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君を知りたいアリス  作者: 飾巣
不幸な少女
6/33

貴方は何者?


 愛理子のことをじっと見つめる、ウサギの少年。

 細いアイラインを引いたような、黒線で囲まれた特徴的な――皮肉にも、あの夢の中のウサギとそっくりな目は、明らかにこちらに敵意を向けている。

 

「っ……!」


 愛理子は息を詰まらせた。

 膨らみすぎた心臓がはちけて、アスファルトに着いた足ががくがくと折れてしまいそうになる。

 なっ、何! 何でっ……!? 叫声を上げそうになったが、喉に張り付いて出てこない。何で。何で彼が、ここで待ち伏せているの……っ。


 頭一つ分背の低い少年は、腰に手を当てると、じっと愛理子を覗き込むようにしてきた。ねめつけるように。責めるように。両耳をこちらに向け、鼻までもをひくひくとうごめかしている。


 その理由は。

 後を、つけていたからだ……!


 心当たりに行き着くと、一気にパニック状態へ陥った。

 どうすればっ、どうすればいいの? せわしなくスカートの裾を掴んだり離したりして、必死に考えをまとめる。


 不審人物に会った時、どうする? 私なら。そう、逃げて、助けを呼ぶわ。通報する。それは、犯人から見て、どうなんだろう……? 


 視線を余所へさまよわせて、手をもんで、考えて、やがて一つの結論に至った。け、警察……警察に連れて行かれる……。


「ごめんなさい!」


 愛理子の口は咄嗟にそう叫び、彼に勢いよく頭を下げていた。


「ごめんなさい、悪気はなかったんです! ストーカーのつもりはありません! ただ、貴方がどこかの劇団の人なのかなって、そうなら、それはどこなのかを知りたかっただけなんです! 私、不思議の国のアリスが大好きだから、もし劇をするなら、見たいなって……名前も、何もわからないから……! とにかく、本当にごめんなさい!」


 何度も何度も頭を上げては下げるを繰り返す。膝小僧にぶつかって、額がひりひりする。必死だった。皺がよったスカートを握る手の中だけでなく、全身から汗が噴き出していた。


 ストーカーは立派な犯罪だ。わかっている。社会のルール、常識として。

 だけど、こうして自分が糾弾されることになるとは、思いもしなかった。自分がしていることが同じなのだと、自覚もしてなかった。

 ただ、軽い気持ちでウサギを追いかけて――……浮かれて。


 どうしよう、私は犯罪者になるの? 

 今に倒れそうになるくらいの不安が襲ってきて、自分の身体を守るように、腕を胸元でクロスさせた。

 警察に捕まるの? 裁判にかかって、少年院に入れられるの? そうなったら私は、私の家族は……。だって、お父さんにもお母さんにも、立場があるのよ……でも、娘が犯罪者になったら……それに、学院は……。


 出来心じゃすまない――わかっている。

 悪いのは、私だ。

 

 そう、頭の中では、わかっているのだ。

 でも、いくら常識ではそうだと言っても、まだ高校生である愛理子が受け止めるには、あまりにも荷が重くて……。


「――――」


 頭上から声が降ってくる。

 そろそろと顔を上げると、困惑した様子の少年の手が伸びてきて、「――」何かを言いながら、愛理子の肩に触れようとしてきた。

 

「嫌っ!」


 身をひいて、思いっきり叫んだ。殴られるかと思った。

 いきなりダンッ! とアスファルトを叩きつけるような音がしてきて、それが余計に恐怖を煽らせた。


「嫌! やめてよっ!」


 叫んではいるけれど、実際にはどこも痛くなかった。それどころか、いつまで経っても、手の感触が肩にくることはない。

 どういうこと? 恐る恐る目を開けると、少年が痛そうに、頭の白い耳を塞いでいるのが見えた。口からキーキーと、小さな悲鳴を上げている。

 はっと、愛理子は正気に戻った。


「ご、ごめんなさい……っ。大丈夫ですかっ?」


 慌てて介抱しようとすると、がばっと顔を上げてきて、きっと、睨みつけられた。

 つりあがった黒い瞳が揺れている。強気でありながら、どこか不安げな色を感じて、つい、まじまじと見つめ返してしまっていた。


 色白で、男の子にしては可愛らしい顔立ち。

 少しいがんではいるが、西洋貴族のように後ろに一つにまとめた、雪のように真っ白で、ウェーブのかかった髪。ピンと立った本物みたいなウサギ耳や鼻が、ぴくぴくと敏感に動いていている。


