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Anemone  作者: 白石椿
第1章
2/4

「あら、雨よ護君。珍しいわね」


彼女は珈琲をすすりながら、少し嬉しそうに僕にそう言った。


来た時は晴れてたのにね、なんて言いながら。


窓の外を見ると雨がぱらぱらと降っていて、3月の北海道には稀な景色だった。


札幌駅の近くの喫茶店で、僕らはいつものように珈琲を飲む。


いつからかなんて覚えていない。


ただ、僕が高校生だった頃に彼女に出会った事は間違いない。


3年くらいになるのだろうか。


一緒に居すぎて、そんなことまでもわからなくなった。


「護君、雨は好き?」


「好きだよ。黎子さんは?」


「奇遇ね、私も好きよ」


どうして、とは聞けなかった。


僕と同じ理由だったら、嬉しくて死んでしまうかもしれないから。


僕はきっと彼女に、黎子さんに依存している。


そんな気がする。


「14時ね、そろそろ出たいわ」


「…でも迎えに来るのは17時なんでしょう?」


「少し歩きたいのよ、ホテルまで」


微笑んだ時の目のしわが僕は好きだ。


とても優しいから。


美味しかったわ、なんて店員に言いながらクレジットカードを差し出す。


そのクレジットカードの中には、黎子さんの涙がどれだけ詰まっているのか、僕にはわからなかった。


"寂しくなるのよ、仕方が無いのだけれど、どうしても寂しいのよ"


そんなことを彼女は言っていた。


「行くわよ、護君」


僕の手を握って、傘をさす。


「相合傘だなんて、狭くないの?」


「いいじゃない、こういう時しか出来ないんだもの。」


とても嬉しそうだった。


僕よりも華奢で、今にも折れそうな白くて細い手。


右手の薬指のペアリングが雨に濡れて光っていた。


彼女を見るとどうしても考えてしまう。


夫は、黎子さんを最後にいつ抱いたのだろうか。


触れて、甘えるのだろうか。


言葉を囁いて、彼女を悦ばせるのだろうか。


「護君?」


「……ん?」


「どうかしたの?疲れちゃった?」


上目遣いで僕を見つめる瞳が、まっすぐ僕を捕らえて離さない。


「黎子さんの事を考えてた」


「そう」


繋いだ手に力がこもったのがわかる。


彼女は不安になると、手を握りたがる。


癖なのか、わざとなのか。


そのまま少し歩くと、いつも使っているホテルに到着する。


14:13


生々しくデジタル時計に刻まれた数字が、彼女とのタイムリミットのように感じていつも胸が苦しくなる。


「今日はこの前よりもゆっくり出来るわね」


「この間は忙しかったからね」


フロントで受付をして、部屋に入ってシャワーに入って。


この何気無い行為に、もう罪悪感は感じない。


独占欲が勝ってしまうからだ。


「護君、シャワー良いわよ」


今日は時間に余裕があり、黎子さんもリラックスしているようだった。


身体を流すだけの簡単なシャワーを浴びて、僕はすぐにベッドに座る黎子さんを抱き締めた。


「もう、何?どうしたの?」


「綺麗だったから、誰にも見せたくなかったんだ」


そのまま僕達は行為に走った。


4日前に会ってるはずなのに、1ヶ月も会っていないような感覚に陥っていた僕は、黎子さんに会いたかった。


身体に触れて、すべてを感じていたかった。


"愛してる"


なんて言葉はお互いに言わない。


黎子さんも、僕も好きではないからだ。


綺麗事のようで嫌いなのだ。


言ってしまえば、まるでそれが夢物語なのではないかという錯覚のように思ってしまって。


そもそも人に恋をしたのは黎子さんが初めてだったから、言葉も行為も何も僕にはよくわからなかった。


経験があったとしても、それでも僕はそんな言葉は嫌いだ。


「今日は考え事ばかりなのね」


「そうでもないよ」


行為を1時間ほどで済ませ、布団の中で温もりを感じていた。


「いつにも増して口数が少ないわよ」


「何を話したらいいかわからないだけだよ」


彼女は僕を見ていないようで見ているから、何も言えないのだ。


急に黎子さんは、はっとしたように声を出して、向かい合わせになっていた体勢から背中を向ける体勢に変えて呟いた。


「そうだ、聞いて護君。夢に護君が出てきたわ。笑って、知らない女と歩いていたの。酷いと思わない?」


「僕はそんな事しない。違う男だったんじゃなくて?」


「間違いなく護君よ。私は貴方を間違えたりなんてしないわ。」


近付いて後ろから抱き締めた身体は少し冷たかった。


僕は黎子さんのこういうところが、とても可愛いと思ってしまう。


「僕には黎子さんしかいないよ」


「本当かしら」


「本当だよ」


「もしも、もしもよ。この先私が死んでしまったら、貴方はどうするの?」


ぎゅっと手を握られる。


不安と愛しさが募り、堪えきれなくなってくる。


「この身体が無くなって、どんな姿になっても、きっと僕は黎子さんを探しに行く。」


自分の言葉ではないかのように、ぽろぽろとたくさんの言葉が自然に出てくる。


「ありがとう」


黎子さんは、振り向いて僕に口付けた。


軽く触れるだけの優しいものだった。



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