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めぐりの星の迷い子たち  作者: 陽澄すずめ
第1章 凪を待つ砂の海
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1ー6 そこに住む理由

 揺り起こされて気付いた時には、ワゴンは知らない場所に到着していた。わずかながらも木々が生え、それに隠れるようにして小さな家がある。

 いつの間にか陽は傾き、西の空には燃えるような夕焼けが広がっていた。


「今日はここにお世話になるから」


 そう言ってコウが車を降りたので、僕もそれに続く。

 僕たちが家の玄関に到着するより先に、中から一人のおばあさんが出てきた。たぶん、コウの荷物に付いた鈴の音が聞こえたのだろう。

 おばあさんはコウの姿を見るなり、皺だらけの顔にぱっと笑みを浮かべた。


「コウさん! いらっしゃい、そろそろじゃないかと思ってたのよ」

「こんばんは。すみません、遅くなってしまって」


 親しげに挨拶を交わす二人に居づらさを感じ、僕はそれとなくコウの背後に回った。

 しかし、敢えなく見つかってしまう。


「あら、そちらの方は?」

「あぁ、今回だけ手伝ってもらってるんです。だいぶ前にこちらに来ていたジンさんを覚えてますか? 彼の息子なんですよ」

「まぁ、ジンさんの」


 おばあさんは目を輝かせる。

 コウの紹介の仕方とおばあさんの反応に戸惑いながら、僕はおずおずと頭を下げた。


「……初めまして、ナギです」

「ナギさん、双子のお兄さんの方ね。初めまして、お会いできて嬉しいわ。さぁ、上がって上がって」


 扉を大きく開けて家の中へ促そうとするおばあさんに、コウは苦笑する。


「それより先に、まず荷物を運ばせてください」


 僕はコウを手伝って、ワゴンの荷台に積んだ荷物を家の裏にある倉庫に運び入れた。そこは既に空に近い状態だった。貯水タンクの中身も街の貯水池と同じように残りわずかだ。

 倉庫の隣にある畑の土も乾ききっていて、何かの作物の残骸だけが虚しく横たわっていた。


 おばあさんは、街から持ってきた織物をとても喜んでくれた。


「これで新しい服が作れるわ。瓦礫の街の生地は丈夫だから、いつも重宝してるの」


 代わりに、おばあさんの縫った服を受け取ってワゴンに積んだ。



 夕飯は、三人で食卓を囲んだ。メニューは雑穀のご飯とスープだ。

 あの倉庫の中身からしても生活はぎりぎりのはずなのに、ご馳走になってしまっていいのだろうか。


「このスープ、ジンさんの大好物だったのよ」


 おばあさんはにこにこしながらそう言った。干し肉とアロエの入ったスープは、さっぱりとした味で不思議と舌に馴染む。温かい料理に、何だか気持ちがほっとした。


「口元がジンさんによく似てるわ。妹さんはお留守番?」


 そう問われ、僕は先ほどから浮かんでいた疑問を口にしかける。


「はい、あの、どうして……?」

「あぁ、ごめんなさいね。ジンさんからご家族のことをいろいろ伺ってたものだから。もうこんなに大きくなったのね」


 おばあさんは優しく目を細めた。

 どうして良いか分からなくて、僕は少し身じろぎをした。訊くんじゃなかった、と思った。


「もう十年になりますからね」

「そうね、もうそんなに前になるのね」


 十年。

 まるで他人事だ。


「いつだったかしら。ジンさん、お子さんたちが描いた自分の似顔絵を持ち歩いてて——」

「あぁ、ありましたね、そんなこと——」


 正体不明の苛立ちがじわじわと募っていく。和やかに交わされるあいつの思い出話に、耳を塞いでしまいたい衝動に駆られる。

 一人だけ不機嫌な自分が酷く場違いに感じられて、僕は黙々とスープをすすり続けた。




 その夜はこの家に泊めてもらうことになった。いつもそうしているらしい。

 おばあさんは僕たちのベッドの上に蚊帳を吊ってくれた。


「蚊帳、足りないんじゃないですか?」


 コウがそう尋ねると、おばあさんは曖昧に肩をすくめた。


「いいのよ、一晩くらい大丈夫だわ。あなたたちはお客さんなんだから、気にしないで」


 僕ははっとした。この家には二人分の蚊帳しかないのだ。僕とコウが使ったらおばあさんの分が足りなくなってしまう。僕が急に来たせいだ、と思った。


「あの、僕は蚊帳はいいです。おばあさんが使ってください」


 そう申し出たが、おばあさんは首を横に振る。


「いいの、使ってちょうだい」


 その時おばあさんが、さっと左手を隠すような仕草をした。そこに包帯が巻かれていることに、僕は気付いてしまった。


「その左手……」

「えぇ……私も少し、悪くなってきてしまって。嫌なことを思い出させてしまったかしら。ごめんなさいね。だから蚊帳はあなたが遠慮なく使ってね」


 おばあさんが言っているのは、同じヒルコ症で死んだ母さんのことのようだった。

 見たところ、おばあさんの病気はまだ初期だ。たぶん、雨季を越すまでに腫れは左腕全体へと拡がってくる。そして、三年以内にはきっと——

 今まで意識していなかった蚊よけの香の匂いが、不意に濃くなったように感じた。


「……おばあさんは、ずっとここに一人で住んでるの?」

「えぇ、そうよ」

「寂しくないの? 街に来ればいろいろと便利なのに」

「確かにそうね、ちょっと不便な時もあるわね」

「だったら……」


 おばあさんは目尻の皺をいっそう深くして言った。


「でもね、寂しいと思ったことはないのよ。この家には主人との思い出がたくさん詰まってるんですもの、離れる気がしなくって。それに時々、こうしてあなたたちが訪ねてきてくれるしね」




 あいつもこのベッドに横になったのだろうか。

 見慣れない天井を蚊帳越しに眺めながら、僕はぼんやりとそんなことを考えた。

 コウは既に眠ってしまったらしく、部屋の反対側のベッドから小さな寝息が聞こえてくる。その他には何の物音もしない。静かな夜だ。


 未だに僕は少し苛立っていた。

 僕にとっての父親は、立ち去っていく最後の姿が全てだった。それ以前のことは、幼かったということもあってほとんど記憶に残っていない。

 だけど。


——ジンさんからご家族のことをいろいろ伺ってたものだから。もうこんなに大きくなったのね。


 あいつは僕たちのことを勝手にべらべら喋っていたのだ。どうせ月へ行くことについても、調子のいい理由を並べて話したに違いない。

 そのせいで、おばあさんはあいつのことを家族思いの男だと勘違いしたままだ。

 また、行き場のない怒りがふつふつと込み上げてくる。

 僕たちを見捨てたくせに。一人で月に逃げたくせに。

 何なら本当のことを話してやってもいい。あいつは病気の母さんを見限り、僕とナミを置き去りにした裏切り者なのだと。


 一つ、深い息を吐く。代わりに吸い込んだ空気は少しひんやりしていた。

 僕は小さく頭を振る。

 今さらそんなことをして、いったい何になるというのだろう。僕は今日たまたまここについてきただけなのに。


 孤独な生活の中で病魔に冒されながらも、僕たちが来たから寂しくないと言ったおばあさんの笑顔を思い出す。

 僕はもやもやとした気分のまま、深い眠りに落ちていった。

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