 怖いというより、むしろ愛くるしくなってくるのはどうしてだろう。

 そう、ちょうど白ウサギみたいに、ふわふわっとした、可愛い小動物を見ているような感覚……。


 気づけば、その黒い瞳に意識を絡め取られていた。もっと、その顔を見ていたい。そんなおかしな気さえ起こってしまう。

 好意を向けている彼女が膨れるのを見て笑っている、恋愛小説の男の子の気持ちって、こんな感じなのかしら……。


 いつの間にか頬に両手を当ててさえいる愛理子の反応に気圧されたのか、とうとう少年の方が後方へ飛びのいた。

 睨んでくるのは相変わらずだが、その顔は明らかに引き攣っており、さっきよりも随分と距離を取られているような気がする。

 

 ああ、いけない。

 両手を下ろした愛理子は、わき立った気持ちを誤魔化すように、両手をもんだ。

 私ってば、すごくおかしな人じゃない……。

 そんなことないって、言わないと。貴方を襲う気なんてないのよって、伝えないと。私はそんな、肉食動物みたいに飛び掛ったりしないって……。


 ……そうだ、話せばいいんだ。


 ふと、そうぴんときてから、心が落ち着きを取り戻していくのがわかった。

 

 さっきまでの愛理子は、最初から彼が自分を理解してくれないものだと決め付けて、勝手に混乱していた。一方的に言い訳をして、一方的に謝って。理解して貰いたいはずの彼を、完全置き去りにしていた。

 彼が何かを言ってきた時だって、それを聞こうともせずに、怖がって、振り払って。そんな自分が恥ずかしい。


 ともかく、自分の想いをもう一度伝えなければ。今度はしっかりと、彼を置いていかないように。言い訳にしかならないかもしれないけれど、悪気がなかったのは本当なのだから。

 

「あの……、お話させていただいても、よろしいですか?」


 ぎゅっと制服のスカートの裾を握りしめて、改めて少年と向き合った。


「私、新風愛理子と申します。貴方に不愉快な思いをさせて、本当に申し訳ございませんでした。その、失礼なこととは承知しておりますが――、」

「……」


 途中、彼が首を傾げているのに気づいたので、ひとまず話を中断した。

 まだ本題にも入っていないのだけれど……見ると、ウサギそっくりの耳は、両方ともしっかりと愛理子の方を向いていた。ということは、聞こえていないというわけではない。


 聞こえているけれどわからない、とくれば……外国人、かしら。

 そう考えて、なるほど、と納得した。


 彼の顔立ちは、日本人らしくない。人込みの中でやけに人とぶつかっていたのも、道に迷っているようだったのも、日本の都市に慣れていないとすればしっくりくる。

 愛理子は彼を劇団員だと思っているが、海外から人を呼んだということなのだろうか。それとも、海外の劇団が日本に来ているということなのか。


 なら、日本語で話したとしても駄目だと、英語に切り替えた。

 華ヶ丘女学院の生徒は、「世界でも花開く人材を」という学院の理念に従い、英語を始めとした語学教育に励んでいるので、英語には堪能だ。


 けれども、彼は理解しかねるといった風に、さらに顔を顰めてきた。


 だが、愛理子は焦らない。他の国の言葉だって堪能なのだ。世界の文学を原語で楽しみたいという想いから、様々な国の言語をマスターした。


 思いつく限りの言葉を使って、愛理子は気持ちを伝えようとした。首をひねられる度に、別の国の言語へ切り替えていった。けれども、どれにも眉を寄せられる。白くて長い耳はたしかに、こちらを向いているのに。


 貴方は、一体どこの国の人なの? 


