大切な記憶
「宮沢さんが警察を辞めた!?」
警察署内の食堂で女性の大声が響いた。
昼食の時間。食堂に居た全員が、声のした方に向くと、そこには三人組の新人女性警察官が一つのテーブルを囲んでいた。
その三人の中で一人だけ、食べかけの弁当と蛍光色の箸を持ちながら立っている。顔は驚きのまま止まっていた。
「内崎さん……声大きいよ……」
長い黒髪に眼鏡をかけた女性が、周りを気にしながら小さな声で言った。
「ごめんなさい……」
内崎は周りに謝るように、頭を下げながら席に着いた。
「びっくりしたじゃない」内崎の前に座る茶髪の女性が言った。
「二人ともごめん……あまりの衝撃に……」
「そんなに驚くこと?」茶髪の女は菓子パンを口にする。
「中条さんは宮沢さんの凄さを分かってない」内崎は首を左右に振る。
「ただの変人でしょ? ねえ田所?」
「そ、それは……」田所は困った表情をする。
「警察を辞めた理由は?」内崎は中条に訊くと、
「そんなの知らないわよ。今、あの例の部屋で荷物でもまとめているんじゃ――」
「行ってくる!」
内崎は席を立ち、食堂を駆け足で出て行った。
確かに宮沢は浮いた存在かもしれない。私もあの部屋で話を聞くまではそう思っていた。けど今は違う。
宮沢さんにお礼だけでも言いたい。
内崎は『俺の部屋』にたどり着き、ドアを叩いた。
しかし、返事は返ってこない。
(やっぱり……もう……)心の中で、穴が開いたような気持になった。
「何してる? 新人」
内崎の後ろから宮沢の声が聞こえ、振り返る。
宮沢はいつものスーツを着て、頭を掻いていた。
「宮沢さんが辞めると聞いて……お礼が言いたくて……」
「お礼? 一回しか話していないのに?」
「はい。いいお話を聞かせてもらって、ありが――」
「ふふ、お前はまじめすぎるんだよ。内崎」
「どうして私の名前を?」
「俺は超能力が使えるんだよ」
「す、凄い! なんで!?」
「ハハハ、やっぱりお前は面白い!」宮沢は大きな声で笑う。
「え?」内崎は不思議そうに首をかしげると、胸元に付いた名札が少し下を向いた。
宮沢はゆっくりと内崎の頭に手を置いた。
「最近よく思うことがあるんだ……。この世界は広いようで、案外狭いなと。だからまたどこかで会ったときは俺の自慢話を聞かせてやるよ」
「はい!」内崎は不思議と心の底から嬉しかった。
それを一目惚れだと言うことに、彼女はまだ知らない。
「死にそうな顔してるくせに、なかなかやるじゃないか」
伊敷は口から出た血を拭った。
「楽しいぃぃ」ルガは遊んでいる子供のような無邪気な笑顔を浮かべた。
「なら、まだまだ行くぞ!」伊敷はルガの懐に入り込み、下からえぐるような拳の一撃をわき腹に当てると、ルガの顔が歪む。
「ぐうっ!」
ルガは苦しみながらも、拳を振り回すと、伊敷の頬に命中する。
その時、伊敷の殴られた感触とルガの殴った感触に砕けたような違和感が走る。
(頬の骨にひびが入ったか……?)
伊敷の焦った表情に、ルガは興奮を抑えられない。
「キヤァァァぁッ!」
ルガの無慈悲なリバーブローは再び二人に違和感を走らせた。
(あばらにも……。こいつッ!)
