表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
花菱の夢  作者: 不動坊多喜


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

41/50

花菱の夢(41)弐の夢 沈丁花④

   弐の夢



   沈丁花④


「天竜  」

 声高に左京が呼ぶ。天竜が駆けて来る。

 その声に、翔はやっと我に返った。

 左京は、重い体を引きずりながらも馬に乗ろうとしている。動くたびに、傷口から血が溢れ出す。しかし、彼はかまわない。

「俺が行く」

 翔は駆け寄ると、左京を圧し止め、天竜に飛び乗った。

 一人で乗れるかどうかは、この際問題ではない。

 やるっきゃない。それだけだ。

 翔は、手綱を引き絞った。

「瑞穂。左京さん頼んだでェ」

 引き絞った手綱を緩め、踵で馬の腹を蹴る。天竜が走りだす。

(薫、待ってろ。絶対助けたる)

 おそらく、今の男は平井家の手の者。話を聞かれたということは、薫の正体がばれたということ。平井氏は、秀吉に本物の薫を差し出すだろう。その後どうなるかは分からない。秀吉の気分次第だ。

 薫には、思うように生きてほしい。あの、笑顔そのままで……。

 それは、翔の願い。そして、義直の願い。恐らく、左京も、匂も。みんなが、それだけのために行動した。今ここで、薫を奪われることは、みんなの願いを失うことになる。

(そんなこと、絶対させへん)


 薫を肩に担ぎ、三郎太は白龍を駆けさせた。あまりの首尾のよさに、思わず笑みがこぼれてくる。

 残念ながら急所は外れたが、あの傷では馬には乗れまい。天竜は荒馬。左京以外は乗りこなせない。それは、自分で確かめた。よしんば、あの少年が自力で追いかけてきたとしても(彼の走りっぷりをすれば、追いつかれる可能性はないともいえない)、腕前は知っている。自分の敵ではない。

 薫を差し出せば、帯刀は小躍りして喜ぶだろう。褒美も望むだけ出してくれるに違いない。その金を持って大坂に行き、秀吉に匂の話をしてやろう。女好きの秀吉は、すぐ、匂も差し出すよう命じるだろう。そのとき、あの帯刀はどんな顔をするだろう。思うだけで面白い。秀吉は美女二人を手に入れ、俺の懐は、また豊かになる。

 何時の間にか、声を上げて笑っていた。

 その顔が、一瞬のうちに真面目になった。

(馬の足音? まさか)

 が、天竜は白竜に追いついていた。


 天竜は、賢い馬だった。ただの荒馬ではなく、主人を選ぶ馬だった。彼には成すべきことが分かっていた。それは、白竜を追うこと。乗り手の腕は主人よりはるかに劣るが、今はえり好みしている場合ではない。振り落とさぬよう気をつけながら急がねば……。と、まあ、天竜の気持ちを代弁すれば、こんなところだろう。

 その白竜は、すぐ見えた。

乗り手云々はさておき、馬だけなら、実は白竜の方が足は速かった。しかし、二人の人間を乗せた馬と一人しか乗っていない馬とでは、後者の方が有利なのは明らかである。それに、白竜は疲れていた。平井家から逃げ出すときにも、二人の人間を乗せて全力で駆けたのだから。

「止まれ」

 翔は、声を張り上げた。もちろん、そんなことで止まるとは思っていない。が、馬を走らせながら刀を抜けるほどの腕前ではない。三郎太も、左肩に薫をかつぎ、右手で手綱を操っていたから、刀を抜くのは無理だった。

 どうやって馬を止めようか、考えがまとまる前に天竜が白竜に体当たりした。

白竜は、いななき、よろけ、足を踏み外した。

道の両側には、麦が青々とした穂を風になびかせている。二人を乗せたまま、白竜はそこに倒れ込んだ。三郎太は薫を放り出し、空中で一回転すると、麦の波に体を潜めた。が、翔は見逃さない。三郎太目がけて天竜から飛び降りた。

 昇り始めた太陽に、二筋の閃光がきらめく。二本の刀が発する金属音が、朝の空気を震わせる。

 三郎太の太刀をがっしと受け止め、睨み合う。すごい力に押し戻され、退いたところに三郎太が斬り込んでくる。素早い太刀さばきに、翔はただ退くしかなかった。

(退いたら、負けや)

 瑞穂は、いつも翔に言っていた。大事なときに勝てないのは逃げているからだと。力はあるのに、逃げてどうすると。

 怖かった。人を傷つけるのが怖かった。自分の中のもう一人の自分が暴れだすのが怖かった。それならば、負けておく方が楽だった。ヘラヘラと笑ってごまかしておけば、周りも笑って見逃してくれる。

