花菱の夢(21)壱の夢 山桜③
壱の夢
山桜③
「えっ」
薫も翔も菊千代も、目と口をぽかっと空けて固まった。左京だけが、表情を変えずに視線をそらせた。
「娘……、娘……、私が、殿の、……娘?」
うわごとのように、薫が繰り返す。
「気づかなかったのか」
手のひらが、優しく薫の前髪を掻き揚げた。大きく開かれた瞳は、義直と同じ色をしている。太い眉もはっきりした顔立ちも、こうして並べてみれば、気づかなかったのがおかしいほどにそっくりだった。
「では、匂殿は……」
「匂は、拾い児だ。こんな日がきたときのために、取り替えて育てていたのだ」
影武者ならぬ、影姫!
「このことを知っているものは、ごく少数だ。どこかから漏れぬとも限らぬからな。しかし、今日から穂積薫に戻り、私を父と呼ぶがよい。そして、生きよ。穂積の血を伝えるのだ。穂積の娘である証は、左京に渡してある」
左京が、懐から短剣を取り出した。その鞘に光る、金の花菱。
薫は、戸惑いながらもそれを受け取った。
「しかし、殿。逃げろとおっしゃられても、もう、敵が城を囲んで……」
「道はある」
義直が断言し、翔の口から言葉が漏れた。
「金山の坑道……」
とたんに、義直の目の色が変わった。射すくめるように翔をにらむ。
「どこでそのことを」
「あ、だから、その、学校で……」
「学校?」
その目は、知っていることはすべて吐けと言っていた。鬼刑事の尋問を受け、カツ丼もなしに、翔は白状した。
「城の井戸から通じていたようだって。もっとも、江戸初期の大地震で崩れて埋まったって」
「また、予言か」
「そやから、予言やなくて、史実やって。まあ、はっきりしたことは分らんから、伝説って言う方がええんやけど」
「で、その伝説では、我等一族は滅びるわけだ」
面白くないという顔で、義直は吐き捨てた。
「そやけど、子供は龍が助けたって」
「龍?」
翔はうなずいた。
「敵に囲まれた二人の姫と一人の若君を、哀れに思った龍が連れ去ったって」
「二人の姫と一人の若君……」
義直は何か考えるように腕を組み、黙り込んだ。そして、不意に笑った。
「面白い。その伝説とやら、気に入った」
義直は奥の間に入ると、一振りの刀を携えて出てきた。
「これをやろう。實継からの餞別だ」
ひょいと投げられ、慌てて受け止める。飾り気のない黒塗りの鞘が、ずっしりと手に沈む。
「昨夜、實継から預かった。お前の刀だ」
「俺の?」
「抜いてみよ」
言われるままに抜いた刀は、確かに、先日薫と一緒に見たものだった。が、刃がなかった。正しく言うと、潰されていた。
「お前用に、特別に拵えたそうだ。人を切るのが嫌なら、切れぬ刀を持てばよいと。どうも、實継もお前が気に入ったようだな。これほどの物を、惜しげも無く潰しおって」
義直の顔が、子供のようにほころんだ。初めて見せたその微笑みに、翔は誉められたようなうれしさを感じた。
「ついて来い。その井戸に案内しよう」
天守閣の裏手、一段低い場所に、その井戸はあった。塀の向こうには、金山が黒い獣のようにうずくまっている。
「ここだ。途中横穴がある。そこが入り口だ。底には水もあるが、かなり深いので、落ちたらまず助からない」
井戸には釣瓶も何も無く、下りるには、綱でも垂らして伝っていくしかなかった。
「造られてから百年余、使われたこともないと聞くが……。さて、どうする」
義直が、ぐるりと顔を見回した。
薫がうなずき、翔もそれに応えた。
決まりだ。
義直は、一行を見回して言った。
「お前たちはそれぞれの道を探せ。儂は己の行き方を貫こう。この戦に、自分なりの決着をつけようぞ」
それを聞いて、薫が声を上げた。
「殿はご一緒に行かれないのですか」
義直は、不安げな瞳の娘に向かって微笑んだ。
「殿ではない。父だ」
薫は開きかけた口を閉じ、下を向いた。その肩に、左京がそっと手を添えた。
「左京、薫を頼む」
義直が左京に向かって強くうなずき、彼も瞳で応えた。
