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彼を知り己を知れば1

 ルムは真剣な眼差しで十メートルほど先の的を見た。銃口と的を見えない線で結び、照準を合わせる……。


──ここだ!


 引き金を引くと木の板が弾け飛ぶ。的の右半分が消失し、左半分が辛うじて的を立てるスタンドにしがみついている。ログハウスの裏庭に小さな拍手が響く。

 しかしルムは銃を下ろし、悔しそうに呟いた。


「ど真ん中は外してしまいました」


「でもちゃんと的には当たったよ! すごいよルム」


「最初は掠りもしなかったことを考えれば、上達したぞ」


 手を鳴らしていたのはユーとサンダーだった。二人なりの賛辞を述べている。アジトの裏手に簡易の射撃場を作り、ルムはそこで『念導銃』の射撃練習をしていた。二人の賛辞に反して、ルムは納得のいかない顔をして首を捻っている。


「やるからには完璧にしなければ、って顔だな」


「勿論そうですよ」


 サンダーがルムに歩み寄りふんわりと頭を撫でた。その瞬間、ルムの表情と体が強ばる。一瞬の緊張が解けるとすぐさま一歩下がった。サンダーも差し出した手をそっと引っ込める。


「……貴方、人に教えられるほど銃の扱いもできるなんて。どこで学んだんですか」


「銃を使った狩猟は子供の頃、父親に教えられてたからな」


「ノーブルな趣味ですね」


 ルムの銃の師匠はサンダーだ。彼の特訓のおかげでルムの銃の精度は格段に上がった。とはいっても素人に毛が生えたくらいのものだが。

 二人は普通に会話しているようだが、ルムとサンダーの間には微妙な空気が流れている。原因は四日前の夜、そしてその翌朝だ。


***


 ルムは部屋に差し込むわずかな光に気が付き、目を開いた。


──朝か……


 少し気怠い体を起こし、左右に首を振る。前日の朝は堂々と同じベッドで寝ていたサンダーの姿はない。と同時に、昨晩このベッドの上で行われていたことを思い出した。

 逃げられないようにと自分の体に覆い被さった彼の体の重さ。あやすように何度も頭を撫でる大きな手。手の平や甲、手首に何度も唇を当てられた。飽きるほど耳元で「好きだ」と囁く声……。途中で意識がなくなるまで体が熱に浮かされていた。


「ぎゃぁぁぁぁ……」


 ルムはベッドの上で十分ほど喚きながら暴れた。

 とりあえず寝室を出てシャワー室の洗面台に向かう。冷たい水で顔を洗うと冷静さが戻った、そんな気がした。その後何食わぬ顔してリビングを訪れた。そこにはルム以上に平然とした顔のサンダーがソファに横たわっている。彼の姿が目に入った瞬間、心臓が止まるかと思った。


「……昨日、あの後何もしてませんよね?」


 平静を保ちつつ小声でサンダーに問いかける。サンダーはルムがいることに気が付くと体を起こし、ソファーに座り直した。


「挨拶もおざなりでそれか。おはようルム。何かしていたら今お前はそんな風には歩けていないぞ? どこも痛みはないだろう」


「い……痛いんですか?」


 サンダーの言葉にルムは怯んだ。


「心配するな。ルムが気にしているようなことはしていないから」


 サンダーは立ち上がると軽くルムの頭をポンと叩き、何事もなかったようにその場から去った。


***


 それから三晩、サンダーはルムが眠るまでベッドには入らず、朝はルムが目覚めるよりも早くリビングへ移っている。それどころか、あんなにベタベタとスキンシップをはかっていたのにそれがめっきり減っている。


──避けられてるのだろうか。ボク、変なことしたのかな……。臭かったのかな?


