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花菱の夢  作者: 不動坊多喜


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花菱の夢(4)壱の夢 橘③

   壱の夢



   橘③


二頭の馬の後を翔はついて行った。馬上から、薫が話しかけてくる。

「そういえば、まだ名を聞いていなかったな」

気さくな少年らしく、にこにこと話し掛けられて、翔も気軽に返事をした。

「俺ですか。時任翔です」

「ときとうかける? 妙な名じゃ。もっとも、その衣装ほども変ではないが」

 薫は、よほど翔の服装が気になるらしいが、それも当然だろう。

「それが噂に聞く忍びの衣装か。なるほど、動きやすそうにできている」

 感心したように、一人うなずいている。

「まあ、そんなもんかな」

 否定するのもめんどうで、翔は適当に話をあわせた。

 薫もかまわず言葉を続ける。

「私の名は、薫。橘薫だ」

翔は思わず吹き出した。

ここ河波は、ミカンの名産地。中学校の校歌は、「たちばなかおる」で始まっている。

薫は、少しむっとしたように言った。

「私の名前がおかしいか」

「いや、あなたのお名前じゃなくて、ちょっと、その、虫かな? 鼻をくすぐって……」

翔は手を振って、目の前の何かを追い払うような仕草をした。

どうも少年とは初対面という気がせず、つい、口調が軽くなってしまう。

 にぎやかな薫に対して、左京は、静かに、観察するような目を向けてくる。その眼差しは、館に誘ったのも何か考えがあってのことと思わせた。

「で、どこから参った」

 薫が再び翔に問いかけた。

 しかし、答えられる訳がない。

 辛うじて覚えているのは、雨の中を走っていたこと。雷のせいで崖下に落ちたこと。

 しかし、あれほどびしょ濡れになったのに、服も靴も乾いている。雨は本当に降ったのか。それとも、これは夢?

ひょっとしたらタイムスリップしたのだろうか、という思いはあった。が、疑う気持ちも強かった。それに、そんなことを言って信じてもらえるかどうか、大いに疑わしい。

「あ、えっと……、それが、そのよく分かんなくて、というか、覚えてないんです。頭でも打ったんかなあ……。ボーッとして……」

答えながら、なぜ自分が少年に対して親近感を持つのか、その理由を思い出した。

「あの……、薫さんとやら」

「なんだ」

「俺は一人で倒れてたんですか」

「ああ、一人だったが、連れでもいたのか」

「う、ん……」

かなりためらったが、決心すると顔を上げた。

「薫さんと同じ顔をした女の人を見ませんでしたか」

馬上の二人が、驚いたように顔を見合わせた。

薫は、明らかに戸惑っていた。言葉を探すように、口をもごもごさせている。何か知っているのか。それとも、初対面の相手に変なことを聞かれて、驚いただけだろうか。

 代わりに左京が口を開いた。

「その方がどうかしましたか」

表情は全く変わらないが、たんたんとした口調の裏に、背筋が冷やりとする物が潜んでいるのを感じる。

「いえ、別に」

妙な敵対心や警戒心をもたれた気がする。話を変えよう。

「それより、さっき秀吉って言うたけど、まさか豊臣秀吉のことやないよね」

「豊臣? そんな奴は知らぬ。我らが敵は、羽柴秀吉じゃ。百姓上がりの分際で、我らが主君、穂積義直殿に牙をむきよる。甲斐の武田は信長に敗れたが、義直殿はその信長さえ退けた。秀吉ごときに負けはせぬ」

 薫の瞳は強い意志で満ちている。翔はその気丈さに感心した。

(にしても、羽柴ってことは、やっぱり、豊臣秀吉?)

