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花菱の夢  作者: 不動坊多喜


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46/50

花菱の夢(46)弐の夢 桃⑤

   弐の夢



   桃⑤


 ある日の夕刻、昇竜寺の山門近くに、年若い坊主がうずくまっていた。旅の疲れが出たのか、何かの病気にかかったのか、腹を押さえて青い顔をしていた。

 丁度通りかかった小坊主が彼を見つけ、寺に連れ帰った。和尚も大変気の毒がり、

「体の具合がよくなるまで、ゆっくり滞在なさるがよい」

と、温かい言葉をかけた。

 そして、三日後。

「時丸さん。具合はいかがですか」

 いつものように、小坊主が朝餉を運んで来た。

 時丸と呼ばれた坊主は、布団のうえに体を起こすと、にっこり微笑んだ。笑うと、少女のように可愛らしい。小坊主はいつも思っていたが、口に出したことはなかった。目上の人に対して失礼だということぐらい、知っていた。

「はい、今日はもう立てると思います」

 時丸の返事に小坊主は、

「無理はなさらないでください。和尚様も、ゆっくり養生なさるようにと、おっしゃっておられましたから」

と、笑い返した。

 彼は、時丸と名乗るこの坊主が大変好きになっていた。寺の坊主は年寄りばかりで、話し相手にはならない。その点、時丸は、年が近いせいか、彼の話を非常に興味深げに聞いてくれる。それが、たまらなくうれしい。

「有り難いことで」

 時丸は布団の上に座り直し、両手を合わすと、深々と頭を下げた。

「時に、今朝は何やら表のほうが騒がしいようですが、どなたかお客でも」

「はい。実は、この辺りを治めておられる平井様が、もうすぐお参りに来られるのです」 時丸の目が一瞬鋭くなったが、小坊主は気づかない。

「そのように立派なお方が参られるとは、ここは、さぞ由緒ある寺なのでしょうね」

「はい。今より二五〇年も昔になりますが、当時この辺りの領主でした穂積春長様が建立なされたと聞いております」

「その穂積様とは、昨年、秀吉に……」

 時丸は、語尾を濁した。その意を察して、小坊主が言葉をつなぐ。

「真に、残念なことで。なにしろ、良いご領主様でしたから……。実は、今日見えられるのは、その穂積様の姫君なのです。この寺が戦乱を潜り抜けることができたのは、ひとえに、その姫君のお陰だったのです」

小坊主は、自分のことのように胸をそらせて自慢した。

当時の寺は一種の要塞だから、戦闘の際にはまず狙われる。現に、秀吉軍は、この近辺の寺はすべて焼き払っている。にもかかわらずここが残ったのは、姫がここだけは焼かないで欲しいと、穂積家の菩提寺だから残して欲しいと懇願してくれたからだと。もっとも、反乱をおこしそうな若い坊主はみな他へ連れ出され、お陰で年寄りばかりの寺になってしまったのだが。

「それは美しいと評判のお方で。けれど、もうすぐ大坂へ送られるのです。きっと秀吉の側室になるだろうって」

そこまで言って、さすがに今の言葉は恥ずかしかったのだろう。小坊主はペロッと舌を出すと唇をなめた。時丸は、笑って先を促がした。

「それで、大坂にたつ前に、是非、父上の菩提を弔いたいと申されたとか。行けば戻ってこられないのは分ってますからね。姫を預かっている平井様も嫌とは言えなかったのでしょう。可哀相ですよね……」

 時丸は、一つひとつうなずいて聞いている。小坊主は、聞かれぬことまでぺらぺら話し続ける。

 一行は、巳の刻(午前十時頃)に寺につくこと。一時間ばかり経を上げ、本堂で昼食を食べた後、館に戻られること。明日は大坂に向けて旅立たれること。姫君とご子息は、本堂ではなく、東よりにある書院で休憩されること。姫君は最近体調が悪く、寺に伝わる薬湯を所望していること、など。

