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花菱の夢  作者: 不動坊多喜


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38/50

花菱の夢(38)弐の夢 沈丁花①

   弐の夢



   沈丁花①


翔は泣いていた。

血まみれの自分が怖かった。

ガラスの破片が体中に刺さって痛かった。

瑞穂の怒鳴り声がつらかった。

あれは、ターザンの真似をして教室のガラスを蹴破ってしまった五年生のとき。

もう二度と危ない真似はしません。

その約束を、何度破ったことだろう。

そして、こうなった。


戦闘の収まった屋根の上で、話し声が近づいてきた。

「まさか、屋敷内で発砲なさるとはなぁ。帯刀様も無茶をなさる。いくら鉄砲の名手とはいえ、味方に当たったらどうなさるおつもりだったのか」

「全く。だが、あの方にしてみれば当然の仕打ちだろう」

「ああ。何しろこいつ、あの姫君をさらおうとしていたのだろう」

 男はククッと含み笑いをして、翔の足を蹴飛ばした。瞬間、その両足が、カニ挟みで男を引っ繰り返した。男はそのまま、ごろんごろんと丸太のように転がった。

「うひゃー」

 もう一人は尻餅をついたが、一瞬の後に屋根から蹴り落とされていた。

 周りにいた兵たちは、何が起こったか分からなかった。弾は、確かに胸を撃ち抜いたはずだ。しかし、目の前の少年は、ゆっくりと体を起こしている。

 気を取り直した一人が、「うおー」と奇声を上げながら首筋に斬り突けてきた。その切っ先が襟元を切り裂く。翔は寸前でかわしたが、弾みで再び後ろに倒れてしまった。

 敵に向けた足の裏に、男の突きが入る。

もし、翔が彼らと同じく草履きだったら、それまでだったろう。事実、足の裏は、左京の教えてくれた「隙」の一つである。

しかし、スニーカーの分厚い靴底は、切っ先をがっちりとくい止めた。

斬り突けたほうが意外な手ごたえに驚き、刀を引き抜いた弾みで引っ繰り返ってしまった。その間に翔は体勢を立て直し、逆に相手の首筋を一撃した。男はグウッと意識を失った。

 今度は、二人の男が、槍を向けてきた。一人目の穂先をくぐり、その足を払う。倒れた男を飛び越え振り向きざまに二本目の槍を払う。

 そのとき、二度目の銃声が響いた。

 弾筋は正確だった。

だからこそ、読めた。

キンと音を立てて弾き返す。流れのまま、二人目の横面を打ち付け、屋根から蹴り落とす。男は必至で槍を突き立て、それに捕まりぶら下がった。その手を踏みつけ、男を落とすと槍を手にした。さらにもう一本。倒れていた一人目を蹴り落し、その槍も奪う。それを、銃弾が来た方目掛けて投げつけた。間髪おかずにもう一投。

驚いたのは帯刀だ。真っすぐ自分に向かってくる槍を避けようと、頭をさげた。その髷を貫いたまま、槍は後ろの土塀に突き刺さった。衝撃で顔が上を向き、うげっと息が詰まりそうになる。顔を元に戻そうと顎を引きかけた、その狭い視界に二本目の穂先が飛び込んできた。

「ひ、ひぇっぷ」

間一髪。わずかに傾げた頬をかすめ、穂先は耳元に突き刺さった。

次の瞬間、帯刀の袴に染みができた。染みはあっという間に広がり、袴から垂れた糞尿が足元に肥だまりを作った。

「帯刀様」

 駆け付けた兵は、強烈な臭いに顔をしかめ、鼻をつまんだ。

 帯刀は、白目をむいて気を失っていた。

その時にはもう、翔は走り去っていた。

翔は、完全に自分を失っていた。目の前には、常に新たな敵がいる。そして、前に立つものは誰であれ、情け容赦なくたたき伏せる。もし刃がつぶされていなかったら、何人殺してしまっただろう。いや、首が折れて死んだ者もいたかもしれない。殺さぬまでも、骨の折れる手ごたえがあった。内臓が破裂した者もいただろう。屋根から落ちた者はどうなったのか。けれど、気にする暇はなかった。

