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聖女が悪女で悪女が聖女!? 奪われた人生返してもらいます!

作者: 中洲める

プロローグ 世界は闇で満ちている。



「今日は月が明るいわね」

 狭い部屋の中、机に差し込む月明かりが綺麗で小さな窓を見上げた。

 ここは王城の一室。王妃の部屋の衣裳部屋のさらに奥。

 隠されるように設置されているドアの中にある小さな作業部屋。

 部屋の中には机と本棚。それから簡素なベッドと質素な服が少しだけ入ったクローゼットしかない。


 机の上には山積みの書類。これは本来わたくしがやるべき仕事ではない。

 それでも今日中に終わらせてしまわなくてはならない。

 そうでなくては「躾とお仕置き」が待っている。

 わたくしはその苦痛と恐怖を思い出し身震いをしてまたペンを走らせる。

 月の位置が真正面から移動し、眩しいほどだった光が弱くなった頃ペンをしまい紙をまとめた。

「ふぅ、これで明日の結婚式をゆっくり迎えられるかしら?」

 明日は結婚式だ。

 といってもわたくしのではなく、双子の妹であるアリアのものだ。


 わたくしはミリア・アルセス。

 代々聖女を輩出している由緒あるアルセス公爵家に生まれた貴族の家で生まれた。

 妹のアリアは神聖力を持って生まれた証である月の光のような銀髪に、空のような青い瞳を持って生まれた。

 対して一卵性である同じ顔のわたくしは闇のような黒髪に血のような赤い瞳。

 対照的な容姿のわたくしたちは同じ扱いではなかった。


 アリアは神聖力が強くなく、体も弱かった。

 対して禍々しい色と蔑まれたわたくしは、神聖力も強く体も丈夫。

 何度も死にかけるアリアを救うため、わたくしの首には生まれてすぐチョーカーがつけられた。

 それは黒くて細いチェーンが幾重にも重なっており、喉の中心に近いところに真っ赤な魔法石が取り付けられている。

 チョーカーは意思とは関係なく強制的に神聖力をわたくしからアリアへと一方的に注ぐもの。

 そうしてわたくしはアリアの命を繋ぎ止めるためだけに生かされ、全てをアリアに搾取されてきた。


 美しく可愛らしいアリア。両親に愛され大切に見守られすくすくと成長した。


 家の片隅で息を殺しアリアの為だけに生かされるわたくしを糧にして……。




 成長したアリアは何も持たないわたくしから全てを奪う。

 神聖力、知識、わたくしが会得した教養から立ち振る舞いまで。

 他人からそんなに何もかも奪う事が出来るのかと思われるかもしれないが、わたくしとアリアに限ってはそれが実現した。


 首に嵌められているチョーカーのせいだ。

 それがある限り一生アリアから逃れられないし、搾取され続ける。

 わたくしとアリアが一卵性の双子だから成り立つ呪いの魔道具。


 両親はわたくしに必要以上の厳しい教育を施した。

 わたくしに知識や教養が増えれば、それは全てアリアの物になるからだ。

 全てはアリアの為に。

 わたくしはそうやって生かされてきた。

 どれほど辛い思いをして習得したとしても、称賛を浴び名声や愛を手に入れるのはアリア。

 わたくしはアリアの為の礎。陰でしかなかった。


 そうして光の中を歩いたアリアが明日、祖国グランドールの第一王子であるルイ・ジルコニア・グランドール様と結婚する。


 アリアを支えて下さる方が傍に居れば、わたくしの負担も少しは減るかしら?

 物思いに耽っているとノックもなくドアが開いた。

 誰が入って来たかなんて見なくても分かる。

 この部屋の存在を知っているのはアリアだけだからだ。


「お姉さま、明日の準備はよろしくて?」

「ええ、結婚式の段取りも、祝詞も、挨拶する方の名も全て覚えたわ」

「流石は私のお姉さま、頼りにしてますわ」

 美しい空色の瞳には侮蔑の色が載っている。


 近付いて来たアリアがわたくしの髪と顔を隠すために頭から被っているグレーのベールを、乱暴に引き剥がし投げ捨てた。

 露にされた忌み子の証といわれる真っ黒な髪と血のように赤い瞳。

 アリアは月の光のような美しい自慢の銀髪をかき上げ、わたくしをじっくりと見つめわざとらしく笑った。


「明日はよろしく。そしてこれから先もずっとよろしくね、お 姉 さ ま」

 お姉さまとアリアが呼ぶのは敬称ではなく蔑称。


 歪に笑うわたくしと同じ顔。

 今まで幾度となく言われてきたはずの言葉だけれど、その時心の中で何かが零れ落ちた。

 それは勢いを増し溢れ出す。


 これから? 今までも奪い続けて来たのに、まだ奪われ続けるの?

 わたくしから奪わなくても全てを持っているくせに、まだ欲しいの?

 ずっとっていつまで? 何日? 何年?……死ぬまで? 

 わたくしはこれからも永遠に搾取される為だけに生きて行くの?



 今まで堰き止められていた感情が突然わたくしの中で蘇り、二十二年間生きて来た記憶が脳裏に濁流となって駆け巡る。


 何もしていなくても愛され評価を得るアリア。

 どれほど努力を重ねても忌み嫌われ誰にも愛されないわたくし。


 いい子、従順に、言う事を聞いていればいつか……。

 わたくしを見てくれる。


 けれど、わたくしを見る人は誰もいない。わたくしは都合のいい道具。人じゃない。

 それに気付いたのは随分昔の事だった。

 以来心を閉ざし、言われるがまま従順に従って来た。


 ……心のどこかで捨てきれない希望を抱きながら。


 わたくしが居なければ勉強も努力も嫌いなアリアは困る。

 式典の正式な手順を覚えられない。祝詞が言えない。

 わたくしの神聖力がなければ、制御の苦手なアリアは筆頭聖女としての仕事ができない。

 癒しの術が上手く発動しない。結界が張れない。


 アリアの為に頑張りなさい。両親はわたくしにそう言い聞かせて来た。

 だから一生懸命頑張って生きて来た。

 アリアが称賛を浴びれば、その礎になったわたくしも褒めて貰える。

 いつか。

 もっとたくさん頑張れば、きっと……。


 一度でいいからわたくしを見て欲しかった。頭を撫でて欲しかった。わたくしという存在を認めて欲しかった。

 抱きしめて、愛して欲しかった……。


 だが、そんな瞬間は永遠に訪れない。分かっていたけれど認めたくなかった。


 そうして、これからも闇の中を歩く人生が続く。


 ……気が狂いそうだ。


 どんなに努力してもわたくしには何も与えられない。

 それなのにわたくしはまだアリアの為に生きなくてはならないのか。

 もうたくさん……!


 虚しさが胸を引き裂いた。


 死ぬまで続く闇。

 わたくしかアリアが死ぬまで。

 わたくしが……、わたくしを……。死ぬ?

 そうだ、終わりにすればいいんだ。


 その閃きで突然世界が拓けた。


 無性に笑いたくなりわたくしは生まれて初めて声を上げて笑う。

「あはははははははは」

 笑い方を知らないわたくしの笑い声は引き攣れてなんともおどろおどろしいものであった。

 けれど、忌み子のわたくしには相応しいと思えた。


「なんなの!? 気持ち悪いわね」

 アリアが汚物を見るように顔を顰めわたくしを見る。

 その顔があまりに不細工でわたくしは笑いを止められない。


 わたくしから奪った上品な淑女の動作は忘れてしまったの?

 そんな端女のような下品な顔などするものではなくてよ?

 それ以下と嘲り笑ったわたくしですらそんな顔をしたことはないわ。


 口から零れ出る笑い声を自分の意志では止められず、心の中でそう語りかける。



 アリアはわたくしがいなくては何もできない。


 結婚式の段取りも、妃教育の内容も、教養も、淑女としての在り方も、聖女の仕事もわたくし無くして一つもこなせない。

 だってそれらは全てわたくしから搾取しなければ得られないのだから。

 すっかりわたくしに頼り何もしなくなったアリア。

 困ればいい。失望されればいい。捨てられればいい。愛想をつかされ独りになればいい。


 だって、わたくしはずっとそうだったんだから。


 零れだした感情は止まらない。


 アリアには花やリボン、宝石やドレスなどたくさんの物を与えたのに。

 わたくしに贈られたのはたった一本のナイフのみ。

 それでも両親に貰った唯一の贈り物だからと、大切にして肌身離さず持ち歩いていた。

 月の光を浴びて煌めきを放つ鞘を引き抜いた。


 やっぱりわたくしは両親に愛されてはいなかったのだわ。

 今、用途がはっきりと分かった。


「まさか、私を殺す気!?」


 ナイフを振り上げ笑うわたくしにアリアが怯えた表情で後ずさる。



「あはははは。それもいいわね!」

「気が狂ったの!?」

「わたくしはずっと狂っていたのでしょうね」

 そうでなくては生きていられなかった。

 心を鈍らせ、何も感じないように全てを閉ざし生きて来た。


 でも、もうたくさん!!


