第9話:視覚と聴覚(1)
「あっ、姫奈、こっちこっちー」
店に入ってきた姫奈に気づいて、茜音が手招きをする。向かいに座る梨緒も笑顔で振り向き、手を振っている。
姫奈のメッセンジャーには、茜音と梨緒から「撮影前にカフェでお茶しよ」と誘いが届いていた。姫奈は大学の授業が終わると、二人のお気に入りだというオシャレなカフェラウンジに急いでやって来た。
この後、茜音たちのチーム「チャーミー」の動画撮影がある。久々にチームメンバーの5人全員が集まっての収録だという。そして5人は撮影補助のためと、企画支援課のマヒルのスケジュールを押さえていた。
それを知った姫奈は、何か嫌な予感がしてつい、自分も合流したいと各位に連絡した。メンバーもマヒルも了解したが、特に茜音と梨緒は姫奈の合流を知ってとても喜び、現場に入る前にカフェに誘ったのだ。
茜音に促されて、姫奈は茜音の隣りに座る。姫奈は二人を前にして、以前と変わらず恐縮している。二人とは肉体的にも深い関係になってしまった。あの夜に目に焼きついた二人の美しい裸体が、まるで服に透けて見えている感じがして、顔が赤らむ。
注文を終えた姫奈に、茜音が肩を擦り寄せてくる。
「姫奈ってさ、マヒルくんと同じ企画支援課に入ったんだよね?」
「あ……はい。そうです」
「二人しかいない部署でしょ。姫奈は普段、マヒルくんと一緒に行動してるわけじゃないの?」
茜音が隣りから無邪気に訊いてくる。正面の梨緒も身を乗り出して興味を示している。今日の撮影に姫奈が自分から合流を申し出たことが、二人には気になったようだ。
「えっと……そうですね、基本的に別々に動いてます」
「へー。それは、姫奈がマヒルさんを嫌いだから?」
「いや……、あの、そうじゃなくて……っ」
姫奈は二人の質問に、慌てて手を振って否定した。姫奈はいったん気を落ち着けて、二人に説明する。
「あの……、実は私、極度の男性恐怖症で……。マヒルくんはそれを気遣ってくれてるみたいで、なるべく仕事を別々にしてくれてて……」
「へー、姫奈は男性恐怖症だったんだ……。じゃあ、姫奈がマヒルくん個人を嫌い、ってわけじゃなくて」
「ち、違います……。なんでそう思うんですか」
「だって、マヒルくんって、姫奈の愛するエルさんの彼氏じゃん」
「……!」
茜音が悪意なく言ったことを言葉に、姫奈は思わず息が止まる。
「あ……茜音さんたち、知ってたんですか……」
「え、何を?」
「マヒルくんが、エルさんの彼氏だって……」
「それは当然知ってるよ。エルさん、私たちには隠してないから」
「知ってて……、あんなこと……してたんですか……」
「あんなこと?」
「その……マヒルくんと……」
「セックスでしょ? そう、知っててマヒルくんとあんなことしてるよ」
梨緒が堂々と答えてきた。かわいらしい声なのにあまりにド直球の答えで、姫奈は一瞬たじろいでしまう。
「どうして……。マヒルくんが、エルさんの彼氏だと分かってて……」
「どうしてって、エルさんの彼氏だからよ」
「え……」
「私も茜音も、エルさんのことが好き。エルさんみたいになりたいと思ってる。だから、するの」
「……?」
梨緒の説明でますます、姫奈の頭は混乱する。茜音がさらに肩を擦り寄せて、他のお客さんに聞こえないような小声で言ってくる。
「だって姫奈。エルさんは夜な夜な、マヒルくんのことを犯してるわけじゃん?」
「……」
「だから、私たちもマヒルくんに同じようにしたら、ああエルさんはいつもこうやってるんだな、エルさんはこう感じてるんだな、ってエルさんになりきれる気がするでしょ。その時間の自分はエルさんになってるんだよ、最高じゃない?」
茜音も屈託のない瞳で語る。姫奈はますます困惑してしまう。
「そんな……。そんなこと、エルさんが知ったら、エルさんは……」
