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花菱の夢  作者: 不動坊多喜


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43/50

花菱の夢(43)弐の夢 桃②

   弐の夢



   桃②


「しかし、父上」

坊主が帰ったあと、帯刀は兵馬に向かって唇をとがらせた。決闘でも挑むような口調だった。

「匂殿は影姫。薫こそが真の娘ではないのですか」

「しっ。そんなこと、今更どうでも良かろう」

兵馬はトーンを落とすと、ささやくように言った。

「薫には逃げられた。しかも、このざま」

東は全焼、南は半焼。西と北には木が多く、炎はそこでストップした。何とか燃え落ちるのを免れたものの、見回す庭はまだまだ焦げ跡が残り、あの日の惨状をとどめていた。

「高岡左京め」

歯ぎしりする息子をなだめるように、父は言った。

「忍び込んだのは、彼ではない。たった今、確かめたではないか」

「首も見ずにな」

帯刀は、ぷいと横を向いた。

「それでは、匂殿が嘘を申したと?」

帯刀は、苦々しそうに舌打ちした。そこには、この間の一件を何としても左京のせいにしたい様子が滲み出ていた。

 何しろ、この髷だ。しかも、あれ以来、町衆は帯刀のことを「威張りん坊のばば様」と呼んでいるらしいのだ。

「威張り」は「いばり」、小便のことで、「ばば」は大便のこと。

家来たちも陰で笑っているのが分かっているだけに、悔しくて食事ものどを通らない。飲食を取ると厠に行かねばならず、その度に恥ずかしさがこみ上げて嗚咽した。

「忍び込んだ男は小柄で少年のようだったというが、彼の配下に似たものはいない。ひょっとすると、三河あたりの忍びかもしれぬ」

「助けに来た男は、左京のような長身だった」

「白馬だったがな」

 左京の馬は漆黒の荒馬。有名な話だ。

「しかも二人は、誰一人殺していない。あの左京が、手向かいするものを殺さずにおいたことがあるか。あれは、やはり別人だ。今の我等には、追っ手を差し向ける余裕はない。けれど、姫が大坂に行ってしまえば、彼らも諦めよう」

「では、やはり匂殿を差し出すと……」

「お前が惚れているのは分っておる。しかし、これ以上引き伸ばすことはできぬ」

大坂からは矢のような催促があった。光源氏と異名をとりながら、浮いた噂のなかった高岡左京。その心を捉えて放さない美貌の許婚。秀吉が会いたがるのも無理はなかった。

それを、匂の体の具合が悪いと半年、本物の姫を探しているからとまた半年、あわせて一年近くも引き伸ばしてきたのだ。もし、今、匂まで連れ去られでもしたら……。秀吉がどうでるか、考えるだけでも恐ろしかった。

「左京と菊千代は共に倒れた。匂姫は、真実、穂積の姫だった。影姫などはいなかった」

分ったなと言い聞かせるような兵馬の言に、帯刀は諦めたようにため息をついた。


部屋に戻った匂は、込み上げる笑いを抑えるのに必死だった。

(あの、頭)

青々とした剃りたての頭はいかにも寒そうで、思い出すだけで笑いが込み上げてくる。

それにも増して面白かったのは、ぼんくら親子が今の話を信じきったことだった。

匂は、もう一度二本の懐剣を眺めた。文机の上に並べられたそれは、間違いなく殿から賜ったもの。ただし、匂と、左京が。

(菊千代君の花菱は、金。知っているのは私たちくらい)

菊千代を死んだものとし、その追っ手を断ち切るための策だ。

(これで、話は決まったのも同然)

大坂は、京に、母の里に近い。秀吉を殺した後は、京見物でもすれば気も紛れよう。

匂はまた微笑んだ。が、頬を伝う熱いものを抑えることはできなかった。


平井家を出た坊主は、しばらく町中で托鉢をした。目についた家で経を唱え、施しを貰う。ほのぼのと幼い顔つきだが、目だけは油断なく光っていた。追っ手や尾行がないことを確かめると、ようやく東の山へ続く道を登りはじめた。てくてくと、朝下りて来た道を戻る。夕方には、オヨネばあさんの家の屋根が見えていた。

「翔」

薫が駆けて来た。

「どうだった、首尾は?」

翔は、坊主姿のままVサインをしてみせた。

「ばっちし。アカデミー主演男優賞ってとこかな」

「垢で見い? 何だ、それは」

「はは。話は中でな」

 そう言って納屋の入り口を開けた。中から瑞穂の声がする。

「ああ、翔。上手くいったみたいやね。ちょっと待って、今、包帯替えてるから」

 それを、太い、がっしりとした声が止めた。

「いや、こちらへ。早く聞かせて欲しい」

二人は納屋へ入ると、入り口をぴったり閉じた。

 興味津々、左京の顔が、ろうそくの明かりに揺れていた。少しやつれたとはいえ、その眼光は以前に増して研ぎ澄まされている。

翔は、平井家での様子を逐一話して聞かせた。

「これで大丈夫でしょうか」

薫はまだ不安そうだったが、左京は「おそらく」と笑った。おかっぱ頭の左京は、五歳は若返って見えた。

 今回の作戦を考えたのは、実は左京ではなく翔だった。

「昔から、悪知恵だけは働くのよね」

 瑞穂の言葉に、薫は真面目にうなずいた。

 坊主の格好は、三郎太の提案だ。幸い、祖父に仕込まれ、幾種類もの経を諳んじていた。

「ったく、菊のためやと思て我慢したけど、何とも情けない、この頭」

瑞穂は、声を立てて笑った。

「似合ってるやん。マルコメ君みたいで。ぼさぼさのホウキ頭よりずっとええよ」

「ふん。人事やと思て」

遺髪は、薫の思い付きだった。

「そういえば、翔と菊千代君は、髪だけじゃなく、顔の造りも似ていましたね」

「へえ、どんなところが?」

 菊千代を知らない瑞穂は、興味津々だ。

「色白で、目が大きくて……」

「要するに、女顔ね」

「そう。それです、女顔。それに、気が弱い」

毒舌のダブルパワーに、翔は降参するしかなかった。

 瑞穂が、ふと思い出したように周りを見回す。

「三郎太は? 一緒じゃなかったの」

「うん、途中までね。また、旅に出たんやないかなあ」

 薫が心配そうにつぶやいた。

「傷も治りきってないのに……」

 そんな薫を見ると、自然に笑みがこぼれてきた。

 何しろ、三郎太は左京殺しの未遂犯だ。薫にとって、憎くて当然。その相手を心配している。もっとも、三郎太の薬や医学知識のおかげで左京が助かったのも事実だが……。

 きっと、薫は誰でも許せるのだろう。そして、それが薫の強さなのかもしれない。




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