 全く検討がつかずに、戸惑いを感じていた。言葉が通じなければ、誤解を解くことも難しい。もう、知っている言語も尽きてきている。

 どうしよう――焦る気持ちに引っ張られて、言葉がしどろもどろになっていく。もう、自分が何語を話しているのかもわからない。


「――――」


 話している途中、いきなり彼が声を上げた。

 びくっと肩をすくませ、黙り込むと、そのままマシンガンのように言葉を放ってくる。


「――――、――――! ――――」

「え? ちょっと、待ってください」


 それ、何語っ……。

 慌てて制止を呼びかけるが、聞く耳を持ってはくれなかった。


「――――! ――――! ――――!」


 何か緊迫した風に言い募ってくる彼。でも、何と言っているのかまるでわからない。

 困惑していると、ダンッ! とアスファルトを踏み鳴らしてきた。


 そんな、と愛理子の顔は蒼白になった。

 完全に、彼を怒らせてしまった。

 どうすればいいの……。良い対応が、思いつかない。


 かける言葉を失って立ち尽くしていると、少年がズイッと懐に踏み込んできた。

 鼻をすんすんとひくつかせて、においをかいでくる。まるでイヌのようだ。

 呆然とするあまり、しばらくされるがままでいた。

 だが、鼻で胸元をこすられそうになったところで、ほぼ反射的に身をひいた。

 ぞわぞわっとしたものが肌を駆け抜ける。腕に触れると、鳥肌が立っていた。


「あ、あの、何ですか……?」


 そう聞きながら、何かがおかしいと思い始めていた。

 後をつけてきた上に話が通じない相手に、鼻を近づけて、においをかぐなんて、普通じゃない。


 愛理子が何者かを見極めようとしているのだろうか。


 いや、それにしては距離が近すぎる。あまりに無用心だ。

 普通、もう少し距離を取らないか。あんなに近づいて、反撃されるとは思わないのだろうか。それとも、承知の上か。いや、もしかして。

 

 この子は、何かを勘違いしている……? 

 たとえば、愛理子を、知り合いだと思っているとか……?


 丁度そう思ったタイミングで、彼に指をさされた。


「――――!」


 やっぱりお前じゃないか!


 それは、あくまで愛理子の想像だ。だが、そう言っているような気がしてならなかった。

 そうか、あの時彼は道に迷ったのではなくて、誰かを探していたんだ!


 だとしたら人違いだ。こんな特徴的な外見をしているなら、記憶のどこかにはとどまるはずである。でも、愛理子は彼を知らない。ちらっとも見たことはない。


 けれども、彼は愛理子を知り合いだと思い込んでいるようだ。

 痺れを切らしたように、がしっと手首を掴まれた。

 痛みに顔を顰める。

 その反応が気に入らなかったのか、少年は何かをこらえるように唇を噛みしめたと思うと。


「――。――」


 やはり理解出来ない言葉を告げて、一歩を踏み出した。

 愛理子の手首を掴んだままで。


「え?」 


 正直、意味がわからなかった。

 何が何だかわからないまま、ぐんぐんと先へ進んでいく彼。

 人のいない、ひっそりとした街並みが視界の端に流れていく。まるで、連行されているかのようだ。

 

「あの、どこへ行くんですか」


 慌てて訊ねたが、何も答えてくれない。

 誰かを探していたらしい彼。それを自分だと思ったらしい彼。


 白ウサギのような長い耳。赤いチェックの背中。ふわふわな丸い尻尾までズボンにくっつけている。

 現実っぽくない彼は、私を一体どこへ連れて行くの?

 

 ――もしかして、不思議の、国……? 


 そんな考えが頭に過ぎった瞬間、

 頭の中に戦慄が走り、全身があぶくを噴き出すような、とてつもない感覚が襲ってきた。



「嫌!」


 

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