「もちろん、エルさん公認だよ」
「そう、むしろエルさんは、それ奨励してるからね」
「そんな……」
茜音と梨緒の即答に、姫奈は絶句する。
確かにエルは、彼氏のマヒルが他の女性に犯されている映像を見ても、マヒルにも女性にも怒気や嫉妬を見せている様子はない。マトリアルカの仲間だから見て見ぬふりをしているのだろうとも思っていた。それが実は、エルのほうから勧めているなんて、姫奈には信じられない。
昨夜のことを不意に思い出し、姫奈はつぶやく。
「もしかして……。昨晩の夏海さんたちも……」
「昨晩の……? あ、ウインズの夏海さんたちの? 姫奈、マヒルくんとのあれ、観てたの?」
「……はい。エ……エルさんに……、観せてもらって……」
「へー、エルさんもやっぱり観てたんだ。ウブな姫奈にもアレ観せるなんて、エルさんも人が悪いなー」
「だね。エルさんらしいけど」
茜音と梨緒が目を合わせながら、クスリと嗤う。姫奈は一人除け者にされたように感じて、つい手のひらでテーブルをバンと叩いてしまった。三人の飲み物が揺れる。
「わ……! 姫奈、どした?」
「茜音さんも、梨緒さんも……、全てを知ってるんですね」
「全てっていうか、まぁ、ある程度は」
「私はほとんど知りません。私だけがわからないなんて、なんか苦しいです。教えてほしいことが、たくさんあります」
姫奈は真剣な表情で、茜音と梨緒の目を交互に見た。姫奈の心情を察した茜音と梨緒の顔からは、ニヤついた笑みが消える。
「そっか……。姫奈はキャストじゃないから、エルさんが教えてないこともたくさんあるんだね」
「私たちで答えられることは、答えるよ。姫奈は大切な仲間だから」
茜音と梨緒は姫奈を気遣った。姫奈は生唾を呑みながら尋ねる。
「私が特に不思議に思うのは、マヒルくんです」
「なんで?」
「どうして彼は、エルさんという最高の彼女がいながら、何も抵抗せずに他の女子たちと関係を持つのか……。かといって、自分から女子たちを責めようとしてもいない。それに……、ただ仰向けで悶えているだけで、ずっと受け身の姿勢でされっぱなしで……。見ていて気持ち悪くて」
「そっか、姫奈はもうそこから知らないんだね。じゃあ……」
茜音が言いながら腕時計を見た。撮影現場での集合時間が近づいているようだ。
「姫奈。本当に姫奈がそれらを全部知りたいんだったら、教えてあげる。でも、本当に全部を知る覚悟はある?」
「え……?」
「姫奈に教えてあげてもいいけど、姫奈がそれを知ったことでエルさんやマトリアルカを見捨てるようなら、私は姫奈を一生許さないと思う」
「私もそう。茜音と同じ気持ち」
茜音と梨緒が真顔で言う。ここからはマトリアルカの人間ならば覚悟しなければならない領域なのだと言わんばかりに。
姫奈は意を決して、ゆっくりとうなずく。
「……はい。私は、茜音さんや梨緒さんの本当の仲間になりたいから……、だから、本当のことが知りたいんです」
「そう。エルさんのこと、裏切らない?」
「裏切りません」
「私たちにも、エルさんにも、それ誓える?」
「はい」
「……分かった。じゃあ今日、チャーミーの撮影が終わった後、私たちと一緒に残って。きっとマヒルくんも残るから。そこで明らかにしてあげる」
「……はい」
姫奈は恐る恐るにうなずく。茜音が言った、明らかにすることとは何なのか、全く想像がつかない。梨緒が優しい声を加えてくる。
「大丈夫よ。きっとこれで、姫奈が茜音や私と、本当の意味で仲間になれるんだから」
梨緒の言葉でますます謎は深まる。しかし姫奈には、茜音や梨緒が仲間としてもっと近づきたいという気持ちを持ってくれていることが嬉しかった。
たとえマヒルがどんな人間だろうと、マヒルにどんな秘密があろうとも、姫奈は決してマトリアルカを裏切らないということを心に誓った。




