訪問者H
激しく雨が打ちつけ、自分で発する声すらよく聞き取れないある夜。
一人の男は、とある森の中。
ある男一一否、女かもしれない一一を執拗に追い回していた。
追っている方の男も、追われている方の人も。
同じくフードを目深に被り森を這いずりまわっている。
やがて、追う方は追いつき。
執拗に、追われていた方に拳を食らわせる。
追われていた方が地に伏し、降参の意思表示として手を上げても。
この攻撃は続いた。
追われていた方は、ひたすらに頭を手で守り地に伏せて堪える。
それを面白がってか、追っていた方はさらに攻めの手を強める。
やがて拳だけでは飽き足らず。
追っていた方は立ち上がり、今度は足で追われていた方の頭を、背中を、腰を、また執拗に蹴る。
追われていた方はついに、体勢が崩れ。
そのまま左脇腹を下に倒れ臥す。
口からは血も出ている。
激しく息を吐きながら、血を噴きながらも追われていた方は必死に唇を動かす。
"もうやめて"
そう見えた。
だが、追っていた方はそれを嘲笑うかのように口角を上げる。
いや、実際に嘲笑っているのだ。
手には、折り畳み式ナイフが刃を広げた状態で既に握られている。
そのまま、追っていた方は。
馬乗りになり、刺しては抜き、刺しては抜きを繰り返す。
鮮血が、ほとばしった。
□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■
「大門、大門!」
「う、ううううあああ! ……はあ、はあ……」
その夜、私立探偵の九衛大門は目を覚ます。
起こしたのは。
「はあ、はあ……なんだ日出美? こんな時間に来てたのか……」
「大丈夫だよ! 私は心配されないし。」
「あはは……そうか。」
この探偵事務所に出入りする少女・日出美である。
「それより大丈夫? 馬鹿にうなされてたよ。」
日出美は心配そうに、大門の顔を覗き込む。
「ははは……大丈夫。またあの夢だよ。」
「全然大丈夫じゃないでしょ!」
日出美は口を尖らせる。
「だから、大丈夫だって。……まったく、こんなに身に覚えの無い夢ばかり見させるなんて、神も残酷だな……いや」
大門はベッドから立ち上がり、窓の前に来ると。
そのままカーテンを引き、外を見る。
「悪魔か。」
□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■
翌日。
「ほら大門! 早くしないと!」
「分かってるって! まったく、朝から子供は」
「何?」
「……若いお姉さんは元気だねえ!」
「……まあよろしい!」
子供扱いされたことに膨れっ面の日出美は、大門の言葉で一応は機嫌を直す。
大門は空を見る。
手のひらを胸の前で、上に向ける。
曇っているが、降ってはいない。
雲の切れ間から日光がまばらに降り注ぐ。
よしんば降ったとしても、精々通り雨だろう。
「ひーろーとー!」
「はいはい、今行くって!」
見ると、日出美が遠い。
保護者としてこれはいかんと、先を急ぐ。
「ついたー!」
「早いよ! おっさん走らすなよ!」
「ああん!」
「……若いお兄さんと言えど、あんまり走らせるなよ。」
今度は自分自身を年寄り扱いしたことに対し、日出美は怒る。
「……私がおばさんになるまで、あなたはおじさんじゃないよ?」
「いや、どういう意味だよ!」
日出美はそれだけ言うと、碁会所の中に入っていってしまった。
大門は慌てて追う。
「ほほう、これは若い者が私に? これは面白い、受けて立とう!」
「よおし、受けて立つ!」
「だあ! こら待て! ……すいません、おじいさん。」
中で老人に碁を挑もうとしていた日出美を制し、大門は老人に謝る。
「……? 何を言っているんだ? さあ、相手をしてくれよ。」
「え? 僕ですか!」
老人は一瞬怪訝な顔をした。
大門はそれが気になったが、すぐに気を取り直す。
「……いいでしょう。では、置石をどうぞ」
「おいおい! 侮ってくれちゃあ困るね。これでもそこそこ打てるんだから。さあ、置石はそちらが置きたまえ。」
しかし大門は、首を横に振る。
「いやいや! 僕にそんな有利にしないでくださいよ、コテンパンにしちゃいますよ?」
「な……ほほう! 調子に乗るなよ若造? では、互戦と行こうか! さあ、握って」
「いや、コミ無しで僕が白番でいいです。」
「なーにー!」
老人は起こる。
つまり、それは大門側が不利であることを意味する。
「ばっ、馬鹿にしおって! よおし、いいだろう! ぼろ負けさせてやる!」
「ええ〜と……それはどうぞお手柔らかに。」
3時間後。
「え〜っと、もう……いいですか?」
「いいや、まだまだ!」
「え〜、おじいさんもう中押し(降参)しちゃいなよ!」
「くっ……くう!」
盤面は既に、大門の圧倒的勝利を告げていた。
「くう〜! ……すまぬ、負けてくれんか?」
「……えっ?」
大門はズッこける。
棋士にあるまじき言動である。
「頼む! ここで負けたら私のここでの不敗神話が!」
「不敗神話、ですか……」
それにしても、負けてくれとは。
それは不敗神話を維持したとしても、腐敗神話になってしまうんじゃないか。
さておき。
「分かった……では、ミステリークイズを出す! これは誰にも解けない、解けなかったら負けてくれ! どうだ?」
「ええ〜、おじいさん! 大門はそんな」
「受けて立ちましょう(キリッ)」
「ええ〜!?」
日出美は呆れる。
まあ、ミステリーと知れば食いつくのは。
本業探偵の、大門の性かと納得もいくが。
「おお〜、さすが若造!」
「ははは……でも、『これは誰にも解けない』っていうのはどうですかね?」
「何?」
大門の言葉に、老人はピクリと眉を動かす。
「……その、〜ないっていうのは、所謂悪魔の証明でしょ? でも、『誰にも解けない』っていうことの証明は簡単ですね。」
「ほ、ほう? それはどういう意味かな?」
老人は今一つ、話が見えないが。
「だって、それを僕が解けた時点で、『誰にも解けない』というのは偽であると証明できますから。すなわち……『それが悪魔の証明ではない』という悪魔の証明が成り立つわけです。」
「ほほう……ミステリークイズにも自信満々か。では、出そう。」
老人は一枚の、紙を見せる。
紙には、以下のような問題文が。
4階建のマンションの屋上に、
Aくん、Bくん、Cくん、Dくん達が景色を見るため
上がった帰り。
マンションにあるただ一つのエレベーター(5人乗り)に乗った彼らは、順番に降りて行った。
まず、4階で一人目のAくん。
次に、3階で二人目のBくん。
そして2階で三人目のCくんが降り、
最後にエレベーターにはDくんという人物だけが
残った。
しかし、降りた直後にエレベーター内に落とし物をしたことに気づいたCくん。
エレベーターは既に1階に行ってしまったため、再びボタンを押して2階で待つ。
しかし2階に来たエレベーターの中にはDくんが一人血まみれで死んでいた。
さて、Dくんを殺した人物は誰?
「さあ……解けるかな?」
「ははは……いいでしょう。」
まるで老人の得意げな顔と鏡合わせのように、大門も老人を笑みを浮かべ見据える。
「それが悪魔の証明ではないという悪魔の証明、承りました。」