 わたくしはこれ以上生きていたくない。


 ナイフを胸に突き立てる。

「あああああ……」

 胸が火傷したように熱く痛い。

 壁や天井にわたくしの血が飛び散り赤く染まった。


 ようやく終われる。解放されるんだ……。

 何一つ自由にならないと思っていたけれど、命だけはわたくしの物だわ。

 床に倒れ、血が広がっていくのを酷く安らいだ気持ちで見つめる。


「おね、さま……」

 呼び掛けられ、最後くらいアリアがどんな顔をしているのか見てやろうと顔を上げた。


 アリアは口元を押えて震えている。

 きっとわたくしの死は誰にも知られることなく処理される。

 けれど明日の結婚式についての知識はまだ奪われていない。今から覚えても間に合いはしないだろう。

 人生の晴れ舞台でアリアは恥をかくことになる。

 ざまぁみろ。

 生まれて初めて下品な言葉で妹を罵った。


「……はっ、はは」


 けれど口元を押え蹲ったアリアは体をのけ反らせて、狂ったように笑いだした。


「あはははははははは」


 アリアから見たわたくしはこんな笑い方をしていたのね。

 そう思えるほど酷い笑い方はあまりにも同じだった。

 やっぱり色は違ってもわたくしたちは双子なんだわ。こんな死の間際にそんな実感を得るのは何とも不思議な気分だ。

 消えゆく命を感じながらぼんやり見つめていると、アリアは勝ち誇った笑みを浮かべわたくしを見下ろした。


「やっと死んだ。ついに忌々しいお姉さまが死んだ! これで全て私の物だ!!」


 失ったのはアリアのはず。

 何を言っているのだと思ったのはほんの数瞬、わたくしはすぐに意味を理解した。


「~~~っっ!」

 声にならない悲鳴が息も通らなくなった喉から零れ落ちる。

 チョーカーを通してわたくしの中から神聖力と、努力して得た全て、残った生命力すらも奪い取られていく。


「うふふ、お姉さまは知らなかったわよねぇ? あはははは、あー清々した! やっと死んでくれたわ。こんなにたくさんの知識と教養、そして練り上げられた神聖力も! わたくしの為にありがとうございます。お姉さま」


 歌うように勝ち誇りわたくしを見下ろし滔々と語り始めるアリア。


 今までは望んだ分しか奪い取れなかったけれど、便利だったから使ってあげた。

 十分育ったし役にも立ってくれた。だからもう役目は終わりとアリアはわたくしに向かって吐き捨てる。

 ミリアが自らの意思で命を手放すのがこの略奪が成立する条件。

 酷く扱ったのも、辛く当たったのも全てはこの瞬間のために。


 もう搾取されることはなくなるはずだった。死は安らぎを与えてくれると思っていた。


 それすらも奪い取られるというの?


 あまりにも酷い。

 わたくしは、何のために産まれたの?

 こんな人生を生きるのなら。

 わたくしは、産まれたくはなかった。


 こんな世界なんて……。


 無クナッテシマエ……。



 わたくしは恨みのあまり悪霊となった。


 壊したい、消したい。この世界にあるもの全て……!


 体の形が崩れ真っ黒い影となり、目だけは赤く爛々と輝く化け物に成り果てる。


 カエセ、ソレハ、ワタクシノ……モノダ!


 喉の奥から零れ落ちる恨み言が止まらない。


「あらあら、本当に醜くなってしまったのねぇ。汚らしい。お姉さまにお似合いの姿だわ」


 楽しそうに微笑むアリア。


 ニクイ、オマエサエ、イナケレバ……!


 わたくしにはもう恨む心しかない。

 それは目の前にいる根源であるアリアに向かう。

 実体のない黒い影が部屋いっぱいに広がり、暗黒の空間を作り錐状になった先端がアリアに襲い掛かった。

 その錐はアリアの体を串刺しにする、はずだった。


「ふふふ、あら、こんなものなの?」

 だがそれは聖女の結界に阻まれ体を貫くことはなかった。

「ふぅん? お姉さまはこんなに凄い力を持っていたのね。わたくしったら全然使いきれていなかったじゃない。素敵だわ。これが全てわたくしの物になるのね」

 うっとりとした表情を浮かべ右手を前に出して神聖力を放出すると、わたくしの体に大きな穴が開いた。


 ギャァァァァ!

 痛イ、熱イ、苦シイ……!


「なんて見苦しい声をあげるのかしら、お姉さま。もっと聞きたいわ」

 アリアはうっとりと微笑みながら、黒い影に向かって何度も銀色に輝く神聖力を放つ。

 銀色の光に触れた影の部分が焼かれ蒸発していく。


「ふふふ、これがお姉さまの力。いいえ、もうわたくしの力よ!!」


  オノレ、オノレ、シネ、ホロベェェェェ!


「さぁ、わたくしの聖女としての門出を祝いましょう」

 優雅に微笑んだアリアは怨念となったわたくしに力を放った。


 眩い光がわたくしの体を焼いていく。

 なんて惨めなのかしら。

 涙すらも流れない体。

 誰からも愛されなかったわたくしは本物の化け物にまでなったのに、何一つ望みを叶えられない。


 もしも願いが叶うなら、今度は誰かに愛されてみたい……。


 わたくしはそう祈りながら消えた。








一話 私はミリア!?


