6「勇者:魔王=1:1」
天秤は左右が釣り合っていないと、その中身はこぼれ落ちる。
この世界だってそうだ。正義と悪が均衡して、滅びのない"世界"というものが成立している。
世界の全ての者には、役割というものがある。特別な存在に見える勇者と魔王だってその例に漏れない。
勇者とは正義の代表たる存在であり、魔王を倒す役。魔王とは、どうあがいても悪として勇者によって倒される役。
いつでも夜のように暗い地に、天を見上げんばかりの城があった。
上部は夜闇のような雲に覆われているため、実際の大きさは不明である。城とはいうが塔の形をしており、常におどろおどろしくそびえ立っていた。
この城の主は一人の男である。人間には、魔王という名前をつけられていた。魔物を統べる王。
この魔王は姿を見た人間は皆無と噂の男で、会えば生きては帰れないとまで言われている。
魔王は、自身を悪という立場であると認識していた。そして倒されるのが自身の役目だと考えていた。
だから倒しに来る勇者を、かれこれ百年近く待ち望んでいた。
いつもと変わらぬある日、コンコンと部屋のドアがノックされた。
「入れ」
入室を許可すると、魔王の部下が入ってきた。
「主よ。新たな勇者が来ておりました故、連れて参りました」
「ご苦労。戻っていいぞ」
「失礼します」
部下がドアの向こうへ消えていくと、ガランと何かの落ちる音がした。
「いやっ死にたくない、殺さないで…」
連れてこられた勇者が、剣を手放して床に座り込んでいた。
年の頃はちょうど10になった程度の、細い少女。魔王を殺す存在であるとは、とてもじゃないが思えない。
魔王は嘆息した。同時に、またかこれかと思った。
何も魔王が一人だから勇者も一人というわけではない。魔王の力が1で勇者の力も1、という状態なだけ。
つまりこの世界では、魔王は一人で"1"という力を持ち、勇者は複数人を合わせて"1"という力を持っているというだけの話だ。
この世界には、沢山の勇者がいる。その大部分は貧しさから口減らしのために、名ばかりの勇者にされた子ども達である。
今回も名ばかりの勇者だった。
魔王は椅子からゆるりと立ち上がる。悠然と少女の前まで歩いていき、悍ましげに立ち止まった。
「あ…あぁ…」
床にへたりこんだままの少女は、溢れんばかりに目を見開いたまま魔王を見上げた。
魔王は腰を屈めると、少女を無造作に肩に担いだ。
「えっあっ、何っ」
「殺しも痛めつけもしない。大人しくしていろ」
魔王は少女を担いだまま、薄暗い廊下を早足に歩き続けた。
部屋から出て三分程して、一つの部屋の前で足を止めた。
そこで少女を降ろすと、ドアを開けた。
眩しい明かりに、一瞬だけ少女の視界が奪われる。
思わず瞑った目を開いて、少女は部屋の中の光景に驚いた。思わず声を出してしまう。
「えっ!そんな…人間?嘘っ何で、何で人間がこんなに!?」
それと同時に、グゥと音が鳴る。少女の腹の虫が鳴いていた。慌てて、つい腹を押さえる。
だが無理もない。ここは食堂で、大勢の食事が用意されていたのだから。
「説明は後だ、飯を食え。おい。飯番Aグループの班長はこちらへこい」
「はい。僕です」
「新入りに飯の食い方を教えてやれ」
「かしこまりました。さぁ、こっちに来て」
具沢山のスープ、もちもちとしたパン、コップには透明な水。
それは貧困にあえいでいた少女にとって、生まれて初めてのご馳走だった。
美味しすぎて涙が出そうになりながら、出された料理の全てを平らげた。
「飯は済んだか。お前の部屋は…65だな。今日は部屋に戻って休め。65の同室者!こいつを連れていけ」
「はい、わかりました。貴女が新入りの子ね。お部屋は二人部屋なのよ。今日からよろしくね!さっ、こっちよ」
少女よりも年下とおぼしき女の子がやってきた。
少女は魔王に詳しく聞きたいことが山程あった。しかし声を掛ける間もなく、同室の女の子に引っ張られて、食堂を後にした。