伊敷が拳に力を込めて踏み込むが、体は痛みと共に悲鳴を上げる。
それでも伊敷はルガの顔にめがけて拳を振るうが、ルガの両腕に防がれてしまう。
「それならッ!」伊敷は体を捻らせて、右足の回し蹴りがルガの片腕に防がれたその時、
(くっ……!?)伊敷の足に鋭い痛みが走る。
普通なら片腕が折れるか、ひびが入っていてもおかしくはなかった。
しかし、ひびが入ったのは伊敷の右足だった。
「お前っ!」
伊敷は胸元から、小さなナイフを取り出し、ルガを切りつけた。
ルガの腕が切り裂かれる。
「やっとか気づいたかぁ」
ルガの両腕からは、血が一滴も出ていない。それどころか、切れた皮膚の隙間から、銀色の何かが見えた。
「硬いとは思ったが、まさか両腕が機械とはね……」
「人間の肉体は弱い……人を殴り続けるには不向きだ。だから丈夫な機械にしてもらった。羨ましいでしょ?」
ルガは見せびらかすように両腕を広げた。
「羨ましくはないね……。お前にはロマンがない!」伊敷は拳を振るう。
「ロマン? そんなもので強くなるのか?」ルガはひらりと避ける。
「こっちの番だ!」
ルガの拳を伊敷は両腕で防ぐが、ルガの拳の硬さはまさに鉄拳だった。
「ぐっ……」
伊敷の苦悶の顔に、ルガは勝ちを確信したように口を開ける。
「ほらね? 生身の腕で僕に勝つことは出来ないよ……。諦めてあの世に行きなっ!」
ルガの鉄拳が伊敷の頬に直撃――
伊敷はその場に力なく倒れた。
「勝利!」ルガは両手を上げた。
銃声は止んだ。
浦川は肩で大きく息を吸った。
足元には中谷が地面にうつ伏せで倒れている。
「勝ったんですか?」のむの顔はまだ安心していない。
浦川は銃口で中谷の背中をつつく。動きは無い。
(顔を見るまでは油断できない……)
右手に持つ拳銃で中谷を捉えながら、左手で中谷の肩に触れた。
ゆっくりと中谷の体を仰向けにさせようとすると――
中谷は飛び起きた。
「やっぱりなッ!」浦川の容赦ない発砲。
「道化は弱虫なんでね」
中谷は一瞬で起き上がり、肩を抑えている。
「当たった……」
のむから見れば銃弾が中谷の肩に当たったように見えたが、浦川の見る世界からすれば、銃弾は肩に弾かれたように見えた。
「腕も弱虫の証拠ですか?」浦川は挑発するよう言った。
「バレましたか……やはりいい目だ……」
中谷は上着を脱ぐと、そこから銀色の両腕が光に反射した。
「機械……?」
のむは見たこともない機械に唖然とする。
「これを見せると言うことは、貴方たちには『必ず死んでもらう』という意思表示です……。冥土の土産に教えてあげましょう。この両腕は、貴方たちで言う未来の手島さんが作った代物です。あらゆる銃弾を弾く強度、そしてもう一つ……この腕には『記憶を変える』力がある」
「記憶を変える……? もしかしてそれで手島さんを!?」のむの声が荒げる。
「その通りです……。私は現次さんに「過去の俺の記憶を変えてまで阻止しろ」とおっしゃいました。本当に偉大なお方ですよ……」
「そんな……」のむの脳裏に優しく微笑む手島の顔が浮かんだ。
あの人はもう帰ってこないのか?
「そんなことないッ!」
のむの心の絶望に答えたのは、激怒する浦川の声だった。
「そんなことない? 消された記憶は元には戻りません。ハハ、やはり貴方は西野さんに似ていますね」
「あの人は俺たちの父親みたいなもんだから不思議と似るんだよ」
「父親ですか……」中谷は不敵な笑みを浮かべた。
「何がおかしい?」
「フフ、教えてあげましょう。貴方たちで言うところの熊切さんを殺したのは私です……」
中谷が言葉を放つ瞬間には、浦川は発砲していた。
何となく分かっていた。聞きたくない。だから中谷の言葉を発砲音で消したと言われればそうなのかもしれない。
浦川は発砲しながら中谷に近づいた。残弾全てを打ち切るが、鉄の両腕に防がれ、中谷の額には届かない。
「所詮、拳銃なんておもちゃです。何発撃とうが変わりわしない。賢いあなたなら分かるでしょ? 無駄なんですよ!」
中谷の強烈な前蹴りは、浦川の腹部に直撃した。
「ぐはッ!」
溝内がえぐられる感覚と同時に息が出来ず、倒れこむ。
「ほらよ!」
中谷は、倒れこむ浦川の顔面に容赦ない蹴りを入れる。
「……んッ!」のむは目を逸らした。
(私には何もできない……)のむの頭が絶望を知らせてくる。
「けど、私だって戦わなくちゃいけない!」と言いたいが体が動かない。
その時、のむの後ろから足音が聞えた。
(もしかして伊敷さん!?)