「……って、なんだそれー! 続き、続きは!? ミリアぁぁぁぁ、って痛ぁい!」

 突然夢から覚め、目を開けると視界に入ったのは知らない天井だった。

 身動ぎをすると有り得ないほど体が痛い。


「何で? 私スマホでウェブ小説読んでたはずなんだけど。ここは、どこ?」

 顔が痛くて手を添えようと少し動かしただけでも骨が軋むほど痛い。

 触ってみると頬が酷く腫れていた。

 虫歯とかじゃなくて暴行の痕だ。私の人生で一度も感じた事のない酷い痛みに顔を顰める。

 一応手当はしてあるけれど、雑な治療をされていてガーゼは患部からずれていた。

 状況が飲み込めず身を起こそうと痛みを堪えて起き上がり体を見下ろした。


「ちっちゃ! 私これでも社会人なんですけど!?」


 私は真中真奈美。花も恥じらう絶賛ブラック企業お勤めの二十五歳彼氏なし。

 寝に帰るだけの家は荒れ放題。勿論料理などする暇もなくコンビニ弁当を詰め込む日々。

 そんな私の癒しといえば隙間時間に読むウェブ小説だった。

 特にハッピーエンドが好きだ。最初がどんなに過酷な境遇でも最後に幸せになってくれれば報われる。

 だって現実がクソなのに物語の中まで胸糞だなんて救われないじゃない。

 物語の中だとしても思い入れの出来た登場人物が幸せになるのを見るだけで、それを分けて貰えた気持ちになれる。

 だから好んでハッピーエンドのタグがついている作品ばかりを読み漁っていた。

 丁度更新で上がって来た完結済み小説「聖女が悪女で悪女が聖女!? 奪われた人生返してもらいます!」ってタイトルに惹かれ読み始めた。

 前半の薄幸シーンを越えこれから成り上がり幸せターンに入る所だったというのに。

 あの後ミリアがどうやって幸せを掴んだのか知りたかった……。


 いや、ミリアのことを考えている場合じゃない。

 置かれている現実を見ろ私。

 逃避してる場合じゃないぞ。


「痛い、ほんっっとーに痛い。呼吸するだけで痛い……。子供が暴行を受けた後ってヤバくない? 夢でも酷い。ってあれ、でも夢って痛みがないんじゃなかったっけ?」

 部屋の中を見渡すと簡素なベッドと机、その横にくたびれた化粧台と扉が外れそうなクローゼットがあるのみ。

 窓は木枠でなんだか古臭い。

「なんだっけ、オールドカントリー?」

 雰囲気はそんな感じだった。


 体を引きずるようにしてベッドから出た。

 這うように化粧台へ何とか辿り着き、ひびの入った鏡を見ると予想通り子供の姿をしている。

 鏡の中の少女は私とは似ても似つかない美しい顔立ちをしていた。


「それにしても痛々しい……」


 整った容姿をしているだけに申し訳程度に手当てがしてある姿が何とも不憫だ。

 服はよれよれでサイズが合っていないし、着古されていて劣化が酷い。

 包帯は雑に巻かれており、ガーゼはずれてテープの端はぐしゃぐしゃ。

 どうみても丁寧に扱われてはいない。

「動けるようになったら警察に駆け込まなきゃ」

 こんなろくに動けない状態で部屋からでても逃げ切れない。

 せめて走れるくらいに回復して、この家から逃げなくては。


「ふぅ、とんでもない夢ね……」

 ホラー系は苦手だからあんまりゲームもやらないのに、こんな夢を見るなんてツイてない。

 これは夢だ。痛いけど、夢なんだ。夢であれ……。

 二十五歳の私が、暴行を受けた痕跡のある全く知らない子供になってるなんて、現実であるわけがない。

 冷汗が背中を伝い、腹の奥をゾワゾワと探られるような寒気に気付かないふりをする。


 ガーゼを張り直そうともう一度鏡の中を覗いて、震える手で腫れた頬に手を添えてゆっくり剥がした。

 頬に塗られた薬は置かれたといった方が正しいほど酷い。ほぼ固まりの私はそれを指で丁寧に患部へ塗り伸ばす。

 それから痣にしっかり重なるように、くしゃくしゃのテープを解いてガーゼを張り直した。

 しっかり患部を覆ったことを確認して、ようやく落ち着いて今の自分の姿を確認することが出来た。

「それにしても綺麗な子ね」

 整った顔立ち、真っ赤な瞳と少し痛んだ黒髪。

 ぼろぼろの部屋着と痩せぎすの体が痛々しい。

 ……そして首には黒いチェーンのチョーカー。

 あまりに既視感のある容姿。


「あれ、もしかしてミリア!?」

 私がさっきまで読んでいたウェブ小説の主人公じゃないか。

 確認するように鏡を覗き込み真っ赤な瞳と視線が重なり合ったその瞬間。


「あああああ……!」


 凄まじい量の情報が脳に流れ込んできた。


 嘲笑い体罰を加える両親。厳しい勉強。作法を間違えると短い乗馬用の鞭で手を打ち付けられる。

 餌のような食事に寒い部屋。テーブルマナーを学ぶときでさえまともに食べられる物が皿に乗ることはない。

 体調を崩しても使用人が雑な看病をするだけ。

 ただ耐えるだけの毎日。妹が幸せそうにしているのを見せつけられる日々。


「なに、これ……!?」

 小説で読んだシーンがミリアの視点で流れていく。

 全てに絶望し、もう何もいらないと命すらも手放してようやく安堵が訪れると思った。

 胸に突き刺さるナイフの感触。痛みと熱さ、そして冷えていく体と魂すらも奪われる不快感。

 嘲笑うアリアの顔がまざまざと思い出せた。

「……はぁ、はぁ、はぁ」

 体を抱きしめ衝撃に耐えて、体中から汗が吹き出し滴り落ちる。

 驚いて跳ねさせた体はとてつもなく痛んだ。けれど、この痛みが無かったら意識を失っていただろう。

「本当に、ミリアなの? 感情移入しすぎて夢見てる?」

 けれどこの体の感覚は本物だ。流れ込んで来た感情や体験も夢で片づけるにはあまりに生々しい。


「はぁ、はぁ、とりあえずこの傷を何とかしないと死んじゃう」

 鼓動に合わせて体が軋む。

「……本当にミリアなら、癒しの術が使えるはず」

 本来ミリアがこの術を使えるのは一年後。でも、未来の記憶があるおかげで使い方が分かる。

「神聖力を傷口にあてて……」

 両手を祈るように組み目を閉じて集中すると、体内を巡る銀色の粒子の存在を認識できた。


 私は小さく息を吐き祝詞を唱える。


「傷を癒せ」

 神聖力を全身に纏わせると淡い光が全身を包み、たちまち頬の痛みが消え体が楽になっていく。

 淡い光の粒子が消えるともうどこにも痛みは感じない。

「ふぅ……痛かった」

 確かめるように腕を回し体を動かす。もうどこも痛まない。

 鏡を覗いて恐る恐るガーゼを外すと痛々しい痣も腫れもなくなっていた。


「本当にミリアなんだ」


 ミリアは世界に絶望し、安らぎを求め死を選んだのにそれまでも奪われてしまった。

 搾取された力で消されてしまい一体どれほど悔しかっただろう。


「辛かったよね、ミリア」

 鏡の中のミリアに話しかけてみるけれど今のミリアは私だ。何も答えてはくれない。


「そういえばミリアになったけど、あの小説まだ全然途中だったじゃない。これから逆転が始まるっていう超絶いいところで寝落ちしちゃっ……ってあー!」

 寝落ち、そう。寝落ちしてしまったのだ。

 ……湯船の中で。


「……詰んだ」

 私は一人暮らしだから、長湯をしているからといって様子を見に来てくれる人はいない。

 おそらく私は湯船で寝てしまい、たぶん溺死した。

「はー、マジかぁ。間抜けな死に方したぁぁ……。っていうか私誰かに発見された時全裸じゃん……」

 色んな意味で詰みすぎている。

「つらい……。脱衣所にある下着、レースが取れかけてるんだよね」

 彼氏無しの一人暮らしなんて油断しまくりで、人様に見せられる状態でいる方がレアだ。


「……ふー。済んだことは仕方がない。これからのことを考えよう」

 いくら考えても乱雑に脱いだ下着が隠されることはない。

 それよりも今目の前にある現実に目を向けるべきだ。


 私は意識を切り替えて、鏡の中を見つめながら流れ込んできた記憶と、今置かれている状況について考察することにした。


 

 小説の中では八歳の頃一度酷い折檻を受けて、死の淵をさまよったと書かれていた。

 もしかしたらさっきの暴行がそれで、この時間軸のミリアは死んでしまったのかもしれない。

 そしてどういうわけか死んだ私の魂が空いたミリアの体に入った?

 そこに未来からやり直すために戻ってきたミリアの魂が交じり合った。

 未来のミリアはアリアに力の大部分を奪われていたから、記憶を継承するくらいしか出来なかったのかもしれない。


 私の意識が表に出ているのと、未来のミリアの記憶が流れて来た事を考えたらそんな感じかな?


 憶測の域は出ないし真実は分からない。

 けれど私はミリアとしてここにいて、彼女の悲しい人生を歩んだ記憶を持っている。

 その事実は変わらない。


「ミリアを幸せにしたいなぁ」

 奪われるばかりだったミリアの人生。


 もしも願いが叶うなら、今度は誰かに愛されてみたい……。


 ミリアが心の底から望んだ未来を歩ませてあげたい。

 彼女が生きた二十二年分の記憶と経験、そして真奈美としての二十五年分の人生経験がある。

 この先みすみす不幸になる人生など歩んでなるものか。


 あの流れからどうやって逆転させるつもりだったのかわからないけれど、私が全力でミリアのハッピーエンドを見てやろうじゃない!


「読めなかったなら作ればいいのよ! 目指せミリアの下克上、ハピエン目指していくぞ!」


 鏡の中のミリアに向かってそう宣言して微笑んだ。


「とりあえず寝よう。話はそれからだ!」

 私は粗末なベッドに入って目を閉じる。

 ゴワついた毛布、硬いベッドだったけれど疲れていたせいかストンと眠りに落ちた。








二話 思い通りになんてなってやらない!


 ミリアになって分かった。

 この家はやっぱりクソだ!!


 父母は嫌味だし、妹のアリアはミリアの能力頼りの癖に見下してくる。

 使用人は父母の態度に追従してかミリアを空気のように扱う。


 ミリアの記憶ではこの頃から折檻が減り屈辱を与える体罰に切り替わっていた。

 おそらく殺しかけてしまったことで暴力を踏み留まるようになったんだろう。

 授業で間違えたり、出来なかったりしたときは乗馬用の鞭で打たれるようになった。

 家畜のような扱いにミリアは酷く自尊心を傷つけられた。


 けれど私には未来のミリアが血を吐く思いで学んだ全てがある。

 覚えられなかったり間違いを理由に折檻しようとしてくる母や教育係を、未来のミリアがくれた記憶を頼りにぐうの音も出ないほどやりこめてやった。

 全ての科目で教師と母の鼻を明かして、さらに至らない部分を全部指摘してやったら勉強も習い事も全部免除になった。

 指摘されてぷるぷると屈辱に体を震わせている様は愉快だった。

 もうミリアが鞭で打たれることはない。


 ざまぁみろ! ミリアの努力を舐めるな。


 けれど言う事を聞かなくなった私が気に食わず、今度は兵糧攻めをしてきた。


 元々生ゴミみたいな食事だったけれど、出されたものを大人しく食べていた。

 死んだら困るからか、一応ギリギリ食べられる物だったからね。

 もしも口にするのも嫌なものなんかが中に入れられていたら、持ってきた奴の口にそれを無理やり突っ込んでやろうと思っていたけれどそれはなかった。

 命拾いしたな……。

 でも、出してくれないなら私も黙っていられない。

 子供の食事を抜くなんてとんでもない!


 腹が減って厨房へ行けば、ゴミを指さされそこの物なら自由に持って行けと嘲笑われる。

 言われた通りにそこを漁れば泥棒猫みたいと辱めようとしてきた。

 でもそんなものは私にはどうということはない。とにかくお腹が空いた!

