2「run away 惨社員」
カタカタカタッ カチカチ
カタタタッ カッ
株式会社アークトーク・グレーワークスのオフィス内にある一室。
そこには、ひたすらにパソコンのキーボードを叩く音だけが響いていた。
整然と並んだ机につく者は、この青年ただ一人だけ。
殺風景な広い部屋に青年一人という、どう見ても机の数に合わない人数。
その点を除けば、ごくごく普通のオフィスルームに見える。
カタカタッ カタタタン
カタッ ガガ ガガガガンッ
キーを叩く音は、あまり穏やかではないものへと変化している。
「戻ったよ」
青年が人でも殺しそうなうつろな目をしていると、ガチャリとドアが開けられた。
コンビニのビニル袋を提げた男が入ってくる。
「クーネル君、お疲れ。おにぎり買ってきたからお昼にしよう。これおつり」
クーネル・ヨクネール。これが、パソコンに向かっていた青年の名前だ。
「ブラックシャイン先輩、お帰りなさい。ありがとうございます」
コンビニから帰ってきた男は、クローニン・ブラックシャイン。クーネルの先輩である。
彼らはどちらも生気がなく、目の下にはクマが、それはもうクッキリハッキリと表れていた。
「ハァ…」
どちらからか溜め息が漏れる。
それも当たり前である。
彼らは、"キカイ係"と呼ばれる職業だ。
キカイ係は事務のパソコンから現場の機器まで、機械を幅広く管理する仕事である。
幅広くとは言っても、実際にキカイ係として働くと、受け持つ仕事はいくつかに分けられるものだ。
現在は、ほとんどの物事が機械で管理される社会となったため、分担しても誰かが暇をすることはない。
ケーキ作りに例えると、"1から10まで1人で行い完成する"のではなく"スポンジ作り、クリーム作り、組み立ての3人によってケーキが出来る"といった具合だ。
その"複数人の働きを合わせ、ようやく形になる作業"を、ここでは個人で行わされているのだ。
機械自体の開発やメンテナンスに、パソコンや機器で使われるアプリケーションの作成。機械を用いての現場での仕事。
そして最近は、会社の雑用というおまけつき。
「フゥ…」
再び溜め息が漏れる。
食事の時間さえ惜しいとばかりにクーネルは、お茶で残りのおにぎりを流し込んだ。
クーネルは、何度もここを辞めたいと思った。
しかし、今はいない元社員達の背中を見てきて、辞めたい気持ちに恐れが勝った。
忘れたくとも忘れられない、いつだったかの社長の言葉を思い出す。
「やぁやぁクーネルくん!まーた1人、キカイ係が辞・め・た・ぞ。ハッハッハ!ウチを辞めるようなやつが、この業界で仕事を見つけることなど不可能なのになぁ」
全くコネのない自分。権力のあるこの会社。
今ではもう、恐れなど感じるほどのゆとりなどない。
それでも先のことを思うと、踏ん切りをつけられずにいた。
午後からもパソコンに向かい続け、ようやく今日の仕事を終えた。
夏真っ盛りなのに、辺りはすっかり暗くなっている。
「帰り際に悪いけど、ちょっと話をしても良いかい?」
帰り支度が済んだところに、先輩から声がかかる。
「え?はい、構いませんが」
普段は自分も先輩も、仕事が終わればすぐに会社を離れる。
飲みに行ったことも一切ないくらいだ。
不思議に思うクーネルに、先輩はある話をした。
「乗ってくれるかい?」
「そりゃあ勿論です」
話の終わった2人の目には、久方ぶりの光が宿っていた。
変わらぬ仕事を行いながら数ヶ月が経ち、今2人は社長の前に立っている。
「ふっ…ざけるな!ここを辞めて、拾ってくれるような会社はないだろう!わかって言ってるのか?あぁ!?」
「何と言われようが辞めます。手続きは問題なく行われましたから、怒鳴られるいわれはありません」
ヒステリックに喚く社長の言葉に躊躇することなく、ブラックシャインが答える。
クーネルも先輩に続けて社長へ言い返す。
「キカイ係の仕事は済ませました。留まる気は全くありません。では」
後ろでまだ社長が何か言っているが、振り返らない。
暫く歩けば、すっかり声はきこえなくなった。
「あぁスッキリしたな」
「はい。それに、アレの反応も楽しみですね」
「そうだな、最後の仕事だったし。それに会社を離れてホッとしたら、自分達でやったことなのにおかしくて仕方ない!」
先輩がケータイを開く。
画面に表示されたサイトは、それはもう愉快なことになっていた。
会社を辞めて数日後。
クーネルと先輩は、ある人に呼ばれて、そこへ向かうべく歩いていた。
足取りは軽やかだ。光が欠片もなかった目は、今では生き生きとしていた。
待ち合わせの場所までもう少しというところで、進行方向がザワザワしていることに気づく。
「ビッグニュース!ネットで噂になっていたブラック会社の闇がついに暴かれたー!」
元気そうな少女が、半有料ニュースサイトの宣伝のための、新聞のような紙を配っている。
手を出しやすい料金と速報性、そして高い正確さがウリの有名サイトだ。
「はいどうぞどうぞ、特別号です!詳しくは明日更新の"ニュース丸かじり・ヤジウマ"でどうぞ!」
クーネルは、少女から宣伝紙を受け取って開く。
先輩もその手元に目をやり、紙面に目を通して笑った。
「アッハハ!やっぱり、全部のサイトはやり過ぎだったかなぁ」
紙面には大きな見出しと共に、こう書いてある。
<才ユノ三カキにンーヌをやHる。暗号?正体は、絶対に使いたくないイライラするクソフォント。平仮名、片仮名、ローマ字が対象とのこと。この記事の記者も利用してみたぞ!入力すると、あら不思議。見出しのように変身を遂げる。キカイ係の最後の仕事は見ている分には面白い!普段は眉ひとつ動かさない編集長も、思わずふき出す!※有料版には他所の記者には語らなかったというエピソードも掲載しております>
そして、右下にある小さな"編集長の今回のつぶやき"コーナーにはこう書かれていた。
<技術情報取扱部にキカイ係を置くことになりました。早速新たに二人を迎えます。>
「じゃあそろそろ行きましょうか」
紙を折り畳み二人は、新しい職場になるビルへと向かっていった。
◆
【兄】からのメッセージ
母さんが忙しいから俺が書けって言われた
お前たまに難しい漢字使うと思ってたけど
わざわざ紙の辞書なんて読んでたんだな
昨日 部屋のドア開いてたから見たら
すげーブツブツ言っててヤバかったよ
兄からの、感想とは言えないそれ。
うわー!気付いたなら閉めてくれれば良かったのに!
無意識に部屋の入り口に目を向けると、ドアが半開きになっていた。
僕は慌てて閉じに向かった。