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01 出発

 クラス丸ごと転移するからクラス転移。

 では、バス丸ごと転移はバス転移でいいのか?


 わたしの乗ったバスが丸ごと異世界転移したらしい。

 こんな爺さんにどうしろと。



* * *



 今朝も出勤するためバスに乗った。

 世間では定年して年金暮らしに入っているような年齢だが、あいにくそんな優雅な生活とは無縁だ。シルバー雇用で痛む腰を撫でながらビル清掃をしている。


 そこそこの学校を出て、そこそこの会社に就職したが、社長一族が逮捕されるというレアな理由で倒産、解雇。

 そこから社会情勢的にも再就職は大変で、派遣だバイトだと挟みつつ正に転々と。

 その間に父が癌に。ついでに認知症に。

 看病と介護に疲れた母も弱っていった。

 父は零細な一人親方で、つまり家に大した金はない。

 わたしの稼ぎと母のパートで作った金もじりじり減っていく毎日。

 父を見送った後、気が抜けたのだろう母も急に様相を変えていった。


 よく「子供に戻っていく」などというが。

 わたしには「獣になっていく」としか思えなかった。


 息を詰めて夜明けを待つような長い日々がやっと終わり、そのあたりでわたしは何だかもう全てが嫌になった。

 仕事は介護のためにとっくに辞めていたから、家や車を処分して身辺整理をした。兄弟姉妹もいない。

 天下にわたし一人となった。


 安アパートに引っ越し、わずかな保険金や貯金を食い潰しながら呆然と数年を過ごし、残金が乏しくなったところで正気に返り、再就職した。

 以降、社会の底辺で静かに生きている。

 一応誰にも迷惑をかけていないのだから上等だと思う。

 結局結婚もしなかった。

 ネットだけが話相手の人生だった。


 だいぶ哀れな感じなのだが、なんだかな……もう別にいいや、という気持の方が大きい。

 恵まれた人生だったとは思わないが、別に不幸というほどでもないだろう。

 同じような境遇の人間は結構いると思う。

 与えられた枠の中でやりたいことはやったし、やりたくないことはやらなかった。

 なるようになって今がある、と納得できている。

 十分だと思う。


 だから――

 バス事故で死んだと聞かされても。

 それじゃあ、もうしょうがないな、という気持だった。


 別世界に転移させてくれるという話も正直どうでもいいと思った。

 別世界がどんなところだか知らないが、自分が自分である限り上手く生きていけるとも思えない。

 どうせ同じ人生を繰り返すだろうよ。


 まして転生ではなく転移。

 特殊技能もなければ特別な知識もなく、この年老いた体で、いったい何ができるというのだろう。

 どんな世界なのか判らない場所に放り出されて。

 ここまで頑張って生きてきて、最後に無駄に苦しい思いや痛い目に遭いたくない。

 そんな訳でわたしは「天からの声」をどこか夢うつつの気分で聞いていた。


 * * *



 何も無い白い空間に、バスに乗っていたままの格好で乗客達はいた。

 わたしはシルバーシートの位置に。

 隣にはいつも同じバスになる細川さんがいた。

 細川さんはバス停近くの大邸宅の奥様だ。

 駅前のカルチャーセンターに通っているのだという。バスを待っている時に少し立ち話をする間柄だった。

 女性の年齢を推察するのは失礼だが、おそらくわたしより上だと思う。上流らしい、実に品のある老婦人だった。


 他には後部座席に座っていた通学の高校生達だ。痛ましく思う。

 若い身空でお前は死んだなどと聞かされて、平静ではいられないだろう。

 怒号と悲鳴が飛び交っている。母親を呼びながら泣き出した女子学生など見ていてつらい。


 そのうち「天の声」は「スキル」なるものを与えるので選べ、と言ってきた。

 乗客達が座っている(椅子は見えないのだが)場所から少し離れた場所に、文字列が大量に浮かび上がった。

 それがスキルとやらの一覧らしい。

 数に限りがあるとのことで、子供達はワッと駆け寄り、ああだこうだと大騒ぎし始めた。

 さっきまで泣いていたのに……と思わなくもないが、生存競争なのだ、必死で当たり前である。


 わたしは存分に選ばせてあげようと思った。

 子供達が住み慣れた土地や親兄弟、友人達と離れて新天地に放り出されるというのだ。厳しい未来しか想像できない。

