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めぐりの星の迷い子たち  作者: 陽澄すずめ
第2章 瑠璃色に染む星と花
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2ー6 瑠璃色の花の名前は

 地球に落とされ、泳ぎ着いた湖のほとりで、俺はしばらく物思いに耽っていた。

 一陣の風が駆け抜け、群れなす草花を波立たせる。濡れた衣服が冷えて、俺は連続でくしゃみをした。このままでは体調を崩してしまいそうだ。


 幸いなことに、風さえなければそこそこ暖かい。服を脱いで水を絞り、近くにあった木の枝に引っ掛けて乾くのを待った。

 そうこうするうち、空の色が変わりつつあることに気付く。いつの間にか太陽の位置はずいぶんと低い。その周辺は橙色に染まっていた。

 本物の『夕焼け』だ。

 その橙色は、太陽から離れるに従って白に近い黄色のグラデーションとなっている。それが透き通るような淡い青に繋がって、次第に紫がかった闇の色へと移り変わっていく。


 呼吸も忘れて、ただただ空に見入っていた。

 同じ現象を模した映像を幾度となく目にしてはいたが、それとは比べ物にならないほど繊細な色彩の変化だ。思わず溜め息が漏れる。


 張り出してきた夜の帳の低い位置に、今にも消え入りそうな薄い色の月が浮かんでいる。

 もう帰ることもない、俺の故郷。

 途端、胸の奥に鋭い痛みが走った。

 自分の犯した過ちと共に、幸せだった日々の残滓が蘇ってくる。


 種子の詰まったポリ袋を胸に抱き締める。

 宇宙船スペースプレーンの中で固めた決意を、今一度思い起こす。


——ジンさん、待っててください。


 ■ ■ ■


 シロバナムシヨケギクとヒルメヨモギ。

 両者ともずいぶん前の絶滅種だが、辛うじて遺伝子構造の文字データだけは残っていた。

 開発には、何かベースとなる植物が必要だ。俺はシロバナムシヨケギクの近縁種の中でも唯一種子の現存する『ヨモギギク』をそれに使用することを考えた。


 ヨモギギク。

 茎の先端付近で放射状に枝分かれし、ボタン状の黄色い花を咲かせるキク科の植物だ。のこぎり状の葉に防虫効果のある芳香を有し、その全草には強い毒性を持つハーブの一種である。

 ヒルメヨモギもキク科なので、遺伝子的には親和性があるはずだ。



 ジンさんを見送ってから数日後、俺は直属の上司であるユニット長にそれとなく伺いを立てた。だが予想通り、「コロニーに必要のない植物の開発許可が下りる可能性はない」と一蹴されてしまった。


 そのため、俺は博士課程ドクトラル・コース時代の恩師を頼った。


「地球時代に絶滅した植物の遺伝子構造に興味が湧いた。今後の有益な開発に向けての遺伝子サンプルの一つとするため、私的に開発実験を行いたい」


 そんな事情を添えて相談を持ちかけたのだ。何一つ嘘は言っていない。


 この恩師は、実利に縛られず自由な研究をしたいがために、植物遺伝子学研究所を辞めて今の職を選んだ人だった。

 新種植物はただ開発するだけであれば、特にそれを規制する法律は存在しない。

 俺は恩師の理解を得て、後輩たちの研究の相談役を務めることを条件に、大学院内の設備を使用させてもらうことになった。

 在学中に例の小麦を開発した自分の実績に、これほど感謝したことはなかったかもしれない。あれも、俺のこうした好奇心を突き詰めた末に完成したものだったのだ。


 さっそく俺は作業に取りかかった。

 仕事の終わった夜間や休日に大学院の研究室へと赴き、後輩たちへのアドバイスもしつつ、自分の研究を進める。

 ほとんど家には帰らず、睡眠時間も削り、大学院から直接職場へ出所する日々が続いた。

 


