表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
花菱の夢  作者: 不動坊多喜


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

40/50

花菱の夢(40)弐の夢 沈丁花③

   弐の夢



   沈丁花③


「母と私は追っ手を避けながら、穂積家に向かいました。


義直殿とは、父の存命中に幾度か会ったことがありました。会う度に、私を抱き上げ、「大きくなったら私の元へ来るが良い。取り立ててやろう」と頭を撫でてくれたものでした。


 城下にたどり着いくと、義直殿が外出するのを待ち伏せし、母に教えられた通り殿を呼び止め、口上を述べました。

「私は高岡右馬が一子、蘇芳丸です。松陰城を追われ逃げる途中、母とはぐれ、死にかけていたところをあの百姓に助けられました。母は京へ向かうと申しておりましたが、私は、義直殿のお言葉を思い出し、ここまであの者に案内してもらいました。お約束を覚えておいででしたら、どうか、お助けください」

 義直殿は、すぐ私を認めてくださいました。松陰城の一件はもちろんご存じで、それでも私を館に連れ帰ってくれました。

「そこの者もついて来るがよい。礼に何か遣わそう」

 その時は母と気づかず、声をかけたそうです。


 その夜、私は殿の寝所に一人呼ばれました。

「お前の母は、恐ろしい女だ。私もすっかり騙されてしまった。礼を渡そうと近寄って、初めて気づいた。その血を引くお前も、なかなかの役者よ」

 思わず身構えた私を見て、殿は声を立てて笑いました。

「心配するな。松陰城には、薫衣は京に向かったとだけ伝えてある。母殿は無事だ。金山にある鍛冶屋の離れに隠れ住むよう手配した。刀鍛冶なら、お前も出入りしやすかろう。熱りが冷めたら会いに行くがよい」

 こうして、私は義直殿の元で暮らすことになったのです。


 子供のいない桂殿は、私を我が子としてかわいがってくださいました。

 けれど、桂殿の優しさに触れるたび、櫂殿を思い出しました。母がしたことを考えれば、自分に向けられる怒りは当然のもの。けれど、荒れた海がいつかは凪ぐように、彼女の怒りが波の彼方に流れさる日が来るようにと、祈らずにはいられませんでした。


 半年は待ったでしょう。

初めて鍛冶屋まで会いに行った日、駆け寄る私を母は抱きしめ、すぐ突き放しました。

「舞を教えてやろう」

そこからは、鬼でした。同じように舞えないと、木刀で容赦なく打ち据えられました。泣くことも、やめることも許されず、体中アザだらけになって……」


「完全に舞えるようになるまで、一年はかかりました。それでも短い方だと母は褒めてくれましたが……。あれは人を殺すための技。だから、薫には教えたくなかったのです」

左京はため息をつき、薫はすまなそうに下を向いた。


「匂が生まれたとき、庭の梅は満開でした。その花が散って間もなくのことです。

 私が實継の仕事場にいたとき、悲鳴が聞こえたのです。駆けつけ、息を吞みました。

母が剣を手に、三人の男を相手に舞っていました。傍らには、既に二人の男が倒れていて、しかし、産後間もない母は疲れていたのでしょう。私の目の前で……、斬られました。その血を見た瞬間、私の中で、何かが弾けたのです。

気づいた時、男は皆、血だまりに沈み、私の袴には血痕が飛び散っていました。

 母に駆け寄ると、胸の傷から血が溢れていて、それなのに、母は笑ったのです。

「なかなか美しかった。しかし、返り血を浴びるのは未熟な証拠」

 褒められたのは初めてで、うれしい反面、母が恐ろしかった。同じ血が自分にも流れ、それが私を突き動かした、それが怖かった。

 母はそのまま床に就き、ある朝帰らぬ人となりました。雨に打たれた沈丁花の花が匂っていたのを覚えています」



 左京は、弄んでいた花をポイッと遠くへ投げた。まるで、忌まわしい過去を放り去ろうとするように……。

「そして、橘の咲く頃、薫が生まれた。二人をすり替えようと思ったのは、おそらく織田信長を恐れのこと。信長は、敵に対して情け容赦のない男。血筋を守るために薫を私に託し、何があっても守るように命じたのです。