 いや昨今の創作物のように上手くやれるのかもしれないが。

 だったらいいなと思う。

 しなくていい苦労なんてしなくていい。


「阿佐田さん、お選びに行かないのですか?」


 隣の細川さんに声をかけられた。

 細川さんにしたって驚天動地の出来事だろうに、いつも通り落ち着いていらっしゃる。品のいい人は胆力もあるのだろうか。


「子供達が納得いくまで選んでから、残り物をいただきますよ」


 そのうち、選び終わった子から白い扉の向こうへと消えていった。

 ペアで行く者、数人のグループで行く者、さまざまだ。

 みんなで一緒、ではないらしい。

 異界の地で生き残りを目指すなら、せっかくの数の有利を維持した方がよいように思うのだが……まあわたしが言うことではない。

 彼らには彼らなりの、わたしなどには思いもよらない算段があるのだろう。

 中にはこちらを気にしている子もいたが、わたしと細川さんが話しているのを見て、あちらもわたし達なりの算段があると思ったのだろう。前を向いて扉の向こうへ消えていった。


 映画や小説にあるような、心躍る冒険と、その成果としての幸せを祈る。

 皆、健やかであれ。


 子供達が出発して、さて、わたし達もスキルとやらを見に行こうか……と立ち上がると、他にも残っている者がいた。


 一人は一番前の席にいた中学生ぐらいの少女だ。

 ぶかぶかのジャンパーにぶかぶかのズボン。

 キャップを目深に被って、つばの影から無感情な目がのぞく。

 前に垂らされた長い髪で少女だと思ったが、少年でもおかしくない。


 もう一人はこのバスの運転士だった。

 彼とは少し会話したことがある。バスが好きなのだそうだ。

 好きなことを仕事にできてよかったね、と言った時、微妙な反応をされたことがある。仕事にしたなら好きなことばかりではいられない、というやつだろうか。

 彼は少し悲しそうな顔をしていた。

 それもそうだろう。彼にとっては何か思うところがあるにせよ、充実した日々を送っていただろうに、それが突然取り上げられたのだから。


「わたし達もスキルとやらを見に行きましょう 。どのみち、ここにずっといることはできないそうですし」


 それは天の声の指示だ。

 わたし達はどうあっても一度は異界の地に放逐される。

 細川さんに手を貸して立ち上がった。

 少女は黙りこんでいたが、ゆるゆると立ち上がる。

 運転士君も立ち上がった。


 先に「アイテム」なるものを選んだ。

 一日一個パンが出てくる魔法の袋、一日一回満タンになる水筒。

 この二つは全員に配られた。


 他に二点、選ぶことができる。

 ナイフ、ロープ、片手鍋、シャベル、大きな布、木のコップ、ろうそく。


 ……火口箱ぐらいあってもいいと思うんだが。

 わたしはナイフとロープを選んだ。

 細川さんは少し悩み、ロープと大きな布を選ぶ。

 なんとなく視線が合った。


 同じ考えをしていると思った。


「……まあ、どっちかかな、と」

「私は刃物はちょっと怖くて。お見苦しいものを隠す布があればよろしいかと思いました」


 ふふ、と老人二人で笑う。

 生き延びるために選ぶのではない。

 いざという時……「楽」になるために選ぶのだ。


 それからスキルを選んだ。

 各自、無言で選んでいく。

 相談はしない。

 わたし達はパーティではないのだから。


 自分一人で決めたものを選ぶ。

 自分で選んで自分で決める。

 最後の時、納得できるように。


 選んだアイテムは魔法の袋に入っていた。

 マジックバッグというやつだ。

 これだけでもなかなか、スターターセットとしてはマシなのではないだろうか。

 選び終わったわたし達は袋と水筒を提げ、扉の前に立つ。

 運転士君は最後に出ると言った。


「船じゃないですし、船長でもないですけど。乗客を全員、見送りたいです」


 と、小さく笑った。

 彼なりの最後のけじめなのだろう。尊い心根だ。

 わたしは頭を下げ、扉に向き直った。

 隣に細川さんが立った。


「ご一緒してもよろしいかしら」

「もちろん」


 残る若者達の良心を傷めない配慮、だろう。

 二人で行ったのだから何とかなるさ。

 そう思って老人達のことは忘れて欲しい。


 わたしと細川さんは白い扉をくぐった。



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