希望に満ちた眼差しで後ろを見つめる――
しかし、その先にあったのは絶望だった。
「ただいまぁ」
ルガが肩を回しながら、こちらを見つめていた。
「ここで死ぬのか?」
伊敷は自分に問い詰めながらも、ある出来事を思い出していた。
それは、名も知らぬ研究室――
ある男の前に青年が座り込んでいた。青年の伸びた髪や爪、目の下にはクマが出来ていた。
表情は虚ろで、目に光が無いように見えた。
「生きてるか?」男はにこやかに訊いたが返事がない。
「何か食いたいものはあるか?」
「……」
黙りこくる青年に男は言った。
「俺の名前は熊切だ。お前の名前は?」
「……分からない」
青年の言葉に熊切は悲しい表情をした。
「そうか……ならこれからは伊敷と言う名前を名乗れ。分かったな?」
「伊敷……」
「そうだ。これから生きていく中で名前は必要だ」
「生きる……それは嫌だ。このまま静かに死んでいきたい……」虚ろな瞳は下を向く。
「そうか……ならッ!」
熊切は伊敷に向かい蹴りを入れた。
「ほらな?」浦川は笑みを含みながら言った。
熊切の蹴りは、伊敷の手によって防がれていた。伊敷は避けようとは思っていなかった。
体が『生きたい』と反応していた。
伊敷の頬に無意識の涙が流れた。
「生きろ。伊敷……」
その声は今でも鮮明に覚えている。
伊敷は目を開けた。
「生きるよ。俺は……」
伊敷の声に答えるように、体は自然と起き上がる。
「そんな……」のむは力が抜けるように座り込む。
「ほらほら、のむさんが助けを求めていますよ」
中谷は倒れこむ浦川に言うが、動かない。
「はぁ……。期待外れです……。本当に貴方と伊敷は『強化人間』なんですか?」
「強化人間……?」
疑問の表情をするのむに、中谷は楽しむように話し始めた。
「そうですよ。貴方は知らないでしょうけど。貴方が助けを求めた探偵二人は、とある研究所で作られた人間なんですよ。今は研究もされていません。だって成功しませんから。でも真実は……。まあ、こいつらも失敗作でしょうけど」
「――ッ!」
浦川は中谷の足を掴んだ。
「おやぁ? さすがに怒りましたか?」
「どうせ勝てないのにぃ」ルガがさらに煽ると、浦川はゆっくりと立ち上がる。
「機械に失敗作はあっても、人間に失敗作なんてない……」
「我々を馬鹿にしているつもりですか? 負け惜しみですね」
「本当にそうか試してみるか?」
浦川の挑発に、ルガが飛び込んだ。
「弱いくせにぃ、調子に乗るなよぉ!」
ルガの蹴りは空振りに終わる。次は中谷が拳を振り下ろすが、拳は寸前の所で当たらない。
中谷が浦川の異変に気付く。
「その涙は力の代償ですか?」
浦川の目元から、血の涙が流れている。
「まぁ、そんなところさ……。力を使いすぎると一時的に失明する……」
浦川の表情は、泣いているようにも見える。
「私達に弱点を教えてくれるとはずいぶん親切ですね!」
ルガと中谷の同時攻撃――
代償を払った瞳の前では無力に等しかった。
浦川は二人の攻撃をよけながらも攻撃を加える。
拳には蹴りで、蹴りには拳で、まさに能力を使った浦川にしかできない芸当だった。
しかし、浦川の瞳の光は少しずつ光を失っている。
中谷とルガは同時に攻撃をやめた。
「そこまでして何になる? どうせ負けるのに……早く伊敷の所へ逝っちまいなよ……」
ルガは微笑みながら言うと、浦川は鼻で笑った。
「ルガ、伊敷さんを倒したのか?」
「ああ、この手でね……」ルガは自慢げに拳を見せる。
「拳か……それなら安心だよ……」
浦川の片目は光を失った。
「そんなボロボロで安心? 馬鹿かぁ? あいつは来ない……。絶望を知れぇぇ!」
『それはこっちのセリフだ……ルガ!』
全員が声のする方向に向くと、そこには伊敷の姿があった。
「伊敷さん!」のむは歓喜の声を上げた。
「まさか本当に生きているとはね……驚きですよ」