 思わずルムは自分の腕の匂いを嗅いだ。とは言ってもルム自身もあんな行為に及んだサンダーに対して警戒心がある。近寄ってこられないのはむしろ安心している。


「ルム」


 サンダーに呼びかけられ、ルムは我に返る。昼間、人の目があるうちは彼と話すのは平気だ。平気というか平静を保っていられる。


「はい、何でしょう?」


「止まっている的はかなりの確率で当てられるようになった。ここで区切りをつけて『魔女の棲む山脈』に向かう準備をしよう」


「え、でも」


 まだまだ自分の銃の精度には不安がある。もう少し練習を積んだ方がいいと思っていた。

 だがサンダーは言った。


「動く的を狙うならここよりも山脈に近い方が動物はまだ居るだろう。食料調達も兼ねられるしな」


「食料調達って……狩って食べるんですか?」


「解体や捌くのも一応は心得てる。タンパク質の補給はルムの腕にかかっているんだ」


 サンダーはからかうように言った。


「そういえば……」


 ルムは最果ての町に来たばかりの時に聞いた言葉をふと思い出した。


「麓の町に着いた時に山脈の【砦】っていうのを聞いたんですけど、何か知ってます?」


 ユーは首を横に振った。サンダーは口元に片手を当てて首を少し捻っている。


「少しだけ聞いたことがあるが、詳しいことは知らないな」


「聞いたことはあるんですか?」


 ルムが畳み掛けるように問う。


「ああ、【砦】とはいうもののいわゆる建築物ではないらしい。生き物で、進路を阻むから【砦】などと形容される。それくらいしか聞いたことはない」


「生き物……?」


「具体的にはどんな生き物か、俺は聞いたことがない。後であいつらにも聞いてみるか」


 今日の射撃訓練はここまで、と師匠であるサンダーの一声により特訓は終了した。裏口からログハウスに入ると、サンダーは二人を残して自室に入っていった。残されたルムは隣のユーに尋ねた。


「ユー。ボク、臭くないですか?」


「ううん、全然そんなことないよ! いい匂いするよ」


「あ……ありがとうございます」


 臭いか否かを聞いたのに、いい匂いとまで言われるとリアクションに困るな……。ルムはユーの余計な一言にただひたすら戸惑った。


***


 外はすっかり陽も落ち暗くなっている。リビングには灯りが点いた。食事の度に用意される大きなダイニングテーブルには、ここで生活する者全てが着いている。「集団行動なんてくそくらえ」とか言いそうなガラの悪い連中なのに、朝晩の二食は必ず揃って食事を取るのだ。そこもまたサンダーが徹底している部分なのだろう。焼きたてのパンの香ばしい匂いに、湯気の立つクリームシチュー。相変わらず美味しそうな食事がテーブルに並ぶ。シチューの具のニンジンが花型にカットされているのはユーを喜ばせるためだろう。

 食事も終盤に差し掛かった頃、サンダーがテーブルを一度見渡した。


「ところで、山脈の【砦】について何か聞いたことがある奴いないか?」


 仲間達は食事をする手を止めることなく、もぐもぐと口を動かしながらようやく話し始めた。


「【砦】ってのはどうやら一つじゃないらしいですぜ」


「一つじゃない?」


「少なくとも二つはあるらしい」


「んでその【砦】のせいで山に登って【魔女】に会えた奴は一人もいないらしいって」


 口々に出てくる情報にルムが怪訝そうな顔をする。


「何でそんなに詳しいんですか?」


「別に『魔女の棲む山脈』ってのは不帰かえらずの魔境じゃねぇ。行き倒れる奴もいるが、わりと生還者もいるもんだ。そいつらから少しずつ情報が漏れる訳よ。……まあ【魔女】に会ったって奴はゼロだがな」


 ルムにとって意外な情報だった。てっきり『魔女の棲む山脈』は生きては帰れないものだと思っていたし、故郷ではそういう情報がまことしやかに語られている。やはり近いところでは生きた情報が手に入るものだな、と思った。


「生還者か。その者から話を直接聞くのが一番早いな。お前達、出かける先々で『魔女の棲む山脈』からの生還者の情報収集を頼めるか? 何かのついでで構わない」


「イエッサー」


 軽いノリの返事にルムは一抹の不安を覚えた。


***


 その晩、ルムは水を飲もうとキッチンに向かった。キッチンに行くにはリビングを通らねばならない。リビングに入ると、ソファーに横たわるサンダーを見つけた。いくら立派なソファーも巨体では窮屈そうだ。


「……部屋に戻らないんですか?」


「後で戻る。今こっちでやることがあるんだ」


 彼の返事にほっとしている自分が居た。何となく気付いていた。彼はここずっと実際には部屋に戻ってきていないことに。部屋にいるふりをして、独りでリビングで夜を過ごしていることに。彼の寝室を占拠し彼に窮屈な思いをさせていることには後ろめたさがある。

