第24話「あなたの才能も素晴らしいです」
「わ、わかりました! それでは百冊! それ以上売れれば文芸部の廃部は取り消しましょう!」
神代先生の雰囲気に押された下口先生は、焦ったように大声を出して条件を呑む事を口にした。
そしてそのまますぐに進路指導室を出て行く。
どうやら下口先生は自分より下だと思った人間には凄く威圧的なのに、自分より上だと思った存在にはかなり弱いようだ。
典型的な男だな、と心の中でだけ呟いておいた。
まぁそれはそうと、話が纏まったところで悪いのだけど――六月半ばということは約一ヵ月半後というわけだ。
……いや、うん、きつすぎない?
本にするのだとしたら、締め切りはもっと早くしないと印刷所に本は刷ってもらえないだろう。
同人即売会だから一般的なラノベの十万文字ほどは話を書かなくてもいいのだとは思うけど、それにしてもある程度の文字数は必要なはずだ。
ましてや、そこにイラストを付けないといけない以上春風さんがイラストを描けるようにもっと早く話は作らないといけない。
そんな事が僕にできるのか?
今まで締め切りなんて意識をしてこなかった。
そもそも締め切りなんてものが存在しなかったのだから当たり前だ。
ましてや百冊も売れる本なんて書けるのかな?
僕のブックマーク登録人数なんて十人未満だし、そのうちは神代先生や去年卒業した三年生が入ってる。
その人たちを抜いたら二、三人じゃないだろうか。
いくら春風さんのイラストがあるからって――いや、表紙絵がよければとりあえずは買ってもらえるのかな?
でも、漫画たちと一緒に売られて日本最大の同人即売会で壁サークルになれるようなサークルが出てくるなんて、僕たちは見向きもされないんじゃ……。
いやいや、そもそもこの自由人な春風さんが協力してくれるのか?
書けないと言って断るんじゃ――。
「――君、笹川君、笹川君!」
「――っ!?」
「大丈夫? 顔色が真っ青よ……?」
声に驚いて我に返ると、とても心配そうな表情で顔を覗きこまれていた。
どうやら僕は絶望的な展開に考え込んでいたらしい。
「う、うん、大丈夫だよ」
とりあえず心配させてしまっているので強がっておく。
だけど内心は全然大丈夫じゃなかった。
窮地を脱出できたと思ったけど、全然脱出できていない。
ただ問題を先伸ばしにしただけだ。
どうして神代先生はこんな部数を提案したんだろう?
せめて半分の五十冊でよかったんじゃないのかな?
……いや、うん、それでも絶望的な数には変わりないのだけど。
パッと見は半分の数になっているけど、そもそも売れなければ関係ない。
運よく一、二冊は売れるかもしれないけど、そんなの焼け石に水みたいなもんだしね。
「何をそんなに深刻そうな顔をしているのですか?」
僕が再び考え込み始めると、春風さんと変わらないくらいの素っ気ない表情をした神代先生が僕の顔を見つめてくる。
心配そうに僕の顔を見つめてくれている春風さんのほうが今は優しく見えるかもしれない。
「神代先生はプロでされていたので数万冊などを売られていたのかもしれませんが、実際百冊なんて無理に思えます」
いや、神代先生だって同人即売会で百冊売る事がどれだけ厳しいかわかっている。
それなのにどうしてこんな部数を提案したのかを教えてほしい。
「心配はいりません、勝算があるからこその提案ですからね。春風さんのこの画力、私が知るプロのイラストレーターたちと遜色ない実力を持っていると思いますよ。これで表紙絵や挿絵が付くのであれば、売れないはずがありません」
そう言う神代先生の瞳からは確かな自信が窺えた。
春風さんのイラストが素晴らしいことには凄く同感だ。
彼女の実力は本当に学生とは思えないほどに飛び抜けている。
つまり、完全に彼女便りというわけだ。
実力がある者に頼らないといけない、そんなことはとっくにわかっている。
でも、文芸部を守るために行わないといけないのに、文芸部じゃない――しかも、女の子に頼らないといけない自分が情けなく感じた。
「春風さん、イラストを描いてくださいますね?」
「はい、もちろんです」
ひっそりと落ち込む僕の横では、神代先生の言葉に笑顔で春風さんが頷いていた。
一瞬不安要素に上がったことは取り越し苦労だったようだ。
彼女がイラストを描いてくれるなら希望はあるだろう。
後は僕が中身を作ればいいだけか。
……せめて、苦情が入らないくらいの内容にはしないとね。
「では後は話ですが、期待していますよ、笹川君」
「えっ?」
てっきりあってもなくてもほとんど変わらないものだと思われている。
そう思っていたから、神代先生の言葉が意外で思わず声が漏れてしまった。
「何を驚いたような顔をしているのですか? あなたが読者を楽しませる話を書くのですよ?」
「えっ、いや……でも、春風さんのイラストがあれば内容なんて悪くてもノルマは達成できるんじゃ……」
「笹川君、本気で言っていますか?」
取り繕うように出てしまった言葉。
それに対して神代先生が真剣な表情で僕の顔を見つめてきた。
表情ではわかりづらいけど、怒っているというのがなんとなくわかる。
「あっ、えっと……」
「作品を出す以上、読者に楽しんでもらう内容にする。それは創作をする人間に与えられた義務です。あなたが自己満足で小説を書くだけなら、そんなことは言いません。ですが、これから本を売ろうとしているのです。もし内容なんてどうでもよくて、売れさえすればいいと考えているのなら――今すぐに、その考えを改めなさい」
決して怒鳴っているわけではない。
静かに、悟らせるような言い方にも思える声だった。
だけど神代先生の言葉は、怒鳴られるよりも重く僕の胸へとのしかかった。
神代先生が言っていることは正しくて、拗ねたような僕の考え方が完全に間違えている。
正直ぐうの音も出ない。
しかし、そんな僕に対して神代先生はなぜか笑みを浮かべた。
「大丈夫です、春風さんの才能が素晴らしいように、笹川君の才能も素晴らしいと私は思っていますから」
そんなわけがない。
そう思ったけど、神代先生の優しい笑顔を見ているとただ励ますように嘘を付いているようには見えなかった。
どうしてそう感じたのかはわからない。
だだ単に、そう思い込みたかっただけかもしれない。
だけど、不思議と心が穏やかになった。
しかし――。
「むぅ……!」
なぜか、頬を膨らませた春風さんに服の袖ではなく腕を引っ張られてしまった。