中谷は相変わらず微笑みを崩さない。
「よくも好き勝手にやってくれたな……。覚悟しろよ!」
伊敷は全力で突進する。
その姿に驚いたのはルガだった。
(死んでなくても重傷のはず……まさか――)
「危ない! ルガ!」
中谷の声にルガは前を向くと、目の前が伊敷の拳で埋まった。
(またこれかぁ……)
ルガは無防備のまま、伊敷の攻撃で吹き飛ばされる。
(やっぱり殴り合いは楽しいなぁぁ……)ルガの視界が光に包まれた。
「ルガを吹き飛ばす……やりますねぇ。しかし驚いた……怪我が治っているとは」
「まあ、俺の体質って奴だな……。次はお前だ……中谷!」
伊敷の渾身の一撃は、中谷の鉄の両腕に防がれる。
「どうですか? 私の鉄拳は?」
中谷の挑発に伊敷は攻撃をやめない。一回、二回と鉄の腕を殴る度に、拳は出血するが、すぐさま完治する。
そして、受け身ばかりの中谷が痺れを切らす。
「どれだけ殴っても無駄なんですよ!」
「それを待っていたのさ!」
中谷の拳をかわし、伊敷は中谷の頬にカウンターを一閃――
「どうだ!?」
倒れる中谷と同時に伊敷は声を上げた。
「流石です……」
伊敷の勝利した姿を片目で確認した浦川は、気が抜けてその場に座り込んだ。
「大丈夫ですか!?」のむが浦川に駆け寄ると、伊敷も駆け寄った。
「浦川! 見えてるか!?」
「まあ、何とか……」
伊敷が浦川の両眼を確認すると、片方の瞳に光が無い。
「片目か……」
「治るんですか!?」のむの心配そうな声に、伊敷は冷静に答える。
「休ませれば治るが……二日はかかるな」
「治るんですね……よかったぁ……」安堵にのむは座り込む。
その時、長い廊下の一番奥にある扉が、音を立てながら開いた。
「「んっ!?」」
のむと伊敷は緊張した表情で扉を見つめた。
扉から出てきたのは鈴木だった。
「鈴木さん!」伊敷が声を上げる。
「すまなかったわね。みんな」鈴木はゆっくりと三人に歩み寄る。
「怪我はありませんか?」
「私の心配より、そっちのほうが重傷じゃない……」
鈴木は心配そうな表情で三人を見つめた。
鈴木が三人の顔がしっかりと確認できる距離まで近づいた時――
「彼女が助けてくれたの」と三人の後ろを指さした。
「彼女……?」
のむと伊敷が後ろを振り向くと、そこには倒れたルガの額に触れて、何かをしている女性が居た。
「誰だ!?」伊敷は思わず声を上げる。
「初めまして皆さん。私の名前はミラ……。皆さんの仲間です」
ミラの言葉に鈴木が付け足すように、
「そういうことよ。ミラは熊切が未来から連れてきた人造人間よ」
「未来から来た人造人間!?」一番驚いたのは、のむだった。
「まあ、人造人間には私も驚いたけど……。でも、彼女の話からすると納得するしかないわ」
「熊切さんが連れてきた……」
浦川は考え込むように、地面を見つめていた。
「そうよ……。熊切は初めからこういう事態になると分かっていたのよ……」
鈴木は過去を思い出すように言った。
「確かに熊切さんはこれから起きることについて予想を立てていました。それについて詳しい話をする前に、止めなくてはいけない人が居ます」
ミラがそう言うと、伊敷、浦川、のむ、鈴木の四人は静かに頷いた。
「手島さん……」のむは悲しい顔で天井を見上げる。
「のむさん……貴方の気持ちは痛いほどわかります。でも手島を止めないと新たな悲劇を生んでしまう……。分かってください……」
伊敷がのむを説得すると、のむは立ち上がり、涙を拭う。
「分かっています……。これで私も自分の気持ちに区切りをつけます」
「それじゃ行きましょうか……」
「ちょっと待ってください。あの二人はどうするんですか?」
浦川はルガと中谷を指さした。
「それなら心配いりません。私が彼らの記憶を少し変えておきました」
「ミラさんも出来るんですか!?」浦川は信じられないといった顔だ。
