07 嵐と地下室
嵐が来た。
台風だろうか。
朝から灰色の雲が一面に重苦しく伸しかかり、風が強かった。
わたし達は万が一に備えて地下室もどきを作ることにした。
今使っているお屋敷プロトタイプ二号はしょせん素人作りの拡大ドールハウスで、災害に耐えるかどうかまったくの未知数だ。
底面に付けた御影石が風で飛ぶとは思えないが、壁や二階部分は不安である。
まず地下室のミニチュアをわたしが作る。
地下室と言っても基準なんて判らないから、皆のアドバイスを受けながら地下シェルターもどきを作った。
本来ならコンクリート製になるのだろうが、扱いにくいので金属で外殻を作る。
現状、排泄のないわたし達はトイレを想定しなくていいので助かる。
湿気対策等、気になるところはあるのだが、とりあえず今あればいいので無視。
長方形の部屋を六対四ぐらいで仕切り、狭い方には二段ベッドを二つ、向かい合わせに設置した。ドミトリー風だ。
仕切り壁はベッド部分を隠す程度に収め、開口部は暖簾のような布を垂らした。
この辺りの仕様は若者組のリクエストだ。
わたしは診察室のカーテンみたいだなと思ったが口にはしなかった。
広い方にはそれこそベッドみたいな大きなソファを四角形に四台置き、ソファ横にそれぞれカフェテーブルを付けた。
隅に作業に使える大きな机と椅子を置く。
出入口は天井にあり、壁沿いに階段を作る。
出入口の地上部は柱と壁で囲って屋根と扉を付けた。
地下鉄の出入口みたいな感じだ。
出来上がった地下室ユニットを一階のピロティ部分ヘ持っていく。
真ん中あたりに置くと、細川さんが実物大化。
そしてなんと、河東さんの正常化で地下へと沈んでいった。
「地下室は地下にあるのが正常だから」という理屈らしい。
わたしはろうそくの時に続き再び驚愕した。
そんなのあり?! ってやつだ。
このスキルとやらは発想力の勝負なのかもしれない。
恐れ入る……。
ミニチュアでドールハウスをいくつか作ってみて思ったのだが、最も思考から外れるのは「照明」だった。
部屋のインテリアとしてランプや燭台を置く発想は出るが、天井に明かりを取り付けることをついつい忘れてしまう。
暗くなったら寝る、という生活に疑問がなかったともいう。
明かりの問題は河東さんと榎木君が加わったことでほとんど解決した。
まずわたしと細川さんで電池式のランプを作る。
あくまでわたしが作るのはミニチュアで、それを細川さんのスキルで拡大化しているだけなので、電池も電池のミニチュアが大きくなっただけだった。
ある程度は想像とイメージで材質を補完できるが、内部構造が想像つかないもの、たとえば複雑な機械類などは作れないのだ。
勿論、外観だけなら真似られるし、簡略化した部品なら付けられる。
ミニチュア(模型)制作なので。
それを河東さんが「正常化」する。
正常な電池にする、ということらしい。
しかし正しい電池をランプに取り付けても光らない。
ランプが大きなミニチュアでしかないからだ。
そこを榎木君の指示で河東さんが部品を正常化し、榎木君が「整備」して、やっと電池式のランプが完成する。
ろうそくを入れるタイプの方が簡単だがやはり火は怖い。
榎木君はいずれは発電機を作って電気設備を整えたいが、まだレベルが足りないみたいです、と言った。
レベルとは習熟度ということだろうか……?
わたしはそういうのは感じたことがないし、細川さんも首を傾げていたが、河東さんと榎木君は「だよねー」とわかり合っていたので、何かあるらしい。
完成したランプを地下室の壁にかけていく。
これはこれで地下室らしくていいんじゃなかろうか。
そんなことをやっていたら辺りはいつもより早く暗くなり、雨粒が荒野を叩く音がし始めた。
わたし達は地下鉄の出入口みたいな地下室の出入口付近で腰を下ろし、嵐を鑑賞した。
水平線は変わらないように見えるが多少うねっているのかもしれない。
雨はじき、叩きつけるような豪雨になった。
ものすごい音だ。
跳ね返る水滴が奥にいるわたし達の足元まで届くようになり、風も横殴りになってダイレクトに雨粒が飛び込んでくる。
崖の先からわずかにのぞく森の部分が波のように蠢いている。
よほど海っぽい。
屋敷が軋んだ音を立て、わたし達は地下に避難した。
水害はないと思っている。
一応は丘の上であるし、近くに川や湖が見えたこともない。
異世界的なサムシングで埒外のところから水が押し寄せてくるとしたら、もうしょうがないので諦める。
全員で話し合った結果だ。
なので地下室の出入口は簡単な扉で、特段の防水はしていない。
風で飛ばされてくるものや屋敷が倒壊した時の瓦礫が防げればよい、という判断だ。
一応の用心でワイヤー製のネットを階段部分に張る。
後は天にお任せで、わたし達は地下キャンプを楽しむことにした。
今日のパンは……いつも以上に大きかった。
座布団の中身が出てきたのかと思った。
白くて薄べったいけれど、ところどころボコボコしていて、円形ではなく楕円形……いや円だったものの端をつまんで引き伸ばしたような。