 その言葉どおり、一行はほどなく寺に着いた。辺りは、物々しい警備と、忙しげに走り回る侍女たちの足音に包まれた。

 僧侶も寺で働く者も、皆、自分の仕事におわれ、離れで休む時丸を気にかける者など誰一人いなくなった。

 時丸は、その様子を物陰から伺うと、音を立てぬよう部屋に戻った。

 障子をきっちりと閉め、背負い行李の蓋を開ける。中から出て来たのは、黒い衣装  ポリエステルのジャージと、女物の小袖、そして、長い女髪の鬘だった。

(会って、確かめたい)

 平井家からの帰り道、他の者には内緒で三郎太に相談した。これは自分と匂の問題だ。薫と左京は、これ以上巻き込みたくない。第一、匂の願いは二人の幸せだ。彼らを巻き込めば、彼女はきっと拒絶するだろう。


そして、三郎太は、雷山に瑞穂といた。

匂のスケジュールを調べ、鬘や衣装など必要な物を用意し、この三日は仕掛け作りに専念していた。

「こんなもんでええんかなあ」

瑞穂の仕事を見て、三郎太はにっと笑った。

「上出来だ。あんたも忍びになれるぞ」

「こういうことは、翔の得意分野なんだけど……。あいつ、今頃うまくやってるんかなぁ」

瑞穂は、昇竜寺のほうを見て眉をしかめた。

「はは。心配なかろう。弟御は、若いながら大した奴だ」

「そうかなあ」

「まあ、姉上の目から見れば、まだ子供かもしれぬが」

三郎太は、瑞穂を翔の姉と信じていた。

「当日の警備は厳しいと忠告すれば、もっと前から侵入すると言う。どこへ逃げるかと問えば、絶対追って来られない所と言う。それで、あんたらがいたという別の時代とは、いったいどこにあるんだい」

「うーん」

瑞穂は答えに窮した。

翔は自信を持って「行く」と言った。が、かなり心配である。

「あいつは、先のことなんて全然考えへん奴やからなあ」

「確かに。大人でもなく、子供でもない。元服してもおかしくない年なのに、子供のままでどこまで乗り切るつもりなのか」

それには苦笑するしかなかった。

「ま、ちょっとは成長したみたいやけど」

 フジノの家を発つ数日前の会話を思い出す。

 今までに見たことのない真面目な表情で、翔は言った。

「本当に意地悪な人間って、自分を意地悪やって言うかな」

「そりゃ、言わんでしょ。自分が意地悪だって気づいてないから、意地悪なんじゃない」

「じゃあ、自分で意地悪だって言うのは、どんなとき」

「言い訳に使うときとか、相手にそう思わせたいときとか。でも、そういう人ほど、案外優しかったりしてね」

「ほな、瑞穂は本当は優しいんや」

「とーぜん」

「本当に優しい人は、自分を優しいとは言わんよね」

 その後、思いきり頭をどついたのだが、今思えば、あれは、匂のことだったのだ。彼女が本当に冷酷な女なのか、それとも演じていただけなのか、それを確かめたいのだろう。薫も、左京も抜きで。

「それより、こんなことしてたら、あなたの立場が悪なるんやないの」

 三郎太は平井家の協力者、秀吉に匂を届ける側の人間だ。

「借りがあるからなあ。先ず、それを返さねば」

三郎太は、笑いながら胸を押さえた。この程度の傷は忍びとしてはよくあること。借りというほどのものではない。単に、帯刀より翔が気に入っただけだ。

そして何より、別の時代とやらに本当に行けるのか、それを知りたかった。いや、行けることはもう知っている。菊千代と鬼介は、そこに行ったに違いない。どうやって行くのか、それが知りたい。

(こんな面白いものを見ずにいられるか)

丸太を荒縄で締め上げながら、三郎太は、口元に笑みを浮かべていた。





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