんなことを思い出しユキ会長の隣を見ると、そばで日傘を差していたはずのレン先生がいなくなっていた。
「レンなら、先に転移魔法で現地入りしましたよ。ヒイロ君……いえ、勇者ヒイロと緊急の打ち合わせがあるようで」
「そうですか……」
そういえばユキ会長にも、ヒイロさんと付き合ってるって噂があったような……。ユキ会長は、ヒイロさんのことをヒイロ君って呼んでるんだ……!
「でも、じゃあ私たちも急がないと……」
「いえ、それには及びません。別れの挨拶は、心残りのないようにしておくべきですよ」
「え……?」
ユキ会長の視線の先には、ヴァレッタとホッパーさんの姿があった。
「ちょっとパパ、何で来たの!」
「ハハハ、来るなって言われたからだよ」
「ウザ……」
「しばらくその憎まれ口も聞けなくなるからな、今日接種できて良かったよ」
「キモ……」
ふと二人の姿が……ルリと、私のお父さんの姿と重なる。
「ヴァレッタ、親より先に死ぬんじゃないぞ」
「…………」
ああ、そっか…………私は、親より先に死んだんだよね。
(そう。あなたは親より、先に死んだ)
後ろから、私の声が聞こえた気がした。振り返るとそこには、ルリの人狼の衣装を纏った、私自身がいた。
(私はあなた。母親どころか父親からの愛も知らない、母性本能なんてものから程遠い女の子)
「……」
両親の、目の奥が笑っていない四つの瞳が目の前に浮かんで消えた。ルリの前では決して見せることのない、私にしか向けられたことのない、憎しみの目。
(親から子への悪意、恐怖、絶望は、よーく味わってきたんでしょ? 恋も……似たようなもんだよ)
「……恋」
私の形をした何かが、一歩ずつ近寄ってくる。きっとこれは、黒金の獅子団のリーダーを倒した次の日の朝、ラノ君の結界で女神様に見せられた、幻覚。
(恋は……とびきりの恐怖から生まれるんだ。孤独への恐怖。嫌われる恐怖。失う恐怖。奪われる恐怖)
「……」
(そして、愛される恐怖)
「……」
(それが、かつてあなたが実の父親に抱いていた想い)
「……」
お父さんに、私は恋をしていたの……? だから、お母さんは、私のことを…………。
「どうかしましたか?」
「っ!」
ユキ会長の声が聞こえ我に返る。目の前で私を見つめているユキ会長のその目は、目の奥が笑っていないような気がして、その目はまるで…………。
「ユキ会長は……本当に元の世界の記憶は残ってないんですか?」
思わず、疑問が口に出る。
「ええ。女神様に、私の容姿も記憶も、全て一新してもらったことだけは覚えていますが。それに勇者ヒイロや、サイカさんだってそうなのでしょう?」
「……」
私やルリ、ヒイロさんたちは、魔王を倒す勇者一行、あるいは魔王軍四天王としてこの世界に召喚された。対してラノ君は魔王候補として、この世界に転生したと女神様は言っていた。そしてその際ラノ君は、前世の記憶を忘れることを選んだ。同じようにヒイロさんとユキ会長も、記憶を消してもらうことを女神様に頼んだらしい。
「大切なのは、この世界での私の使命です」
この三人は記憶だけでなくその容姿も変えてもらったらしいから、たとえ元の世界で知り合いだったとしても、お互いに気づくことはない。でも、私は元いた世界で、ラノ君にもヒイロさんにもユキ会長にも、どこかで会ったことがある……そんな気がしている。
「勇者アヤメ……あなたも、この世界での使命を実行しなさい。それで……全てがうまくいくのですから」
ユキ会長が、私たちを王都へ転移させる魔法陣を起動する。
「アヤ姉ちゃんがんばれー!」
「ルリ姉ちゃんも負けないでねー!」
「タピちゃんもー!」
「トゥラ姉ちゃんもがんばってー!」
「ヴァレ姉ちゃんも負けるなー!」
「ねぇ、だから何で私だけ姉ちゃん呼びしてくれないの?! 私だって、タピ姉ちゃんって呼ばれたい!!」
「だってタピちゃんはタピちゃんだもん!」
「だから何で?!」
この世界で出会ってきた人たちの、賑やかな声が聞こえる。
「アヤメさん、そろそろ行きましょう」
「そ、そうだね……」
相変わらず私の後ろにいるラノ君が、私を見上げて裾を引っ張る。そうだ。この世界のみんなを、私が守らないと。勇者の使命を、果たさないと。
「いってらっしゃい、勇者アヤメ」
ユキ会長の声や佇まいが、見た目よりずっと大人びて見えた。その姿はまるで……。
「……いってきます、ユキ会長」
足元の魔法陣が、虹色に輝く。次の瞬間、私たちは王都にそびえ立つ、緋色の城門の前に辿り着いていた。