02 荒野に犬小屋
扉をくぐると、白さに目を焼かれ、何も見えなくなった。
目を閉じてやり過ごし、再び開いた時、そこは荒涼とした土地だった。
乾いた地面に岩がゴツゴツと一面に散らばり、草もほとんどない。
空は薄い水色で、引き伸ばした網のような雲が漂っている 。
極端に暑くも寒くもない。
むしろ中綿の冬物コートでは少し暑い。
わたしはコートを脱いで腕にかけ、あたりを見回した。
緩やかな起伏はあるものの、平らな土地だ。
遠くに森があるのだろうか。けぶっていてわたしの視力では見えない。
例えるなら……例えるならそう、
「秋吉台みたいだな」
「秋吉台ですわねえ」
声が揃った。
思わず顔を見合わせ、笑う。
緩やかに丘となっている方へなんとなく歩いていく。
少しでも高い場所からなら周辺がもっとよく見えるかと思った。
「木がないとは思わなかった」
わたしは独り言のように呟いた。
関東平野や北海道で生まれ育つとそうでもないのかもしれないが、木曽山脈で生まれ育ったわたしは視界の端に山があるのが普通で、少し移動すれば雑木林があるのが当然だった。
「困りましたわねえ……」
何に困るかというと、まあいざという時に縄をかける場所がないな、ということなのだ。
「ですね」
緩やかな丘であっても老いた身には楽ではない。
ゆっくりゆっくりと歩く。
こんなところで転んでケガをするのもあほらしい。
急ぐことはもう何もない。
今は何時なんだろうか。
この異郷の一日が何時間あるのか判らないが。大まかに朝か昼か夜かでいうと……昼だろうか。太陽は概ね真上にある。
わたし達は無言でゆっくりと丘を登った。
丘の向こうは……海だった。
元々この荒野自体が高地にあったのだろう。
丘の丸い頂の先は少し下り、そこからごっそりと欠け落ち、崖になっていた。
崖下がすぐに海……というわけではなく、深い森になっているようだ。
その森の先に水平線が見えた。
「あら、まあ……思いの外、風光明媚ですわねえ」
遅れて登ってきた細川さんが言う。
いやはや正に。
遠くの海面はきらきらと輝き、風はふんわりと抜けていく。
空は薄い水色で、太陽は薄雲に隠れ、暑くも寒くもない。
生き物の気配は無く、静かだ。
さざ波の音もここまでは聞こえない。
ただわたしと細川さんだけがいる。
もしかして異世界転移だのは夢で、単にあの世に来ただけなのでは。
わたしはなんとなく手びさしをしようとして、腕を上げた。
その拍子に肩に食い込むベルトが存在を主張する。
水筒だった。
ステンレスのような金属の筒が本体で、専用の布袋と布ベルトをつけたような作りだ。
触れてみると、どこかひんやりとした感覚があった。
横を見ると、細川さんが草の上に座り込み、水筒の水を一口、くいっとやっていた。
まるでハイキングに来たみたいだ。
その落ち着きようを見て、初めて自分がひどく緊張していたことに気づいた。
一緒に座り込み、わたしも少し水を飲む。
うまい。
それからしばらくわたし達は景色を楽しんだ。
誰も訪れず、何も現れなかった。
とはいえ、夜になれば怪物が現れたりするのかもしれない。
いつまで生き延びられるか判らない。
わたしは今のうちに「お楽しみ」を解放しようと思った。
両手をお椀のように広げ、集中する。
脳裏に作りたいものを思い浮かべ、手の中に投影していく。
もやのような空間のゆらぎが徐々に焦点を結び、わたしの想像が現実化していく。
やがて手の中に小さな小さなティーカップが現れた。
「あら、可愛らしい」
途中からのぞき込んでいた細川さんが明るい声を上げる。
ころん、と手のひらに落ちたそれはミニチュアのティーカップだった。
だがぽってりとした厚みはなく、本物のように薄い。
すぐに割れてしまいそうでハラハラしたが、本物程度の強度はあるようだ。
「わたしが取ったスキルです。『ミニチュア制作』だそうです」
「まあ素敵。ドールハウスをお作りになるのかしら」
ドールハウスと言われて、初めて思い当たった。それもそうだ。
わたしは生前(と言っていいのか)、模型が好きだった。
プラモデルもそうだが、ジオラマのような、現実のものを小さく再現したものが好きだった。
だが作る方はまったく、これっぽっちも、向いていなかった。
致命的に不器用で、センスがなく、要領も悪かった。
成人してからは金もヒマも気力もなかったとも言う。