「一年前、我らは秀吉にたてついた。今回はその報復だ。儂が首を切られるか腹を切るかすればけりがつく。しかし、皆は一緒に戦うことを選んでくれたのだ。儂一人が逃げるなど、そんな卑怯な真似は出来ぬ」
そして、息子の方を向くと強い声で言い放った。
「しかし、菊千代。お前は行くがよい」
「父上」
それは、まるで無実の罪に問われたような声だった。
「私は、そんなに足手まといですか」
「そうではない」
「なら、私は逃げません」
小さな声で、しかし、はっきりと菊千代は言った。
「父上はいつも言っておられたではないですか。最後まで死力を尽くして戦うのが、武士足るものの死に様だと。私も、武士として死にとうございます」
それは、父を尊敬し、父の望むような強い男になりたいと願う息子としては、当然至極な意見だった。
しかし、翔は、驚きも感心も通り越していらついた。
「なんで、死ぬことばっかり考えるんや。武士の誇りも大事かしらんけど、そいつは親父さんの生き方や。菊は、菊の生き方を選ぼうやないか」
悔しくて、目頭が熱くなってくる。自分がアホやから、匂を見殺しにしてしまった。その後悔と憤りを、吐き出して、ぶつけて、楽になりたかった。菊千代だけは、助けたかった。
「ええか。前にも言うたけど、もうちょっとしたら秀吉は死んで徳川の時代がくる。太平の世や。学問もできる。今は逃げても、そういう時代を生きてみたいと思うやろ」
「でも、運命は変えられないのでしょう?」
「運命やない。未来や」
思わずトーンを上げたが、菊千代は冷静だった。
「どう違うのです」
ぐっと言葉を呑み込む。答えが見つからない。
菊千代は、淡々と言葉を続ける。
「私とて、自分の思うように生きてみたい。けれど、これが運命なら、逆らってみたところで結果は同じではないのですか」
違う、と言いたい。でも、本当に?
そのとき、薫が力強く言い切った。
「殿が逃げよと命じられたのだ。自ら道を切り開くために逃げようではないか」
その声は、何かを吹っ切ったような、清々しい響きがあった。
「ここで敵を待つだけよりも、よほどやりがいがあろう。それでも殺されるというのなら、それまでと諦めよう。それが運命というのなら、甘んじて受けよう。けれど、何もせず死を待つのは、嫌だ。私は、待つのは嫌いだ」
「右の道には右の運命、左の道には左の運命が待っていましょうぞ」
左京が言葉を継ぐ。
「菊千代殿は、本当はどうなされたいのですか」
次々と発せられる言葉の渦に、菊千代は困惑した表情で父を見た。
義直は、そんな息子を慈しむように見返した。そして、静かに口を開いた。
「未来とやらを見てみたい」
意外な言葉に、菊千代だけでなく、翔も薫も目を瞬かせた。
「未来とやらでは、皆、そういう生き方をしておるのだろう。そんな未来を見てみたい。そう思っただけだ」
義直の眼差しは、未来まで見通そうとするように深かった。
「もし、未来とやらに生きていたら、儂にも武士以外の生き方があったのかもしれぬ。しかし、儂はこの生き方しか知らぬ。この生き方しかできぬ。だがな、菊千代。お前はまだ若い。もっと別の生き方を選べるだろう。それに……」
義直は言葉を切ると、翔を指さした。
「こ奴が申したではないか。子供は龍に助けられると。助かる命ならば、みすみす捨てることもなかろう」
「助かる、命……」
菊千代の言葉に、義直がうなずく。
「よいか、菊千代。今から、お前が穂積の頭首だ。お前には、穂積の行く末が掛かっているのだ。だから儂は、お前たちを逃がすためのしんがりを務めよう」
うつむいていた顔が上がり、真っすぐ翔を向く。
「本当に、道はあるのでしょうか」
「本気で願えば、きっと」
翔が、うなずく。
「いや、自分で切り拓くのだ」
薫が、言い切る。
菊千代は、薫を見た。それから、左京に目を移した。ぐっと握り締められていた両の手が、解き放たれるように開かれていく。その手が、ゆっくりと兜を外し始めた。
脱ぎ捨てた甲冑が足元に積まれたとき、翔は声を上げた。
「行くぞ!」