 ゴミといっても異臭漂う腐ったものではなく、まだ食べられる物ばかりだし問題ない。

 野菜くずと肉の切れ端を手近な皿の上に集めて載せ、さらに卵の入ったボールを隠すように抱えている使用人から一つ強奪。

「私は何も作ってあげませんよ?」

「邪魔よ、どいて」

 鼻で笑う料理人を押しのける。

 身長が足りないからそのままではコンロに届かず、その辺にあった空いている木箱を見つけて引きずり設置した。

 それによじ登り置いてある一番小さいフライパンを手に取り、木べらを使って慣れた手つきで一人分の料理を作る。

 大きすぎる食材は手で千切って、油を敷き肉から順番に炒めていく。


「え、料理を……?」

「まさか」

 驚く使用人たちを無視して私は料理を続ける。


 置かれている魔道具は現代の家とあまりかわらない。

 蛇口の上にある青い魔石に手をかざせば水路を通って水が出て来る。

 赤い魔石が嵌った箱はコンロだ。火力調整だって説明がなくても絵が描いてあるから見れば分かる。

 識字率の低いこの世界の取扱説明書はイラストで、そこにミリアの知識が加われば教えて貰わなくても使い方は理解できた。

 調味料だって中身が分からなければ指先につけて舐めればいいだけだ。

 どうせ何も作れやしないだろうとニヤニヤしていた調理場の使用人たちは、いじわるすることも忘れてきぱきと動く私を呆然と見つめている。

 野菜に火が通ったところで卵を落としかき混ぜながら野菜に絡める。

 本当は先に卵を溶いてふわふわに炒めてから後入れしたいけれど、そんな悠長なことをしていてはいつ取り上げられるかわからない。

 味を確認した調味料を適当に入れて味を整え料理を完成させた。


 捨てる物だからと好きにさせていたのが運の尽きだったな!

 ふっ、これぞ必殺貧乏飯。

 見た目はあんまりよくないが野菜と卵、それに肉まで入った完全栄養食野菜炒め!

 皿に盛ってパンを引っ掴みフォークも忘れず持って厨房を出た。

 階段を駆け上がり部屋へ入って勉強机の上に置いて手を合わせた。

「いただきます!」

 奪いに来るかもしれないからさっさと腹に収めてしまおう。

 私はフォークを手に取って野菜炒めを食べ始める。

 料理といえばこんな程度の物しか作れないけれど、これで十分。

「異世界でも野菜炒めはうまい」

 空腹だったのもあり、パンと一緒にあっという間に食べ終えた。

 小さな子供の食事を抜くなんてありえないし!

「ふー満足」

 お腹が一杯になった頃、乱暴に部屋のドアが開いた。


 厨房の物を勝手に持って行って食べたと、使用人たちに都合のいい報告を受けた夫妻が怒り駆け込んできた。

「あなたは食事抜きと言ったはずです」

「従う義理はありません」

「!? まぁ、なんて生意気な!」

「慈悲で生かされている事を忘れるな!」

 二人は不遜な物言いをした私へ怒りも露にした。

 夫人がもごもごと私に聞こえないように呪文を唱えるとチョーカーが首を絞め始める。

「……ぐ、ぅ」

「ほほほ、逆らうならこうですよ」

「身の程を知れ」

 苦しさで視界が揺らぐ。どれほど外したくて指先すらも引っかからずチョーカーは首を絞めつけ続ける。

 嘲笑う夫妻の愉悦に浸る表情は筆舌に尽くしがたいほど醜悪で、私は苦しみとは違う理由で眉をひそめた。

 小さな子供に苦しみを与え悶えて足掻く姿を見て笑うなんて、人間として最低だ。

 これ以上夫妻を楽しませてやる義理はないと、私は気絶したふりをした。

 床に横たわり身動き一つ取らなくなったのを見て、二人とも満足したのか部屋を出ていった。

 その無情な背中を見せられ、ミリアはどれほど辛かっただろう。


 記憶の中のミリアは去り行く父母へ力の入らない手を伸ばしていた。


「……なんて胸糞の悪い」


 のそのそと起き上がり、絞められた跡がついてしまった首に癒しをかけて立ち上がる。

「これを何とかしなきゃだめね」

 首に嵌められたチョーカーに触れた。

 アリアに全てを譲渡させる為には、ミリアが自ら死を望み自死することが必須。

 だから殺されることはない。


 殺されはしないが暴力や嫌がらせは執拗なくらい行われた。

 悪口や嫌味はどうでもいい。

 けれどミリアに折檻をしていたのは夫妻だけではない。使用人たちも憂さを晴らすようにすれ違いざま足をかけたり腕を抓ったり、殴ったりもしてくる。

 確かに死ぬことはないけれど、いわれのない暴力を大人しく受けてやる義理はない。


 私は誰かが近づくとすぐさま自分の周りに結界を張って、攻撃を反射する術をかけた。

 誰も知らないオリジナルの術だから、折檻を加えようとした相手は理屈が分からず驚く。

 私は相手に目線を合わせ笑う。

「あらあら、私ってば忌み子らしいから呪う事もできるみたい。次はあなたの心臓でも止めようかしら?」

 可愛らしく笑ってやったというのに、全員転がるように逃げて行くなんて失礼にもほどがあるでしょ。


 こうして使用人たちは私を見ると怯えるようになり、誰も世話をしたがらなくなった。

 まぁ、世話ついでに憂さ晴らしをする連中ばかりだったしないほうが快適。

 食事は保存が効く食べ物を確保し部屋で食べて、深夜にこっそり厨房に行って料理を作る。

 神聖力は思ったより便利でやろうと思ったことは大抵出来た。ミリアが開発していた洗浄や保存の他、試してみたら物質の再生もできた。

 おそらく出来ないのは死者を蘇らせることくらいじゃないだろうか。

 これでボロボロの服を新品に戻すことが出来て、透ける布の服を恥ずかしい思いをして着なくてもいい。

 サイズアウトしたらアリアのお古でも探して着ればいいわ。


 私は屋敷の中で快適を手に入れた。



 けれど首に嵌った呪具を通して神聖力と知識を搾取される事実は変わらない。

 アリアはそれに対して何の罪悪感も持っていない。

 産まれた時から当たり前のように行われていた息をするよりも自然な行為。

 これに関してはどれほど頑張っても止められない。

 それでもアリアが欲しいと思った分しか奪えず、盗られても残るのが幸いだ。

 現代風に言えば知識ファイルにアクセスして、ファイルを丸ごとダウンロードする感覚に近い。

 知らない知識にはアクセスすることもできない。

 アリアがたくさん学べばもっと効率よくミリアを使えるのだが、欲がないのかそこまで頭が回らないのか誰も彼女に勉強を強いたりしない。


 美しい色合いを持って生まれただけでアリアは大切にされる。

 色がなんだというのだ。ミリアもアリアも同じ人間で、片方だけが搾取されるいわれはない。



 式典や聖女の儀式には無理やり連れだされる。

 これに関しては屋敷の外を見るという役割を兼ねているため、比較的大人しくついてく事にしていた。


 神殿の中央で祈りを捧げるアリア。

 白を基調としたタイルに青い装飾が施された部屋の中央には、美しい噴水がありその中心には大きな魔法石が飾られている。

 それはこの国を魔物から守る結界を張るための要石の一つ。

「浄化の光をここに」

 アリアの祝詞に応え私の中から神聖力が奪われる。体の奥底をかき回される不快感にわずかに顔を顰めた。

 神聖力は真珠色の光を放ちながらアリアに注がれた。この光景を視覚で捉えられるのは私だけだろう。

 アリアはその神聖力を使い神殿の結界石に力を込めた。

 こうして定期的に神聖力を入れておくことで、国を覆う結界が強化される。


 銀色の光を増した魔法石の美しさに観客たちは感嘆の声を漏らした。


 けれど私が見ているのはアリアのほうだ。その体からは真珠色の光が立ち上っている。アリアが使ったのは私から奪った神聖力の二割というところだろうか。

 残りは必要な分を残し霧散してしまう。それがいま見えている光の正体。

 力のあるものにはその幻影が見えていて、アリアが神々しく映っている事だろう。

 奪われた分は補充されるけれど、せめて大量に持っていくならその分は使い切って欲しい。

 勿体ない。そんなことを思いながら散っていく神聖力を目で追った。

 


 アリアの傍に立たされた私は、灰色のヴェールを頭から被せられ、みすぼらしい服のまま後ろに立たされている。

 ここを離れるとチョーカーで首を絞められるので、仕方なく目の前で行われる光景を適当に視界に収めていた。

 ヴェールは魔道具で私の存在を認知している者にしか見えず、仮に力ある者が存在を感知したとしても、付添人として認識されるようになっていた。

 こんな大勢の目の前にいるアリアの後ろで、ぼんやり佇む不審者が居ても誰も咎めないのはそのせいだ。



 美しく着飾り、ミリアの知識と神聖力を奪って行うパフォーマンスで称賛を浴びるアリア。

 空気のように佇み、一番近くでそれを見つめるミリア。

 過去に何度も繰り返された扱いの差を見せつけられる行為。


 ミリアはこうして何度も惨めな思いを味わってきた。


 産まれた時からそんな扱いを受けていたせいもあるのだろうけれど、この酷い環境によく耐えたものだ。


 まぁ、私にはノーダメージなわけですが。

 退屈で欠伸が何度も出てしまう。

 


