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ボクと牙の折れた怪物1

 それからのことはあまり覚えていない。


 「バルス!」だの「セホーン!」だの意味のない言葉を叫びながら彼を突き飛ばし、部屋を飛び出したような記憶がうっすらとあるばかり。


──結構覚えてるじゃん……


 ルムは辿れる記憶があると自覚し「あまり覚えていない」を自ら否定した。それにしても、と思い出した。


──ボクとしたことが……あいつの下心丸出しの行為を『慰められた』なんて感じたなんて……


 体を舐める行為は怪物流の慰め方だと信じていた。

 だが実際には、ボスの下心がそこに存在していたことを知った。勘違いしていた自分が恥ずかしく、顔から火が出るほどの想いだった。その想いの源は彼女の高すぎるプライドなのか、それとも初めて寄せられた強すぎる好意に対する戸惑いなのか、彼女自身も知る由はなかった。


***


 廊下を歩いていると、先程まで居たリビングの方から楽しそうな声が聞こえてくる。中を覗いてみると荒くれ者達が六、七人ほど部屋の中央に固まっていた。


「この花の花言葉は『おめでたい』だから、これを買って飾ったらいいと思うの!」


「そうなのか。ちんちくりんは賢いな!」


 荒くれ者の集団のその中央にはソファに座っているユーが居た。ガラの悪い連中のくせに顔はデレデレで、図鑑を開きながら花の知識を披露するユーを手放しで褒めている。初孫の成長を喜ぶ祖父母のようだ。


──ユーがいつの間にかあいつらを手玉に取っている。


 自分が離れている間に何があったのかルムには全く想像が付かない。


「ユー」


 ルムは部屋に入りながら呼びかけた。彼女を見るとユーの表情がぱっと明るくなった。

 だがすぐにその表情が曇った。荒くれ者達はルムの顔を見るなり、そそくさと立ち去った。


「ルム、大丈夫だった?」


 離れる度にユーは「大丈夫」と尋ねてくるな、とルムは気が付いた。


「大丈夫ですよ」


「じゃあ何でそんな憤怒の相をしてるんだよ……」


 ルムの返事を聞いて、その場に残っていたスキンヘッドの男・ゲンが呆れたように突っ込んだ。彼はそれだけ言うとリビングの奥へ去っていった。無論ルムの不動明王のような表情の原因はボスの行為にある。それはルム以外誰も知らないのだが。


「ルム、顔が怖い……」


 怯えたように呟くユーの横にルムはどっかりと腰を下ろす。


「そんなのどうでもいいでしょう。それよりもさっきの花の図鑑から花言葉が『望郷』っていう意味の花を探してくれません?」


「ぼうきょう?」


「故郷を思うとか懐かしむとかそんな意味ですよ」


 ユーは先ほどまで荒くれ者達に披露していた図鑑を再びめくり始めた。あるページで手を止め、ユーは写真を指さした。ルムも覗き込んで二人で顔を寄せて図鑑の写真を見る。そこには枝分かれした茎の先にぶら下がる鮮やかな黄色い花が写っている。


「これなんてどうかな? 『サンダーソニア』」


「サンダー……」


 あの怪物の咆哮は雷のようだった。綴りは違うが音だけならサンダーと雷は同じ意味。ならまぁお似合いじゃないかとルムは思った。


「何の話をしているんだ?」


「ふふぉう!」


 突然背後から声をかけられ、ルムは思わず変な叫び声を上げた。振り返るとボスがソファの背もたれに肘をかけて二人を後ろから覗き込んでいた。すっかり服を着込んだ彼は穏やかな笑みを浮かべている。薄水色のボタンシャツにタイトなジーンズを穿きこなし、小綺麗な恰好をしている。


「貴方の仮の名前を考えていたとこですよ」


 ルムは努めて冷静に答えた。その実、胸が爆発しそうになっている。この原因不明の動揺を悟られたくないとできるだけ冷たく突き放すように喋る。


「そういうことだったの?」


「そういうことです」


 ユーの質問にルムは簡単に返事をした。


「俺の名前?」


「うん。ルムがね、『望郷』って花言葉の花を探してほしいって」


「ユー、言わなくていい!」


 ユーに倣い、相手の置かれた状況を踏まえて名前を考えようとした。

 だがいざそれが相手に知られるとなると照れくさいような恥ずかしいような気持ちになる。慌ててルムはユーに口止めしようとしたが、時すでに遅し。ボスは心底嬉しそうな顔をしている。


「それで、花は見つかったのか?」


「うん、『サンダーソニア』なんてどう?」


「ふむ、『サンダーソニア』か……。悪くないな。なら今日から俺は『サンダーソニア』を名乗ろう。どうだ、ルム? 呼んでくれるか?」


 彼は今まさに付けられた名前を呼んで欲しそうにルムに話しかけた。彼女は不機嫌そうに口を尖らせながら呟いた。


「ボス」


「お前な……。さっき『貴方はボクのボスじゃない』って言ったばかりだろう」


 ルムは膨れ面で黙りこくる。意地でも呼んではやらない。この変態を喜ばせてしまった敗北感で悔しくて堪らない。


「でもね、やっぱり長いね。呼ぶときは『サンダー』でいい?」


「構わないぞ」


 『サンダー』と名付けられたボスはルムの髪にそっと触れようとした。ルムは頭を振ってそれを拒否すると、ユーに抱きついた。首に腕を回されルムに顔を寄せられているユーは赤面してモジモジしている。


