03 好き勝手しましょう
翌朝、わたし達はほぼ同時に目が覚めた。
朝日が出入口から差し込んでいる。
小屋の外に出た。
朝の海は美しかった。
空は今日も薄い水色で、失敗した綿飴のような雲が漂っている。
早朝ではあるが冷えるということもない。
静かだった。
鳥の鳴き声すらしない、静かな丘だった。
やはりわたしは死んだのではなかろうか。
これは臨終に至る前の僅かな時間の夢ではないのか。
現実感のない心地で海を見ていると、細川さんが支度を終えて出てきた。
わたしはいつぞやにホームセンターで見た、キャンプ用品の椅子のミニチュアを作っておいた。細川さんがそれを大きくする。
細川さんは現物を知らなかったので、スケール感が少し違ってなんだか随分大きな椅子になった。
座ると埋もれてしまう。
直せばいいのだ。が、わたし達はあえて埋もれて座り、笑った。
たわいのないことで笑えるのは、なんと幸せなことだろう。
朝の海を眺めながら、袋からパンを取り出す。
昨日のパンがまだ残っているはずだが、一日一個なので新しいパンが増えている勘定だ。
指先に触れるそれをえいやっと引っ張り出すと、昨日と違って、きつね色に焼けた丸いパンだった。
フランスパンのブールだと思われる。
丸い縛りがあるのだろうか。
なんにせよ種類が違うのは嬉しい。
そして、
「デカいな?!」
「今日も……大きいですわねえ……」
パンはやっぱり洗面器ぐらいあった。
困惑しつつもちぎり取り、口に運ぶ。
焼きたてのパリパリ感とふわふわ感がうまい。……まあじきに飽きるのだが。
バターやジャムがあればともかく、プレーンなパン本体のみを楽しみ続けるにはわたしの味覚は日本人すぎる。
もし日替わりなら握り飯も混ぜてもらえないだろうか……。
水筒から水を飲み、そういえば水は一日一回満タンなのだから昨日残った水は何か別の器に移しておけばよかったと思った。
水筒の大きさから察して飲み水としては足りそうだが、手を洗ったりする生活水が無いのだ。
満タンになる「一日一回」が真夜中なのか、日の出なのか、日の入りなのか判らなかったが、就寝前に最後に飲んだ時、水量は減ったままだった。
ということは真夜中か日の出のどちらかだろう。
寝て、起きたら満タンだと思っていればいい。
……などとわたしが考えていたら、とっくにその先を考えている細川さんが、想像を超える行動力ですでに「やらかし」ていた。
「きゃあ」
小さな悲鳴が聞こえ、慌てて椅子からもがき脱出して隣に駆け付けると、細川さんの椅子の隣になんというか、ミルク缶? 牧場で牛乳を入れる大きな容器だ、あれのような大きさの銀色の物体が鎮座していた。
背景にそぐわない実に工業的なステンレス風の円筒形だ。
……わたしは手にしていた自分の水筒に視線を落とした。
そして鎮座する銀の円筒物体を見る。
うん、スケールが違うだけで同じものだな。
「神様からいただいたお品だからどうかしら? と思ったのだけれど……お許しくださったみたい」
うふふ、と笑う細川さんの片手には魔女の杖ならぬ物差し。
良家の大奥様といった風情で実際大邸宅にお住まいの細川さんなのだが、大変思い切りがよい。
わたしだったら何が不具合が起こったらどうしよう、とぐずぐず悩んだだろう。
あとは一日一回満タンのルールがこの拡大された容積にも適応されるのかどうかだが……なんとなく、満タンなのだから満タンになるのではないかと思う。
これが例えば一日二リットルとか容量指定だったら危なかったが。
念のため私の水筒はそのままにして、拡大水筒の中の水をバケツ(作った)にあけた。
柄杓も作って、ひとまず生活用水として置いておく。
「そういえば、神様とは ?」
「私達は死んだそうですから、あの声は神様でしょう」
少なくとも私にはここは天国のようです、と細川さんは続けた。
天国がこんなハゲ散らかした秋吉台でいいのだろうか。
わたしは草千里の方が天国っぽいと思ったが、ハゲ散らかしていたら同じだと思い直した。
「それに……ほら、ねえ、御不浄がないんですよ」
阿佐田さんはどうですか? と聞かれて、ゴフジョウの意味が一瞬判らなかったのだが、やや遅れてトイレ、つまり排泄のことだと気づいた。
そういえばこの異郷に着いてからまったく尿意を感じない。
それでいて体の不調もない。
初日はともかく、水を飲んで一晩寝たのだからさすがに尿意はあっていいはずだ。
これにはミニチュア制作などよりよほど超常現象を感じた。
細川さんは「パンも水も神様からいただいたものだから、これだけを口にする限り排泄はないのではないか」と思ったそうだ。
そう言われるとそうかもしれないと思う。
どのみちここには他に食べられそうなものはない。
森が近くにあれば木の実を採取できたかもしれないが、いかんせん、森らしきものは地平線か、崖下だ。
わたし達はパンと水縛りで過ごすしかない。
パンの日替わりが続くことを切に願う。
それからわたし達は理想のお屋敷制作に取りかかった。
細川さんのスキルで実物大化できるのだから、どうせなら本当に住むためのお屋敷を作ろう! と思うのは自然な流れだ。
昨日作った色々なアイディアのがらくたを並べたり組み合わせたりしながら、まずは四角い箱を作り、そこに付け足していく。
一度作り出したミニチュア同士をくっつけたり、切り離したりすることも可能だった。
スキルとはこんなにも自由なのか。
これなら、わたしなどより頭の柔らかい少年少女達は上手くやれるだろう。
子供の方がよほど賢いものだ。
しかし、細川さんのスキルで一度サイズを変えてしまうと、わたしのスキルは反応しなくなる。
なのでお屋敷のミニチュアをまず完成させてから、実物大へとスケール変更することになった。
ミニチュアとはいえ、家一軒となるとなかなか大きい。
最初から大物を狙わず、まずは手ごろな間取りから練習していこう、ということになった。
ちなみに細川さんのもう一つのスキルはなんと「野球」。
なぜ野球?!
