6-5 【視点A】鏡の魔女の日本庭園
「ここが……鏡の森……」
鬱蒼と生い茂る木々に放課後の夕陽が遮られ、辺りは仄暗い。
「ようこそ、我が家の玄関口へ。鏡の魔女の箱庭へ」
道らしき道は見当たらず、同じような風景が続いている。苔生した樹木があちこちにその根を張っている様子は、不気味にも神秘的にも見える。
「ここは魔物のための森ですから、あるのは獣道くらいですよ」
私の右隣でラノ君が、そう解説してくれる。もうすぐ家に着くからか、タピから取り返した仮面はもう着けていない。せっかくかわいいんだから、いつも外しておけばいいのに。
「で、あんたのおうちはどこにあるわけ?」
私の左隣から、ルリのため息が聞こえる。ルリも気づいたみたいだけど、「おうち帰る」はラノ君の口癖らしい。
「……それはもちろん、この先です」
ルリはラノ君の口癖を煽ってるみたいだったけど、ラノ君はルリの視線もどこ吹く風と森の中へ入っていく。しばらく歩くと、少し開けた所でラノ君が立ち止まった。
「え……ちょっと待って……」
思わず静止してしまったのは私。
「そこ……通るの?」
ぱっと見行き止まりに見えた視線の先。よく見ると、かろうじて人が一人通れるくらいの幅の、岩や倒木が折り重なる悪路が続いていた。運動着のまま来ちゃったし、お腹とか引っ掻いてケガしそうだ。
「いいえ。ここから先は、魔法で移動します。万が一尾行されると面倒なので」
ラノ君は地面の上に杖を置き、その上に仮面を載せる。
「サイコーヒストリア・レディ」
そして、見覚えのある魔導書を構える。
「セット・黄泉戸喫・鳥居作星・門前雀羅・スタンバイ」
魔導書から、赤黒い霧が立ち上る。それが辺りの暗がりと混ざり合うと、周りの景色がみるみる色褪せていく。
「な、何……?!」
それと同時に、周りの地面から鳥居のような柱が次々と浮き上がってきた。
「これって、鳥居……?」
私たちを覆うように斜めに乱立するする鳥居は、一瞬で私たち三人を閉じ込めてしまう。
「サイカ・ワ系ステージセレクト、千本鳥居作」
視界を遮っていた鳥居が、一斉に地面の中へと沈む。次の瞬間、目の前に広がっていたのは、元いた森の姿ではなかった。
「……えっ??!」
夕日の茜色を照り返す瓦屋根と、空を飛び交う赤と白の提灯が足元の池に映り込んでいる。その上には朱色の橋が架かり、橋の下からいつかラノ君が化けていた銀色のカメたちが、こちらを覗いている。
「我が家へようこそ」
いつの間にか仮面をつけていたラノ君が、その橋の上から振り返る。
「サイコー様は、あなた方の世界に興味を持っておられました。どうでしょう? 上手く再現できていますか?」
ラノ君が敬愛する大魔法使い、サイカ・ワ系初代魔導師、サイコー様。ユキ会長によれば、彼女はラノ君の実のおばあちゃんで、唯一の肉親。そして今は行方不明になっているとのことだった。
「おじゃまします……」
ルリは恐る恐る、庭の飛び石の上を進んでいくが、私はあるものを見つけ、思わず駆け出す。
「畳!」
縁側から見える部屋の中に、畳が敷いてあるのが見えた。私は靴を脱ぎ捨て上がり込む。
「ちょっと、アヤ! ……もう」
後ろからルリの呆れた声が聞こえるが、今はそれどころじゃない。私は仰向けに寝転がり、その感触を堪能する。
「はあぁ~……」
懐かしい香りとひんやりとした肌触りに、思わず声が漏れる。私たちが召喚されたこの異世界も、ラノベやゲームでよく見る少し昔のヨーロッパのような世界だった。そんな世界で、また畳の上でゴロゴロできる日が来るなんて思わなかった。
「扇風機まであるなんて……え?」
視界の隅に映っていた扇風機が近づいてきた。よく見ると土台の部分がなく、羽とガードの部分だけがふよふよと宙に浮いている。そして暗くなってきたからなのか、外を飛んでいた提灯の一つが入ってきて天井の中心にくっついた。
