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会ってみたら、俺たちのクライアントのトップというヤツは何てこともない、若い男だった。歳の程はいいとこでも三十の半ば。なら、俺とも大して変わらない。背も低めで、それらしい迫力も無い。しかし、こんなヤツが『何億兆円』規模だかのプロジェクトのトップなのだそうだ。まぁ、俺をビビらせるために、ウチの社長も盛ってるんだろうな。
そんな俺をビビらせたかったらしいウチの社長は、六十も半ばなのに、俺の隣でその若い男にペコペコしている。
「この度はうちの若いのが申し訳ございませんでした。せっかく先生のプロジェクトも動き始めたところでしたのに」
「別に構いませんよ。動き始めただけで、実際にはまだ何も、というやつです。壊したものは直していただければ、それで」
「もちろんその分の費用は勉強させていただきます!なので、できましたら来期のご契約の方も…」
「我々としても新しい相手を探すのはリスクです。すぐに切る、みたいなバカなことはしません」
男は突然手を差し出してきた。
「握手ですよ。今後も一緒に仕事するんでしょ?」
「ああ、はい、もちろんですよ、先生!」
「思いやり、支えあい、高めあう。我々の理念です」
オヤジ二人が握手した。オヤジと一括りにするには、倍ほども歳は離れているだろうが。
「これで次期も契約成立、とは残念ながらいきませんが、我々は文書主義なので。上の正式な承認も通す必要がありますし、今はその時期でもありません。来期とやらがくるまで、しばらくはお手並みを拝見ですかね」
「絶対にご満足できる成果をお見せしますよ!」
「ところで、隣の彼は何をしに?」
俺のことだ。社長も突然の話題変化で軽く目が泳いだ。
「あ…こいつですか?実はこいつが今回バカをやったウチの張本人でして、例のエンターキー押したヤツなんですよ。いや、ホント申し訳ない…ほら、お前も謝れ」
「申し訳ございませんでした。二度と繰り返さぬよう、肝に銘じて作業いたします」
とりあえず頭を下げておく。
「なるほど、君が例の作業者か」
顔は見えない。クライアントの声が、俺の頭の上から聞こえてくる。
「REMOVEコマンドの実行にはよく注意しなさいと、教えられたことはなかったのかな?」
俺たちの社に渡された手順書に書かれていたのは、バッチ処理の実行の指示だけだった。処理の中身については聞かされていなかったし、ウチの責任範囲でもない。だから、本来は俺たちがここにいる道理は無い。現実に俺たちが今ここにいるのは、契約というビジネスの不思議な力関係の結果でしかない。
社長が助け船を入れてくる。
「本当に心より申し訳ありませんでした。本人もこのように反省してますので、今後の再発防止策については改めてご提示を」
「あなた達のことは信頼してますから、それは不要ですよ。ただ、私どももあなた方とだけ付き合っているわけでもありません」
かすかに笑ったような気配があった。
「彼の首は、今ここで切ってもらいましょうか」
「え…?」
「今、この場でと、仰るんですか?」
「もちろん今、この場で。誠に恐縮ではあるのですが、他の皆様にもそうしていただいています。なので示しがつかないんですよ、公平に振る舞うべき我々としては」
社長が動揺しているのを感じる。俺も頭を上げて、ヤツの目を見てみた。
涼しい顔をしている。
「どうなんですか?お手並みを拝見したいのですが」
「………わかりました。田端くん、社を出てくれ」
「そんな無茶苦茶な、社長!」
「無茶であることは、私だってわかっている」
社長は部屋を出ていった。俺を置いて。開けたドアを、強く閉めていった。
静まり返った部屋に響く新しい音。男の拍手だった。俺はにらみつけた。
「申し訳ない。あまりに見事なお手並みだったもので」
呆れてものも言えないとはこのことだ。
「しかし、私を恨むのは止してほしい。君たちにとって私がどれだけ偉く見えているかはわからないが、私も組織の人間だ。組織のやり方は変えられない」
見せつけるかのようにゆったりとした仕草で、ヤツは自分の胸ポケットに手をやった。
「安心してくれ。次の当ての紹介くらいならできる。私だってこんなつまらないことで人に嫌われたくはない。仕事ってのは嫌われれば嫌われただけ、効率が落ちるだろ?君の給与も増えるはずだ」
「俺がいくらもらってたかなんて、あんたは知らないだろ」
「知らないな。でも想像はできる。君たちを雇っていたのは私だ」
ヤツから渡されたカードには社名と住所らしきものが記載されていた。
「幸運を祈る。これ以上はどうしようもないから、不満なら労基にでも訴えてくれ。ただ、オススメはしないよ。我々が勝ってしまうからね」
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