ネットで写真や動画を眺め、ショップで眺めるだけだった。
だから残されたスキル一覧にあった『ミニチュア制作』を取った。
これが最後の時間なら、好きなことをしたい。
そんなようなことをぽつぽつと細川さんに話した。
話しながら、手元では次々とティーセットが増えていく。
酒落た喫茶店にあったもの、デパートの食器コーナーにあったもの、写真で見たもの。
そういえば MPみたいなリソース制限はあるのだろうか。
次々作っているが特に気分が悪くなるようなこともない。
しかしドールハウスか。
ちょっと職人ぽくていいな。
小さな家。理想の家。
「ふふ、昔イギリスでは女王陛下に献上するために各業界の代表が集まって真剣にドールハウスを作ったそうですよ。水回りの配管や、自動車まで作ったのですって」
「それはすごい」
スケールが小さいだけの本物か。心躍る。
「いいですね、作りましょう、本物そっくりの家を、いやお屋敷を」
「お屋敷?」
「本物のお屋敷に住んでらした細川さんには今更ですが」
「あれは夫の家で、私の家じゃありませんから。素敵ですね、お屋敷」
それからわたし達は理想のお屋敷について語り合った。
最終的に城みたいになったが。
「ロビーにはやっぱり大階段よ。両翼に弧を描いて二階に上がるの」
「いいですね。吹き抜けで、二階の廊下がバルコニーみたいになってるやつですね」
「そうそう」
話しながら、モックアップのようにパーツを試作していく。
細川さんが大きな布を出して敷き、その上に並べていった。
時間も気にせず、子供のようにはしゃいだ。
楽しかった。
海が橙色に染まり、その光でわたし達は日没に気づく。
そういえばやっぱりMP切れのようなものは感じない。
布の上には雑多なアイディアが大量に散らばっていた。
「お食事にしましょうか」
細川さんがアイテム袋を膝の上に出し、手を入れるとパンが出てきた。
なんたらブロートとか名前がついていそうな、黒っぽい丸いパンだ。
見た目はドイツパンに近い気がする。
……いやデカいな?!
「随分……大きいわね……」
菓子パンをつまみ出すぐらいのつもりだった細川さんの手を押し返すように、パンは袋からにょっきりと飛び出した。
洗面器ぐらいあるんだが……。
ためしにわたしも袋に手を突っ込んだ。
指先に「コレだな」というものが触れる。
そのまま取り出す意思を持って手を抜くと、同じく大きなパンが飛びだす。
二人で、パンを膝に抱えて困惑した。
「あの子達基準だったのかしら……」
学生達のことだろう。
確かに大きなスポーツバッグを担いだ子もいた。
さすがに十代の若者に一日これ一個では足りないだろうが、飢えに倒れるまではいかずに済むかもしれない。
わたし達は顔を見合わせ、無言で、パンをちぎり、口にした。
やや酸っぱくてボソボソして食味が重い。
ライ麦パンだな。
わたしは嫌いじゃないが細川さんはどうだろうか。
案の定、渋いお顔をされていた。
わかる。
ボソボソのパンを水でふやかすようにして腹に収めると、ひとまず落ち着いた。
さすがに一個全部は食べきれず(飽きた)、残りは袋にしまう。中でどうなっているのだろう。
夜の気配が忍び寄っている。
このまま野宿となるが、さすがにためらう。
かといってどうにもならないが。
なるようになれ、で地面にゴロ寝するしかないか。
食休みしつつそんなことを考えていたら、細川さんが声をかけてきた。
「ねえ阿佐田さん、よろしければ小屋を作ってみてくださいませんか」
細川さんはいつの間にか定規のようなものを手に持っていて、ためすがめつしていた。
何だろう。あれが細川さんのスキルなのだろうか。
気にはなったが、とりあえずご依頼の小屋を作ることにする。
暗くなったら手元が見えない。バックライトは無さそうなのだ。
急いで作り出した小屋はどう見ても犬小屋だった。
お恥ずかしい。
「とり急ぎ作りましたが、これでいいですか ?」
「はい。ちょっと試してみたいんです。お借りしても ?」
「どうぞ」
手のひら大の犬小屋を差し出すと、細川さんは立ち上がり、犬小屋に物差しを当てたり、かざしたりしている。
それから地面に犬小屋を置くと、少し離れた位置から物差しをかざして片目を閉じたりしている。
画家がモデルに筆をかざしているような格好だ。
そして細川さんは物差しで、犬小屋をちょんと叩いた。
途端、犬小屋がぐんぐんと大きく膨れ上がる!