「私は彼らに仲間だという記憶を植え付けることでここに潜入しました。なので簡単です」
「手島さんを変えてしまった力……」のむが訊くと、ミラは冷静に答えた。
「そうです。この腕を開発したのは未来で生きる手島、つまり現次です。そして彼らを送り込んだ」
「現次って奴は強欲の塊だな……」伊敷の目が鋭くなる。
「彼は変わってしまった……。ここからは更に覚悟して行きましょう」
エレベーターで、更に地下に向かう。
そこからは、のむですら行ったことのない領域――
手島だけが知る空間だった。
エレベーターの扉が開いた。
目の前に見えたのは、白いタイルで囲まれた空間だった。
さっきまでいた景色とは違い、両サイドに扉はなく、白い廊下が永遠と続いているかのように見える。
「……」誰も言葉が出ない。
その時だった。
『あ、あ、いやぁよく来たね……皆さん……』
何処かのスピーカーから声が流れる。
声の主は訊かなくても分かっていた。
「手島……」鈴木が真剣な表情で廊下を見つめる。
『さあ、君たちの今歩いている廊下をまっすぐ進むと僕の部屋だ。入ってくるがいいさ……』
「ずいぶんと余裕に感じますね」ミラは冷静に分析している。
しばらく、長い廊下を歩くと、目の前に白い扉が見えてきた。
全員が足を止めた。
周りがあまりにも白いので、銀色のドアノブだけが浮いているように見える。
「俺が開けよう」伊敷の声と共に全員が身構える。
伊敷がゆっくりと扉を開けた。
壁も床も真っ白い部屋の真ん中に、テレビと椅子が置いてある。
その椅子に、男がこちらに背を向けて座っていた。
『お、来ましたね』
椅子に座っていた男が気付いたように立ち上がり、こちらに振り向いた。
『お待ちしてましたよ。さあ、上がってください』
手島の声に誰も部屋の奥に行こうとしない。
『心配いりませんよ。罠なんて卑怯な真似しませんから』
危機的状況に置かれているはずの手島、そんな人間の見せる余裕な態度に誰もが警戒する。
「ずいぶんと余裕ね」鈴木が呆れた表情で言う。
『どんな時も冷静に……私はそうですよね? のむ?』
「……はい」のむの悲しげな頷きに、手島は満足げな顔をして、話し始める。
『そうだ。皆さん。このテレビ画面を見てくださいよ。あ、その距離じゃ見えませんよね?』
手島のしつこい誘いに嫌気がさした鈴木は、テレビに近づいた。
それに続くように、浦川、伊敷、のむ、ミラもついていく。
部屋は思っていた以上に広かった。
『ほらほら』
手島が指さすテレビ画面には、泣き崩れる女性の姿が映し出されていた。
『見てくださいよ……。大切な人を殺されてしまった人間の悲痛な顔を……。可哀そうじゃありませんか?』
「何が言いたい?」伊敷の鋭い眼差しが手島に向けられる。
『私は彼女を救いたいんですよ。殺された大切な人を救いたい。それが私の夢です』
手島の慢心しているような表情に、鈴木は鼻で笑う。
「助けて……嬉しい……。それは貴方の身勝手な自己満足で終わる。何故なら貴方の自己満足の為に人生を無茶苦茶にされた人間がここにいるから」
『犠牲は付き物ですよ……』
「この野郎ッ!」
鈴木は手島に殴りかかろうとするが、浦川がそれを止めた。
手島は話を続ける。
「私の夢は私だけのものではなく、みんなの夢でもあるんです。争いを起こる前の過去に戻り、争いの種を摘む……。これほどいい考えは他に思いつきませんよ」
「どんな夢だろうと、貴方を我々が止めます。そして、タイムマシンはこの世から抹消します……」
手島は包囲される。
「抹消ですか……。まあ、やれるものならやってみてください」
手島の声と共に、扉が開いた。
浦川と伊敷がそれに気づき、扉の方を向くと、そこには黒いフードを着た人が立っていた。
「扉に誰かいるぞ!」
伊敷の声に皆は手島から距離を取り、扉にいる人を見つめた。