「ねぇサイカ・ワ。なんかスイカみたいなのが木に生ってるんだけど」
身体を起こし庭の端を見ると、神社とかにありそうなくらいの大木の枝に、スイカみたいなのが鈴生りになっている。
「ああ、あれはスイカじゃなくて、サイコー様が作った魔法植物です。秋には紅葉色の花が咲き、春には葉っぱが桜色に染まります」
「微妙におしいわね……」
「あのスイカみたいな実は、冬になると落ちて割れて、中から大量のミカンが出てきます」
「何で?!」
「サイコー様のお考えは、我々庶民には理解できてはならない領域ですから」
ルリの言う通り色々微妙におしいけど、畳の懐かしさの前では些細なことだった。畳は完璧に再現されていて、まるでおばあちゃんの家にいるような感じがする。亡くなってすぐに取り壊されたけど、おばあちゃんが生きていた頃はまだ、家族みんなでいるのがすごく楽しかった。
「こういうとき、普通の人は残してきた人たちのことを思い出して、辛くなったりするのよね……」
ルリやソラがいなければ、畳の感触で元の世界のことを思い出して、寂しくなったり元の世界に帰りたいと思ったりしたのかもしれない。
「……」
でも、この世界にも仲間がいる。だから私は元の世界に、未練なんてない。そう思ってしまうのは元の世界の記憶が、あまり思い出せなくなっているからなのかもしれない。
「クルミちゃん……」
元の世界の記憶だけじゃない。ふとしたとき、クルミちゃんのことも忘れてしまいそうになる。絶対に忘れちゃいけないのに……私の、せいなのに。クルミちゃんの仇は、絶対に私が討たなきゃいけないのに。
「…………」
こんなことしてる場合じゃない。私は……。
「どうしたの?」
「!」
障子の向こうから、小さな女の子が顔を出していた。部屋の雰囲気と格好から、座敷わらしにしか見えない。
「顔、怖いよ? あと、私、座敷わらしじゃないよ?」
「え、あ、ごめん……なさい」
思考を読まれて思わず立ち上がると、庭のほうからルリの声が聞こえた。
「久しぶり、アリス」
「あ、ルリちゃんだ! ルリちゃんだー!」
女の子がルリに飛びかかり、そのまま二人とも池に落ちた。
「ちょっ、アリス、私泳げないんだけど!」
と言っても、池の水は足首くらいの高さしか張られていない。女の子は、ルリに抱きついたままニコニコしている。
「えへへー」
橋の下にいた銀色のカメたちが、手足を甲羅にしまうとUFOみたいに回転しながら逃げていく。この世界のカメは、飛んで移動するみたいだ。
「アリスのやつ、舞い上がってるな」
「!?」
いつの間にか私の背後に、白髪の男性が立っていた。部屋の雰囲気と格好から、小説家にしか見えない。
「ど、どっから出てきたの?!」
「そこに掛かってる紙の裏からだ。その先が廊下になってる」
そう言って男性は、ブリキのロボットみたいなものが描かれた掛け軸を指差した。掛け軸の裏に隠し通路があるなんて、まるでカラクリ屋敷みたいだ。
「アリスー、その人間、溺れちゃうぞー」
男性が手をかざすと、ルリと女の子が宙を浮き、池から引き上げられた。この人、呪文を唱えずに魔法を……?
「いや、そいつが人間じゃないから舞い上がってんのか」
「!」
この人、ルリが魔族として召喚されたことに気づいてる……? いや、それよりこの人、よく見たら昨夜アトリさんに絡んでた酔っぱらい……?
「……二人とも、改めて自己紹介を」
ラノ君が仮面を外し、縁側に腰を下ろした男性とルリに抱きついたままの女の子を交互に見る。
「そうだな。俺はザック・ザクロイド。魔族の、ドラキュラだ」
「私はアリス・アングリード。魔族の、サキュバスだよ!」
「えっ……」
ドラキュラとサキュバス。聞き覚えのある組み合わせ。今朝聞いた女神様の別れ際の言葉が、脳内に響いた。
「吸血鬼と淫魔に、気をつけなよ!」