06
「さっきから目だけ白黒させて、新人くんも頼りないねぇ。前職SEの同業者って聞いて期待したのに」
「社長がそんなこと言うとパワハラですよ。だいたい、俺が知ってるSEの業務とは、既にだいぶ違うとこ行ってますし」
そして今は、業務どころか、地理的にも馴染みがないとこを走らされている。ちょうど群馬県道33号渋川松井田線、通称『榛名山道路』に接続しようとしているところだ。もうすっかり陽も落ち始めていて、大きな残業になるのも間違いない。既にどうでもいいが。
「そう言えば、社長は俺のこと試用期間とか言ってましたけど、ちゃんと残業手当とか出るんですよね?」
「そんなの私に聞かないでよ。労務規定とかの細かいことについては後でクジラちゃんに聞いて」
あんたが社長だろうに。
「クジラちゃんって誰ですか?」
「私の秘書。兼経理、兼総務、兼人事のなんでも屋。通称、副社長」
「クジラちゃんってのも通称ですよね?」
「そう」
溜息が出ちゃう。俺、普通の社会人だもん。
「こんな田舎、初めて来ましたよ。俺は東京生まれの東京育ちなんで」
「そんなこと言ってると、その田舎の人とやらに殺されるよ。東京人よりずっと多いんだから」
「で、榛名山のどの辺りに行けばいいんですか?」
「エイちゃんの解析によると、榛名山の頂上付近にヤツらの拠点があるみたい。そこを叩く。私たちで。今夜中にね」
現実離れしている。
「なんか頭痛くなってきたかもしれません…」
「山でちょうどよかったじゃん。目の保養になるよー。イニDの道も通るし」
榛名山が見えてくる頃には陽は沈みきってしまい、目の保養効果は期待できそうになかった。暗い山の影は近づくほどに大きく、濃くなっていく。まるで俺の新しい仕事の不安を表しているみたいだ。
携帯が鳴った。どうせ社長の携帯だろうと思ったのに、違った。俺の携帯が鳴っている。
「もしかして新人くん、家族とかいる?」
「いや…独り身ですけど」
携帯は鳴り続けている。
「携帯に出て」
「運転中です」
「スピーカーフォンにして出て。私が話してあげるから」
「俺にかかってきてる電話です」
「どうせ非通知の知らないやつからだよ」
取り出してみるとその通りだった。ロックだけ外して社長に渡した。社長がコールを受理すると、明らかに変声機を通した声が喋りかけてきた。
「社長さん、その道を引き返してはいただけないか?これ以上踏み込むと言うなら…」
「戦争だって言うんだろう?帰る気なら、ここまで来てないさね」
社長の方から、通話を切った。
「何ですか今の電話?なんで社長宛のが俺のに来るんですか?」
「油断したね。君の携帯のことすっかり忘れてたよ」
「俺の携帯が何か?」
「その携帯、OCEAN社製のやつだろ?」
「それが?そんな珍しいものじゃないと思いますけど」
OCEAN社というのは、北米を拠点にしている世界最大のWeb検索サービス『WALRUS』の運営をコアビジネスとする会社だ。彼らが『World Wide Web』の世界を俺達の身近なものにしたという功績に疑いの余地は無い。彼らの検索サービスのシェアはグローバルでもこの日本でも八割を越すとされている。なぜ『セイウチ』を意味する名前を自分たちのサービスに付けたのかはよくわからないが、ITサービスに動物などをモチーフにしたユーモラスな名前を付ける流行も『WALRUS』がきっかけであったとは言われている。今では検索事業だけにとどまらず、あらゆるITサービスを展開していて、スマートフォン事業もその一つだ。グローバルで彼らのスマートフォンは七割を越すシェアを占め、日本でもそれには及ばないものの、四割のシェアを占めている。
だから、俺がOCEAN社製の携帯を使ってることは珍しいことじゃない。世界で見れば70%、日本で見ても40%の、かなり『普通』の話だ。
社長は俺のことをじっと見ていた。さてどうしようか?と、子供を諭すような目で見ていた。俺の方が歳上なのに、たぶん。
「私たちの敵、ヤツらってのが、そのOCEANなんだよね。だから、あんたのこの携帯から、私たちの行動が筒抜けだったってわけ」
社長は俺の携帯を引っ掴んで、窓から放り投げた。
「俺の携帯…」
「この仕事終わったら別のヤツ用意してやるから諦めな。ここは日本の山だけど、ヤツらの海の底になっちまってるんだ」
陽が落ちた山道は、本当に夜の海のようだ。これがもしも冷たい海であるなら、そこはセイウチの狩り場だ。
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