「この頃、大学院の研究室に入り浸ってるようだな」


 数ヶ月経ったある日、所長からそう言われ、俺は一瞬ぎくりとした。

 だがこれは、趣味と言っても過言ではない、私的な領域のことだ。謝礼等も発生していないし、服務規律違反にはならないはずだと気を取り直した。


「えぇ、後輩への助言がてら、僕もいろいろと刺激をもらってます。彼らの若い視点から思わぬヒントを得たりできるんですよ」

「研究熱心なのはいいが、休息も大事だぞ。ほどほどにな」


 どうやら他意はないらしい。俺はほっと胸を撫で下ろした。



 実に気が遠くなる作業だった。

 元々あるヨモギギクの遺伝子に、シロバナムシヨケギクの殺虫成分とヒルメヨモギの駆虫成分を生み出す構造を組み込んで、ゲノムの情報を書き換えていく。

 様々な配列を試しては、できた種子を発芽させる。


 花を付けないもの、花は咲いても雄しべが欠損していて世代を継ぐことができないもの、そもそも生長すらしないもの。

 シャーレの上で、培養液の中で、人工土壌に抱かれて。生まれては潰えていく、不完全な命たち。

 実験を続けていると、時おり思い出したように疑問が降ってくる。

 こんな風に自然物の遺伝子情報を操作してまで人間を生かそうとするのは、果たして正しいことなのだろうか、と。

 しかもそれを行うのは、同じく遺伝子操作されて生まれたこの俺だ。なんと皮肉な入れ子構造(マトリョーシカ)かと、自嘲気味になったりもした。


 数えきれないほどの失敗や葛藤があり、何度も心が折れかけた。睡眠不足が嵩み、体力も常にギリギリだった。

 それでも心身ともに大きくバランスを崩すことなく開発を続けられたのは、少なからずルリのおかげだった。

 ルリは俺の様子を見に、ちょくちょく大学院の研究室へやってきた。


「酷い顔してる。研究に没頭するのもいいけど、ちゃんと食べなきゃ駄目よ」

「さぁ、今から一時間、仮眠を取ってね」

「たまには気分転換に外へ出ましょう」


 一度集中すると周りが見えなくなりがちな俺は、こうしてルリが気に留めてくれることで、精神的にも身体的にも安寧を得ていた。

 ルリはいつしか、俺の中で掛け替えのない存在になっていたのだった。


 ルリと肌を重ねるたび、不思議な気持ちになった。

 地球を捨てた人類は、もはや自然に命を紡ぐことができない。

 それでもなお、相手を求める衝動がこの身体には残っている。身体と身体で繋がることで、他では得難い充足感を得ることができる。

 それはいったい何のためなのだろう。

 どれだけ考えても、答えは見つかりそうにもない。


 ただ——そんな時は必ずジンさんのことを思い出す——大切な誰かと一緒に生きたいという強い想いが、人を生かす。それだけは確かな真実なのだ。




 そして、二年の時が経過した、ある日の明け方。


 奇跡の一輪が、ついに開花した。


 それは美しい青色の花を持つ突然変異種だった。ジンさんの住む地球にも似た、紫がかった深い青の。恐らく、ヒルメヨモギの花の色が出たのだ。


 花の胚珠を一部取って、成分分析にかける。結果の数値を目にした俺は、思わず椅子から飛び上がった。

 そして、たまたま研究室の端のベンチでうたた寝していたルリを叩き起こし、モニターを見せた。


「ルリ! 見てくれ、この成分表!」


 寝惚けまなこだったルリは、一瞬のうちに目を見開く。


「トワ……嘘、これ……」

「そう、ついに二つの成分を併せ持つ花が咲いたんだ」


 俺たちは抱き合い、笑い声を上げた。子供のようにはしゃいだ後、もう一度ルリをきつく抱き締めた。

 ずっと支えてくれた彼女と、唯一無二の瞬間を分かち合うことができたということこそ、俺にとっての奇跡だった。


 受粉させた花を枯らすと、ごま粒大の種子がたくさんできた。その種を発芽させ、生長を見守る。

 植物の生育速度を極限まで高めることのできる特殊な培養装置の中で、まるで早回し映像のごとく見る間に茎や葉が伸びていく。

 再び開いた花々は、やはり目の覚めるような青色だった。


「生物実験ができればいいんだけどな。肝心の虫がいない」

「殺虫成分の方、哺乳類と鳥類以外の生物に対して毒となるんでしょう? 両生類や爬虫類ならうちの研究所ラボにいるわ。私、実験してこようか?」

「いや、趣味で作った植物だし、そんなものを持ち込んだらまずいだろう」

「大丈夫よ、任せておいて。うちは大学からの実験依頼も受け入れてるし、今度は何も問題ないわ」

「今度は?」

「ううん、何でもない。私だってジンさんのために何かしたいのよ」


 三日後、ルリから実験結果の報告があった。


「爬虫類も両生類も、この花から抽出した成分をボックス内に充満させた後、間を置かずして痙攣、死亡したわ。地球時代の実験データと照らし合わせても、この新しい花にはそれと同様、またはそれ以上の効果があるという結果が出てる」

「駆虫成分の方はどうだ?」

「そっちは肝心の糸状虫がいないから成分の比較だけだけど、幼虫を殺すぐらいの効果はあるはずよ。生薬として使えると思う。ただ——」


 優秀な研究員・ルリ博士は、淀みのない口調で続けた。


「ヨモギギクそのものの毒性が問題ね。花部分の毒はかなり緩和されてたけど、葉や根っこを経口摂取すると痙攣や嘔吐などの症状が出る。最悪、死に至ることもある」

「それは俺も少し気になってたんだ。まぁ、毒性の強い部分を口に入れなければ大丈夫だろ」


 その新しい花を、俺は『ルリヨモギギク』と名付けた。


「やめてよ、開発者はトワなのに」


 ルリはそう言ったが、俺は譲らなかった。


「ルリがいなかったら、俺は途中で開発を諦めてたと思う。それに、この色にもぴったりだし」

「……私、こんなに野暮ったくないわよ」

「まぁ、そう言うなって。記念にこの種、一袋持っててくれよ」

「もう……仕方ないから、もらってあげるわ」


 口を尖らせて俺を軽く睨んだルリは、文句を言いつつもその種子の袋を大切そうに仕舞ったのだった。

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