部屋に入ると"疲れただろうし早目に寝るべき"と女の子に背中を押され、風呂やトイレを済ませた。
「ここが炊事場。一応は小型冷蔵箱があるけど、食材は無いわ。ご飯を食べるのは、体調の悪い時以外はさっきの食堂。それと貴女が寝るのは右のベッドね」
「あの、ちょっと待ってください!訊いてもいいですか?」
「ん?良いわよ、何かしら。あと敬語は要らないわ」
一人でペラペラとお喋りする女の子に、慌てて疑問を投げかけた。
大きな食堂に並ぶ長いテーブルには、ちらりと見た範囲内だけでも恐らく50人はいた。
それに、この相部屋が65番らしいので、もしかしたらもっと多いのかもしれない。
子どもが多かったが、大人も見受けられた。
あれだけの人間が国から居なくなっていたら、騒ぎになっていてもおかしくない。しかし少女の国で、誘拐や行方不明の話はほとんど聞いたことがなかった。
「もしかして、貴女も勇者…だったの?」
「勇者?あぁ、そうね。私がというか、ここの人間はみんなそう」
「やっぱり…」
臆測は確信に変わった。この地の魔王に挑んで死んだ、と言われていた人達は、魔王の元で生きていたのだ。
では、何のために?魔王だから、やってきた者を殺しても問題ないはずだ。
「来たばかりだから、色々不安があるんでしょ?私もそうだったもの。今日はもう眠った方が良いわ」
「うん、そうだね。お休みなさい」
女の子がスイッチを押すと、部屋が暗くなった。静かに目を閉じていると、いつの間にか眠っていた。
それから何日も過ぎた。
城で過ごしている内に、様々な事がわかった。
この城に来た勇者は、誰一人として殺されていないこと。しかし、この城で寿命を迎えて死んだ者達はいるということ。
魔法でもかけられているのか、敷地の外には出られないこと。
それから、勉強というものもした。
文字を書くということを覚えた。今までは会話するための言葉と、騙されないように金の数を理解するための数字しか知らなかった。
魔王へのイメージもすっかり変わっていた。
掃除の番で、注意していたのにバケツをひっくり返してしまったことがあった。料理の番で、火傷をしたことがあった。
今までなら酷く怒られ、ぶたれていただろう。でも魔王は、怒鳴ったり殴ったりすることはなかった。
ぶっきらぼうではあるが、人間に危害を加えることは決してなかったのだ。
それから、魔王は人間を上手く使って、衣食住に彩りを生んでいた。
初め疑問だった"人間を殺さない理由"を直接訊いたことはない。だが、殺さない理由の一つではないかと少女は思っている。
例えば城には、動植物を育てることの出来る所がある。
そこで果物を作らせ、人間に酒やデザートといった嗜好品の作り方を教えた。
人間もこれらを喜んで食べるが、魔王もデザートの付く日は無表情ながらも嬉しそうな雰囲気を感じた。
この平和な日々がいつまでも続いてほしい、と思い始めた矢先のこと。
急に地下の一室に集められた人間と魔物達へ、魔王は何でもないようなトーンで言った。
「城に人間…いや、勇者が入ってきた。お前たちは暫しここにいろ。じゃあな」
静かに耳を傾ける皆へ手短に用件を伝えると、すぐ部屋から出ていった。
「まあ珍しい。久々に壊すのが得意な人間でも来たのかしら?」
「俺は、誰が来ても魔王様が勝ちで終わると思う」
「だよな」
人間も魔物も、魔王の生還を信じて疑わない。
少女は初めての事態に戸惑ったが、周りのお喋りを聞きながら時間潰しをすることにした。
場所は変わって魔王の部屋。
城へ入って大きな通路沿いに進んだ所にある、最上階の大広間。
ここは城に来た勇者が、初めて魔王の顔を拝む部屋となる。
装飾が派手で大きな椅子に魔王は座っていた。
人間達には、彼なりの別れを告げた。悔いはない。残すは勇者に倒されることだけ。
今までは、魔王を倒すための勇者は来なかった。
だが今感じるのは、自分を殺せる勇者の気配。やっと、やっと終わりが来た。
入り口のドアが、勢いよく開いた。