 式典が終わり意気揚々と引き上げるアルセス一家。

 一応大事な持ち物であるからか置いて行かれることはないけれど、どこかに連れ歩く時ミリアは馬車の狭い荷物入れに押し込められた。

 そしてこうしてアリアの活躍を見せつけた帰りは馬車の中へ一緒に乗せる。


「アリアは立派にお勤めを果たして素晴らしいわ」

「私たちの誇りだ」

「わたし、上手くできていましたか?」

「ああ、女神さまのようだったぞ」


 いつも以上に夫妻は見せつけるようにアリアを可愛がる。

 扱いの差を見せつけたくて仕方がないのね。とんだ茶番だわ。

 私はバカバカしいやり取りにため息をついた。

 

 その声に気づき、嫌がらせが功を奏したとでも思ったのかこちらに意識が向いた。

 夫人の手がヴェールを掴む。

「その辛気臭いヴェールを取りなさい」

 アリアの晴れ舞台に陰気な顔を見せるなとこれを被せたのはそっちでしょうが。

 口を開くのも面倒くさくて放置していたらヴェールを乱暴に剝がされる。

 油断していたから髪の毛を何本か持っていかれ、痛みで顔を顰めると夫妻の表情が愉悦に歪んだのが見えた。

「本当にクソね」

「「!?」」

 おっと、思ったことが勝手に口から出てしまった。

「なんて下品な!」

「アルセス家の品位を落とすような言葉遣いをするとは!」

 すかさず公爵が叩こうとしてきたから結界を張った。

 その結界には反射の術がかけられており、攻撃をそのまま跳ね返す効果が乗せられている。

 公爵が拳を振り上げ殴りかかると結界に触れた瞬間跳ね返り、自分の頬を殴ってよろけ椅子に倒れこんだ。

「あら、馬車の中で暴れると危ないですわ。お 父 様」

 普段は公爵呼びをするのだが、わざとそう言って鼻で笑ってやった。

「お母様も、危ないですわよ?」

 振りかぶった平手を掲げる夫人にも笑いかけると、怯えるように私を見て大人しく座る。


 大人しくなった夫妻は楽しそうに話しかけるアリアの相手をして、屋敷まで私を空気のように扱った。


 それからは折檻を行おうとするたびに反射の術をかけた結界を使うことにした。

 夫妻はその都度手痛い反撃を食らい手を出す頻度が減っていく。

 どういった原理かわからない夫妻に、呪えるようになったのだと笑ってやったらそれを信じたらしい。

 チョーカーを使うと自分の首が絞まることを恐れたのか、夫妻がチョーカーを使うこともなくなった。

 実際は呪具にこの術は効かないのだけれど、勘違いしてくれているなら好都合。

 

 今では遠巻きにアリアとの仲を見せつけるだけの存在となった。


 家の中で孤立していけばいくほど快適になるけれど、ずっとここに住み続けるつもりはない。

 本当は今すぐに出ていきたい。

 私にはミリアに貰った知識と力、真奈美の経験がある。

 それらがあればどこでも生きていけると確信している。

 けれど今ここから逃げても、このチョーカーの呪具がある限り居場所がばれて連れ戻されてしまう。

 あの夫妻がアリアを愛する気持ちは本物。その命を繋ぐためなら何でもするだろう。

 私は強いが無敵ではない。それにまだ子供で一人で生きていくには幼すぎる。万が一捕まったら幽閉されかねない。


 

 まずはチョーカーを外すこと、それが幸せへの第一歩だ。

 ストーリーを最後まで知らないから、呪具を外す方法があるのなら自力で探さなくてはならない。

 そして伝承が正しいのかも知りたい。

 もし本当にこれを外してアリアが死んでしまうなら、ついでにそうならない方法も探してみる。

 どうにもならなかったら諦めてもらいましょう。

 それが運命だってあの人たちも散々ミリアに言い聞かせてきたのだし、その言葉がアリアに適応されても問題ないでしょ。


 私は今後の方針を定めた。


 屋敷の中で空気扱いをされるようになり自由になった私は、手掛かりを掴むため積極的に書庫へ足を運ぶようになった。







三話 知らない子がいますね?


 

 書庫は広く、読んでいない本も多い。

 どこに手掛かりが載っているかわからないから、急がず丁寧に調べることにした。

 そうしているうちに原作通り十歳になったアリアは、グランドール国第一王子であるルイ・ジルコニア・グランドールと婚約することになった。


 顔合わせをして恙なく婚約は成立した。

 婚約は勝手にしてくれていい。

 ただミリアの犠牲の上に王太子妃になられては困る。

 将来あんな小部屋に閉じ込められて死ぬまで仕事をさせられるなんて冗談じゃない。


 アリアが城に住み始めるのがミリアが死ぬ半年前だから、少なくとも二十一歳までにこのチョーカーを外す手立てを見つけてここから逃げ出さなくてはならない。



 あんな未来なんてごめんだ。自殺を選んだミリアの悲痛な嘆きと悔しさは今も薄れることなく私の中にある。

 私はミリアをハッピーエンドに導く使命がある。ミリアの心はもうこの体にいないかもしれない。

 でも、だったらこの体だけでも幸せにしてあげたい。

 絶望なんてしていられない。


 相変わらず灰色のヴェールを被せられ、普段着のままアリアがお茶をしているテーブルの横に立たされている私。

 アリアは時々私を見上げ満足そうに微笑んでくる。

 順調に両親の後を追いクソ女に成長しつつありますね。お姉ちゃんは悲しいです。

 ヴェールの下でそんなことを思いながら、アリアへ楽し気に話しかけるルイに視線を移す。

 太陽のような金髪と美しい緑色の瞳がアリアと対照的で確かにお似合いだと思った。

 将来は筆頭聖女になる公爵家の娘と大精霊と契約して聡明な第一王子。

 この婚約をこの国の民は喜んだ。

 けれどそれはミリアという犠牲の上に成り立っている。

 未来を思うと黒い感情が押し寄せて来て、いっそ滅茶苦茶にしてやろうかという気持ちになってしまう。

 けれど、折角快適な生活を手に入れたのに今更波風を立てたくない。



「……ふぅ」

 気を落ち着かせるため私は一つ大きく息を吐いて気分転換に視線を巡らせた。

「……?」

 どこからかチョーカーと同じ波動を感じる。この力は間違いなく呪具と同じもの。

 呪具の波動を辿ると、足首まで覆う真っ黒なマントを纏いフードを目深に被っている傍付きに辿り着いた。

 王子の傍に控えて腰には剣を佩いているから護衛なのかしら? けれど幼すぎる。私たちと同じ年代くらいだろうか。

 近衛兵は皆白を基調とした騎士服を着ているのにあまりに異質だ。

 不自然なほど異様なのに、誰一人その子を気にした様子はない。

 王宮側だけではなく、アルセス家から連れて来た使用人もその子をいない者のように扱う。


 この感じ。私と同じじゃない?

 今日もヴェールをかけられアリアの傍に立たされている私もスルーされまくっている。

 同じ環境に置かれているかもしれない子なんて親近感湧くじゃない?

 興味が湧いてしまうのは仕方がない。


 じっと黒マントの子を観察してしまう。

 黒マントは身動ぎ一つせず、王子の傍に立っている。

 けれど時々何かを伝えるように耳打ちしていた。それは話題で返答に詰まった時や新しい話を探している時などに行われている。

 


 フォロー役? でも、王子付きの侍従は違う人物だったはず。

 おかしいわね、王子は聡明で頭の回転が速いって噂だったけどなんだか挙動がアリアっぽい。

 耳打ちが終わるまでそれっぽく考えている仕草をしているけれど、かなり不自然なのに誰も何も思わないのかしら?


 見ているうちにどんどん違和感は増していく。

 



 それにしても黒マントの子、どう見てもモブじゃない。

 こんな重要そうな人物、小説にいたかな?

 王子の傍にこんな目立つキャラが居たら、絶対描写されるでしょ。


 ミリアの記憶をどれほど探ってもあの人物はいない。

 小説のどこかに書かれていたのかもと、覚えている範囲で思い返したがわからない。


 関係ないと放っておくにはあまりに気になる。

 だってミリアと同じ呪具をつけた人物だよ? どうみても重要キャラじゃん。

 王子であるルイのすぐ傍に異様な身なりの少年がいるのに誰も気にした様子はない。

 ということはあのマントはヴェールと同じ認識阻害の魔道具なんじゃないだろうか?