「ナン……かしら」と、細川さん。
「ナンだと……思います」と、榎木君。
ああ、カレーについてくるあれだ。カレーも一緒に出てきてくれないか。ないか。
日替わり世界パンの旅は楽しいが総菜系も取り混ぜて欲しい……。
わたし達はもそもそとパンを咀嚼し、水を飲んで食事にした。
細川さんの大水筒は今日の分を水瓶やデキャンタに汲み出し、物差しでポットサイズに変えた。
差分の水は消え失せたりせず、あふれてその場にぶちまけられた。
外でやってよかった。細川さんの用心深さに救われた。
地下は静かだった。
もし地上に轟音がしたら、それは屋敷が倒壊した音だろう。
「……天国みたい」
河東さんがソファに仰向けに寝転がり、ぼそりと呟いた。
「天国はもっといいところだろう」
「えー、他の人とか、天使とかいっぱいいそうじゃん。うざいよ。ここは静かで、ひとりになれて、いいところだよ」
言ってから、あっ、と河東さんは慌てて続ける。
「そりゃ、お爺ちゃんやお婆ちゃん、運転士さんがいるけど、いるけど、なんかなんか、四人いるんじゃなくて、ひとりが同じところに四人いるって感じがするんだ、なんか」
河東さんの拙い言葉に、わたし、いやわたし達ははっとした。
その通りだと思ったからだ。
協力はするけれど、アテにしているわけではない。
何故ならわたし達は将来を考えていないからだ。
今日眠りについて、そのまま目覚めなくてもいいと思っている。
「みんな同じもの食べてるし。あたしだけ少なかったり、あたしだけ不味かったりしないし、それに、食べたいだけ食べて、残りはとっておけて、好きな時に食べられるの、すごい、天国みたい。なんにもしなくていいし、なにかしても叩かれない。爺ちゃんや婆ちゃんも、運転士さんも、すごく優しい」
ランプのあたたかい光が点された薄暗い地下室で、河東さんはきっと今まで外に出せなかった心の鬱屈を、勢い任せに吐き出すのではなく、ひとつの物語のように語ってくれた。
家族で自分だけ疎まれていること。
いじめられていること。
理由が判らないこと。
もらわれっ子だと思っていたこと。
「でも実子なんだって。わけわかんないよねえ。お姉ちゃんは普通の家の子みたいにしてるのに、あたしだけなんか違う世界の違う子みたいなの。あの日の朝、玄関の靴箱の上に小銭があってさあ。それ見たらなんか急にもう全部いいやって思って。どっか知らないところへ行こうと思って、それ盗んでバスに乗ったんだよ」
そしたら本当に知らないところに来れちゃったー。
そう言って河東さんは楽しそうに笑った。
「でもお婆ちゃんは、こんなとこ来て悲しい?」
河東さんは心配そうに細川さんに訪ねた。
この中で明らかに細川さんが上流の人間だと判るからだろう。
近くで見れば判るが、着ているものからして違うのだ。
「お婆ちゃんはねえ、細川の家に売られたのよ」
うふふ、と細川さんは優しそうに笑った。
「お婆ちゃんのお父さんは世間では立派な人だったんだけどねえ……細川の大旦那様に借りができて、息子の後妻にとお婆ちゃんを売り飛ばしたのよ。お婆ちゃんの住んでた家は近所でも有名な大きなお家なんだけど、お婆ちゃんねえ、夫が死ぬまであの家から出たことなかったの」
うそだあ、と河東さんが吃驚している。
わたしも吃驚している。
いくら田舎といってもこの現代にそんな話があるだろうか。
しかし目の前にそんな話が、ある。
「お婆ちゃんの子供は許してもらえなくて、先妻さんの子供達を一生懸命育てたのよ。我ながらいい子達に育ったと思うのよ。いい人と結婚して、家を出て。でもねえ、優し過ぎたのかしらねえ、夫が他界して、やっと一人で自由になれると思ったら、子供達がひっきりなしにやってきてねえ……」
そりゃああんな大邸宅に年老いた義母一人となれば心配もするだろう。
それは何らおかしくないし、優しいのも間違いない。
「やれ座っててとか、何もしなくていいから、とか、お手伝いさんを入れよう、看護士を入れようとか、孫と遊んでて、とか、わあわあ、わあわあ。来なくていいわ、一人でのんびりするわ、と言っても全然聞いてくれなくて」
カルチャーセンターに通う名目で家から脱出できたのが唯一の憩いだった。
と、細川さんは言った。
「他の人からはぜいたくだって思われるかもしれないけれど。なんだか私の人生ずっとこうやって他人のお世話をして、他人に干渉されて、最後は病院に入れてもらって、それで終わるのかと思っていたから、こんなことになって、ふふ、とっても嬉しいの」
お嬢さんには判りにくいかしらねえ。細川さんが詫びるように言うと、河東さんは首を振った。
細川さんが立ち上がり、河東さんのソファに移動する。
河東さんは細川さんの膝枕で小さな声で話を続けていた。
どんなところで生きていたって、人生が苦しい、その苦しさは他人には判らない。
こうして考えると、わたし達はもしや選ばれてあのバスに乗り合わせたのかもしれない。
子供達はどうか知らないが……。
なお、榎木君はとっくに寝ていた。