「よくぞ参ったな、正義の者よ。さぁかかってくるがいい!」
ドアが開くと同時に、魔王は容赦なく魔法弾を放つ。
「おっと!とんだご挨拶だな!」
そう言いながら勇者は、魔剣で弾を霧散させた。
「ふん。まだ始まったばかりだぞ」
これが最初で最後の、本気の戦いになるのだろう。だが倒される側とはいえども、手加減はしない。
距離のある内は魔法の応酬。距離が詰まってからは、剣を交わらせ、火花の散るような接近戦を繰り広げた。
「ッ…!グッ…」
冷たい金属音が響き、剣がへし折れた。
「勝負あり、だな」
「あぁ。俺の敗けだ」
折れたのは魔王の剣だった。
本気で戦っての敗北。悔しさもあったが、それ以上に"終わりが来たこと"への喜びが勝っていた。
「お前の…人間の、勝ちだ。早く殺すがいい」
「断る」
「何ふざけたことを。俺は魔王だ。負けたといっても生きていれば、いつでも人間を殺せるぞ」
魔王に人間を殺す気はなかった。しかし、殺されるべき敗者の自分が生きているのは、理にかなっていないと考えた。
だから勇者に、魔王を殺す理由を与えようとした。
だが勇者には、それは通用しなかった。
「そうだ、お前の負けだ。魔王は俺に倒された。そして──」
勇者は信じられない言葉を発した。
「俺は正義を…いや、王国を破ってみせる。お前には協力してもらう」
魔王は勇者の目を見つめた。普通の者なら怯むはずの眼光にも、動じることなく見つめ返していた。
「それは…勝者としての命令だと思っていいんだな?」
「あぁ勿論」
「そう、か。なら仕方あるまいよ」
再び人間達の前に、魔王が戻った。
戦闘でぼろぼろになっている二人を見て、場には動揺が走る。
「えー静かに。初めまして、俺は勇者だ。単刀直入に言うと、俺は魔王に勝利した。そして勝者の報酬として、魔王は俺に協力することになった」
辺りが一斉にザワザワし始めた。人間も魔物も、何事なのかと不安そうに勇者を見ていた。
勇者は静かに語り始めた。
「この世は正義というものがあるな。反対は悪だ。だがその悪は、誰にとっての悪なんだ?」
「そりゃ人間だろ」
魔物の一人が答えると、勇者は頷く。
「あぁ、その通りだ。そして皆は、正義は絶対の善だと思っている。なら何で、ここに人間がこれだけ居るんだろうな?」
ざわついていたはずの場は、気付けばしんと静まり返っていた。
勇者は、気にせずに話し続ける。
「俺は王国から来た人間だ。勇者と呼ばれ、魔王を倒した人間だ。だが見てみろ!ここには勇者を押し付けられ、王国に見殺しにされた人間が大勢いる。俺にとっての正義は、王国ではなかったのだ」
全員がじっと勇者を見つめていた。勇者は深呼吸をして、決意を表した。
「なら俺は、悪でいいさ。この悪で、正義と言い張る彼奴らを倒してみせようか!」
堂々と言い切った勇者を、大勢からの歓声が包み込んだ。
魔王は、倒されるのが自分の役目だと思っていた。そしてとうとう、勇者に倒された。
しかし魔王を倒した勇者は、正義である王国を敵とすることを決めた。王国という正義は、多くの民にとっての悪だったのだ。
正義は敵を、悪と呼んだ。
悪と呼ばれた陣営は、正義こそが悪であると言い、これを己の悪で倒すと言った。
この世にはバランスというものがある。役割というものがある。
ならば偏った場合の結末とは?
それはまだ誰も知らない。
◆
【お母さん】からのメッセージ
この世界は魔王側が人間にとって悪者だと思われていたんだね。
以前の魔王や国王たちはどんな人だったんだろう。
最後はないけど、戦ったらどうなるのか気になるな~
(うーん…)
書いている時は、負けるものと決まっているから、結局負けるんじゃないかと思っていた。
でも勇者に負けているから、"勇者VS魔王は魔王が負けるもの"は終わっている。
(きっと母さんなら、みんなハッピーエンドにしちゃうんだろうな)
色々考えを巡らしている内に、僕の意識は夢の世界にとんで行った。