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花菱の夢(15)壱の夢 紅梅⑦

   壱の夢



   紅梅⑦


 次の朝、館に広がる慌ただしい空気に、翔は起こされた。食事を運んで来た女中の足取りもパタパタと、妙に落ち着きがない。

食事が済んで庭へ出てみたが、剣の稽古をする人もいなかった。

(今日は、何をすればええんやろう)

やりたいこともやらねばならぬことも、何もない。ここへ来てから、自分で何かしようと考えたことはなかった。人から与えられるのを待っているのは、ヒマだった。

ボケーッと部屋に戻ってみると、薫が待っていた。

「刀鍛治の(さね)(つぐ)の所へ行かないか」

 田舎者とはいえ、翔も現代っ子。鍛治仕事など見たこともない。

 喜んでついて行くと、馬屋に出た。

「馬で行くんかい」

「ああ、どれがいい」

 居並ぶ名馬を指さして問われ、首を横に振る。

「乗ったこと、ないんや」

「嘘だろ」

「ごめん」

 ここ、謝るとこじゃないよなあと、思いながら頭を下げる。

「仕方がない。後ろに乗れ」

そう言って、先日の白馬に近づいた。

馬の名は、白竜。小ぶりだが賢く、足が速いという。

 薫が白竜を連れ出すのを見て、隣に繋がれている黒馬が甘えたような声を出した。

「天竜は、今日は留守番だ」

 薫は、その鼻面を優しく撫でた。

「左京さんの馬かい」

「ああ。徳川殿より賜った名馬だ」

 薫は、誇らしげに話し始めた。


  一昨年の暮れ、義直は徳川家康に鷹を贈った。左京はその使者だった。家康は大変喜び、三河馬をもって返礼とした。

 その、馬選びの時だった。いきなり一頭の黒馬が暴れだした。馬は、押さえようとした従者を蹴り倒し、家康に向かって突進した。あわやと言うとき、左京がヒラリとその背に飛び乗った。手綱を引き、振り落とそうとする馬をなだめる。馬はもがくように暴れていたが、やがて、昔からの主人に仕えるようにおとなしくなった。

 その様子に、家康は感嘆の声を上げた。

「さすが、義直殿の懐刀。今までこの馬を乗りこなせた者はいないというのに。……、そうじゃ。この馬を、高岡殿に進ぜよう」

 そして、左京の名は一層高まった  。


「私でさえ、機嫌の悪いときは近寄れない。まあ、触らぬ方が身のためだぞ」

 自分のことのように自慢され、何となく胸がもやもやした。


 薫は、表門ではなく、使用人たちが使う小さな門に向かった。

「今日は誰か来るのかい」

「殿の配下の城主たちが、皆集まる」

 答える薫の表情が硬い。

 何か事が起こって、そのための作戦会議だろうか。翔に知られるとまずい話なので、薫が連れ出しに来たのかもしれない。

 橋を渡ったところで馬に乗った。が、これがなかなか難しい。薫に助けられ何とか跨がったものの、馬が動くたびにお尻の下がでこぼこと、何とも気持ちが悪い。

「しっかり捕まってろよ」

 言われるままに、前に座る薫の腰に手を回す。その感触に、思わず手を引っ込めた。下半身がもぞもぞと、急激に落ち着きをなくしていく。

「どうした」

「いや、その、まさかとは思うけど、えっと、まさか、薫、お前、その、お……ん……」

 いきなり、薫は馬の腹を蹴った。とたんに馬が走りだす。振り落とされそうになり、慌ててしがみつく。爽やかな橘の香りが、翔を包む。

(や、やっぱり、こいつ、絶対女や)

すぐに忘れてしまうのだが、瑞穂も女だ。同じ顔をした薫が女でも不思議はない。

「はっ」

 薫は、みごとな手綱さばきで馬を操る。雨上がりの湿った暖かな風が、耳元を駆け抜ける。揺れる馬上で、心も春風に同化していく。街道から脇道に入る。水たまりを飛び越え、野原を突っ切る。草の葉にたまった露が、きらきらと弾け飛ぶ。