今の翔を突き動かしていたのは、ひたすら、死への恐怖だった。死にたくない。生きていたい。その思いが彼を走らせていた。誰もそれを止められなかった。

遮る者のいない瓦屋根を、翔は飛ぶように走った。

「追い詰めろ。左に回れ」

 追っ手の声が響く。屋根は、すぐそこで途切れている。が、離れが見えた。一段低く見えるその屋根まで、約七m。軽々と飛び越す。

果敢にも、追っ手の一人が後に続いたが、その初速度は重力に負け、万有引力の法則を証明した。

 そのまま屋根を駆け抜け、終わりは地面に飛び降りる。それを、馬のいななきが迎える。馬小屋だ。丸木を組んで作った扉を開ける。中に飛び込むと、片端から馬の尻をいて小屋から追い出す。驚いた馬は、群れとなって走りだした。

 翔は最後の一頭に飛び乗ると、群れに紛れて飛び出した。鞍も手綱もついていない裸馬にしがみつくようにして腹を蹴る。馬たちは、狂った濁流となり、屋敷内に氾濫した。あちこちで悲鳴が上がる。止めようとした者は皆、流れに飲み込まれ、蹴散らされた。

 馬の背に身を伏せ、辺りを窺いながら走る。前方に見える松が、手を差し伸べるように枝を広げている。身体を起こすと、振り落とされないよう、膝でぐっと馬の腹を締め付ける。両手を延ばしてその枝を掴む。馬の背を蹴り、脚を掛けて枝によじ登る。馬は、翔にはおかまいなく走り去った。

 枝づたいに塀に近づくと、飛び移る。地面まで目測五メートル。それを、ためらうことなく跳んだ。衝撃が、足の裏から脳天を直撃する。しかし、足を止めもせず、また走る。とにかく、屋敷から離れることが先決だ。が、前には家が立ちふさがり、道は石垣に沿って伸びている。

「外へ逃げたぞー」

 屋敷内の声に、間近で答える声がした。

「こっちだー」

 ガシャガシャと、具足の擦れる音を立てて、多くの足音が迫ってくる。反対の方向へ踵を返した翔の前に、別の一団が現れた。

足を止め、どちらが手薄か確かめようと耳をそばだてた。

 そのとき、夜目にも目立つ白馬が一頭駆けて来た。乗り手は、しかし、薫ではなかった。翔と同じように頭巾を被って顔を隠している。

 馬上の人物はスラッと刀を抜くと、あっというまに一団を蹴散らした。手向かう者も、ただの一太刀で倒れていく。

 馬が翔の側にきた。馬上から無言で手が差し出される。迷う事なくその手を取った。

 後から来た追っ手が見たものは、馬の立てた砂ぼこりと、地面にうめく男たちの姿だけだった。


 翔は、前に座る人物の背にしがみついていた。

 馬が駆ける、そのリズムが気持ちを落ち着ける。野獣のように凶暴な自分が、少しずつ消えていく。しばらく走って、やっと言葉が出てきた。

「左京さん、来てくれたんや」

 左京は、振り向きもせず笑った。

「おや、分かりましたか」

「あったりまえやん。そやけど、今日は斬らんかったね」

 追っ手の誰一人として血を流さなかったのを、翔は見落とさなかった。

「ああ。翔の前で人を殺してはならぬと、薫から懇願された」

 左京は、いかにも愉快そうに笑った。

 頬が、かっと熱くなる。それを抑え込むように、広い背中に顔を埋めた。その背は、以前より一層逞しく感じられた。そこにいれば何の危険もない、そんな安心感を与えてくれる。

「それにしても、炎を上げる館の上を飛び回る姿は、まるで鬼神のようでしたよ」

 左京は本気で感心していた。よくもあれだけの敵に囲まれて無事逃げ果せたものだと。

「匂さんに、助けられたから……」

 そのつぶやきは風に溶け、左京までは届かなかった。

『もう一度、あなた様のお命を守ってくれますように』

 そう言ってかけてくれた守り袋が、鉛の玉を受けてくれた。

 斬りつけられた首筋が、ちくちく痛む。指先で、傷の大きさを確かめる。心配ない、かすり傷だ。

けれど、紐は千切れてしまった。袋はどこかで落としてしまった。まるで、役目を終えたのを知るように、去っていった。

 今頃、彼女はどうしているだろう。火事の中、無事に逃げられたのだろうか。彼女の命は、誰が守ってくれるのだろう……。




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