 しかし彼と共に夜を過ごしたくない。あの夜が再び訪れてしまうかもしれない不安があった。


「わかりました」


 ルムはそれ以上は何も言わず、独りで部屋に戻った。部屋を出る直前に振り向いてみたが、サンダーはルムを気にする素振りも見せない。胸の奥に何か沈んだものが疼く。


***


 サンダー曰く、彼の仲間達が今『魔女の棲む山脈』からの生還者を探しているらしい。見つかるまでの間はもう少し銃の特訓が出来そうだということだ。


「彼らは大丈夫なんですか? ずいぶん軽い感じで生還者探しを引き受けてましたけど。反古にされません?」


「あいつらはいつもあんな感じだ。むしろああいう風な返事ならば問題ないくらいだ」


 特訓の合間にはユーを交えて雑談をする。そんな時だった。


「ボス、ルム。さっそく生還者の情報が入りましたぜ」


 トロとゲンが連れ立って射撃場に姿を現した。


「早いですね。まだ二日しか経っていないのに」


「それが生還者が近くにいたんすよ。灯台もと暗しってやつっすかね」


 トロが自慢げにしている横で、ゲンが語り始めた。


「実際どこにいたかって言ったら麓の町……まあつまり最果ての町にいたんですよ。町の隅っこで独りでひっそりと暮らしてるってことらしいんですが」


「なるほど。どこまで掴んできた?」


「へい。そいつの名前は『フリッツ』といいまして、おそらく四十から五十くらいの中年男だそうです。二十年くらい前から町の端に暮らしてるそうですぜ。おそらくその前後に『魔女の棲む山脈』に行ったんじゃないかと」


「そうか……。ルム、明日さっそくそいつの所に行ってみよう。今からだと時間が遅い」


「そうですね」


***


 朝食を取ってすぐルム達は最果ての町へ向かった。

 トロとゲンに案内された場所は、確かに町の中心部から少し離れた隅っこという表現が正しい場所だった。彼の家とおぼしき物以外、建物はない。そこには瓦礫を組み合わせただけの簡素な小屋が建ててある。おそらく一人分の就寝スペースしかないだろう。隣接して小さな畑があり、最低限の生活が出来そうな様子は人との交流を絶っていることを示している。

 トロとゲンがまずは小屋の扉らしき箇所をノックした。ルムとサンダーは少し引いたところでその様子を窺っている。ゲンがこちらを向き肩をすくめて首を振った。いくら待っても中から出てくる気配はないと訴えている。


「あれ?」


 ルムは、その小屋の裏手から細く煙が上っていることに気が付いた。誰にそれを訴えるよりも先に、小屋の壁を伝うように裏へと回った。

 そこには、簡易のコンロで鍋を温めている白髪交じりの男が座っていた。背は曲がりボサボサの白髪と髭で、生気のない目は老人にも見える。この男が昨日聞いた「フリッツ」という男なら、年よりもずいぶん老け込んでいることになる。

 ルムは呆気にとられて立ち尽くしていると、背後から声がした。


「ルム、どうしたんだ?」


 そう声をかけたサンダーも、そこに男が居ることに気が付いたようだ。サンダーは背にルムを隠すようにしながら男に歩み寄った。


「貴方が『魔女の棲む山脈』からの生還者か?」


 サンダーの問いに男の肩がピクリと動いた。

 だが無視して鍋を菜箸で混ぜ続ける。


「質問してるんですから答えたらどうですか?」


 確かに反応したのに拘わらず無視をする彼にルムは苛立ち、強く言った。サンダーが「いいから」と彼女を窘めた。


「……そうだが何も言うことはない」


 かすれた声で答えた。

 だが答えた、と言うにはルム達の質問は何一つ解決していないので程遠い。ルムはますます苛立ったが、サンダーが気にする様子はない。


「貴方から『魔女の棲む山脈』に行ったときのことを少しばかり伺いたい。今の俺達には貴方の持つ情報が必要なのです」


「言わん、知らん」


 彼は下を向いたままつっけんどんに答えた。ルムの堪忍袋の緒が切れた。


「じゃあ何で未練がましくこんな『魔女の棲む山脈』のお膝元にしがみついているんですか? まだ何かあるんですか? 未練があるにしても何もできずどうせ隅っこに縮こまって余生を過ごすなら、さっさと故郷に戻ってご隠居生活でもしてればいいじゃないですか?」