馬は、鴉山の北、峰続きの金山(かなやま)へ向かっていた。

金山は、金が出るわけではない。砂鉄が取れたのだという。良質の鉄だったが量は少なく、戦国時代に掘り尽くしたらしい。

 鴉山と金山の間を抜ける。むき出しの絶壁が見えた。鉄を採るために崩した跡だろう。

翔の知っている山は緑に覆われ、全く別物に見える。

裸の地層の所々に、横穴がある。坑道だ。

 現代では、コウモリだけが穴を利用している。崩れやすい上、奥のほうが迷路のようになっているため、人間は立ち入り禁止だ。

が、そこは翔。探検にもってこいの穴に入らないはずがない。

看板は踏み越えてしまえばただの板、ロープもくぐりぬければただの紐だ。

中一の夏休みだった。友達を誘って入り込んだのは。推理小説のように、たこ糸を手に進んでいった。しかし、小説のようにうまくはいかず、途中で訳が分らなくなり立ち往生をしていると、なぜか、先生たちがやってきて助け出してくれた。そのあと、こってり叱られた揚句、反省文やら特別補習やらを受けさせられ、残りの休みが台無しになったのを覚えている。ちなみに、翔が坑道に入り込んだと告げ口したのは、瑞穂だった。

(そういえば、その鉄を利用した鍛冶仕事が盛んだったって、先生が言ってたような。それに……)

金山に伝わる伝説。思い出すと、体がぎゅっと引き締まる。

 大きな桂の木の下に、鉄の神様、金屋子神の祠が見えた。この辺りが一番古い採鉄場だと聞く。

 そこを過ぎ、新しい鉱山目指して北上する。左手に金山、右手に雷山を見ながらしばらく走ると、たたら場が見えてきた。丸太を組んで造った柵が、周囲を取り巻いている。

「おお、薫か」

開いた門の傍に立っていた男が、笑顔で手を振る。薫は「元気か」と声をかけただけで、スピードを緩めもせず駆け抜けた。

中で一番大きな家の前まで来て、やっと手綱が絞られ、馬が足を止めた。

 薫は、飛び降りると同時に叫んだ。

「實継は、いるか」

 勝手知ったる様子で中に入って行く。

 こそっとついて行くと、作業場に出た。

男が一人、背を向けて、刀の仕上がり具合を調べている。二人の気配に、面倒臭そうに振り返る。その顔が、薫を見たとたんほころんだ。

「おう、薫か」

 年は、五十前後といったところか。気難しそうな顔付きと小汚い格好が、いかにも頑固な職人といった風情を醸し出している。髪は雀の巣のようにぼさぼさだし、骨ばった顎は無精ひげで覆われている。右目が不自由なのか、少し横向き加減に眉をぐっとひそめると、翔をぎょろりと睨んだ。

「そちらの御仁は?」

「雷の日に拾った忍者だ。それより、その刀は、殿か誰かの頼まれ物かい」

薫は目を輝かせて、實継の持つ刀をのぞき込んだ。

緩やかに反った刀身には、刃文が竜の鱗のように渦巻いている。鋭い刃は、魔物でさえも断ち切るであろう。妖しく、恐ろしいまでの美しさに、翔でさえ目を見張った。

「見事な品だな。さぞ高い値がつくだろう」

薫は、うらやましそうにため息をついた。

「売り物ではないし、売る気もない。気に入った者があれば差し出そうと思っておる」

「そんな、もったいない。實継ほどの腕の者は、日の本広しといえども他におらぬのに」

「はは、相変わらず身びいきの激しいお方だ」

實継は、邪気のないいたずらを笑うときのように声を立てた。

「嘘ではない」

「鉄が良いからですよ」

實継の家は、代々、その鉄を使って穂積のために刀を鍛えてきたという。

「しかし、もう、鉄も底を尽きた。わしの代で終わりだろう。が、穂積の家のある限り、わしはこの地で刀を造り続けるつもりだ」

實継の言葉に、薫はうれしそうにうなずき返す。

 それから、翔を振り返った。

「どうだ。翔も一振り欲しかろう」

「えっ?」

見つめた薫の顔は、真剣だった。

「いや。俺は、刀なんか必要ないし……」

「いや、必要だ」

 きっぱりと返され、口を閉ざす。

「よいか。秀吉が兵を挙げた。今日の会は、そのためだ。近いうちにここは戦場になる。そのときお前は、何で身を守るつもりだ」

 問われても、答えられるわけがない。

「お前は腕が立つ。けれど、木刀ではこの間の二の舞いだ」

 薫の言うことはもっともだ。しかし、うんとは言えない。刀に興味がない訳ではない。小学校の修学旅行で京都の太秦へ行ったときには、迷う事なく土産物の刀を買った。

けれど、これはオモチャじゃない。

「人を殺せ言うんか」

「殺せと言うているのではない。身を守るために必要だと言うのだ」

 薫の声が、いらだち、甲高くなる。

翔は、ため息混じりに吐き出した。

「刀は欲しい。身を守るためにも。でも、人を殺すのは嫌や」

薫も、それきり黙った。

二人のやり取りを、實継は珍しい見せ物を見るように見つめていた。



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