花菱の夢(25)壱の夢 山桜⑦
壱の夢
山桜⑦
立ちすくむ二人に、狂ったように刀を振り回して鬼介が突っ込んできた。素早く鞘を払いガチッと受けとめる。ピーンと鋭い音がして、鬼介の刀が折れ飛んだ。
翔も菊千代も、一瞬ほっとした。その隙を突くように、鬼介は菊千代に躍りかかった。後ろから左腕を回し首を締め上げると、右手で菊千代の刀を抜いた。
「刀を捨てろ」
鬼介がわめく。捨てたところで、二人とも斬り刻まれるのは目に見えている。かといって、斬りかかったら、菊は殺されるだろう。
立ちすくむ、その背後で小さなうなりが響く。初めは、耳鳴りかと思った。が、微かな響きは、僅かに大きくなった。ゴロロロロ……、と。
(雷? こんな季節に……)
はっと気づいて崖下を見る。そこに、薫と出会った畑が見えた。
つまり、ここは、俺の落ちた崖? では、あの雷は?
地響きのようなうなりに、胸が騒ぐ。
そのとき、再び雷丸が飛び込んできた。鬼介が一瞬ひるんだ隙に、菊千代の右手が懐に伸びた。キラッと手元が光り、悲鳴が上がった。鬼介を突き飛ばし、菊千代が転がり込んでくる。その右手には、花菱模様の懐剣が握られていた。
菊千代を後ろにかばい、崖を背にして立つ。菊千代の肩に鷹が舞い降り、それに導かれるように雷鳴が近づいて来る。
(もしかしたら……)
だめでもともと。賭ける価値はある。
刀を鞘に収め、右手で菊千代の左手を握る。
「ええか。合図したら飛び降りいや」
「ここを……?」
握った手を通して、菊千代の動揺が伝わってくる。
「ああ。もうすぐ雷が落ちる。そしたら未来への扉が開く。そこに飛び込む」
「未来……」
「そう。太平の世だ」
翔が刀をしまうのを見て、鬼介が詰め寄って来た。
「何の相談か知らないが、心配せずとも二人まとめてあの世に送ってやるぜ」
言うなり、腕を振り上げた。
「これで終わりだ」
そのとたん、目の前が輝き、男の刀に真っすぐと、雷が触手を伸ばした。空間が裂けるのが見えた気がした。
「飛べ!」
翔が叫び、二人は宙に身を躍らせた。
「太平の世へ」
菊千代の声が聞こえる。
(そう。未来へ。瑞穂が待ってる所へ……)
薄れていく意識の中で、握った手がほどけるのを感じた。
そして、意識がぶっ飛んだ。
三郎太はこの地に赴いてから、何度か館に忍び込んだ。
南方副将軍などと威張ってはいても、しょせん田舎侍。簡単に入り込めるだろうと侮っていた。ところが、義直の住まう奥に侵入しようとすると、いつも、左京、匂姫のどちらかに気づかれた。天井裏であろうと床下であろうと、いきなり槍の穂先が突き出てくる。しかも、しつこいくらい繰り返し。
そこで、侵入は諦め、庭の楠の上から様子を伺うことにした。
動きがあったのは、小僧が来た日からだ。
夜毎に、匂姫が義直の寝所に通うようになった。しかも、人が近づかないよう、周囲を左京が警戒している。
最初は、父娘で交わっているのかと驚いたが、それにしては時間が短い。何か会話をしているだけのようだ。
(ならば、ただの会話ではあるまい)
と言っても、声の聞こえるところまで近づくことは出来ない。
(ならば、この隙に)と、普段は二人がいて近づけない西の一角を探ってみた。
そこで、薫がななこ遊びをしているのを見た。
「十でとうとう桂様」
その歌を聞いたとき、巷の噂と繋がった。
城を造るとき、天然の洞窟が見つかった。
殿様は、罪人を働かせて洞窟を利用した抜け道を造った。
出来上がった時罪人は殺され、穴の奥に捨てられた。
罪人たちは亡霊となり、殿様を取り殺した。
そのため、抜け穴はどこにあるか、今は誰も知らない。
あとは、鬼介がうまくやってくれることを願うだけだ。
