花菱の夢(2)壱の夢 橘①
壱の夢
橘①
「悔しかったら私に勝ってみ」やて。
ホンマ腹立つ。
ちょっと年上や思て威張りくさって。
男がその気になったら、
女なんてちょろいもんなんやぞ。
コラ、瑞穂。聞いとんかあ。
瑞穂……。
「おい、起きろ」
つつかれて、翔は薄目を開けた。見覚えのある顔が自分を見下ろしている。
「瑞穂……」
(なんや、今んは夢やったんか……)
ほけーっと息をつき、次の瞬間跳ね起きた。
「瑞穂やない!」
食い入るように目の前の人物を見つめる。
気の強そうな大きな瞳と太い眉、ツンと高い鼻に引き締まった唇、どれを取っても瑞穂にそっくりである。
しかし、髪形が違う。瑞穂はショートボブだが、長い髪をポニーテールのように後ろで束ねている。
更に、身長が違う。翔の身長は一六〇センチ。瑞穂は一七三センチ。おかげで、いつも見下される。だが、目の前の人物は自分よりも低い。
そして、服装は、小袖に袴に草履ばき。腰には刀まで差してある。ということは、性別も違うのだろう。
そして何より、左眼の横に三角形の傷痕が、二年前、翔がつけた傷痕がなかった。
「だ、誰……?」
辛うじて、その言葉だけが出てきた。
「そちらが先に名乗れ。おぬし、名は何という。どこから参った」
少年は翔を睨み据えたまま、グイッと詰め寄って来る。仄かな橘の香りが、翔を包む。
と、横から手が伸びて、少年を制した。
「気をつけろ、薫。この妙な衣装、ひょっとすると秀吉方の密偵かも知れんぞ」
声の主は、アイドルと見紛う美青年だった。細面の整った顔立ちと切れ長の瞳。すらりとした長身で、細いながらも鍛え上げた胸板が着物の上からでも見て取れる。
「そ、そっちのほうが変な格好やん。いったい何のいたずらや。ドッキリカメラか」
翔は、「やるか」というように拳を構えた。
しかし、返って来たのはトンチンカンな返事だった。
「胴切亀? そのような生き物は見たこともないぞ」
「俺かてそんなもん、見たことないわ」
一世代前よりは現代語に近くなった河波弁も、興奮すると田舎者が丸出しになる。
が、その声に重なるように青年が叫んだ。
「危ない!」
青年が、少年を抱えるようにして身を伏せた。翔も反射的に身をかがめた。その頭上を何かが掠める。顔を上げると、矢が一本、木の幹に刺さって揺れていた。
続いて第二、第三の矢が飛んで来た。しかし、青年が素早くその手を動かすと、それらは軽い響きを残して地面に落ちた。いつ抜いたのか、手には刀が握られている。
ザザザッと音を立てて、崖下の薮の中から男が四人現れた。こちらも、時代劇でよく見かける足軽のような格好をしていた。かんたんな具足を身につけ、手には抜き身の刃を光らせている。
翔は思わず後ずさりしたが、後ろにも人の気配を感じ振り返った。そこにも、同じような格好をした男が四人。二人は刀を身構え、二人は弓で狙いをつけている。
「何奴じゃ。私を高岡左京と知っての狼藉か」
青年の落ち着いた、けれど、鋭い声に、男たちは後退った。
だが、一人、ひょろっと背の高い、痩せた男だけはせせら笑った。
「それは存じませぬことで」
それから、ぐるりと仲間を見回した。
「つまり、こいつを倒せば、金だけでなく、名誉も手に入るという訳だ」
男たちがうなずく。十六の瞳が、欲望に燃え上がる。
「かかれ!」
その一声で、八人が一斉に向かって来た。
翔にも、髭面の男が斬りかかってきた。鋭い一撃だった。反射的に身をかわす。
髭面は舌打ちすると、今度は連続して斬りかかって来た。
右に左にそれをかわしながら、ちらっと左手の畑を見る。畝の両側に杭が何本か立っている。太刀を横っ跳びにかわし、倒れこむように畑に飛び込む。回転レシーブの要領で立ち上がり、その勢いで杭を引っこ抜く。そして、それを刀の代わりに構えた。
何がなんだかさっぱり分からない中で、この状況を打破するためには戦うしかない、そのことだけは、何とか理解できた。
翔の構えを見て、髭面は、ほおっというような顔付きをすると、再び斬りかかってきた。よく訓練された、素早い動きだった。
しかし、翔も負けてはいなかった。相手の刀を受け、弾き返す。そのまま横っ面に杭をたたきつける。ただの一打で男は伸びてしまった。かなりの腕前だと思っていただけに、このあっけない幕切れは、翔にとって以外だった。
ほっと息をついたとき、悲鳴が上がった。振り返ったその目に、血しぶきを上げて倒れる男と、血の滴る刀を構える左京が飛び込んできた。
(マジや……。芝居なんかやない)
左京の動きは止まることなく、別の男に向かって行く。舞を舞うような軽やかさだ。足をやられて男が倒れる。血が、花びらのように舞い飛ぶ。
思わずそらせたその目に、こんどは少年が映った。しかし、彼は苦戦していた。相手はあの痩せた男だ。崖下に追い詰められ、男の剣をかわすのが精一杯の様子だ。
「危ない」
叫びながら駆け寄る。男は振り向き、翔は打ち込む。杭は脇腹を直撃した。が、そこは胴着に守られていて、さほどのダメージを与えることはできなかった。第二打は軽く受け止められ、逆に男は斬り込んできた。
一度、二度、三度目の太刀を受け止めたときだ。翔の持つ杭が斜めにすぱっと切れ飛んだ。
(ヤバイ!)
そう思う間もなく男の刀が振り下ろされた。翔は思わず左手で顔面をかばった。




