表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
君を知りたいアリス  作者: 飾巣
不幸な少女
4/33

孤独な私


 放課後。

 雑居ビルや飲食店が立ち並ぶ道を、愛理子はとぼとぼと歩いていく。

 両手で持っている黒皮の鞄が、朝よりも重く感じられた。それでも、前髪は目にかからないし、背筋は伸びたまま。それが、名門華ヶ丘学院高等学校の華である彼女の矜持だった。


 この大通りには、彼女以外にもたくさんの人が行き交っている。

 並んで自転車を走らせる学生。きゃあきゃあと騒ぐ若い女性のグループ。腕を組み、寄りそいながら歩くカップル。小さな子供を連れて、買い物袋をさげる主婦。綺麗にラッピングされた包みを抱えて走る、サラリーマン風の男性。

 それらの人々が、愛理子の目にぼんやりと映っては、前からも後ろからも通り過ぎていく。

 ここでも、愛理子だけが、その存在を切り離されていた。


 その時、背後から甲高い声が飛んできた。


「ごめん、ごめん!」


 思わず振り返りかけたが、髪を振り乱してすぐに前を向き直す。


 ――そんなわけ、ないじゃない。


 ズキン、と胸に痛みが走る。

 実際、それは正しかった。何故なら、愛理子の横を駆けていった少女は、彼女とは違う黒のセーラー服を着ていたからだ。

 仮に同じだったとしても、声をかけられたのが愛理子のわけがない。


 激しくポニーテールを揺らす少女は、少し先のファストフード店の軒下で、同じ制服の少女達と落ちあった。

 息を切らしているのか、背中を丸める彼女を、大丈夫だよーとねぎらっているのが目に入る。

 その彼女達が、不意にこちらを向いてきた。


「ね、見て。あれ華ヶ丘女学院の制服じゃない?」

「うそー、ほんとだ。可愛いー」


 ビクッと肩が跳ねる。

 出来る限り身を縮めながら、愛理子は早足で店の前を通り過ぎていく。


 ……何なの、あれ。


 頭の中にあるのは、仲のよさそうな少女達の楽しそうな姿。

 ぎゅうと胸が締めつけられて、息がつまりそうになった。

 上質な皮の鞄が手から滑り落ちそうになったのを、慌てて掴み直す。

 その拍子に後ろ髪が顔にかかってしまったが、手でよけようともしなかった。


 楽しそうだったな、あの子達。楽しそうだった……、うん。とても、楽しそうだった……。


 重い足取りで、俯きがちに歩く愛理子の脳裏に、今日の六時限目のことが浮かんでくる。


 澄川あがりに、逃げられた。

 一緒に「不思議の国のアリス」をテーマに発表しようという誘いを、断られた。拒絶された。あんな風に、あからさまに。大声なんて、出さなくたっていいじゃない……。


 幸いだったのは、それが最後の授業だったということだ。

 そうでなければ、愛理子の心は持たずに、席についた時点で椅子から崩れ落ちてしまっていただろう。

 現に、図書室から戻ってからはずっと教室の片隅で突っ伏していたし、終礼が終わってすぐに校舎を後にした。


 今日のことで、愛理子の身に染みたことがある。


 一つ、自分には友達を作る器なんかないということ。

 二つ、皆、自分なんかとは友達になりたくないということ。


 孤独な自分とはあまりに違う、皆の姿。

 勉学に励みながらも、友達と連れ合い、時にはじゃれあう。

 そんな、愛理子の望むささやかな学院生活は、あまりに遠い、遠い世界の物語。

 

 ……いつまでも、めげてなんて、いられないもの……。


 諦めのこもった溜息をつき、行き交う人々の間に入っていく。


 淡い空のてっぺんには群青がかかっており、灰色混じりの白い雲が、遠くへ遠くへと広がっていっていた。辺りはまだそれなりに明るいのだが、アスファルトには早くも、薄い影が伸びている。その内真っ暗な夜を迎え、しばらく過ぎれば太陽が昇って、明るい一日の始まりを告げるのだろう。


