花菱の夢(49)目覚め①
目覚め①
「翔、翔。目ェ覚ませ」
誰かが体を揺さぶっている。
(このシチュエーション、前にもあったぞ)
嫌な予感に包まれながら、目を開ける。ボケーッと霞む目に、見覚えのある顔が映る。
(ああ、やっぱり……)
ため息とともに、その名を呼んだ。
「薫……」
がっくりと目を閉じた翔の耳に、思っていたより少し高めの声が響いてきた。
「瑞穂や」
「へっ」
慌てて体を起こすと、目を擦った。
「瑞穂……。そうか、俺達、上手く逃げられたんや」
瑞穂はうんこ座りをしていたが、がくっと膝をつくとほっとしたように息をついた。目にはうっすらと涙がにじんでいる。
「私ら、戻って来れたと思う?」
翔は首を横に振った。前は失敗したのだ。今度も保証は無い。
「そいより、匂さんは?」
今度は、瑞穂が首を横に振った。
「私が気づいたときには、もういなかった」
「もう……」
一人でどこかへ行ってしまったのだろうか。それとも、菊のように別の時代に放り出されたのだろうか。
右手に握り締めていた刀が、キラッと夕日を弾いた。左手に持ったままの鞘に、それを収める。
『翔のせいではあるまい。それこそ、運命というものの仕業だ』
薫の声が、胸にこだまする。
見えない力によって引き離されたとしたら、止める術はあったのだろうか。
「これから、どうする?」
問われても、答えはない。考えたって、いい知恵も無い。できるのは、ため息をつくことだけ。
気がつくと、瑞穂が、強張った顔で翔の背後を見つめている。
「あ、あ……」
言葉にならず、指を指す。翔はふり返った。
「和尚!!!」
昇竜寺の和尚が、紛れも無く翔達の見知った和尚が、飄々とこちらに向かって歩いてくる。黒い袂が、ひらひらと風を作る。ハゲ頭が、後光のように夕日を反射させている。
「おやおや、二人ともここにいましたか」
自然に笑いがこみ上げてきた。うれしくて、うれしくて、笑いが止まらない。やっと夢から覚めた、そんな気がした。
「何を笑ってるんですか。おうちの方が何度も電話してきたんですよ。朝出かけたきり戻ってこないって。うちへ来る途中だったって言うから、気になって探しに来たんですよ」
翔は、まだ笑いが収まらぬまま尋ねた。
「神隠しにでも遭ったって、思った?」
「思いましたよ、本当に。何しろ、二度も落雷がありましたからねえ。それにしても、二人で仮装大会でもしてたんですか」
二人は、また吹きだした。確かにそう思われても仕方ないだろう。
翔は坊主頭に厚化粧。そのくせ、服装はジャージの上下だ。一方、瑞穂は、上は作務衣のような忍者風の和服で、下がジーンズだ。
「そう、ちょっとね、いろいろと」
笑ってごまかすしかなかった。
和尚ものほほんと笑うと、
「それより、うちにはどんな用で」
と聞いた。
「学校の宿題や。ご先祖様について調べようって。で、時任鷹次郎が書いた物が伝わってるって聞いて」
「ああ。穂積家伝聞録ね」
「そう、それ。町の文化財か何かになってて持ち出せないって聞いたから」
「確かに、翔君のご先祖様が書いた物ですね。でも、あれは読めませんよ」
「えっ」
「昔の言葉ですからね。漢字も難しいし。でも、翔君ちに口語訳したものがあるはずですよ。衛さんが書き写していったから」
「おじいちゃんが?」
「ちょうど、倒れる前日に電話があってね。すごい発見をしたって。見に行く約束をして、そのまんま。何の発見だったのでしょうねぇ」
翔と瑞穂は顔を見合わせたあと、天を仰いだ。
雲が、高かった。
西暦二〇〇四年六月二十七日(日)午前十一時
寝ぼけ眼をこすりながら階段を下り、リビングに入ると、父の渉が何か熱心に読んでいた。横には瑞穂がいて、興味深げにのぞき込んでいる。傍らには、見たことのない桐の箱も一つ、おかれていた。
「なんや、朝から人んちに上がり込んで」
「朝やないよ。もう昼ですよーだ」