 まるでミリアと同じ鏡合わせのような人物。

 

 どうにか話が出来ないかと辺りをそっと見回し、静かに歩きだした。


 傍に来て気付く。やっぱりこのマントも認識阻害の魔道具だ。同じ用途の魔道具が傍に近づいたことで作用し合い、一つの新しい空間を生み出した。

 今の私たちはアリアとルイにも認識されない。

 近づいても反応を示さない黒マントに大胆に歩み寄り、私はその顔を覗き込み息を飲んだ。


「……!?」


 フードの中で見た顔は王子のルイと瓜二つだった。

 ただし髪は黒、そして瞳は紫色。

 彼から漂う呪具の魔力。

 ……そして光の無い虚ろな瞳。


 まるでミリアとアリアのようではないか。



 とにかく話がしたい。


 けれど小声とはいえ会話をすれば誰かに気付かれるかもしれない。

 そうしたら彼は酷い折檻を受ける可能性がある。

 そう思ったのは口元に殴られたような、まだ新しい傷跡を見つけたからだ。

 紫色の瞳に生気はなく、ただぼんやりと光の中で笑い合うルイに向けられていた。

「……」

 あまりに空虚なその様子に私は彼を抱きしめたい衝動に駆られた。

 だって、未来のミリアとあまりにも同じだったから。


 抱きしめてあげたい。撫でてあげたい。一人じゃないのだと手を握ってあげたい。


 あの時ミリアが望んだことをしてあげたい。


 どうせ幸せになるのなら、彼も一緒がいい。

 幸せにするなら一人も二人も変わらない。

 私は決意を固めた。


 さて、どうやってバレずに彼と会話をしようか。

 ルイに集中しているせいか、彼は私に気づく様子もない。


 声をかけてもいいけれど、驚かせて騒ぎになってはいけない。

 私はじっくり辺りを観察した。


 アリアとルイが会話する中、私と彼の呪具から力が流れていくのを感じる。

 意識を集中させると黒い靄の線が、私からアリアへ注がれているのが見えた。

 アリアは話の話題として私から様々な情報を引っ張り出している。

 見栄を張らずに、詳しい流行りのお菓子やドレスの話でもすればいいのに……。


 彼からルイへは常に魔力が流れているようで、私のよりも濃い魔力の線が見えた。

 魔力と呪具の波動を辿り、自分のチョーカーと彼の首元にある呪具の元凶と思われる物へ回路を繋いでみた。


 音声通話をする要領で回線を開いて、思念を載せて話しかけてみる。


『こんにちは!』

「?」

 少年が緩慢な仕草で顔を上げ、辺りを見渡した。

『こんにちは!』

 もう一度話しかけると少年は私に気づき小さく首を傾げた。

 口を開こうとしたので右手の人差し指を唇近くに立てて寄せ、喋らないでと意思を伝える。

『声は出さなくても大丈夫。伝えたいことを頭で考えてくれればいいわ』

『……僕に、話しかけているの?』

『ええ、そうよ』

『……なぜ』

 本当に分からないようで戸惑う思考が流れて来た。

『私と同じかなって思って』

 こちらに目を向けている彼にヴェールを少しずらして、首に嵌っているチョーカーを見せる。

『……っ』

 息を飲む音が聞こえる。

 アリアと同じ顔、けれど髪と瞳の色が違う。そして視線が移動して首に嵌った呪具へ釘付けとなり目を見開いた。

 魔力が強いからこれが呪具だって気付いてくれると思った。

『それは……っ』

『もしかしたらあなたも同じかなって思ったの。だから声をかけずにいられなかった』

 動揺する空気が伝わって来る。

『ねぇ。私、あなたと友達になりたいな』

『!? 僕と……?』

 少年は戸惑うように私を見て、理解できないというように懐疑的な視線を向けてくる。

 それはそうだろう。私も彼も近づいてくる相手は全員敵だった。

 人に好意的に接してもらったことなどなく、彼が戸惑うのは無理もない。

 私は敵ではない。それだけ分かって欲しい。

『私は忌み子なんですって……。私の価値は妹を生かすことだけだって言われてるわ』

『……僕も、同じ』

『髪と目の色が気持ち悪いって』

『うん、不吉なんだって』

『色が違うだけなのにね』

『うん……』

 光の中で楽し気に笑う同じ顔のルイを見つめる少年。

 感情を映さないガラス玉みたいな虚無を抱えた瞳を見ているだけで堪らない気持ちになる。

 彼は人。便利な道具じゃない。

 腹の底から湧き上がる怒りを自分の掌を握りしめ耐える。

 まずは私が彼を人として扱おう。それが友人への第一歩だ。

『私はミリアって言うの。あなたは?』

『……キリアス』

『キリアスというのね! そしたら、キールはどうかしら?』

『キール?』

『あなたのあだ名よ。気に入らなかったり嫌だったら言ってね。別のを考えるわ!』

 私は慎重にキリアスの表情を伺う。

『キール……。僕は、キール』

 噛みしめるように口の中で何度もキールという名を紡ぐ。

 嫌そうではなくてホッと胸を撫でおろした。

 ミリアという名前は忌み子に用意された名だった。

 古代語で闇という意味だというのは、未来のミリアが古代語を学んでいる時に知った。

 誰も呼ばない忌み嫌われた名前。

 もしかしたらキリアスという名もそうなのではないかと思った。

 だから彼を示す名前が欲しかった。

『……誰かに名乗るのも、あだ名も、初めてだ。僕は、キール』

 何度目かでキリアスの表情が初めて緩んだ。その様子に私も嬉しくなる。

 その雰囲気が伝わったのか、キリアスが私を見た。

『えと、そしたら君はミリアだから……、ミリーはどうかな』

『私にも付けてくれるの!? 嬉しい、素敵ね!』

『僕も、キール。気に入った』

 胸の奥が温かい。

『友達になってくれる?』

『うん!』

 私たちはお互いに一歩ずつ近づき、触れ合うギリギリの距離で寄り添った。

 傍に寄るとキールの膨大な魔力が私の神聖力と混ざり合い、まるで最初からそうだったように馴染んでいく。


『キールの魔力は温かいね』

『ミリーの神聖力は優しい』

 しばらく黙ったまま交じり合う二つの力に身を委ねる。


 誰かが近づくとそれは暴力や暴言の前触れ。

 他人は恐ろしくて怖いものだった。

 触れるほど傍に人がいるのに怯える必要がないのは初めてだ。

 一人奮起してあの家の中で戦って来たけれど、本当は心細かったのだと気付いた。

 常に緊張していた神経が緩やかに解れていくのを感じる。


 キールはどうだろうかと視線を向けると、全てを諦めたような冷めた目が柔らかく笑んでいた。

 それを見られただけで私はキールに声をかけてよかったと嬉しくなった。


 この世界で初めて出来た友達。


 私たちは呪具を介してお互いの身の上について話をした。

 やはり思った通り、キールもミリアと同じ環境に身を置かれていた。

 誰かに心情を話すのは初めてで、キールも私も話が途切れることはない。

 夢中になって話すうちに、いつの間にかお茶会は終わっていた。


 もう帰らなくてはならない。

 キールと顔を見合わせ名残惜しいと思いながら仕方なく離れると、全く感じなかった外気の寒さに身震いをした。

 振り向きもしないアルセス夫妻とアリアの後ろにそっとついて行く。

『ミリー……』

 キールに呼ばれ振り返ると、ほんの少しフードを持ち上げ目を合わせてくれた。

『……また』

『ええ、キール。またね』

 この世界で初めて次の約束をした。


 屋敷への帰り道。温かい気持ちで胸が一杯の私は、一生懸命貶そうと頑張る夫妻など全く視界に入らない。

 可能な限りキールと会話を続けていたけれど、会場から遠ざかると次第に声は途切れ聞こえなくなってしまった。


 書庫で調べ物をしながらあの日繋いだキールへの回線を手繰り寄せる。

 そうして一か月後にはいつでも会話ができるようになった。


 時間が空いた時、辛いことがあった時、何でもない時でもキールと話をした。

 あっという間にキールはなくてはならない存在になった。

 キールも同じだと言ってくれて嬉しかった。


 いつかこの国を出て二人で生きていこうという夢が出来た。

 それを実現するために呪具の外し方を二人で探ることにした。


 キールの存在は読んだ物語の中にも、ミリアの記憶にもなかった。

 私(真奈美)が入ったことでストーリーが変わってしまったのかもしれない。

 それならそれでいい。

 キールもミリアと一緒に幸せになって欲しい。

 私はこの世界で新たな目標に向かって突き進むことにした。





四話 初めて出来た友達



 僕はこの国の第一王子、ルイ・ジルコニア・グランドールの双子の弟として生まれた。

