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花菱の夢  作者: 不動坊多喜


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42/50

花菱の夢(42)弐の夢 桃①

   弐の夢


   桃①


半焼した館の庭に、桃の花が咲いた。若木の南半分は黒くただれ、見ていて痛々しいほどだ。しかし、焼け残った北側は緑の枝を伸ばし、その先に薄桃色の花を幾つも咲かせた。風に震える花びらはいかにも頼りなく、そのくせしっかりと枝に張り付いていた。

文机に肘をつき、匂は格子の入った小窓からそれを見ていた。

「中途半端なこと」

それは、自分のことだった。

あの夜から、もう十日。捕まったという話は聞かぬから、上手く逃げたのだろう。早く遠くへ、追っ手の届かぬところへ、私の思いの届かぬところへ逃げて欲しい。

そして、私はどうする?

痴れたこと。殿の最後の命を全うするだけ。そう、大坂に行き、秀吉の首をへし折る。

私の中には、あの女の血がどっぷり流れている。人を殺めることを生業としてきた、三条の血が。誰かの命を奪うなど、容易いこと。なぜ、決心がつかぬ?

あの方のせいだ。

あの夜、あの方が見せた強さは、何だったのだ?

私の知っているあの方は、無防備で、人を疑う気持ちなど露ほども持っていなかった。心優しく、他人を傷つけることを何より恐れていた。そんな人は初めてで、心惹かれた。

けれど、あの夜のあの方は、別人のようだった。いや、あれが、真の姿かもしれない。左京をも恐れさせた。

匂は、体をぶるっと震わせた。

(決めねばならぬ)

こんなに怖いと思ったのは、初めてだった。

 翔に会うまでは、命が惜しいなど思ったことはなかった。殊に、それが義直の命ならば。

(されど……)

 額にそっと触れる。癒えたはずの傷がまだ残っているような錯覚を覚える。

 あの夜、生まれて初めて義直に逆らった。翔の命乞いをし、投げつけられた盃を避けもせず受けたときも、怖くはなかった。

 それなのに、燃える館で三郎太と剣を交えたとき、自分の殺意に脅えてしまった。

(殺すことも殺されることも拒むあの方は、きっと、皆に愛されて育ったのでしょう。私とは違って……)

 一緒に行きたかった。愛が欲しかった。けれど、幾人も殺めてきた自分が翔に相応しいとは思えなかった。

 乾ききった心は、もはや涙さえ流さない。

 ひときわ強い風が吹き、花びらが一枚舞う。それを目で追う。

そのとき、パタパタとせわしない足音が近づいてきた。

「姫様」

「騒々しい。何事ですか」

匂は鬱陶しそうに、振り向きもせず答えた。

「帯刀殿が、すぐ参るようにと」

「今日は気分が優れぬ」

「されど……」

「くどい」

「されど、弟君が……」

匂は、はっと体を起こした。

「菊千代が見つかったのか」

「いえ、そうではありませぬ。消息を知る者が尋ねてまいったのです」

「消息を知る者?」

「はい、それで、急ぎ来るようにと」

「分りました。今、仕度をします」

数分後、匂は兵馬、帯刀親子の待つ部屋へと入っていった。正面の庭には、一人の坊主が平伏して待っていた。

 帯刀と少し距離を置いて立ち止まり、座する前に彼の後ろ頭をチラッと見下ろす。槍で真ん中を断ち切られた髷はいかにも貧相で、いつ見ても可笑しい。頬の傷跡は、男ぶりをさらに下げたものになり、逆にあの日の翔を思い出させて胸がうずいた。

