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花菱の夢(14)壱の夢 紅梅⑥

   壱の夢



   紅梅⑥


 午後になって、薫を連れて菊千代がやって来た。

菊千代は、姉の匂より薫の方と気が合うらしい。

「姉上はどこか近寄りがたくて……。でも、薫は兄上ですから」

「兄上」という言葉に、薫は照れたように笑うと、袂からお手玉を取り出し遊び始めた。ポーンポーンと二つの玉を右手だけで交互に投げ上げる。

「へーえ、うまいやん」

「ああ。左京殿が教えてくださった」

横から、菊千代も弾んだ声を上げた。

「私だって、これくらいできますよ」

「やっぱり、左京さんが教えてくれたんかい」

二人は、ふふっと笑った。

「そう、今日みたいな雨の日に」

「家の中で遊ぶ時は、いつもお手玉(ななこ)だ」

(左京さんて、保育士みたい)

どんな顔をしてななこ遊びなんか小さい子供に教えたのだろう。真面目人間を絵に描いたような気難しい表情を思い出すと、思わず笑いがこみ上げくる。

いつの日か、菊千代が城主となったときも、左京や薫は同じように接するのだろうか。

この時代、十五、六になれば、もう大人だ。薫ももうすぐ元服し、匂は嫁に行くのだろう。思うだけで、何とも言えない寂しさがこみ上げる。

翔にとって大人になるということは、まだまだ、ずっと先の話だった。が、もし元の世界にもどれないのなら、いつまでも子供のままでいるわけにはいかないのではないか。


一つ 人の世一人旅

松明もって火をつけて

一本道を下りゃんせ 下りゃんせ


薫は、小さな声で歌いながら玉を投げ上げている。球を投げた手で場に置いた玉を寄せると、落ちてくるのをキャッチする。片手だけを使ったリズミカルな動きは、大道芸人か手品師のようだ。


二つ 双子の鏡池

映す二人は深い仲

取りもつこの橋渡りゃんせ 渡りゃんせ


(ああ、この歌、知ってる。瑞穂に教えてもろた)

ただし、瑞穂が教えてくれたのはお手玉ではなく、鞠つきだった。歌にあわせてボールをつきながら、上げた足の下をくぐらせたりボールを飛び越えたりする。一つ終われば、股の下をくぐらせて、後ろでボールを捕まえる。偶数番号は右手でつき、奇数は左手に変える。番号が進むほど動きが激しくなり、最後の方では交互についたりもする。

アクロバット的な動きに魅せられて、翔も挑戦したものだった。十番まで一気につき終わるのはなかなか難しく、失敗したらまた一からついた。


三つ みみずくこのはずく

耳を澄ませて呼ぶ声に

ホッホと鳴き鳴き進まんせ 進まんせ


薫の声は瑞穂より少し低めで、けれど、やはりよく似ていた。目を閉じて聞いていると何とも懐かしく、気がつくと、一緒に口ずさんでいた。


四つ 世の中欲ボケで

黄金(こがね)の道は地獄行き

欲を張らずに生きやんせ 生きやんせ


突然、歌が止んだ。

ん? と目を開けてみると、薫が咎めるような目つきでこちらを見ている。

「どこで覚えたのですか」

「は?」

「この歌を、どこで覚えたのですか」

「ああ。瑞穂に教えてもろたんや」

「瑞穂?」

薫の表情が、どことなく厳しい。

「うん。そう、俺の……、姉上みたいなもんかな」

「そういえば、出会ったときもその名を呼んだな」

「うん、か……」

薫にそっくりなんだという言葉を、慌てて呑み込んだ。「女みたいだ」と言っただけで激怒したのだ。「女にそっくりだ」と言われたら、また話がこじれるに違いない。

「姉上は、どこで覚えてこられたのですか」

薫の追求は続いた。

「さあ、そこまでは……」

「よいではないか、薫」

菊千代が、横から口をはさんだ。

「けれど、この歌は」

「そう、穂積家に伝わる数え歌だ。父上は他言せぬよう申されたが、ずっと昔からあるものだ。もしかしたら、巷の子供達も知っているかもしれぬ。左京殿もそのように言っておられたではないか」