「る……ルム!」


 その途端、男は立ち上がった。


「あいつらがお前らを差し向けたのか? 今さら俺に何が出来るって言うんだ! 帰って奴らに『フリッツは死んだ』とでも言っておけ!」


 いったい何が逆鱗に触れたのか、男は猛烈に喚き持っていた菜箸を振り回した。このままでは鍋の中身をぶっかけられかねない。


「いったん退こう」


 サンダーはルムを小脇に抱え、小屋の表へと退散した。


***


 トラックの中は少しばかり重苦しい空気が流れている。


「……小娘、『短気は損気』って言葉を知らねぇのか?」


「ボクは小娘じゃありません。男です」


「どうだっていいだろうが今そんなことは」


 明らかに怒りを含んだ口調でゲンが言った。自分達の手柄でせっかく得た機会をルムの短気で逸したのだから怒るのも無理はない。対するルムも膨れ面で黙っている。ゲンの言うことはわかるが、自分の怒りもまた正当だと思っている。


「ルムは人に対してちょっと言い過ぎの嫌いがある。前にもあったが、おさげの女の子を怒らせるようなことをわざわざ言うしな……」


 運転をしているサンダーは怒っても呆れてもいないが、やや咎めるように言った。


「だが彼がその『フリッツ』だということは、自ら名乗ったからわかった。また明日も行ってみよう」


 サンダーは前を見ながらはっきりとした口調で宣言した。


「ルムを除いてな」


 それもまたはっきりとした声で言った。


***


 フリッツはぺたんこの布団の上で、小汚い薄い毛布を体に巻き付けうずくまっていた。彼の体は激しく震えている。


 目を閉じても仲間を切り刻む疾風の如き獣の残像が瞼の裏に浮かんでくる。

 耳を塞いでも仲間の頭を蹴り飛ばした大きな鳥の羽音が迫ってくる。

 どちらに追いつかれても避け難き暴力に曝され、為す術なく命を落としていく仲間達……。


 【砦】の意識が仲間達に向いてるうちに自分は死に物狂いで駆け、山脈からの出口となる洞窟へ逃げ込んだ。【砦】は洞窟の中までは追ってこなかった。自分は助かったのだ。

 自分だけは生き延びたのだ。彼らの犠牲の上に。


 自らを落ち着けるように、フリッツは荒く呼吸しながら自分の肩を抱くように体をさすり続ける。

 突然、薄暗い部屋に光が射し込んだ。眩しさのあまりフリッツは手で顔を覆う。何の前触れもなく開いたドアから大量の太陽光と共に、人影が勝手に小屋の中へとなだれ込んできた。


「あんたが『魔女の棲む山脈』から生還したの? ちょっと来てもらうよ」


 全く見知らぬ男達がニヤニヤしながらフリッツを取り囲み、逃げ道を奪った。ねっとりとした喋り方が偽りの優しさを表していた。


***


「ルムが怒らせたのが三日前のことだから、さすがに少しくらい頭が冷えていてくれるといいんだが……」


 己の身勝手な理由とは知りながら、サンダーはフリッツの怒りが鎮まっていてくれることを祈りぼやいた。ルムがフリッツを怒らせた翌日、謝罪も兼ねて彼の元を訪れたが案の定にべもなく追い払われた。そのため三回目の訪問は二回目の訪問から一日空けた今日になったのだ。

 フリッツの自宅である小屋の前で、サンダーはルムに小声で話し掛けた。


「ルム、ちゃんと謝れるか?」


「わかってますよ」


 今日はルムを連れてきた。本人に謝罪させれば少しは懐柔されるかもという実に下衆な魂胆だが、やれることはやろうと思った。

 今度はサンダー自らが小屋の扉をノックした。返事はない。中に人の気配もない。


「裏にいるのだろうか」


 ルムを連れて、フリッツと初めて会った小屋の裏手へ回ってみた。

 しかしそこには姿はない。彼がその時使っていた鍋は洗われた状態で放ってある。小屋が見える範囲をぐるっと見回ってみたが、周囲にもいないようだ。


「留守にしているのかもな。改めるか」


 サンダーが立ち去ろうと小屋に背を向け三歩、四歩と歩いた。

 だがルムが自分の後をついてくる気配がない。振り返ってみるとルムは再び小屋の扉の前に立っている。


「ルム?」


 サンダーの呼びかけを無視し、ルムは小屋の扉を再びノックした。勿論返事はない。するとルムは躊躇いなく扉を開け、中に入って行った。


「ルム!」


「うっ!」


 中からルムの呻き声が聞こえた。慌ててサンダーも小屋の中を覗いた。薄暗い部屋にはえた臭いが充満している。清潔とは程遠い人間が発する臭いだ。ルムが口元をポンチョの裾で覆いながら、きょろきょろと足元を見ている。


