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花菱の夢  作者: 不動坊多喜


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26/50

花菱の夢(26)弐の夢 藤①

   弐の夢



   藤①


「おい、大丈夫か」

 体を揺すられ、翔は目を開けた。知った顔が目に映る。

「ああ……、瑞穂……」

 心の中で声がする。

(前にもあったぞ、このシチュエーション)

 応えるように大きな声がして、横っ腹を蹴飛ばされた。

「何を寝ぼけておる。起きろ」

 痛みが、翔を夢から引き戻した。慌てて跳び起きる。頭はボーッとしていたが、相手が誰かは確認できた。

「薫……」

「そうだ、私だ」

(つうことは、俺はまだ戦国時代にいるってわけ?)

 恐る恐る周囲を見回す。見覚えのあるこの場所は、薫と初めて出会った崖下の小道。

「それにしても、よほどここで寝るのが好きなのだな。それとも、またあそこから落ちたとでもいうのか」

 薫は崖の上をちろっと見やった。

そう言われても、返す言葉が見つからない。

(そうだよなぁ。そんなうまい話があるはずないよな……。我ながら、アホやなあ)

 翔はあの時、あの場所にはタイムトンネルがある、そう思ったのだ。目にも見えず、普段は閉じている。けれど、雷の日に開く、そんなトンネルが。それが、神隠しの伝説を生んだと……。

(今度目覚めるときは、きっと未来やと信じてたのになあ)

 ため息をつき、自嘲気味に笑う。目に映る景色は虚ろで色がない。

 そんな翔に戸惑ったのか、薫がためらいがちに声をかけてきた。

「それで、菊千代君はどうされたのだ。一緒ではなかったのか」

「いや、一緒のはず……」

慌てて辺りを見回すが、彼の姿は見えない。

「私が来たときは、お前一人だったぞ」

「ほな、どっかへ行ったんかなあ……?」

 自信無さげな答えに、薫は、

「それなら、待ってみるか」

と、草の上に腰を下ろした。

 翔も並んで座った。肌寒い風に震えながら、ひざ頭を抱え込む。

静かだった。

日だまりの中にこうしていると、あの戦闘が夢の中の出来事のように思われた。

 杭につながれた白い馬が、前の畑で草を食んでいる。

「あれは、白竜かい」

「ああ」

「ふうん、よう会えたなあ」

「翔とはぐれてすぐだった。白竜に会ったのは。まるで私たちの来るのを知っていたように、天竜と並んで走って来たのだ」

 天竜というのは、左京の馬だ。大変気の荒い黒馬で、彼以外の人は乗りこなせないと聞いている。馬が手に入ったので、二人は楽に逃げられたのだという。

「たぶん殿が……、父上が、私たちのために城外に放してくれたのだろう」

薫は、ためらいながらも「殿」を「父上」と言い直した。それは、本当にこの言葉を口にしてもよいのかどうか、自分に確認しているようだった。

「で、左京さんは?」

「無事だ。東の山中に隠れ住んでいる。私も今朝までそこにいた。もっと早くに探しに来たかったのだが、追っ手が厳しくて動きが取れなかったのだ」

 最後のほうは言い訳するような口調だった。

「もっと早くって、これ以上早く来れるんかい」

 笑いながら返すと、薫は膨れっ面になった。

「嫌みな奴だ。言っておくがな、私たちは三日待ったのだぞ。それでも来ないから、左京殿が諦めろと……」

「三日?」

 思わず話を遮った。

「ああ、左京殿は一日待って来なければ先に行くと言ったが、私が言い張ったものだから三日付き合ってくれたのだ。しかし、追手が迫って、――まあ、左京殿がすべて切り捨ててくれたのだが――、それ以上は無理だった。三河に行く道も塞がれて、仕方なく、山に籠っていたのだ。もちろん、私は二人が無事でいると信じていたぞ」

 何か話がおかしい。

「それで、今までどこにいたのだ。まさか、捕まっていたのか?」

 返事ができない。しかし、薫はかまわずしゃべり続ける。

「もう十月(とつき)以上もお会いしていないが、菊千代君は大きくなられたであろうか」

「ちょ、ちょい待てよ。十月以上って?」

 翔の叫びに、薫は目をパチパチさせた。

「だから、翔と別れてから、もうすぐ十一カ月になるって……」

「は、はぁ?」

 大声と共に、周囲を見つめ直す。この辺りは楠や椿のような常緑樹が多い。その中にぽつぽつと生える落葉樹を探した。桜に欅に榎に……。それらは皆、裸だった。ということは、今は冬。寒くて当たり前!

「ってことは、十一カ月だけ時間を飛び越えた、っつーわけ?」

 じゃあ、菊は……?

「待っても来ない、かもしれない」

 胸が締め付けられるように苦しい。

「えっ?」

 薫が振り返る。大きな瞳を、一層見開いて。

「ごめん。俺……、守り切れんかった……」

 翔は、両手をついて頭を垂れた。唇を痛いほど噛み締める。熱いものが頬を伝うが、止めようがない。

「いったいどうしたというのだ。わけを話してくれ」

 薫は翔の顔をのぞき込むようにして、両の手を取った。促されて、ぽつりぽつりといきさつを話す。

「つまり、菊千代君は、一人でどこか別の未来に行ってしまったかもしれない、ということか」

 ため息まじりの言葉に、黙ってうなずく。

「まあ、翔のせいでもなかろう。それこそ、運命というものの仕業だ。それに、捕らえられたという噂も聞かぬから、無事なことだけは確かだ」

 薫は翔の肩を叩いた。しかし、気分が晴れるはずもない。

「ほら、元気を出せ。なあに、菊千代君はお小さいとはいえ、穂積家の御嫡男。確かに少々泣き虫ではあられたが、その程度でへこたれるほど弱くはなかろう」

 そう言って、にっこりと微笑んだ。薫の笑顔はいつでも明るい。いつもなら元気づけられるその笑顔が、今日はなぜか苦しかった。

薫は拾い児として、しかも男として育てられた。父、義直の策略だ。真実が分ったのは、城が落ちる直前。父は城と共に燃え、弟はどこへいったか分らない。

その気持ちを察したように、薫は翔の肩を叩いた。

「気にするな。人はもともと一人で生まれ、一人で死んでいくものだ」

翔は、ぶるっと体を震わせた。寒いせいではない。

(しゃんとせな。俺の方が慰められて、どうすんや)

「それより、匂殿のことだが……」

 その名前に、一瞬、心が固まる。顔を上げると、真剣な表情が目に映る。

「実は、生きていることが分かった」

「ホンマかよ」

 思わず身を乗り出す。

「ああ。館に火を放ち自害しようとしたところを、秀吉方の忍びに助けられたらしい。今は広野の平井氏のもとに捕らえられていると聞く」

 広野という町は、河波平野の北端を東西に走る、鷹尾山脈を越えたところにある。そして、薫はそこへ向かう途中だという。

「左京殿はだめだと言う。もし、私が本物の娘だと知れたらどうすると。だが……」

 薫はぐっと息を呑み、拳を握り締めた。痛いほど、彼女の気持ちが伝わってくる。匂は、薫の身代わりになって捕まったのだ。

「分かった。一緒に行こう」

 一転して、薫の表情が輝いた。

「本当か、ありがたい。ここに来れば会える気がしたのだが、遠回りしたかいがあった」

 翔の手を取ると、握り締めた。

向こうでは、白竜が蹄を鳴らして待っている。

薫は翔を引っ張るように、馬に向かって走りだした。




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