しかし、そんな思いは一切、面に出さない。

匂が腰を下ろすなり、兵馬が慌しく口を開いた。

「おお、匂殿。これをごらん下され」

泡でも吹きそうなその口調に、この男の愚鈍さが見て取れた。それを心であざ笑いながら、差し出された短刀を受け取った。

「これは!」

 鞘に光る銀の花菱を見て、匂はうめくように言った。

「これは、正しく菊千代の……」

 横からのぞき込む帯刀にそれを手渡し、匂は懐に手を入れた。その手が出て来たときは、それと全く同じな  形も、大きさも、銀の花菱も、寸分違わぬ懐剣を握っていた。

「父が、私たち姉弟に下さったものです。姉弟の印と……」

 兵馬は受け取ると、二本の懐剣を見比べた。鞘を抜き取り、銘を調べる。

「共に、紀州實継の作。見事な造りじゃ」

 ほーと息をついたあと、兵馬は短刀を鞘に納めた。

「その者、菊千代は、今どこにおるのじゃ」

坊主は、はーと頭を地面にこすりつけた。

「あの世に」

「あの世?」

匂が、甲高い声を上げた。

「面を上げい。すべてを述べよ。ただし、真実をな」

坊主は、顔を上げた。

匂は、自分の頬がほんのわずか熱くなるのを感じた。が、すぐ、それを抑えた。

「私の寺は、中辺路から伊勢の方へ抜ける山中にございます。周りは険しい山ばかりで、道らしい道もなく、旅人もめったに通りませぬ。

あれは、昨年の夏でございました。

夜半過ぎ、狼がずいぶん咆えたので、明くる朝、和尚と二人で様子を見に行きましたところ、林の中に血まみれの男が一人、倒れておられたのです。体中を狼に食いちぎられ、それは無残な死に様でございました。

供養しようと遺骸を持ち上げましたところ、下に子供が隠されていたのです。おそらくは、命がけでお守りしたのでしょう。

子供の方はまだ息がありましたので、慌てて連れ帰り手当てを致しましたところ、二日目には意識を取り戻されました。そうして、ご自分の名と、いきさつを話してくださったのです」

経緯(いきさつ)?」

「はい。戦で親を亡くし、親類の者を頼っていく途中だったと。連れの男は兄上で、その方が怪我をなされていたため、血の匂いに惹かれて狼がきたのだと」

「親類の者とな。行き先は聞いたか」

「はい。三河へ行く途中だと申されました」

「三河。徳川か」

「さあ、そこまでは存じませぬが」

平井親子は、顔を見合わせてうなずいた。

穂積家は徳川家と親しかった。援助を求めて向かうだろうと予測し、警戒していた。主要な街道はいうまでもなく、細い山道も調べさせたが、山狩りまではしなかった。何と言っても熊野三千六百峰、調べ尽くせる筈もない。二人は、獣道を掻き分けて紀伊山地を抜けようとしたのだろう。

「しばらくは具合もよろしくて、このまま回復なさると安心した矢先、様態が急変したのです。獣の噛み傷ですから、何かよくない病を持っていたのでしょう。薬も効かず、手当ての甲斐もなく……」

坊主はそこで涙ぐみ、黒衣の袖でそれをぬぐった。

「亡くなる前にその短刀を出し、これを姉上に届けて欲しいと。花菱の紋を見て初めて、穂積の若君様であったと気づいた次第で。戦火も収まって、やっと姫様の行方も分り、ようやくここまでたどり着いたのです」

坊主はまた涙を拭くと、チーンと鼻をかんだ。それから、

「これが遺髪でございます」

と、今度は白い半紙の包みを取り出した。

匂が開くと、中には薄茶色の細い髪の束が入っていた。

「ああ、間違いない。菊千代の髪です。あの子は小さい頃から髪が細く、色も薄くて。母はそれを気にし、せっせと海藻を食べさせていたものでした」

袖で涙を拭う匂に遠慮するように、坊主がひかえめな声を上げた。

「それから、これが付き従っていた男の遺髪と衣の一部です」

それは丁寧に畳まれてはいたものの、薄汚れ、染みだらけの布だった。

しかし匂は、見たとたん顔色を変え、引っ手繰るようにその布を取り上げた。はずみで、間に挟んであった髷が一つ、ぽたんと床に落ちた。黒く、豊かな髪だった。

「左京殿……」

匂は髷を拾い上げると、代わりに布を取り落とした。

それを、帯刀が拾い上げた。横から父が覗き込む。

蘇芳紫の布は、どす黒く血が固まっていた。開いてみると真ん中に、元は白抜きであったのだろう、今は血染めの揚羽蝶が羽を広げていた。

「確かに、高岡家の紋……」

二人は顔を見合わせた。細い目が見開かれ、ゴクッと唾を飲む音が聞こえそうだった。

布は、縁こそはさみで切り揃えてあったものの、所々、獣の歯型があった。

匂は二人の遺髪を胸に抱きしめると、わっと泣き伏した。




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