 どんなに『時間くん、止まって』と願ったって、時計が8時をさせば、愛理子は女学院へ向かわなければならない。


 たとえ、一人ぼっちでも。


 ……そうね、気分転換をしなくちゃね……。


 帰路を辿る彼女の目にとまったのは、一軒のケーキ屋だった。

 ヨーロッパの下町にありそうな、洋風でこじんまりとした様相。『パティスリー・フェアリーテイル』と筆記体で書かれた看板は、どこか色あせている。

明らかに今話題の新しいお店ではないが、それが逆に魅力的に映った。

 

 そうだわ、ここで甘いものでも買おう。


 虚ろな目を浮かべた少女は、吸い寄せられるように店のドアを開く。



 ♥♠♦♣


 からんからんと鳴るベルの音とともに外へ出た愛理子は、入る前とは打って変わって上機嫌だった。

 今まで両手に下げていた鞄を片腕にかけ、かわりに店で購入した銀色の缶ケースを抱いている。あえて、包み紙は断っていた。


 店の前で、蓋に貼りつけられた絵をうっとりと眺める。

 

 トランプが舞う背景の中。時計を持って逃げていくウサギと、手を伸ばすアリス。『不思議の国のアリス』の始まりのワンシーンが、幻想的なシルエットで描かれている。

 細かいことを言えば、トランプが舞い上がるのは始まりではなくむしろ終盤なのだが、そんなのは気にならない。だって、とにかく、可愛い。本当に、可愛い。

 

 愛理子は、『不思議の国のアリス』が大好きだった。


 ――貴方の名前はね、お母さんが好きな本から名づけたのよ。

 

 本当に小さな頃、ふかふかのソファの上で肩を並べながら、見せて貰った一冊の絵本。

 自分と同じ名前の女の子が登場する物語に、幼い愛理子はすぐに夢中になった。


 ウサギを追いかけて迷いこむ不思議の国。

 そこには、現実では到底見かけないようなおかしな住人がいっぱいいて、アリスをナンセンスに満ちたことばの世界へと導いていく。


 はじめは絵本だったが、小学生になってから原作を読み込んだ。それから、アニメーション映画も、実写映画も、それをベースにした小説も、見かけたものは全て手に取った。勿論、続編の『鏡の国のアリス』も愛読書である。


 私が物語の中のアリスなら――そんな妄想にふけるのはもはや、日常茶飯事だ。

 もし本当に不思議の国があって、私が本当はその世界の住人なのだとしたら……一瞬で入り込める自信がある。


 ああ、思えば、昔はそんな夢を見ていた。

 アリスの白ウサギと、仲良く遊ぶ夢。

 間隔はまばらだったけれど、会う度に愛理子の手を引いてくれて、お喋りをしたり、お茶を飲んだり、色々な場所へ遊びに行ったりした。


 でも、いつの日からか、彼の夢を見なくなった。

 直後に、怖い夢を見たからだろうか。内容は覚えていないが、眠るのが怖くてたまらなくて、目に隈が浮かぶまでになった。

 睡眠薬を喉に流し込んで、無理矢理眠るようになってからは、数える程しか夢を見ていないような気がする。


 ――何日か置いて、夢の続きを見ることは、ないことではないという。

 現に、愛理子はウサギの夢を随分長く見ていたように思う。

 あまりに、実感のともなった夢だった。感覚もリアルで、ふとすれば現実ではないかと思う程。

 夢の中のウサギは、愛理子の大親友だった。ずっと友達でいてね、なんて指きりすることも忘れるくらいに、傍にいるのが当たり前だったのに。

 

 どうして、夢を見なくなったんだろう。

 愛理子にはわからない。

 そもそも、夢に理屈を求めてはいけないとはわかっているのだけど。


 だけどふと、こんなことを思うのだ。

 ウサギは、嫌になって逃げたのではないかと。自分の元から。

 丁度、この絵みたいに……。

 缶ケースを見つめる愛理子の顔に、陰りが浮かぶ。


 手を伸ばして追いかけるアリス。逃げていくウサギ。


 無意識の内に唇を噛みながら、缶ケースを裏返し、底に貼りつけられたテープをはがしに入った。中には、アリスのキャラクターをかたどったアイシングクッキーがいっぱい詰まっている。


 これを食べれば、元気が出る。出るはずよ。

 そう言い聞かせて、テープの縁を爪でひっかいていると、


 白ウサギが丁度、道路を挟んだ反対側の通りを歩いていくのが見えた。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