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第3話 憧憬と勧誘(1)

挿絵(By みてみん)



「あれ、真鳳(まとり)エルじゃない?」


「え、マトリアルカの? ホントだ、なんでここに?」


 アパレルショップの女性客たちがざわめく。


 今をときめく女性社長・真鳳エルが、丸眼鏡をかけた田舎者のような女の子の手を取って店内に入ってきて、数秒で服を選び取って会計をしている。


高級ブティックでもなく学生が好むような安価なショップの中で、真鳳エルの端麗さは一際目立っている。



 姫奈(ひな)は次に都心のオシャレな美容室に連れてこられた。すでに閉店後のようだが、エルの馴染みらしく美容師たちが待ってくれていた。


「お店で試着する暇はなかったけど、私の見繕いに間違いはないと思うわ。姫奈、すぐに着替えて。終わったら、次は髪よ」


 エルに言われるがまま、姫奈はバックヤードを借りて先ほどエルが購入した服を着る。すぐにチェアに座らせられ、エルに指示を受けた女性美容師が姫奈の丸眼鏡を外し、その髪を切り揃えてスタイリングしていく。


 エルは横でしばらく姫奈の顔をじっと眺めてから、自前の化粧道具を台に並べた。美容師の整髪が終わると、エルは姫奈に自らメイクを施し始める。


 すぐ間近のエルの真剣な表情。肌に触れるエルの指先の温もり。巧みなブラシやパフの動きの感触。姫奈は緊張でのぼせて硬直する。心臓の鼓動が止まらない。


「姫奈。できたよ。さ、肩の力を抜いて」


 エルが後ろからポンと両肩を叩く。目が泳いでいた姫奈は我に返り、前の鏡を見て絶句する。


 見たこともない美しい姿。


 姫奈は鏡に映るその子が自分だと認識できないでいる。これまで無造作に後ろに縛るだけでまともに整えたことのなかった長く荒れた髪が、爽やかに流れるワンカールのミディアムヘアに。肌の手入れが面倒で大きめの伊達の丸眼鏡ででごまかしていた顔には、透明感あふれる軽やかで艶々のメイク。いつものくたびれたシャツではなく、身体の形に合ったタートルネックニットのコーデ。とてもそれが自分だとは思えない。


「これが……、私……」


「そう。でも、まだまだよ。姫奈はもっと変われる」


 エルが姫奈の両肩に手を置き、姫奈の顔の横に自分の顔を並べた。憧れのエルとのツーショット。胸の高鳴りは止まらないが、先ほどまでの緊張の鼓動とはどこか違った。


 子役を始めた頃の無邪気な気持ちが思い起こされる。スタイリストの力で変身して、華やかな世界に踏み出せた、あの時の高揚感に似ている。


 憧れのエルが変えてくれた、自分の姿。姫奈はしばらく、まるで他人を見るかのように、不思議そうに鏡を眺めていた。


 再びエルの車に乗る。エルが自宅まで車で送ってくれるという。車窓に流れる夜景を見ているうち、このままエルとの時間の終焉に向かっていることを感じて寂しさが募ってくる。


 もっとエルと一緒にいたい。これまで人を避けてきた姫奈にとって、こんな欲情は初めてだ。エルといれば、自分はもっともっと変われそう。


 エルの車が姫奈のマンションの前に到着した。エルがサイドブレーキをかけた音を聞き、姫奈はたまらず運転席のエルに言った。


「あの、エルさん……。私、もっと……エルさんと……」


 エルは姫奈に微笑みかける。


「姫奈。私もよ」


 エルは姫奈の右手の甲に手を添えると、姫奈の顔に視線を近づけていく。見つめ合う距離が縮まっていき、姫奈はエルの漆黒の瞳に吸い込まれていくように、自然に目を閉じていった。


(エルさん……)


 唇と唇が軽く触れ合い、そこから一気に爆発したように深く絡み合う。


 欲望が堰を切って、姫奈はその洪水に身を委ねていった。





(ここのシーンは、有料官能版にてお楽しみください!)


挿絵(By みてみん)





 いつものベッドでふと目が覚めた姫奈は、自分の一糸まとわぬ姿に気づいて、焦って毛布を引き寄せて顔をうずめる。


 汗に濡れ荒れたベッドシーツ。肉体の疲労感。状況の一つ一つから、昨夜からの記憶が断片的に蘇る。ただただエルを求め、エルからも求められ、放たれた欲望に身を任せ、押し寄せる快感に溺れていった昨夜。それが自分の部屋での出来事だったのかと、今改めて知って驚く。


 鼻をくすぐるコンソメの匂い。姫奈は焦って身を起こす。


 スーツ姿のエルが、簡単な朝食を用意していた。小さなテーブルにはすでに皿とカトラリーが並んでいる。


「エルさん……」


「おはよう、姫奈。朝ごはんよ。食材は冷蔵庫から勝手に使わせてもらったわ。今日は大学があるんでしょ。一緒に出ましょう」


「あ、は、はい」


 姫奈は慌てて飛び起き、服を着る。


 食パンに野菜スープ。エルが用意した朝食を、エルと向かい合って食べる。スープの美味さが、起きがけの身体と心に染み渡る。


 不思議な感覚だ。昨日までただ画面の向こうの憧れの人でしかなかったあの真鳳エルが、この狭い部屋で小さなテーブルを挟んですぐそこにいる。もし姉がいればこんな感じなのかなと、一人っ子の姫奈は思った。


 姫奈はハッとする。見渡すと、部屋も小綺麗に片付いている。無造作に置いてあったはずの洋服も、昨夜は脱ぎ捨てたはずの服も、きちんと畳まれてあった。


 エルのインタビュー記事が載っている雑誌の数々も、床に散らかっていたはずなのに、きちんと揃えて積み重ねられている。姫奈は恥ずかしさで真っ赤になった。


 エルは姫奈の様子に気づいて言う。


「ごめんね、勝手にお部屋の中をちょっと整理したの」


「いえ……ありがとうございます……」


「姫奈、よく片付いているほうだとは思うけど、普段からもっと片付ける意識を持とう。環境が整えば心も整って、もっと変われるわ」


 正座して美しい所作でスープを口にするエル。姫奈は見惚れる。いったいエルはいつ眠って、いつ起きたのか。部屋を片付け、朝食を作り、さらには服装もメイクも髪型もすでに完璧に整っている。裸で眠り呆けていた自分に比べ、真鳳エルはどこまで隙のない女性なのだろうか。


「姫奈。今日の午後は何か用事あるの? 大学が終わったら、うちの会社に来ない?」


「え、マトリアルカにですか。いいんですか?」


「もちろんよ。遊びに来て」


「はい、絶対行きます!」


 エルの誘いに、姫奈は一層ときめいた。一夜限りの儚い関係ではない、またすぐに会えるんだと思うと、姫奈は喜びを隠せない。


 エルは再び姫奈にかわいいメイクを施しながらやり方を教え、車で姫奈を大学まで送ってくれた。後でまたエルに会えるという喜びで、姫奈は大学の授業にもいつも以上に熱が入る。昨日までとは全く違う姫奈の姿を見て「あの子、誰だっけ?」とヒソヒソ話す周囲の学生の声も、気になることはなかった。



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