その男彷徨う。
ガタゴトと雨戸が開き、掃き出しの窓が片側のみ開いた。フォーアイ堂の二階、軒下になる様に、ベランダが少しばかり張り出している。やれやれ………おはようさん、と店主がサンダルを履きながら、育てている香草や手すりに絡ましている、つる薔薇に声をかけた。
「どれ、涼しくなった、そうそう、米粒、はぁ………こっちに来たら、少しは動物達と話ができるか!と思ったけど、そうは問屋がおろさないんだねぇ、出来る様になったのは、あれこれ力を借りて、ちょっとばかりタロットが扱えるようになっただけだとは、何とも情けない」
屋根がついた、小洒落たバード台の上に置いてある皿の上に、エプロンのポケットからナイロン袋を取り出すと、米粒を一握り取り出しいれた。雀が電線に止まり、チュンチュンさえずりながら、彼女が立ち去るのを待っていた。
★★★★★★
電線に雀がとまっているのを、ガラス越しに、ぼんやりと眺めていた。昼休みのオフィスはがらんとしている。皆昼食をとりに行っているからだ。食べる気にならない俺は、空を見たり、街路樹を見下ろしそこの流れる世界をぼんやりと眺めていた。
「おい!昼飯買ってきた、一緒に食おう、こっちに来いよ」
少し前に出て行った同僚が、コンビニの袋を下げて帰って来た。自分のデスクに座り、俺に手招きをする。にこにこと無邪気に見てくる彼に、断り辛いものを感じる。
「あ、ありがとう」
言われるままに空いている彼の隣に座る。何が良いかわからんから、適当に買ってきた、好きなの取れよ、と2つあるうちの一つを見るように促してくる。
「俺は、パスタに唐揚げとサラダとおにぎりとハロウィン限定のスイーツ!これはお前のにも入ってるから、気に食え」
ペットボトルのお茶のキャップを回しながら、話してくる。手渡された袋の中には、おにぎりやサンドイッチ、唐揚げに菓子パン、サラダ、そして限定スイーツにお茶。こんなに食えるか!とツッコみたくなった。
「ほら、早くしろ、唐揚げはチンしてもらってんだから………何でもいいから食べろ、俺は大盛りミートパスタを食う!」
おにぎりのフィルムを剥がしながら、催促してくる。だめだな、俺って本当に………。ガサガサととりあえずおにぎりを選ぶ。同じようにフィルムをはがし、パリパリとした海苔を一口かぶりついた。
「そうそう、お前さぁ、スマートになり過ぎ、おかげで俺が丸く見られてんだぜ!これでも肥満度は標準だ。お前が痩せすぎ、てか美味しいな、ツナマヨ好きなんだ、コンビニおにぎりの」
とにぎやかに話しながら笑顔で食べている同僚、同じものを食べている。海苔と、ご飯、ツナマヨが俺の口の中でも混ざり合う。美味しんだろうか、多分、美味しいんだろう、数ヶ月前迄は二人で食べたりもした。美味しいなと言った記憶があるから。でも今は………わからない。
しばし無言の時間。二人で昼食を食べた。誰かと並んで食事をとったのは久しぶりだと思った。
「ハロウィンの夜まだ先だよ?………うん、せっかくだけどやめとく、そんな気になれないし…………」
一通り食べ終わった同僚が、何時もの店で飲まないか?と誘ってくれたのを俺は断った。薬指の指輪を、親指と人差し指ではさみ指を動かすと、くるりと回る。半年前には丁度だったと、ハッとした。それを目にした彼は、はぁぁと大げさにため息をついた。
「わかってるけどさ………うん。わかるよ。スッゲーわかるけどさ………麻里ちゃん、きっと今のお前見たら、泣くよ、うん、泣いて喚いて、お前の頭をペシッてはたくよ。お前家で飯食ってるのかよ………スィーツ食おう、お前も付き合え、俺があれこれと選んで買ってきたのに、お茶とおにぎり一個とは、幼稚園児でも、もう少し食べるぞ!」
容器やフィルムを袋に突っ込むと、カボチャとジャックが描かれた袋をべりっとあけると、中身のロールケーキを嬉しそうに頬張っている。カボチャクリームだぜ、と話して来る。
「うん、ありがとう………ハロウィン限定のって、気が早いね。そうか………クリームだから食べなきゃだめか………」
そうだ勿体ないから食べろと、言われ俺は少し渋々とたが、甘いそれを食べた。優しい味だと思ったが………美味しいのかどうかは、やっぱりわからなかった。麻里が生きてたら、きっと美味しいと思うんだろうな、と思いながら………。
俺の奥さんが死んだ。青い空の夏の日に、突然に、俺の側からいなくなった。想定外というのか、そんな事どう想定するのか、年を重ねていたらそうかもしれない、しかし俺達は、まだ若くて、奥さんの麻里のお腹には子供がいて、何もかもがこれからで、始まったばかりだと思っていた。
「まだ若い、しっかりしなさい」