「だから言ったじゃないですか……私の夢は私だけのものではないと……」
手島は余裕の態度を見せる。
謎の人物はフード脱いだ。
『やっと会えた……手島……』謎の男は声を上げる。
少し青が混じったような黒髪、美少年のような顔立ちに、両眼は閉じている。鈴木はその顔に見覚えがあった。
「嘘でしょ……未来から来たっていうの……?」
鈴木は目を大きく開き、唖然としている。
「鈴木さん……誰なんですか!?」
伊敷の声に鈴木は息を飲むように答える。
「あれは、現次……貴方たちで言うところの『未来の手島』よ……」
『初めまして……西野の子供たち……』
現次はゆっくりとこちらに歩み始めた。
「未来から来た手島!? 何故あんなに若いんだ? もしかして――」
「現次の体全てが機械で出来ています」ミラは冷静に答える。
「厄介ですね……」浦川は現次を見つめた。
「厄介なんてものじゃないわよ。今の私達じゃ彼に触れることすらできないわ」
鈴木の頭の中の声は『逃げたほうがいい』と叫んでいる。
しかし、源次が扉からこちらに近づいてくる限り、逃げることは至難の業だとも分かっていた。
伊敷がためらわずに拳銃の引き金を引いた。
弾丸は現次の方に飛んでいくが、途中の何もない空中で静止した。
『無駄ですよ……私の研究の前には拳銃なんて無力なのです……』
現次は微笑みながら、空中で静止した弾丸を手に取った。
「そんなことが……」のむは唖然とする。
「おやおや、貴方はのむさんですね……?」現次は目をつむっているが、のむに顔を向けている。
「えッ!?」
「そんなに怖がらないで下さい……。あ、そうだ。急ですが、私の研究に加わりませんか? いつの時代も貴方のような優秀な人材が必要なのです……」
「あいつの言葉に騙されないで! あいつは悪魔のような奴よ」
「ひどいなぁ鈴木さんは……」現次がこちらに手の平を向けた。
その時、ミラが鈴木の耳元で『目を閉じといてください……』と言った。
鈴木は急いで目を閉じた。
その次の瞬間――
閃光のような光が部屋を包み込んだ。
「ん?」浦川はゆっくりと目を覚ます。
「起きましたね」
ミラはハンドルを握り、前を見つめている。
「ここは……車の中……? 逃げれたのか……?」
浦川は自分の両手を見つめた後、左右を見ると、伊敷とのむが居た。
「助かりました……」のむは、ほっと息を吐いた。
「私とミラが貴方たちを運んだのよ」
鈴木は助手席で外を見ている。
「あ、ありがとうございます」
浦川は心の中で(凄い怪力で運んだんだな……)と思っていると――
「貴方と伊敷を運んだのはミラだから」と鈴木は心を読んだように言った。
外はすっかり日が沈み、街には街灯がついていた。
「さあ、みんなが起きたら作戦会議よ」
「どこでするんだ? 探偵事務所は危険そうだ……」
目を覚ました伊敷は外に目を光らせている。
「それは今からミラが連れて行ってくれるわ」
浦川は無言で外を見つめているが、どこかに安全そうな場所があるとは思えずにいた。
しかし、浦川を含め、車内にいる誰もが手島の研究阻止を諦めてはいなかった。
「着きました」
ミラの声に車窓から外を見ると、何処にでもあるようなアパートが建っていた。
「普通のアパートならバレないかもな」
全員が車から降りると、ミラが先導を始める。
アパートの一室の扉を開けて部屋の中に入る。
中は決して広いとは言えないが、生活していく中では十分な家具が揃っているように見えた。
「こちらです」
ミラが指さしたのは、押し入れだ。
「こちらです……?」
「はい。入ってください」
「……」伊敷が押し入れを開けると、そこには地下へと続く長い階段があった。
「まさかこの地下の為に……わざわざアパートを建てたのか……?」
「はい。熊切さんが提案して建てました」
「まあ、熊切さんならやりかねないですね……」
