ぼっち少女の友達作り
退屈だな……。
女子生徒達が各々で固まり、がやがやと雑談を楽しんでいる教室の片隅で、愛理子は一人、本を手にぼんやりとしていた。
ページを埋めつくす文字を追おうとしても、クラスメイトの笑い声ひとつで、内容が吹き飛んだ。返却期限は明日なのに、まだ半分も読めていない。
午後の強い日差しをさえぎるカーテンが風にあおられて、顔にかかったが、それを腕でよける気力もなくなっていた。
――これが、誰もが憧れる花ヶ丘女学院の華、新風愛理子の昼休みだ。
遠くから見れば、窓際で艶のある前髪を揺らし、読書を楽しむ美しい女子生徒。
けれども、よく見ればその手は震えており、とても本に集中出来ていないことがわかるだろう。
彼女はいつだって、周りの喧騒をかき消す勢いで机を叩きつけ、教室から出て行きたくなるのをこらえていた。
いやおうなく入ってくる声が気になる。本の隙間から、ちらっと周囲の様子をうかがう。それをどれだけ繰り返しているのか。
仲良し同士で机をくっつけ、時にはつつきあいながら、お喋りを楽しんでいるクラスメイト。
学院生活を充実させているであろう彼女達の顔は朗らかで、きらきらしているように見えた。
……うらやましいな。
羨望の目で眺めては胸がしめつけられる。
それでいて、振り返られそうになると、慌てて本に視線を落とす、臆病な自分。
私だって、と愛理子は唇を噛む。
皆みたいにお喋りしたいし、放課後に可愛いカフェや雑貨店に行ってみたい。
けれど、誰も愛理子には声をかけてくれない。誘ってはくれない。
彼女の存在だけが、クラスの中からハサミで切り抜かれている。
一方で、憧れられているだろうということも、よく知っていた。
自分が声をかけるだけで、同級生や下級生が、まるでアイドルが傍を通りかかったかのように歓声を上げる。上級生の人も、先生達も、よくしてくれる。学院をPRする広報にだって載る、学院の華。
――だけど、それは本当に私なの?
皆の言う理想の女学生像とは反対に、愛理子は一人ぼっちだ。
この学院に入学した時から、ずっと。
憧れているなら、声をかけてくれてもいいのに。友達になってくれたらいいのに。どれだけ祈っていただろう。
けれども、人と話すきっかけを掴む方法がわからない少女の願いは、届かない。
かろうじて、共同学習ではクラスメイトと喋る機会もあったが、いつもその場限りで終わってしまう。愛理子は楽しく話をしていたつもりでも、相手にとってはそうでなかったのだろうか。また次も……とは決して言われない。
どうして、こうなのかしら。
彼女の心は、ずぶずぶと暗い底へ沈み込んでいく。
ずっとこうやって、一人で学院生活を過ごすの?
休み時間やプライベート、学院内のイベントでも、友達がいる子のことを遠目に見つめながら、孤独なことを悟られないように、平気なふりをして過ごしていくの?
そんなの嫌……。
愛理子は本の中に顔を埋めた。
私から声をかけたらいいのかな……。でも、私なんかが話しかけても迷惑よね……嫌な顔をされたら……ううん。
水面に浮かんだ波紋をかき消すように、頭を横に振る。
――駄目よ、駄目。そんなんだから、ずっとこうなんじゃない。
震える手を、本の端っこと一緒に握りしめて、自分に言い聞かせる。
こうやってうじうじしていても、友達なんかできっこないわ。
勇気を出すの、出すのよ、愛理子!
そう自分に発破をかけると、ぱたんと本を閉じて、机の引き出しからカリキュラム表を取りだした。
一度決心してしまえば、あとは不思議なほどに突き進めた。
友達を作るチャンスはないかしら。
ざっと予定を見ていると、今日の六時限目が目にとまった。
文学。今週は、自分の好きな本を一冊選び、感想を発表することになっている。もちろん、ただ面白いと感想を言うだけでは駄目で、その物語が何を伝えようとしているのか、また、そこから何を感じたのかを読み取る必要がある。
もしテーマが同じならば、複数人で発表してもかまわない。
――これだわ。
ぴんと閃いた愛理子は、早速、頭の中でシュミレーションをしてみる。
そして、いける! と確信すると、ほっと胸を撫で下ろしていた。
相変わらず、周りは愛理子を置き去りにしてお喋りに花を咲かせているけれど、もう気にしなくていい。
私だって、今日の終わりには、きっと。
心配をする必要もなくなったので、机の上に置いておいた本を改めて開いた。
さっきはあんなに億劫だったのに、今はすらすらと読み進めることができる。
やっぱり内容は頭に入ってこなかったけれども、それは、六時限目が待ち遠しいからだ。
これなら、きっと上手くいく。
頑張るのよ、私。一人ぼっちから今日こそ、卒業してみせる!