「バットをフルスイングするのが気持よさそうだったから」とのことだ。
わたしが勝手に想像していた名家の奥方的なイメージはだいぶ的外れだったのかもしれない。
いや、外側しか見ていなかっただけか。
スキルで金属バットを出し、硬球を出し、それをいい音で地平線まで飛ばすのを見るとちょっと羨ましかった。
「獣が来ても、私がこれでかっ飛ばしますよ」だそうだ。
実に頼もしい……。
ノートと鉛筆を作り出し、図面のようなものを描きながら、まず一作目のお屋敷ドールハウスを完成させる。
生意気にも二階建てだ。
一階はリクエストのあった大階段しかないが。
大理石(を想像しながら)作ったのでちょっと重たい。
部屋はなく、柱だけで支える。
二階は吹き抜け部分に手摺を配置し、左右に部屋を設けた。
随分細長い部屋になったがまあいい、練習だ。
大階段を上がった先はホールにして、そのまま外のバルコニーへと続く。
一応、屋根があるとベランダ、屋根がないとバルコニーという(なので屋上にあるのはルーフ「バルコニー」で、ルーフ「ベランダ」とはいわない)。
バルコニーには洒落たアイアンのテーブルセットを置いた。
わたしの薄ぼんやりしたうろ覚えでもいい感じに再現してくれる神のスキルであることよ。
部屋の中にはベッドを置いた。
室内家具は後から作ることもできるが、天蓋付きのベッドというリクエストがあったので、先に作っておくことにした。
後で室内で出しても重くて動かせそうにないからだ。
左右対称にするのが楽だったので、両方の部屋に天蓋付きベッドをしつらえる。布団も羽毛布団だ。
内装は写真で見たどこかのヨーロッパの城を参考にした。
よくある額縁を壁にたくさん飾るスタイルは好きではないのでそれはない。
ソファセットも一応置いてみたが、部屋が大きすぎて実物大になるとガランとした印象になるかと思う。まあいい、練習だ。
台所や風呂、トイレといった水回りが気になるところだが、トイレはどうもしばらく用がなさそうだ。
台所があっても火が熾せない。
風呂は……どうだろう。 体を拭きたいかもしれない。
ということで、一階の空きスペースに風呂場をしつらえた。
タイル張りで猫足バスタブを置く。
さて排水が判らない。とりあえずそんなにジャブジャブ流すこともないだろうから、外に排水用のパイプを通すだけにする。
外には後で穴でも掘ろう。
貯水問題のために水瓶を作った。
あまり貯めても腐るかもしれないし、ひとまず二つ。
トイレは……正直もし必要が発生しても今の段階では野外で穴を掘っていたすのが良いように思う。
なんとなく屏風のような折りたたみパーテーションを準備。
アジアンテイストの草を編んだものだ。
「よし」
理想のお屋敷シリーズ一作目の完成だ。
いやプロトタイプか。
持てなくはないが、結構大きくなってしまったな。
問題は設置場所だ。
この荒野は全体的に岩がゴツゴツと飛び出し、平らな場所がない。
困った。
「大きな鉄板を置いて、ばーんと整地してはどうかしら」
思い切りのいい細川さんのアイディアで、わたしは鉄板のミニチュア(建材サンプルでは……?)を作ると、比較的平らな気がする場所に置いた。
細川さんが物差しで角を叩く。
鉄板は叩かれた角を起点にしてぐんっと伸び、ばりばりと岩をなぎ倒して広がっていく。
ものすごい音と土煙が舞い上がり、わたし達は慌てて逃げ出した。
土煙が収まると、荒野に鉄板がドーンと置かれていた。
しかし……
「傾いてますわね……」
「傾いてますね……」
水平になっていない。
鉄板の上に置いたビー玉が勢いよく転がる状態だ。
水平出しという難問に突き当たってしまった。
「重量があれば水平になりますかしら?」
「うーん、どうでしょう」
斜めにめり込んでいく可能性もある。
わたし達はしばらく考え込んでいたが、細川さんが鉄板の傍にしゃがみ込み、「水平になって欲しいのよ」と言いながら物差しで鉄板をコツコツと叩いた。
再び地響きのような音が鳴り、土煙が上がる。
慌てて離れると、しばらくして静かになった。
わたしはビー玉を手の中で作ると、鉄板に置いた。
少し動くが、勢いよく転がっていくことはない。
水平出しが終わったようだ。
魔法か! 魔法だった。
このまま鉄板の上にドールハウスを展開してもいいかと思ったが、それでは最悪、強風で鉄板の上を滑っていくことになりそうだ。
なんせ元はただの箱なのだから。
ちなみに鉄板は物差しスキルでミニチュア(端材?)に戻った。
スケールを自由に操るということの凄さを感じた。
「新しいお屋敷を作ったら、前のお屋敷はミニチュアに戻して、飾っていきましょう」
そう言われ、なぜかひどく感動した。
飾り棚にずらっと並ぶ歴代ハウスを想像する。
私物を多く持てない生活の果てに持たないことが当たり前になって、何かを「飾る」ということも無縁だった。
「この異郷の狭間で、好きなことをしましょう」
わたしは口にした。
唐突なわたしの言葉でも細川さんはその聡明さで意を汲み取ってくださり、頷いた。
「最後までの間、好き勝手しましょう」