「うわわ!」
咄嗟に立ち上がることもできず、わたしは地面に尻をつけたまま後じさった。
手のひらサイズだった犬小屋はみるみるうちに物置ぐらいになった。
「あらやだ……本当に大きさが変わったわ」
「魔法みたいだ……」
わたしは巨大化した犬小屋を呆然と見上げた。
「だって、『スキル』っていっても、つまり『魔法』じゃないですか。そういうことなんでしょう?」
細川さんが言う。
言われてみれば……それもそう、か?
何もない手の中からミニチュアが湧いて出るなんて、確かに魔法でしかない。
「そうですね……はは、そういやそうだ。どういう魔法なんですか?」
細川さんは説明してくれた。
スキル名はそのままズバリ「物差し」。
そもそも何故それを取得したのか疑問に思ったが、それはいったん横に置いておく。
物差しの用途は測ること。測って、長さを決めること。
つまりわたしが作ったミニチュアの犬小屋の柱はせいぜい二センチほどだが、細川さんの物差しでそれを二メートルだと『測った』なら、矛盾を整合させるために犬小屋が合わせる、つまり巨大化する ……ということ、らしい。わからん。
「ええとつまり……その『物差し』で物の大きさを変えられる、ということですか?」
「そういうことなのでしょうねえ」
ちなみに物差しで対象に触れる必要はないそうだが、細川さん曰く「魔法って、杖で触れて使うのでは?」ということだった。
多分とんがり帽子の魔女がねじれた木の杖でコンコンと叩くイメージなのだろう。
大きくなった犬小屋は……プラスチック製だった。
わたしがなんとなくおもちゃのイメージで作ったからだろう。
大きくなっても材質はそのままのようだ。
そうこうしている間にもどんどん陽が陰っていくので、わたし達は慌てて犬小屋に逃げ込む。
今夜はここで眠るとしよう。
「細川さんのおかげで屋根の下で眠れます」
「阿佐田さんが作ってくださったお家ですよ」
じき、真っ暗となった。
星明りが本当にわずかに、くり抜いた出入口から感じられる。
わたし達はコートを掛けて眠ろうと思ったが床が痛くて駄目だった。
肉の落ちた老体では骨に当たるのだ。
慌てて星明りの下でわたしが布団を作り、それを細川さんが大きくする。
そして犬小屋に引っ張り込んだ。
羽毛布団を強く意識して作ったので、なかなか快適だった。
布団はいい具合なのだが、狭い室内で慣れない環境でそれほど親しくはない人と雑魚寝というのは、細川さんには如何なものだろうか。
わたしは大いに経験があったが、緊張しないわけではない。
上流の御婦人には尚更つらいかもしれない。
そうだ、犬小屋を二つ作ればよかったのだ!
わたしは今からでも一つ増やせば、と思って身を起こしたが、細川さんはとっくに寝入っていて、安らかな寝息が聞こえるだけだった。
わたしはすごすごと布団に潜った。