 名前をキリアス・ジルコニア・グランドール。

 王家は金髪碧眼が由緒正しい血統とされ、その色を持つ者は精霊の加護を受け強力な魔法が使えるという。

 けれど王家に相応しい金髪に美しい緑の瞳を持って生まれたルイの体は弱く、精霊の加護もなく魔力も少ない。

 対して双子の僕は全く同じ顔なのに真逆の色合いである黒髪と紫の瞳だった。

 禍々しい色合いに呪い子だと忌み嫌われ誰も寄り付かない。

 けれど僕は産まれた時から大精霊の加護を授かり、溢れ出るほど強大な魔力を持っていた。

 殺してしまうにはあまりに惜しいと考えた王家は、僕に呪具を嵌め大精霊の加護を無理やりルイへ移した。

 そして大精霊を操る為、僕の魔力を流し契約主がルイであるように錯覚させた。

 首に嵌る黒い革の首輪から大精霊の加護を維持出来るように、僕からルイへ常に過剰なほど魔力が流され続ける。


 離れてしまうと流れる魔力が弱くなるため、常に傍に居なくてはならない。

 その性質を利用し僕は影武者として、また一番近い護衛として、そして便利な道具としてルイの傍にいる。

 ルイが王子として恙なくいられるように、物心ついた時から休む暇もなく鍛錬と勉学を詰め込まれた。

 傍に常に控え、守り、補佐できるようにありとあらゆることを教え込まれている。

 その為に行われる過酷な訓練と、覚えないと体罰が下る授業。

 休むのは勿論寝る暇もほぼない。


 僕は敬愛すべき王子の偽物。呪われた子供。本来王子が持つべき能力を横取りした化け物。

 そんな風に言われ、扱われてきた。

 産まれた時からそうだったから、それが当たり前だと思っていた。

 自分と同じ顔の兄が自由に振る舞う様を見て、胸が掻き毟られる思いがしていたけれど、それが何なのかわからないまま生きて来た。


 ここでは誰もが僕を「道具」として扱う。


 けれどミリーに会って分かった。


 こんな扱われ方は嫌だ。僕も、せめて人として扱われたい。


 この胸に渦巻くどうしようもない感情は、寂しいと、辛いというものだとミリーは教えてくれた。

 知らなかった感情に名前がついたことで、僕の世界は少しずつ色付き始める。

 何も知らない僕にミリーはたくさんのことを教えてくれた。


 僕が死ぬ思いをして様々な戦う術を学んでいる間、兄は母上と優雅にお茶をする。

 覚えないと酷い折檻が待っている勉強に苦しんでいる時、兄は父と歓談し家族と食事をする。


 そうして手に入れた力は全て兄の物となる。

 髪を染め薬品で目の色を変え兄の代役で出場した剣術大会で優勝し、僕が書いた座学の発表をして兄が評価を得る。

 逆らうことは許されない。



 何も知らなかった頃は辛いとも苦しいとも感じられなかった。

 けれどこの感情を知らなければよかったとは思わない。

 ミリーがくれる温かさを知らなければ、僕はいずれ心を凍らせ死んでいたかもしれない。


 今はミリーがいるから生きていたい。


 ミリーは温かくて優しい。

 話をすると心の中がぽかぽかと温かくなるんだ。


 どうしようもなく辛い日はミリーと会話をした。

 彼女と話が出来るだけで心が温かく穏やかになる。

 ルイの婚約者であるミリーの妹に兄が会いに行く日は、彼女に会えるからとても楽しみだ。


 いつかこの首に嵌められている呪具を外し、ミリーと共に生きるんだ。

 能動的にしか生きていなかった僕は、初めて自分の意志で生きることを知った。


 教え込まれる戦闘技術は、将来ミリーと生きて行くために必要な物だと積極的に取り組むようになった。

 知識もあればあるだけいいと、たくさんの物事を知っているミリーに倣い積極的に勉強をするようになった。


 生きる意味と未来への希望を見いだせた僕の世界は、色付き輝いて見えた。








 そうしてミリーと出会って八年が過ぎた。

 僕を指導していた全ての指南役は全員倒した。僕に勝てる者はもういない。

 もう教えることはないと授業も無くなった。

 そして道具として従順に大人しくしてきたのが功を奏して、城内に限り制限付きではあるが僕にはそれなりの自由が与えられた。

 マントを被ってさえいれば城内を好きに出歩いていい。


 ミリーが反撃の時まで大人しくするべきだと言った意味が理解できた。


 自由を手に入れた僕は空いた時間で呪具を外す手立てを探った。

 これさえ外せばミリーと一緒に生きていける。


 


 僕は大書庫に入り浸り、呪具を外す手段を探した。

 そこにある全ての本を調べ尽くし、残すは禁書庫のみとなった。

 王家が管理するその鍵を探し、ようやく見つけて中に入る。


 可能な限り禁書庫へ足を運び本を漁った。

 そうしているうちについに真相へたどり着くことが出来た。


 禁書庫の奥の奥。一見すれば見逃してしまうような壁に隠された小さな戸棚があるのが分かった。

 鍵はかかっておらず、その中にも本が入っていた。

「……! これだ」

 本来の色違いの双子のついて書かれた本があった。

 色違いの双子は黒を持つ者にその世代の力が集約しており、本来の色の子はいわば零れ落ちた不純物のような存在で物心つく前に死ぬ運命にある。


「つまり、僕とミリーが本物だったのか……」

 今まで受けた扱いの真逆である真実。

 僕はページの続きを捲った。


 僕に嵌っている首輪は、消える運命を儚んだ過去の当主が何とか子供を生かそうと作り出された魔道具。

 最初はただ純粋に消えゆく子供の命を繋ぎとめるため、力あふれる子から少しの活力を分け与えて貰うだけの物だった。

 けれど、いつからか黒い色を忌まわしいと言い始めた者が居た。

 本当にそう思ったのか、生理的に無理だと受け付けられなかったのか、それとも利権に目が眩みでっち上げたのかはわからない。

 それが徐々に浸透していき真実が入れ替わった。

 片割れに「分け与えるもの」であったそれを「奪い取る」ように改造を施した。

 そして効率よく略取するように対となる魔道具を作り出した。

 

「人の欲とは何とも禍々しいものだな。こんな物を作り出してしまうのだから」

 僕は首輪を無意識に触った。

 優しい理由で作られた魔道具であった首輪は純白の物だった。けれど、呪いを何度も重ねるうちに黒く染まってしまった。

 非人道的な行いを平気でする黒魔術はこの国では禁じられているはず。なのに王族がこんなものに手を染めているとは……。


 これが表沙汰になれば王家の権威は地に落ちるだろう。


 僕は深く息を吐いて続きを読む。



 本当なら呪い子が死んだら対となる魔道具を持った片割れに、全ての力が譲渡されるようにしたかった。

 そうすることで色違いの双子が生まれたら、即座に呪い子を殺し、なかったことに出来るからだ。

 けれど呪いの副作用なのか、呪い子が自殺以外で命を落とすと引きずられるようにもう片方も死を迎える。


 そして何人目かの呪い子が生きることを放棄し、自死した時に思い描いていた効果が発動するのが分かった。


 それを知った王族は正統な後継者に力を還すという大義名分の元、呪い子を冷遇するのが恒例となる。

 従順な人形になり生涯その力を搾取されてくれるならよし、自らの生きざまに絶望し自死してくれるならなおよし。



「ミリーがいてくれてよかった」

 ミリーに出会わないままだったら、僕は何も感じない人形となりただの道具として生涯を終えていただろう。

 兄の事は好きでも嫌いでもない。

 羨む気持ちもとうの昔に消え果てた。

 兄のために何かをしたいとは思えない。


 搾取されるためだけに生かされて来た。

 この首輪がある限り自由になるものは何もないのだと、諦めていた。


 けれど今ではこの首輪がミリーへ繋がる大切な物に思えるほどだ。

 この呪具から解放され、ミリーの側にいられる未来が待ち遠しい。



 外す方法は対となっている魔道具の宝玉と、呪具に付いている魔法石を合わせ魔力を流すだけでいい。


「魔具……。多分ルイが常に身に付けている腕輪だろう」

 幼い頃からずっと肌身離さず付けている宝飾品はそれだけだ。


 希望が見えた。

 ミリーとずっと一緒に居られる未来。

 明るくなった世界に彩りが加わるようだ。


 その晩ミリーに呪具を外す手段が見つかったと言えば、ミリーも同じように公爵邸の地下で資料を見つけていたと報告を受けた。

 やはり僕らは繋がっている。

 

 それが嬉しかった。







五話 返してもらいます!