 秀吉が羽柴姓を名乗ったのは一五七〇年頃? 豊臣姓を賜ったのは天下統一を果たし大阪城を建てた後だから、一五八五年だったっけ? ということは、今はその間? もちろん、今が本当に戦国時代だとすれば、の話だが……。

 そして、季節は  翔は回りの山々を見回した。白い雲のような山桜が、緑の中に点在している。盛りを過ぎた花が、時折吹く風に吹雪を巻き起こす。季節は春。四月上旬といったところか。どうりで、少し肌寒い。

 三人は、雷山から西に向かって流れる堀川に沿って歩いていた。その前方に集落が見えてきた。

 ふと、翔は今来た道を振り返って息を呑んだ。

 雷山の手前、鴉山(からすやま)の頂上に城があった。その天守閣が、河波の町を見張るように、堂々とそびえたっている。

 立ちすくむ翔に、薫が誇らしげに告げた。

「あれが我らが主君、穂積義直殿の城、高穂城だ」

「高穂城! あれが……」

 翔は、昨日の五、六限の授業を思い出そうとした。


それは、平成十四年の学校週五日制に伴い導入された、総合的な学習の時間だった。

 河波町は、日本のチベットとか近畿のオマケとか言われる和歌山県のド真ん中にある。はっきり言って田舎だが、ド田舎ではないと翔は信じている。和歌山にはもっとすごい田舎がゴロゴロあるからだ。

 翔の通う河波中学校は、全校生徒九十五名、つまり、一学年三〇余名の小規模校だ。その特性を活かし地域との交流を深めようという名目で、郷土学習が取り入れられた。地域の人々に講師になってもらい、伝統芸能や民芸細工などを教えてもらう。あるいは、そこから興味の持ったことをグループ、もしくは個人で調べていく。そんな授業だ。

 昨日は特別講師として地域の歴史研究家を招待し、鎌倉末期から紀南一帯を治めていた穂積一族についての講演を聴いたのだ。

 一族の祖は甲斐より流れて来た武田四郎忠春で、熊野街道沿いに出没した盗賊を退治し、その恩賞として中辺路に領土を与えられた。そこを基点として、その後三百年、十三代の間に北へ北へと領土を広げ、ついには紀州の三分の一を治める豪族となった。河波に本拠地を移したのは九代穂積義行だが、鴉山に高穂城を、雷山に昇竜寺を建てたのは、それより更に百五〇年も前の三代穂積春長だという。穂積義直はその最後の主で、秀吉の紀州侵攻の際、妻の兄、田原広茂の裏切りにあい、三月二十二日、高穂城と共に燃え落ちた。

 外は雨で窓も開けられず、サウナと化した教室でこんな話を聞くのは拷問に近かった。ただでさえ授業に身を入れたことのない翔がここまで覚えているのは、瑞穂のせいだった。

 彼女の母親の実家は、一族の末裔が隠れ住んだと伝えられる、穂隠(ほがくしの)(さと)という山間部の小さな集落にある。真面目で何にでも前向きな彼女は、自分のルーツを自主的に調べているという、正に総合的な学習の申し子だった。講演があると聞きつけるや否や、内容を聞き漏らすことなく、しっかりメモをとってくるよう、翔にお願い(脅し?)したのだった。

講演に先立って、「ご先祖様を調べよう」という宿題が出されたのは六月初め、締め切りは先週の月曜だった。

 そのときは、翔も一応自分のルーツを父に尋ねた。

「うちのご先祖様は、あの、時任鷹次郎だよ」

 時任鷹次郎とは、江戸時代初期、この地方の潅漑に尽くした人で、彼の作った水路は今も農業用水として役立っている。瑞穂の住む波迅(なみはや)市などは、その水路のおかげで栄えた街だと言っても過言ではなかった。そのため、波迅川の取水口には、その功績を讃えた石碑がある。

 父の話に、翔は、江戸時代から続く庄屋の家系なんて、ルーツもはっきりしてて面白くも何ともない、と思ったものだった。

 そして、宿題のことは失念し、締め切りが過ぎてしまった。先生のお情けで一週間の猶予を頂いたものの、何を書けば良いのやら分からないまま、また締め切りをすぎてしまった。母に知られぬようこっそり父に相談すると、昇竜寺には鷹次郎に関する古文書があるはずだと教えてくれた。このときばかりは父に感謝したものだったが  。


 目の前の城は、そんな未来の話なんかどこ吹く風といった様子で空を指している。

 認めたくはなかったが、認めざるを得なくなった。自分がタイムスリップしたということを……。


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