一方、桂殿は、ご気性の激しいお方でした。ご自分の気持ちを抑えきれず、殿の目を盗んでは匂につらい仕打ちをしていたようです。

菊千代君をお産みになられてからは、味方を得た気になられたのでしょう。殿の不在を狙って匂を呼び出し、自分の憎しみをぶつけた。そして、匂を井戸に突き落とそうとして足を滑らせたのです」

「じゃあ、匂殿が突き落としたというのは」

「それは嘘です。けれど、助けを求める桂殿を見殺しにしたのはあの子です」

「どうして」

「そんな嘘を、と? おそらくは、あなた方に自分のことを諦めさせるためでしょう」

「逃げたくはなかった、と」

「あの子は、穂積匂でありたいのです」

 それから、薫の瞳を見つめた。

「匂が生きていると分かっても動かない私を、薄情と思われたことでしょう。

私とて、本当は助けに行きたかった。行かなかったのは、私が行ったところであの子が動かないのが分かっていたから。あの子はあなた以上の強情っ張り。一度決めたことは、誰が何と言おうと貫く。言って聞くなら、事を行う前にやめていたでしょう……」

 左京の言葉を、薫は一つ一つうなずいて聞いている。彼女の中で一時燃え上がった匂への憎しみが解けていくのが見えるようだった。

 空はもう白々として、鳥の声も聞こえ始めた。

翔は、やっと、自分も薫も闇夜から抜け出せた気がした。

「だから、あなたが気に病むようなことなど、一つもないのですよ」

 左京は、隣に座る薫を見つめた。その眼差しには、海よりも深い愛情が溢れている。

「良いのか。私でも……。花散る里の私でも」

 瞳を潤ませた薫に、左京は微笑んだ。

「あなたは、花散る里ではありませんよ」

 薫の手を取り、その掌を、自分の両手でいとおしむように包み込む。

「けれど、紫の上でもない。藤壷の宮でもなければ明石の御方でもない。もちろん、末摘花では決してない」

 左京は、一つ一つ確かめるように、源氏の恋人の名前を上げていく。

「あなたは、あなただ。私の一番大切な人。穂積薫。それ以外の何者でもない。

あなたが生まれたとき、殿はおっしゃられた。薫は私に下さると、好きなように育てるがよいと。だから私は、私の望むようにあなたを育てた。空のように朗かで、海のようにおおらかな人に」

 薫の頬を、ツーと真珠が一粒伝い落ちた。それを指で受け止め、左京は付け足すように笑った。

「そして、私も光源氏ではない。約束しますよ。あなた以外の女性には目もくれないと」

 翔と瑞穂は顔を見合わせると、そっとその場を離れた。瑞穂は、赤く火照った頬を冷やすように両手で押さえている。翔もまねをして頬に手を当てた。冷えた手のひらが気持ち良かった。

 幸せな静寂を打ち破ったのは、天竜のいななきだった。

四人はびくっと声のした方を振り返った。

薫をその場に止め、左京が数歩踏み出した。

瞬間、バーンという音が朝の空気を引き裂いた。

 後ろにのけ反った左京の右肩から血が噴き出す。左手で傷を押さえ、がっくりと膝をつく。蘇芳紫の小袖が、みるみる真紅に染まっていく。

 それらは一瞬の出来事だった。が、コマ送りのビデオを見ているようにゆっくりと、音もなく、翔の目に焼き付いた。

「左京  う!」

 駆け寄ろうとする薫の前に白竜が飛び出した。

忍者風の衣をまとった男が、手綱を取っている。そいつは、避ける間も与えず、手にした鉄砲で薫を殴りつけた。声も上げずに崩れ落ちる薫を片手で受け止め、馬上に引きずり上げると走り去った。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