瑞穂は、下唇を突き出すようにして答えた。
「そいより、ちょっと来てみ。面白いぞ」
珍しく興奮した父の声に、翔も心を動かされた。
「何、それ?」
「おじいちゃんのノートや。探してくれって言うたんは、翔やろ」
「あったの」
駆け寄ると、肩越しにのぞき込んだ。
そこには、人の名前とその生涯が何やかやと書き込まれていた。
「ほら、最初が、初代重太郎。このときは、まだ、姓がなかったんやね。戦国末期の名主さんや」
ノートには、きちょうめんな文字がぎっしり書き込まれている。翔には読めない漢字もたくさんあった。
「大昔のことなのに、よく調べたなあ」
感心したその声に、渉は笑った。
「この人が、あの時任鷹次郎の父やからな。そいで言い伝えが多いんや。この後の人の方が、よっぽど分かってないよ」
確かに、読んでみると、ほとんどが鷹次郎に関係した内容だった。
重太郎には男の子がなく、一番下の娘さんに婿養子を迎えた。それが、鷹次郎だ。
次のページは、その鷹次郎の説明だった。
彼の出自ははっきりしていない。慶長十年(一六〇五年)雷山の山中で泣いていたのを見つけられ、天竜寺に預けられたと聞く。年も名前も分からず、見つかったときに一羽の鷹を連れていたことから、鷹次と呼ばれるようになった。
鷹次は大変利発な少年で、読み書きも計算もできたという。また剣術にも優れ、当時村を荒らし回っていた盗賊を捕らえたという話も有名である。そんなことから、名主、重太郎に気に入られ、婿養子となる。その折、名前も鷹次郎と改名する。
鷹次郎の名を世に広めたのは、河波町から波迅市にかけての水路である。その技術を学ぶため、彼の元へ多くの人が訪れたという。晩年、江戸に赴き、玉川上水の技術指導にあたったとも言われている。その功績を讃え、藩主より時任の姓を名乗る事を許され、ここに時任家が始まる 。
続くページには、鷹次郎が書いたという伝聞録の書き写しがあった。
――この話は、穂積家の最期を伝えんとして、最後の城主、菊千代君について、近隣の村々に伝わる話を聞き集め纏めたものである――
序文に始まり、話は城の炎上から菊千代が抜け道を通って逃げ、大立ち回りの末逃げきった話などが、見てきたように書かれている。
それを拾い読みしていた、翔の表情が変わった。
――菊千代君は忍びの装束で平井家に忍び入り、二人の姉姫を助け出さんとす。北に囚われていた姫は救い出せたものの、もう一人の姫は救い出せぬまま館は延焼す――
(ちょい待て。これって、俺のことやないの?)
――菊千代君は剃髪し、僧侶を装い、遺髪と称して髪を自ら平井家に届け彼の人々を欺かんとす。平井家の当主はそれを信じ、そこに油断が生ずる――
読み進むに連れ、胸の鼓動が速くなっていく。ModeratoからAlleglettoを経てAllegroへ。目を見開き、一字も見落とすまいとする。試験問題でもこんなに真剣に読んだことはない。
――姉姫が大坂に行く前に昇竜寺に参られるとの噂有り。菊千代君は女人の風を装い境内に忍び入りぬ。警備の目をごまかし、姉姫らと共に雷山へと逃げこまん――
――しかし、追っ手に取り囲まれ、自害し果てようとした子らを哀れに思われた雷神は、龍に乗り、雷と共に連れ去りぬ。以来、雷の鳴る日に雷山に入ると、雷神の怒りに触れて神隠しに遭うと伝え聞く
(薫は何度も言ってた。俺と菊はよく似ているって)
平井家での立ち回りを見ていた誰かが、あれは菊千代だったと言い、それが噂になった? それを伝え聞いた鷹次郎が、こうして書き留めた?
真剣に考え込む様子に驚いたのだろう、渉が声をかけてきた。
「どうした? 大丈夫か」
「ああ、いや……。そいより、そっちの箱は何?」
「これか」
渉が蓋を開けると、出て来たのは一振りの懐剣だった。
「我が家の家宝だ。鷹次郎が携えていたらしい」
手渡された懐剣を見て、愕然とした。
その鞘には、金の花菱がきらめいていた。