 しかし今、逃げるわけには行かない。守らなくてはいけないものがある。どうしても勝たなくてはならない。

 左京でさえ、自分の内なる血が怖かったと言っていた。自分がそう思っても当然だ。

だけど、今は怖がるな。凶暴な自分を解放しろ。

そして、その時が来た。

 三郎太の刃が、鼻先できらめく。麦の細い葉が、更に細く、二つに裂かれて舞う。千もの刃が踊るような錯覚を感じたとき、恐怖と共に、内なる自分が目覚めた。

 反撃が始まる。

 千の刃には、万の刃を。万の刃には、億の刃を。もっと速く、もっと鋭く。

 三郎太に焦りが生まれた。前に雷山で交えたときより、数段、腕が上がっている。有利だったのは最初だけ。今は押されるばかりだ。

 なぎ倒す麦の穂が、空中に舞飛ぶ。それが三郎太の視界を遮った瞬間、翔の太刀がきまった。肋骨の折れる手ごたえがあった。しかし、打つ手を緩めず、次は膝を打ち据える。ふらついたところを、さらに小手。

三郎太が刀を落とし、横腹を押さえてうずくまった。

止めの一発、と振り上げた腕の隙間から、立ち上がる薫が見えた。よろめきながら、右手で頭を押さえている。

それを見て、正気が戻った。

「薫、気ィついたか」

「ああ、翔。私は……。そうだ、左京は!」

「きっと、まだ生きてる。そうや、医者を呼ぼう」

「医者?」

「手当してくれる人や。いるんやろ、薬を作る人ぐらい」

「分かった。探してくる」

 白竜に走り寄ろうとしたその背を、強い声が圧し止めた。

「行くな。捕まるぞ」

 薫は振り返り、三郎太を睨みつけた。三郎太は、少し意地悪い口調で続けた。

「分かっているのか。今、村中でお前を探しているのだぞ」

「うるさい」

 叫ぶなり、薫はすらっと刀を抜いた。

「やめろ」

 思わず間に立ちふさがる。

「そこをどけ。こ奴を刀の錆にしてくれよう」

 しかし、翔は広げた両手を閉じなかった。

「左京さんが言うてたやないか。舞は人を殺す技。だから教えなかったって。俺も薫に人殺しはさせたくない」

 薫は、震えた。

 しばらくの間三郎太を睨みつけていたが、いきなり刀を収めると白龍に飛び乗った。馬は、村ではなく、神社に向かって走っていった。

 見送る翔に、再び三郎太が口を開く。

「なぜ、止めた」

「薫に人殺しはさせたくない」

「それでは、お前が殺すのか」

「殺さない」

 狂気のままなら、殺していたかもしれない。しかし、戻ってしまった。もう、無理だ。

「わしは、神社で聞いたことを話すぞ。皆があの娘を捕まえに来るぞ」

「でも、今、村に行こうとする薫を止めたよね。何で?」

 三郎太は、にやっと笑った。彼にしてみれば、他人に手柄を横取りされたくなかっただけだ。

「それで、わしをどうする」

 胸を押さえたままうずくまり、上目づかいに翔の様子を窺う。その肩に、翔が手を回してきた。

「一緒に連れてく」

「ほう、わしに情けをかけるのか。もし、お前の首を掻き切ったらどうする」

「何となくやけど、しないと思う。する人は言う前にするやろ」

 翔は、あっさり答えた。

三郎太は、珍しい生き物でも見るように、まじまじとその顔を見つめた。


 神社に戻ると、左京は手水鉢の前にいた。瑞穂は、自分のTシャツを引き裂いて包帯を作り、傷口を縛り上げていた。傍らで、薫が泣きじゃくっている。

「左京さん、自分で玉を取り出したの」

瑞穂の顔は、まるで撃たれたのが自分であるかのように蒼白だった。

翔も、足元に転がる鉛玉とそれを沈めるほどの血溜まりに、血の気が引くのを感じた。

 翔の気配に反応して、左京が力なく顔を持ち上げた。唇も真っ白で、死相が漂っていた。

「じっとして」

 瑞穂が声を荒げる。しかし、左京は言うことを聞かない。

「翔殿」

 喘ぎながら、翔に手を伸ばす。

「薫を……、薫を頼む」

 翔は、自分の顔色が、左京に負けぬくらい白くなるのを感じた。

「アホ言うな。薫は、左京さんでなきゃ」

 左京は、口の端で力なく微笑んだ。そして、ゆっくりと目を閉じた。翔は、その体を揺さぶろうとした。瑞穂がそれを押しとどめる。

「俺は嫌やからな。こんなじゃじゃ馬……。おい、聞いたんのかぁ。聞いたんのなら目ェ開けェよ」

 翔の怒鳴り声だけが、朝の境内にこだました。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