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花菱の夢  作者: 不動坊多喜


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48/50

花菱の夢(48)弐の夢 桃⑦

   弐の夢



 桃⑦


 次の瞬間、帯刀の体は崩れ落ちた。匂の右拳が正確に急所を突いている。更に、左手でおまけの一撃。首の付け根後ろに、手刀が決まる。

 あまりの早業に、翔は空いた口が塞がらなかった。

 匂が、振り返る。その表情は、付き物が取れたように清々しい。

「さあ、早く」

 手に手を取って、二人は堂々と部屋を出た。後には、だらし無く伸びた帯刀だけが残っていた。

 にこやかに出て来た美女二人を、見張りはボーと見送った。が、慌てて追ってきた。

「姫。どちらへ」

「厠じゃ」

 軽く言い放ち、庫裏のほうへ向かう。翔もそれに付き従う。

 長い渡り廊下の途中、膳を運ぶ女中とすれ違った。

「あっ……」

 娘の軽い叫びに振り返り、翔は縮み上がった。フジノだった。

 フジノは翔を見つめ、匂に目を移した。しかし、何事もなかったように、また、膳を運び出した。

『そんな格好までして……』

 フジノの、声無き声が追って来る。

(彼女は、しゃべるやろか)

 翔はぐっと掌を握り締めた。が、匂の不審そうな眼差しに気づき、首を振ると、また、歩きだした。

 しかし、今度は、見回りの足軽が前方に姿を見せた。

「どちらへ」

 咎められ、答えに窮したときだった。

「きゃ  っ」

 背後から響く悲鳴に、一同、声のほうを振り返った。

「向こうに怪しい人影が……」

 フジノが体を震わせながら、裏の竹やぶを指さしている。見張りが一斉にそちらに向かう。庭にいた雑兵も、翔のそばにいた足軽も、みな、駆け出した。

 一瞬、翔とフジノの目が合った。

 フジノはほんの少しうなずくと、すぐ、目をそらせた。

「THANKS」

 口の中でお礼を言うと、匂の手を取り走りだした。

 だから、フジノがその後ろ姿をじっと見送っていたのには、気づかなかった。


 もはや、一刻の猶予も無かった。

 庫裏の裏に隠していた刀を取り出すと、匂に聞いた。

「馬まで走れる?」

 その馬たちは、石段の下の桜並木につながれている。石段まで、直線距離にすれば百メートルくらいか。しかし、付き添いや警備の控室になっている、本堂の横を抜け、境内を突っ切らなくてはならない。

 匂がうなずく。

 翔もうなずきかえすと、二人は一斉に駆け出した。

「ああ! 匂姫が」

 境内の向こうから声がする。

「止まれ  」

 石段下から、門の向こうから、そして、本堂から、ばらばらと兵が駆けて来る。

「離れないで」

 叫ぶと同時に、刀を抜いた。と、その鞘を、匂が取った。

 匂の体が舞う。彼女を捕らえようとした男が倒れる。首筋に、鞘の跡をくっきりと残して。

   三条の舞  。

 匂のそれは、左京の動きより、更に優美だった。扇の代わりに鞘を持ち、裾も乱さず匂は舞う。そのたびに、男が倒れ伏す。

 翔は、思わず見とれていた。が、すぐ、自分の仕事を思い出した。見よう見真似で舞を舞う。

 今や、誰一人、二人の動きを遮れる者はいなかった。

石段は、全部で六十二段。それを三段飛ばしで駆け降り、最後の十段は一気に飛び降りる。そのまま馬を選ぶ。

「その栗毛が、帯刀様の馬です」

 石段の中ほどから、匂が叫ぶ。なるほど、名馬である。

 綱を解いていると、男が斬りかかってきた。すばやく小袖を脱ぎ、そいつの頭に被せた。追いついた匂が、照る照る坊主のように帯びで締め上げる。

 その間に翔は目的を遂げ、馬に飛び乗った。匂に手を差し伸べる。つないだ手に力が入り、二人は馬上の人となった。

 タイミングを見計らったように、石段の上から帯刀の声が降ってきた。

「追えー。逃がすなー」

 駆け出す二人に、矢の雨が注がれた。

「馬鹿者。姫に当たったらどうする」

 帯刀の慌てた叫びに、匂はふっと笑った。

 彼の甘さは、計算済み。だからこそ、馬の足が遅くなるのを承知で、翔の後ろに座った。これで、飛び道具は向けられまい。

 二人は、雷山を登って行った。

 どんよりと曇っていた空から、本格的に雨がこぼれてきた。

 翔には願っても無いことだったが、馬の足は目に見えて遅くなった。濡れた落ち葉で滑りそうになるのを、踏ん張って走らせる。

 しかし、追っ手は迫ってきた。もう、先頭の馬の鼻息が感じられるほどに。

 突然、背後で雪崩のような音がした。バザザザザッーという音に交じって、悲鳴と馬のいななきが聞こえる。

 振り返ると、右手の山肌から杉の木が数本倒れてきて、道をふさいでいた。

 大混乱と怒鳴り合いの合唱を聞きながら、三郎太に感謝する。

仕掛けは一箇所ではなかった。徒歩で斜面を上り始めた兵士の上には、大岩やら丸太やらが転がってきた。小石がバラバラ降ってくることもあった。そのたびに、二人は追っ手を引き離した。

目的地が見えてきた。檜の根元で、瑞穂が手を振る。

翔は手綱を引くと、馬を止めた。

「見つけたか」

「多分。こっち」

 馬を降り、瑞穂の後に続く。

右手の薮を掻き分けて進む。

 目的の崖にたどり着いたとき、追っ手もまた、薮に入り込んでいた。

 空を見る。

 一面に雲。

 雨の音に交じって、微かなうなり声が聞こえる。遠い空を、きらめく龍が走っている。

(さあ来い)

 左手で匂を抱き締める。匂は、不安な気持ちを隠したいのだろうか、その胸に顔を埋めた。瑞穂も不安なのか、翔の上着の肘の辺りを握り締めている。

 が、なかなかそれは近づいて来ない。追っ手とどちらが早いだろう。

 翔は苛ついた。

「追い詰めたぞー」

 叫び声とともに、追っ手の姿が薮の間にちらつく。

 いきなり刀を抜くと、翔は空に向かって叫んだ。

「とっとと来い」

 応えるように、龍が走ってきた。ものすごいショックが、体中を駆け巡る。それを振り切るように、宙を切る。

確かに、時空を切り裂く手ごたえを感じた。

しかし、同時に、体は後ろへ弾き飛ばされていた。弾みで、匂を抱く手が緩む。

 翔には、三人が別々に落ちて行くのが分かった。それでも、どうしようもなく、時の闇に吸い込まれていった。




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