浦川は何処か、納得した表情だった。
「さあ、さっさと行くわよ」
鈴木が先に階段を下りていくと、後につられて全員が降りていく。
階段を下りた先で待っていたのは、機械仕掛けの扉に、一人の男だった。
「やあ、探偵諸君!」
「「ああっ!」」
探偵二人が驚愕の表情を浮かべる。
目の前で立っている男は『熊切の自称ライバル』宮沢だった。
「何であんたがここに!?」
「それは私がスカウトしたからです」
ミラが説明すると、宮沢は嬉しそうに頷いた。
「私が必要な時が君らにも来たんだよ。まあ中に入ってくれよ」
宮沢は自分の家のように扉を開ける。
「ささ、どうぞ」宮沢の手招きに、全員が中に入る。
入ると、まず靴置きがあり、少しの段差を上るとフローリングが続いている。
壁は落ち着きのある白で、絵が飾られている。
「家だな……」伊敷は当たり前の事を言った。
初めて来た人たちの頭の中で「確かに」という言葉が浮かぶほど、地下室が家だった。
奥に進むと、広めのリビングがあった。
「さあ、みんな座ってください。お茶入れますから」
「あ、はい……」
先ほどまで続いた戦闘が嘘のように、平和な空気が充満している。
それぞれが席に座ると、宮沢が皆に声をかける。
「飲み物は何がいいですか? 紅茶? コーヒー? それとも緑茶にします?」
「僕はコーヒーで」
「俺は紅茶で」
「緑茶をお願いするわ」
「私は……ミルクティーがいいです……。できますか?」
「お任せください」
宮沢の接客は不気味に思えるほど丁重で敏速だった。
ミラが宮沢を雇った理由が少しわかった気がした。
少しの休息後、ミラが席から立ちあがった。
「皆さんに見てもらいたいものがあります」
ミラがテーブルの上に置かれたリモコンを押すと、リビングの壁側にあるテレビがついた。
皆がテレビ画面を注目する。
何かを読み込むような音と共に映像が流れた。
椅子に座る男が映し出される。
『初めましての方は初めまして。久しぶりの方はお久しぶりです。私の名前は熊切……未来から来た人間だ』
「「えっ!?」」
探偵二人は動揺して驚いている。
「熊切さん……?」のむは首をかしげながらも、周りの様子を見て理解しようとしていた。
『この動画を見ているということは、俺が死んで、君らがミラに選ばれたということになる。おめでとうは言わない。俺からの「お願いします」ということになる。それで早速だが、君らには手島直也と言う人物を止めてもらいたい。手島直也とは、タイムマシンを開発し、世界を大きく揺るがす男の名前だ。そして、私は手島の開発したタイムマシンでここに来た。手島の計画を止めるためにね……。手島の計画とは、過去で無差別に殺された人物を、タイムマシンを使って助けることだ。無差別に人を殺した殺人鬼が『殺人を犯す前』に始末する。それが彼の計画だ。話だけ訊くと、それは正しいことだという人物が出てくるかもしれない。なにせ私の住む未来では、正しいこととみなされて、手島は神格化されつつあるからだ。しかし、君らは当たり前の事を分かっているはずだ。殺人鬼とは人を殺してこそ殺人鬼……。人を殺す前なら人に変わりない……。そんな人間を無差別に殺すのが正義なはずがない……。どうかお願いだ。手島直也を止めてくれ。私からは以上だ」
テレビ画面が真っ暗になった。
「熊切さん……」浦川は暗くなったテレビ画面をまだ見つめている。
自分の父とも呼べる人物の本当の顔を知ったと同時に、本人から死を知らされる。どこにもぶつけることのできない謎の感情は、心の中でむずがゆく疼く。
それは伊敷にとっても同様だった。
手島と熊切を知る鈴木はゆっくりと口を開けた。
「手島と熊切は似たもの同士だった。二人とも本当に仲が良かったわ……。その中はタイムマシンによって引き裂かれたの……。どんな善人でも、人の手に負えないほどの力を手にすると悪人になってしまう……。熊切はそんな悪に染まった『友』を止めるために自分の命をかけたのよ……」