愛理子の目が、らんらんと輝いた。
♥♠♦♣
今日の文学の授業は、教室ではなく図書室で行われた。
都市の図書館ほどに広い室内に、ずらりと並んだ本棚。その中身は充実しており、流行の本は勿論、教科書に出てくる文学作品や、海外の本、そのオリジナルも揃っている。
また、物語だけでなく、図鑑や歴史資料、写真集にアート作品など、あらゆる分野の本が惜しみなくおさめられていた。
各々が本を探したり、書見台や、本棚の横にそえられた小さな椅子に座って本を読む中、愛理子は一人の少女の姿を探していた。
他のクラスメイトの邪魔をしないように気をつけながら、周囲を見回していると、海外文学のコーナーにいる彼女の姿をとらえる。
――いたわ、あがりさん。
ごくりと唾を飲み込み、真っ直ぐにそこへ向かう。
髪の毛をリボンでふたつに結んだ、可愛い女の子。澄川すみかわあがりは、ぷるぷると足を震わせながら、必死に本棚に手を伸ばしていた。
小柄な彼女には届かないであろう、高い位置に、不自然にでっぱった本がある。
これはチャンスだわ!
愛理子はすぐに行動に出た。
「これかしら」
と、その一冊を難なく抜き取って、目を丸くしているあがりに手渡す。
本の題名は、『不思議の国のアリス』。
ある日、チョッキを着た白ウサギが現れ、主人公アリスがその後を追って、不思議な世界へと迷いこむ物語。
彼女に微笑みかけながら、胸の高鳴りを感じずにはいられなかった。
昼休みは友達と喋っているけれど、一人の時や授業の間の短い休憩の時は、読書をよくしているあがりちゃん。
彼女とは趣味があうだろうと思っていたけれど、これは、運命なのかしら。
この時点ですでに舞い上がってしまいそうだったが、表面上はあくまで、いつもの優等生な自分を通す。
「いきなりごめんなさいね。もしかして、間違っていたかしら?」
「いっ、いえっ。こ、これです。あ、ありがとうございます……っ」
少々遅れて、本を受け取ったあがりの手はかたかたと震えており、頬はさくらんぼのように赤く染まっていた。
さあ、ここからよ。
心の中で、気合を入れる。
「貴方も、この本が好きなの?」
「えっ?」
愛理子が訊ねると、あがりの肩がビクリと跳ね上がった。
「奇遇ね、私もなのよ。小さい頃からずっと読んでて、新しい翻訳が出る度に買ってるの」
「そ、そそ、そうなんですかっ……」
上擦った声を上げ、口元を本で隠すあがり。
――よし、なかなか会話が出来てるわ。
心の中でオッケーオッケーと拳を握りながら、話を続ける。
ここからが本題だ。
「あのね、よければなんだけど、」すっと手を差し出して、「一緒に発表……」
「ごっ、ごめんなさいっ!」
言い終わる前に、彼女はバッと身をひるがえし、離れていった。
静かな空間に、上靴で駆ける足音は、とても大きく響いていって。
思わず見開く、愛理子の瞳。
「……え?」
ぽつんと一人取り残され、行き場のない手をさまよわせる。
わたし、どうして、ひとり、なの?
しばらく、何が起きたのかがわからなかった。
少しして、心臓にしみ込むような痛みがやってきた。
それまで、彼女に逃げられたのではないかということに、気づかなかった。
本棚の向こうで、どうしたの、あがり? という声が聞こえてくる。それから、何人かの足音がして、周囲がざわつきだした。
けれど、愛理子の元へは誰も来ない。
さっきまでの弾んでいた気持ちが嘘みたいにしぼんでいき、また、暗い底へと沈み込んでいく。
何で……、何でよ……。何で、こうなるのよ……。
頭の中で自問自答を繰り返しながら、高い本棚を前に背中を丸めて。
愛理子は制服のスカートの端を、皺が刻まれるぐらいに握りしめた。