そして、今日、堀川沿いの道を見下ろす木の上で、三郎太は移動する人々を一日中観察していた。
城に向かうものもいれば、川沿いの道を遡って山に入る人もいる。昼前には、義直が菊千代を連れて行き過ぎた。しかし、
(変だ。左京がいない。それに、匂姫も)
左京がいないから、当然薫もいない。あの小僧の姿も見えない。
はっと気づき、歯ぎしりをする。
(してやられた)
昨夜のうちに姫を逃がしたに違いない。
夜通し見張っていたにもかかわらず、気づかなかった。
(あの二人なら、それくらいやってのけるだろう)
ところが、その匂姫が戻って来た。そして、小僧を助け出した。
(何かが、義直の思惑とずれ始めている)
匂と翔が別れた時、迷わず匂の後をつけた。
初めて見る槍に圧倒され、瑞穂は抵抗する間もなく捕らえられた。
「やめてー。放してー」
もがく体が地面に押さえつけられる。一瞬、その手が緩んだ。すかさず振り切り、横に転がり、仰向けになると勢いをつけて跳ね起きる。が、立ち上がったとたん、後ろから別の手が伸びてきて羽交い絞めにされた。
「おい、こいつ、女だ」
さっき、瑞穂を押さえつけていた男が言った。
「何だと。橘薫は男だろう」
「しかし、女だ」
「どれ」
三人目の手が伸びてきて、ギューっと胸がつかまれた。
「何するんよ。このスケベー」
思いきり、男の股間を蹴り上げる。
「あたたた……」
男は槍を手放すと、股間を両手で押さえうずくまった。
振り上げた足を下ろすついでに、かかとで後ろの男を踏みつけ、ついでに弁慶の泣き所に蹴りを入れる。ひるんだところに肘鉄を食らわせ、腕を振り切ると、槍を拾い、竹刀のように構えた。
「確かに女だ。しかも、恐ろしく凶暴な」
どうしますというように、男は指揮官を見上げた。馬上の男は、唇を震わせた。
「つまり、あの噂は本当だったのだな」
「噂?」
下っ端は、顔を見合わせ首を振っている。が、指揮官は一人うなずくと、声を張り上げた。
「その女を引っくくれ。殺すな。逃がすな。捕まえろ」
三人が一斉に打ちかかって来た。一本目の槍をはじき返し、二本目の男に胴を決める。槍を取られた男は刀で向かってきたが、そいつの頭に一発くらわす。
しかし、いつものように動けない。
(柄が長すぎる)
だけではない。当たり前のことだが、槍には穂先がついている。突けば、刺さる。本気で戦えば、殺してしまうかもしれない。それが怖くて、攻められない。
突然、ぐわんと側頭部に痛みを感じた。目の奥で火花が飛び、体は横に吹っ飛ぶ。
「全く。女一人に何を手間取っておる」
馬上の男の声だ。どうやら、そいつの槍でぶん殴られたようだ。
ふらつきながらも起き上がろうとしたが、男たちに押さえつけられ、再び地に伏した。後ろ手に縛り上げられる。
「ほら、立て」
引きずり起された体に、縄がかけられる。
「さっきは、よくもやってくれたな」
股間を蹴られた男が、両手を左右に大きく開く。縄が食い込み、血流が止まるほどの痛みを感じた。
「やめて。お願い。大人しくするから」
懇願は、聞き入れられなかった。
「あれだけ暴れておいて、今更何を言うか」
「さすが、あの高岡左京の小姓なだけはあるな」
下っ端の言葉に、馬上の男はひょひょひょと、気持ちの悪い笑い声を立てた。
「丁重に扱うのだぞ。大切な切り札だからな」
ねっとりとうれしそうなつぶやきに、体中の毛が逆立つのを感じた。
「とにかく、兵馬様がお喜びになりましょう」
それから、瑞穂に笑顔を向けた。喜びが満ち溢れている。逆に、瑞穂は恐怖がこみ上げてきた。
「少し遠いですが、歩いてもらいましょうか。薫姫」
自分が薫という人とそっくりで、そのため、とんでもない事に巻き込まれてしまった。
今の瑞穂に分るのは、それだけだった。