「私……覚悟を決めました」
のむが決意の眼差しを鈴木に向ける。
「俺達もです」
浦川と伊敷も同じ覚悟で鈴木を見つめた
その光景にミラはある出来事を思い出した。
『貴方が死んだら、タイムマシンを止められません。それは分かっているはずです』
ミラは冷静に判断して言った言葉だった。
しかし、熊切は笑った。
『心配するな、ミラ。必ず俺の後継者は手島を止めてくれるさ……』
『なぜそこまで言えるんですか? 後継者が誰になるかも分からないのに……』
『なんでだろうな……。彼らなら止めてくれそうな気がするんだよ……』
熊切は期待に満ちた目で、天井を見上げた。
そして、ミラも浦川たちの覚悟の声を聞きながら、天井を見上げた。
(熊切……貴方の言う通り、人間と言うのは面白いです……。この人達なら本当に手島を止めてくれそうな気がします……)
ミラの体は震えていた。
「さあ、作戦会議よ!」鈴木は呼びかけた。
「そうだ。作戦会議の前に、まず見せたいものがある。ついてきてくれ」
宮沢は立ち上がり、手招きする。
「どこに行くんですか?」
「ついてこれば分かるさ」
全員が宮沢の後に続く。リビングを出て、廊下を少し歩くと、二つの扉が見えてきた。
その二つの扉の一つを宮沢は開けた。
扉の先は、地下へと続く階段だった。
「更に地下……」
「暗いですね……」
浦川達はそう言いながらも宮沢の後に続き、地下の階段を下りる。
「さあ、着いたぞ」宮沢はそう言って、扉の前で止まった。
「ここですか?」
「浦川。開けてみろよ」宮沢は何故かにやけている。
浦川がゆっくりと扉を開けると、そこに広がっていたのは、機械の山だった。
しかし、その機械はどこかで見たような気がする。
あらゆる配線、生き物のように音を立てる機械――
「タイムマシン!」のむが大声を上げた。
「素人からすれば、研究所で見たのと同じに見えるな……」
「同じタイムマシンですよ」ミラは当たり前のように言った。
「熊切が作ったのね……」
「はい。このタイムマシンは未来のここにあるタイムマシンと繋がっています。なので、いつでも行き来が可能です」
「未来に……」
「はい。現次がこの過去に来た理由は手島を未来で研究させて、さらなる何かを生み出すためでしょう」
「それを未来に行って阻止するのよ」
全員が覚悟を決めて、タイムマシンを見上げた。
とある地下研究室で手島は喜びの声を上げた。
「まさかこれほど早く完成するとは……」
少年のようなまなざしで、タイムマシンを見上げていると、未来から来た男が近づいてきた。
「まあ、旧型のタイムマシンで帰るには未来でも同じタイムマシンを作らないといけませんがね……」
「じゃあ、新型はどんな機能があるんだ?」
「新型はまずタイムマシンに乗る際にこの時計を付けます」
現次は右腕に着けた時計を見せた。
「そして、場所と時間を決めて転送。そして帰る時にはこの腕時計を押すといつでも帰れます」
「凄いな……」
「ふふ、未来の貴方が作ったんですよ」現次は微笑んだ。
「それで、現次は何故この世界に来たんだ? タイムマシンを手伝いに来ただけじゃないだろ?」
「よくわかりましたね。私がここに来た目的は、貴方を未来に連れていくことです。未来で最高の研究をして、永遠に称えられる人間になってもらいたいのです」
「永遠か……」
「人間にはいつも老いが付きまといます。私の体が全て機械になったのも、老いが原因でした……。しかし、今の貴方は私の知る限り全盛期だ。そんな若い貴方が、未来の研究から新たなものを作り出す……まさに理想です」
「なるほど……それは面白そうだ……」手島の目は情熱に満ちていた。
「その言葉を待っていました。さあ、行きましょう。未来へ」
研究室のタイムマシンが唸り声を上げた。