「確かに、その通りですが……」

薫は、翔が知っていたのがよほどくやしいらしく、お手玉を掻き集めると懐にしまいこんだ。菊千代は、そんな薫を、しょうがないなあというように見ている。その眼差しは、薫よりもずっと大人びて見え、さすが穂積家の跡取りと言わせるものがあった。

「菊千代は、どんな城主になるんだろうね」

 しみじみとつぶやく。即、返事が返ってきた。

「私の夢は、治水です」

 菊千代のつぶらな瞳が輝いている。

「ちすい?」

「ええ。この地方は山が多く雨も多い。けれど、川が少なく、雨季になれば氾濫します。そのくせ、川から遠い村では水争いが絶えない。私が城主になったら、堤を築き、水路を掘りたい。でも……」

 そこで菊千代は眉を寄せた。

「それにはお金と知識が必要です。お金はともかく、知識のあるものがいません。私自身が学ぶにせよ、どこで学べるのか……」

 時は戦国。学問の時代ではない。この片田舎でも、毎年のように戦に兵を出しているという。さいわい、この地が戦乱に見舞われたことはまだないというが、水路を掘っている余裕もなかろう。

「穂積家は代々善政を敷いてきました。今の繁栄はその上にあります。菊千代君は、花菱の紋を汚してはなりませぬ」

「はなびしのもん?」

 菊千代は微笑むと、懐から短刀を取り出した。その鞘には、四枚の花びらが菱形に並んだ模様が金色に光っている。菊千代が生まれたとき、健やかな成長を祈って造られたものだと言う。

「武田家より伝わる、穂積の家紋です」

 その顔は誇りに満ちあふれ、うらやましいほどだった。

「翔殿の夢は何ですか」

 菊千代に問われ、考える。

「そやなあ、日本一の剣士になることかな」

 未来では捨ててしまっていた、祖父との約束。ここでは口にしても許される気がした。

「薫は?」

 翔が聞く。しかし、薫は答えない。ただ、寂しそうに笑った。

「私の夢は、きっとかなわない」

 外は雨が降り続いている。それが一層、横顔に憂いを持たせる。

 なぜか、胸がギューッと苦しくなる。

「そいより、ほら、面白(おもろ)(もん)見せたる」

 そう言って、時計を取り出した。

「ほう、何だ」

 二人が身を乗り出す。

 翔の説明に、菊千代の瞳はキラキラ輝く。彼の知的好奇心がむくむくと大きくなっていくのが見えるようだ。

「伴天連の持ってきたという時鳴鉦とは、このようなものでしょうか」

などと、翔には分らないことを聞きに来る。

 もちろん、薫も興味を示した。

 その表情に笑顔が戻ってくる。それだけで、ほっとする。

(薫には、笑顔が似合う)

 それを守ってやりたい、心の底からそう思った。

瑞穂との失敗を償うためにも。


 その夜も、義直は障子越しに報告を受けていた。

「昨夜、何か騒ぎがあったそうだが」

「騒ぎというほどのことでもありません」

 声の主は、手短にトランクスの一件を語った。

「伴天連の文字か……」

「嘘を申していたようには思えませんでした」

「他に気になったことはないのか」

「特に」

 義直が、少し険しい目をして障子を睨んだ。もちろん、相手から見えないことは承知の上だ。

「菊千代を手なずけているらしいが」

「確かに、大層なついております。しかし、手なずけようとしているかどうかは……」

 遮るように、義直は笑い声を立てた。

「庇いだてするとは珍しい。お前も手なずけられたのか」

「いえ……」

「菊千代が言っておった。数え歌を知っていたと」

 答えはなかった。

「まあ、良い。とにかく気をつけろ」

「御意」

 急ぎ足で、声は去った。庭木の陰からそれを見つめる人がいることにも気づかず。



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