「……死臭じゃないみたいで安心しました」


 床には汚れた毛布が無造作に置かれ、その中に人の姿をしたものはない。


「ん?」


 サンダーは扉にナイフが突き立てられているのを見つけた。その刃先は紙切れごと扉に深く刺さっている。紙切れには「生還者から話を聞きたい人へ」と、明らかに自分達を指し示す宛名が書いてある。


「ルム、俺達に対する挑戦状だ」


「何があったんですか?」


「『生還者が相手してくれなくて大変でしょう。私達が協力しますので下の地図の場所まで来てください』か……。拉致されたな。俺達の行動が誰か良からぬ奴に筒抜けだったのだろう」


「大胆な」


 ルムが呆れたように言った。


「ここは警備兵が常駐しない無法地帯だからな、こういった行動に出る奴が居てもおかしくない」


「どうします?」


 そう尋ねながらもルムは怯えるなどする様子はない。ポンチョの中に右手を入れている。その中に隠している『念導銃』に触れているのだろう。彼女の心は決まっているようだ。そして自分も怯む理由はない。


「本当か罠か、どちらにしても行ってみるしかない」


***


 町の隅っこと呼ばれるようなフリッツの自宅よりもさらに町の中心地から離れたところがメモに指示されていた場所だ。

 目の前には廃屋がある。建物の構えから何らかの飲食店であったことが窺えるが、看板は完全に外れ、文字も読めなくなっている。バルコニーはテラス席だったのだろうが半壊している。

 蝶番が壊れて外れかけているドアをくぐり抜け、ルムとサンダーは中へと入っていった。テーブルや椅子が無惨に散乱するフロアには人の姿はなかった。

 だが確実に、人の気配がする。

 風化して穴の開いた板の床の上を慎重に歩を進める。大男のサンダーが歩く度に傷んだ木の板が軋む音が響く。フロアの奥にはカウンターがある。おそらくバーだったのだろう。


「こっちだ」


 人の声がした。ルムとサンダーの視線は一点を向く。カウンターの奥の壁には、壁の向こうへと進むための扉がある。そこから声が聞こえた。


「……男の声だ。おそらく複数いる。ルム、俺より前に出るんじゃないぞ」


 サンダーはルムより前に歩み出て、ドアノブに手を掛けた。

 中を覗いてみると、おそらく酒の貯蔵庫だったのだろう。アルコールの残り香がする。扉を開けてすぐ下り階段になっているので半地下になっているのだろう。いきなり襲い掛かってくることはなかった。真っ暗な部屋を照明用念導器が照らしている。照明は中にいる人物のニヤついた顔と、彼らが手にしている刃物を照らし出していた。

 人数は四人、さして年を取っていない若造だ。彼らの表情が一瞬固まった。自分達が相手にしようとしているのが屈強な大男とは思ってもいなかったようだ。そして彼らの足下に、手足を縛られ芋虫のように転がるフリッツの姿があった。


「小賢しい策を弄しているかと思えば、何の捻りもなく」


 サンダーは吐き捨てた。

 フリッツは衰弱しているように見えた。もともと健康的な生活を送っていたわけではない。それは彼の家を見てみれば容易に想像がつく。多大なストレスやわずかな欠食が彼への重大な打撃になっているだろう。一刻も早く助け出さねば、彼のこの後の人生に大きな影響を出してしまう。

 サンダーの一番近くにいた若い男が刃物をちらつかせながら話し始めた。


「あんた達さぁ、この人が口を割らなくて困ってるんでしょ? ちょっとお金出してくれれば俺達が何から何まで喋らせてあげるよ。どう?」


「小金欲しさに拉致監禁に暴行ですか。みっともない」


「あぁ?」


 ルムが小馬鹿にしたように言い放った。男達は一瞬にして不機嫌になり威嚇してきたが、それを言ったのが絶世の美少女と見るや否やサンダーの方に向き直る。


「カネで取り引きしようと思ったけど、カネの代わりにその子と遊ばせてくれるんならいーよ」


 最初にサンダーに話し掛けた男が上機嫌に言った。


「……カネを用意すればいいんだな?」


 サンダーが静かに言った。声を掛けた男がにんまりと笑った。


「仲間に用意させるから連絡してくる。少しの間離れていいか?」


「逃げたり通報したりするなよ」


「彼女を担保にする。俺が戻るまでここに残っていてもらう。彼女には手を出すな」


 サンダーはルムの肩をポンと叩いた。


「は?」


「少しの間だけだ」


 サンダーはルムの耳元で優しく囁くと、しっかりとした足取りで部屋の外へと出て行った。

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