花菱の夢(31)弐の夢 藤⑥
弐の夢
藤⑥
三郎太には、どうしても分からないことが三つあった。
一つは、菊千代、鬼介の行方だ。
あのとき、鬼介の後を追いかけていた者の話よると、落雷はまともに鬼介を襲ったらしい。あまりの眩しさに目を開けていられず、開いたときには、鬼介と菊千代と、彼を守っていた少年の三人が消えていたという。三人もの人間が、ほんの一瞬で煙のように消え失せることなどあるのだろうか。しかも、それきり行方知れず。
二つ目は、舞。
燃えさかる館から無理やり連れ出した姫は、確かに左京と同じ剣さばきだった。どちらも一度しか見ていていないが間違いない。そして、あれはおそらく「三条の舞」。これも一度だけだが、京にいたとき見たことがある。そのとき同行していた者は、皆殺された。舞を見て生きているものはないと言われているので、自分は運が良かった。
(あのときも、俺は戦わなかったなあ。最初から隠れて見ていただけだった。いつ見つかるか冷や冷やしたが、本当に運が良かった。死んでいった奴らは、きっと俺を卑怯者と罵るだろう)
が、三郎太は自分のそんなところを恥じてもいなかった。生き残ったものの勝ちだ。そう信じていた。
しかし、何故、こんな田舎に舞うものがいる。あれは、三条家の秘儀のはず。見たものは殺されるし、たとえ俺のように生き残ったとしても、一度見たぐらいではまねできるものではない。
匂姫に教えたのは、左京だろう。では、左京は誰に教わった?
最後は、匂姫。
左京と姫は、人知れず前夜に逃げだした。あの二人なら、三河まで逃げおおせただろう。それなのに、なぜ一人で戻って来たのか。
(あの小僧にそんな価値があるのか?)
いや、匂姫を追いかけて二人も戻って来た。
二人……。
ふいっと、巷の噂が記憶の海から浮いてきた。
『左京の小姓は、義直と目許が同じ』だ。
巷の噂は馬鹿にできない。何しろ、城の抜け道は本当だった。
「これは、ひょっとすると……」
自分達は、義直のたくらみにまんまと引っかかっているのではないか。
それを立証する方法は一つ。
「橘薫を捕らえるか」
匂姫を餌にして、食いついてくるだろうか。やってみる価値はありそうだった。
そうして、巷に噂をまいた。
『匂姫は義直の娘ではない。本物は別にいる』
それから、平井家には耳打ちする。
『薫が義直の本当の娘だ』
これで薫が釣れたら大手柄だ。
瑞穂は、館の主の前に引っ立てられた。
父親と、その息子だろう。少々小太りの父親は汗っかきなのか、それとも極度に緊張しているのか、冬だというのに手ぬぐいで額をぬぐった。息子の方は精悍な体躯をしているが、顔はどこかアンバランスな造りだった。一つひとつの部品は丁寧にこしらえたが、それに飽きていいかげんに組み立てた子供の工作みたいだ。
二人はしげしげと瑞穂を見つめた。
「そうか、やはり女だったか」
息子の言葉には、押さえきれない喜びが溢れていた。
「穂積匂は真の娘にあらず。身代わりの影姫じゃと」
父親の口元に、皮肉な笑いが浮かんだ。
「で、そちが誠の娘というわけか。どうなのじゃ。橘薫。いや、穂積薫よ」
瑞穂は、泣きながら首を振った。
「私は、橘でも穂積でもない。瑞穂よ。留岡瑞穂よ」
「嘘を申すな」
「嘘やない。人違いよ」
「何を申すか。義直と同じ目じゃ」
「そうそう。その目が何よりの証拠」
二人は、瑞穂が何を言っても取り合ってくれなかった。そうでなければ困るというように、決め付けた。
そのとき、衣擦れの音も優雅に、紅梅のような少女が入ってきた。少女は、真っ直ぐに瑞穂を見つめた。しげしげと、鑑定士が検分するように見つめ尽くすと、少女は男達に向き直った。
「確かに、この者は薫です」
「違う」
そう叫ぶ瑞穂に向けられた少女の目は、憎しみに燃えていた。
「それで、穂積の誠の姫はこの娘、ですな」
ねっとりとした優しい声で、父親が聞く。
「それは違います」
即座に、匂が答えた。
「確かに、目許など父上によく似ております。されど、この子はそれを良いことに、父上に取り入ったのです。男の形をして私を騙し、左京殿をたぶらかしたのです」
「違う。私やない」
「何を今更。それより、左京殿はどちらにおられるのじゃ」
「知らない、そんな人」
「嘘を申すな」
きっぱりと言いわたされ、一瞬たじろいだ。追い打ちをかけるように、少女は瑞穂を責め立てる。
「正直に左京殿の居場所を申すがよい。されば父上を裏切ったことも、下賎な者ゆえ仕方なきこととして許してやろう」
「知らない、知らない。私やない」
狂ったように瑞穂は否定した。しかし、少女の瞳は、融けることを知らない氷のようだった。
二人のやり取りを見ていた主が、厳かに言った。
「牢に放り込め。ただし、丁重にな」
瑞穂をここまで引っ張ってきた雑兵が、再び、彼女をひきずり起こした。
「お願い。助けて」
振り返って見た少女の目は、やはり氷のままだった。