 キールと相談しながら脱出計画を立てた。

 出来れば呪具が無くなっていることに気付かれるのを遅くしたい。

 呪具さえ外してしまえば私たちの居場所を知られることはない。

 適当な指輪に神聖力を注いで見た目を偽る術をかけた。

 キールの方も魔力で同じことが出来たのでそれをダミーにして入れ替えることにした。

 夜更けにアリアの部屋に忍び込み指輪を交換する。

 油断しているのか気にも留めていないのか、拍子抜けするほどあっさりと指輪は手に入った。


 夫人もチョーカーに干渉していたから、魔道具を持っているのかと思っていた。

 けれど、アリアの指輪を介して呪文でチョーカーを操っていただけだった。

 最悪二つ手に入れなければならないかと思っていたのでよかった。



 私たちは運命に必死で抗った。

 だからこうして呪いから解放される方法を手に入れることが出来た。

 けれどそれは私(真奈美)というイレギュラーが発生したからこそだ。

 産まれた時からこんな境遇に置かれた子供には、その扱いが不当なものであると気付くことすら出来ない。


 もう二度とこんな理不尽な仕打ちを受ける人間を作り出してはならない。私たちは呪具に関する資料を徹底的に処分した。

 そうすれば今つけているチョーカーを壊してしまえば同じ物は二度と作れないし、作ろうと思っても膨大な手間と時間が必要になるだろう。


 

 手に入った指輪をチョーカーの魔法石に触れさせてみれば、小さな金属音がして何かが外れる音がした。

 そして指輪は使命を終えたというように黒い鉄屑となって崩れてしまった。

「……これで、ようやく」

 いつでもこのチョーカーを外せる。

 これでやっと解放されるんだ。

 私は晴れやかな気持ちで少し緩くなったチョーカーに触れる。


 公爵邸の隠された地下書庫にあった資料によれば、十五歳まで生きた愛し子はもう補助無くしても生きられると書かれていた。

「バカみたい。アリアはとっくに奪わなくても生きていけるようになっていたんじゃない」

 もしかしたら公爵夫妻は知っていたかもしれないけれど、そんな事よりミリアを利用した方が便利だったから忘れてしまったのかもしれない。



 すぐにでもここを出て行けるけれど、どうせだったら奪われた分くらい仕返ししてやろう。


 私とキールは話し合い決行の日を決めた。


 ちょうど一年後にある国を挙げての祭事がある。

 筆頭聖女になったアリアと次期王になるルイ王子がその権威を示すためのものだ。

 アリアはこの国を守る大結界を神聖力で強化し、ルイ王子が大精霊を召喚して巨大な魔法石に魔力を注ぐ。

 大結界はグランドールを魔物から守護するこの国の要。

 そして巨大な魔法石は、この国に住む民が扱う魔法石に補給される魔力の源である。

 普段は魔導士たちによって魔力を注がれているけれど、こうして代替わりのたびに大精霊によって大量に補充される。

 グランドール国民の豊かな暮らしの象徴だ。

 筆頭聖女と次代の国王を示す特別な式典で、その様子は魔術によって国中に映像を映し出される。

 


 そこで使われるのは勿論私とキールの力だ。


 式典の時期が迫り、準備が始まった。

 聖女に相応しいドレス、宝石。それからエステ。

 アリアは自らを着飾る事に余念がない。

 式典の手順や祝詞など必要なものはいつも通り私が覚えさせられる。


 もう意味はないのだけれどね。


 一応最後の情けでそろそろ自分の神聖力を鍛えて勉強をしなさいと言ってみたけれど、眉を吊り上げて熱いお茶の入ったカップを投げつけられた。

 避けるまでもないそれは当たることなく床で割れて絨毯を濡らす。

「お姉さまの癖に私に指図するなんて……! 不愉快だわ、出て行って」

 ……あなたが呼びつけたんじゃない。

 そう言いたいのを堪えた。

 怒りに肩を震わせて睨むアリアへ何も言わず、背中を向けて部屋を出ていく。

 分かっていたけれど忠告は無駄に終わった。

 これ以上は私の知ったことではない。

 あとは自力でがんばりなさいな。


 私はその日から自室に引き籠り、静かに胸を高鳴らせながら当日を待った。





 式典当日。


 朝から魔法で花火が打ち上げられ、国はお祭りムードに沸く。

 その中で私たちだけが世界に隔絶されたように辛気臭い衣装を纏い、頭からヴェールとフードを被り誰にも存在を認知されることはない。


 やがて式典の見せ場であるアリアとルイ王子の出番が来た。

 二人は式典用の広いバルコニーに背中合わせに立つ。

 アリアは祈りを捧げ体に銀色の輝く神聖力を纏わせ、ルイ王子は式典用に地下から中庭の上空へ浮遊させた魔法石へ魔力を注ぐべく大精霊を召喚した。


 銀色の光が晴れ渡った空へ柱のように立ち上り、王宮の上空には翼を携えた真っ白な獅子が現れる。

 広い空の下。国民が感嘆の声を上げるさざめきが王宮まで届く。


 高鳴る胸を抑えきれない。


 アリアが両手を天に翳し、ルイ王子が右手を上げて魔法石へ力を注ごうとしたまさにその時。


 私たちは目を合わせ、頷きあって首の呪具を引き千切った。

 そうすることで私たちから流れていた神聖力と魔力が切断される。


 急激にアリアとルイ王子の力が弱まっていく。


 突然光の柱が細くなり、優雅に空を駆けていた大精霊の動きが止まった。


「あれ、どうして!? なんで……!」

「おい、何だ。なぜ言うことをきかない!」





 アリアが両手を見つめ再び祝詞を唱える。

「浄化の光よ、今ここに……!」

 指輪の力を引き出したのが分かった。

 けれどそれはボロボロと崩れ去る。

「!? どうして!? お姉さま!」

 動揺のあまりいつも立たされている場所を振り返るがそこに私はいない。

 焦るあまりなりふり構わず辺りを見回し、少し離れた場所でヴェールを脱いで佇んでいるのを見つけ目を吊り上げ叫ぶ。


「お姉さま!」

 ヴェールを取っている事。神聖力を渡さない事。自分の晴れ舞台を台無しにされた事。

 顔を歪め怒りの眼差しで私を見るアリア。


「淑女がそんな顔をするものではなくてよ、アリア? 国民の皆様が見ていらっしゃるわ」

 優雅に微笑む聖女と同じ顔の色違いの人物。

 近くで式典を眺めていた高位貴族は息を飲み、王族は予想外の展開に咄嗟に動くことが出来ない。

 何が起こったのか私たち以外誰も分かっていない。


 そうしているうちにルイ王子の方も声を上げる。

「キリアス!」

 アリアと同じように何かを探しに辺りを見回している王子の怒号が響き渡る。

「なんでしょうか、兄上」

 私の隣にいたキールがマントを脱ぎ棄てる。

「どういうことだ!?」

「聖女に続き王子の偽物まで!?」

 またしても現れたルイ王子と色違いの同じ顔。周囲のざわめきが一層大きくなる。


「私たちの力を使うのはもう終わりです」

「僕たちはこれから自分の人生を歩んでいきます」

 そう言って引き千切った呪具を持った手を重ねて神聖力と魔力を合わせて焼き消した。


「に、偽物たちを捕らえよ!」


 王の声に近衛兵がようやく動き出す。


「偽物、ねぇ」

 キールは王に向かって地下書庫で見つけた書物を投げつける。

「どちらが偽物だったのか、それを見て真実を知れ」

 冷めた目で睨みつけた。

 そしてキールが右腕を掲げると、動きを止めていた翼を生やした真っ白い獅子の大精霊が動き出しその足元に跪く。

「ミリー」

 キールはその獅子に跨り、エスコートするように差し出した。

「キール」

 その手を取ると獅子の上に抱えあげられる。


「さようなら」

 遠く見えるミリアと慌てて駆け寄ろうとしているアルセス夫妻に最後の言葉をかけた。

「偽物は去ることにするよ。どうぞ「本物」だけで国を支えてください」


 キールが獅子の背中を軽く叩くと翼を羽ばたかせ空へ舞い上がった。


「捕らえろ、逃がすな!」

「お姉さま、行かないで!」

「キリアス、戻ってこい!」

 聞きなれた兄妹の声はすぐに遠ざかる。


 一部始終を移したままだった王国内は騒然となったが、その喧噪は瞬く間に聞こえなくなった。


 青い空と眼下にどこまでも広がる緑の大地が見える。

 計画していた人の住まない大森林。

 私たちはこれからここで暮らしていく。

 誰にも邪魔されず、奪われることのない人生を生きるんだ。


「ミリー」

「キール」

 無言で強く抱きしめ合う。

 

 そっと顔が寄り添い自然に唇が重なった。

 

 ヴェール越しではない太陽があまりに眩しくて目を細める。

 後ろから包むように支えていてくれるキールの温もりに涙が出そうになった。

 キールに体を預けると、強く抱きしめられた。

「これからは僕らの人生を生きるんだ」

「ええ、そうしましょう! 自由に、何者にも縛られない人生を」


 そうして静かに浮かび上がり空を駆ける。


「まずは住むところを探しましょう」

「これからは君と一緒に生きて行くんだね」

「ええ! 自分たちの為に」

「ああ」

 眩しい笑顔で笑うキールに、私も自然に笑顔になった。


 これが私が思うミリアのハッピーエンド。


 人生、返してもらったわ!








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