そう言われる、しっかりしろとはどういう意味だろう。通夜の夜、式が終わり列席者が帰った後に、子供の様にすがって泣いたのが、いけなかったのだろうか。
火葬場で堪えていたのが途切れたのが、いけなかったのだろうか。泣いたらいけなかったのだろうか。わからない。今になっては、その時の記憶だけ、何故か酷く曖昧になっているから。
そして、彷徨うようにそれから時を過ごしている。朝が来るから起きる、仕事が終わるから帰る。家までを歩く、電車に乗り降りて、それからまた歩く。
最近よく思う、家とはなんだろう、帰る場所というが、そうなのだろうか。帰っても誰もいない場所が、果たして居場所なのだろうか………。
「もう少したったらハロウィン、か………子供が産まれたらコスプレしたんだろうな、そして年賀状にプリントしたりして………はぁ………どうして俺は、あの時、言っておかなかったんだろう」
残業帰りの夜の道をうつむき歩いていた。最後に交わしたメールが悔やまれる。家に帰ってから教えてね、と最後になったそれ。
…………、ふ、麻里に逢いたくなった。胸がジリジリ熱くなる。塊がこみ上げる。俺は慌てて大きく深呼吸をした。人通りがほぼないといえ、こんな場所で泣くわけにはいかなかったから………
「オヤオヤ、オニイサンモ、ドコニモ ヨセテモラエナイのだね」
深く響き、闇にとろける声が何処からか聞こえてきた。俺は目をしばたかせると、キョロキョロとその方向を探す。直ぐにわかった。うつむいていたから見えてなかっただけなのだ。数歩目の前に、黒いヒラヒラとした布をすっぽり被った人が、片手に灯りのともる、奇妙な物をぶら下げ立っていた。
「早めのハロウィンパーティー?でもカボチャじゃなくて……、それ、大根?」
「だ!ジャパニーズといえユルスマジ!これは聖なる蕪!カブ!かぶだ!食ったことクライアルダロ!ああ?」
大根と言う俺に即座に反応し、怒りながら灯りを上に掲げ見せつけてくる。その時見えた………気がした。灯りはそれ一つ、街灯はオレンジの明かりがポツリ、ポツリ、離れているとハッキリとは認識出来ないが、葉っぱを握っている手は黒の手袋だが………何かおかしな風体。風が吹けば飛ぶような軽さがある。
「あ、あ、かぶね、漬物とかの、どうして?ハロウィンならカボチャ」
「キィー、我とオナジ、クライ中を彷徨うタマシイだから、タスケテヤロウトシタノニ、カボチャ!ナンタルクツジョク!シラヌ、ワレハ怒った!」
ゴウウ!と風が吹いた、わわわと目を閉じる、一瞬にして終わる、恐る恐る目を開けると誰もいない。
ただ消えた布切れカブ男の、深い声だけが耳に残っている。
『暗い中を彷徨う魂』
そうか………このジャリジャリとした、砂の中に沈んでいる様に感じてるのは、そういう事なのかと、俺は納得をした。それは酷く悲しく寂しく………辛い。
☆☆☆☆☆☆
昔々の事だった、ジャックと言う男がいた。『意地悪なジャック』人々は彼をそう呼ぶ。そして彼もその通りの行いをし喜んでいた。
皆は言う、あれは死んだら地獄に堕ちる。
ジャックは悪魔を呼び出し罠にかける。十字架にはさみ、酷く苦しい思いをさせ喜び眺めていた。離して欲しければ、俺が死んだら、地獄に行かないようにしろと迫った。
悪魔は頑張ったが、どうしようもなくなり、彼に約束をした。そして彼は年を取り病に伏した、いよいよ最後の時、ジャックは力を振り絞り畑にでる。
そこには種を蒔いたばかりの小さな小さな蕪の芽、ジャックはニヤリと笑うと約束をした。お前が大きくなるまで、毎日水をやろう、かわいい蕪よ………彼は死んだ。
地獄にいけぬ魂は天国に向かった、そこで彼は天使に涙ながらの懇願をする。
悔い改めます。善人になります。だから地上に返してください、小さな小さな蕪に約束をしたのです。私がいないと蕪は枯れてしまうのです。
天使は憐れに思い、彼を信じて生き返らせた。ニタリと嘲笑う意地悪なジャック、彼は蕪には約束を果たした、しかし善人にはならなかった。好き勝手に生きて、再び死んだ。
天使は彼に首をふる、意地悪なジャック、天国はソナタに門扉は開けません、闇の中を彷徨い歩き続けろ、ジャックは地上におとされた。暗い暗い中を手探りで彷徨い始めた意地悪なジャック。
それをあの悪魔が憐れに思い、地獄の劫火のかケラをヒトカケラ、彼に手渡した、灯りになる様にと………
ジャックはそれを手に握っていた、彼の蕪の中に入れた。蕪はランタンになった。ボウと地獄の灯りを宿して、ジャックを照らす。道なき世界を共に彷徨う道標。
意地悪なジャック、蕪を手にして歩いてる、いつの間にかカボチャに取って代わっているが…………。
伝説の男は……、年がら年中、行く宛のない世界、闇の中を蕪と共に彷徨い歩いている。
参照、『意地悪なジャック』