「……ずいぶん仲が良いな。付き合ってるのか?」


「いえ、ユーとは今日初めて出会ったんです。困っているところをボクに助けられた恩があるから、ボクが男だろうと女だろうとユーには大した問題じゃないんです。貴方みたいな下心なんかありませんから」


 ルムはますます腕に力を入れてユーを強く抱き寄せた。ユーは耳まで真っ赤になっている。


「困っているところを助けられた恩があることと、ルムが男だろうと女だろうと大した問題じゃないことは俺も同じなのだが」


「何を張り合ってるんですか」


 サンダーはルムに触れるのを諦めたのか、今度はユーの頭を撫でた。


「ちんちくりん、俺はルムを愛してしまったようだ。俺の恋路の邪魔はしないでくれるか?」


「あんた何言ってるんですか!」


 ユーはコクリと頷いた。


「ユーも承諾するんじゃない!」


 天然変態王子と、天然ちんちくりんの相手は大変だ……とルムは溜息を吐いた。


***


「ところで」


 サンダーはリビングから一続きになっているキッチンに向かって声をかけた。顔を出したのはそこで作業中のゲンだった。


「ずいぶん人数が足りないぞ。他の奴はどこに行った?」


「ああ、トロ達が買い物の第一陣として町に行ってますよ。今日の夕飯は豪華にしますから、ボスは休んでいて下さいよ」


「そうか、二人にこの辺りを案内しようと思ったが……車はないってことだな?」


「そうです。んで第二陣の時にそのちんちくりんを連れて行こうと思うので、連れ回すのは遠慮してもらってもいいですかね?」


「わかった。じゃあルム、時間まで散歩に行くか?」


「いえ……彼も元の姿に戻ったしボクらをそろそろ帰してもらってもいいですかね?」


 ルムが本音を漏らした。


「何でかボク達がここに滞在し、夕飯までご馳走になる流れになっていませんかね?」


「てめぇはボスの厚意を断るってのか?」


「厚意も何も、来たくて来た訳じゃありませんから。彼の姿を戻すためだけに連れてこられて、それが叶った今ボク達がここに留まる理由はないじゃないですか」


 ふんと鼻を鳴らしてルムは長い髪を掻き上げた。


「可愛くねぇ。とんだ女狐だな」


 ルムの高飛車な物言いに呼応するように、ゲンが憎々しげに舌打ちした。


「ゲン、そういう言い方はやめてくれ。ルムは俺の運命の相手なんだ」


「ボス……悪いことは言いませんが相手は選んだ方がいい。人間は顔じゃないですぜ」


「お前等……。好き勝手言いやがって……」


 ルムの口調が汚くなる。

 だがサンダーがそれを気に留める様子もなくルムの隣に座り、ユーの首に絡みつく彼女の腕を解いた。


「何にしてもルム、ユー。俺達はお前達に迷惑をかけた。あの最果ての町に戻ってもいろいろと不安定で休まらないはずだ。せめてもの詫びとして、今晩はここで飯を食って休んでいけ」


 サンダーはルムの腰に自分の右手を当てて彼女を抱き寄せた。微笑みを見せてから彼はルムの額に一つキスをした。


「この変態筋肉ダルマがぁっ!」


 ルムは思いっきり叫び、サンダーの腕を振り解いて部屋から脱兎の如く逃げ出した。


(何て愛らしい生き物なんだ)


 サンダーはルムの去っていった方向を、緩んだ表情で眺めていた。直後に車のエンジン音が聞こえた。トロ達が戻ってきたのか、とサンダーは思った。


***


 買い物袋を抱えたトロ達が部屋に入ってきたのは三十分ほど経ってからだった。


「トロ? ずいぶん前に帰ってきてたんじゃないのか?」


 トロは愛嬌のある狐顔をきょとんとさせている。


「いえ、俺達が帰ってきたのはたった今ですよ?」


「じゃああの車のエンジンの音は一体?」


「ああ、もしかしたら悪ガキかもしれないっすね。最近ガキどもが俺らの『お宝』を狙って車で下見に来ることがあるんですよ。都度追っ払ってますけどね」


「……?」


 サンダーは思案顔になった。


──それにしてもルムの気配を感じない……


 急な不安に襲われサンダーは独りで外へ飛び出した。


***


 岩山の影に車を止めているから直射日光は避けているはずなのに、車の中は異様に熱い。大きな物を乗せるためだろうか、車内は運転席と助席しかなく後部座席は全て取り払われて広いスペースとなっていた。


「やめろ変態! 近付くんじゃない!」


 ルムの目の前でまだまだ少年といえるような男二人が息を荒くしている。彼らは血走った目でルムを見ていた。羽織っていたポンチョは剥ぎ取られ、その下に隠していたブラウスにショートパンツ姿が晒されている。ルムは車の窓に張り付きながらに彼らの接近を警戒していた。


「あいつらこんな女まで隠し持ってたんだな」


 短髪の少し体が大きい方の少年が、もう一人のおかっぱ頭のような幼い少年に言った。彼は頷いた。


「お前等一体何なんだ? ボクをどうするつもりなんだ?」


 そう言うルムにだって彼らの目的くらいわかっていた。自分を犯そうとしていることぐらい。お盛んな年頃の彼らなら、他人の目の届かないところで可憐で弱そうな女性を見つけたら人の道を外すことだってあり得る。そうでなければいきなり車に押し込まれるなんて有り得ない。

 シートが取り払われた車内の空間は、このような行為を行うのにもうってつけなのだろう。


──何であいつらから『念導銃』を返してもらうのを忘れてたんだろう……


 ルムは激しく後悔し自分の間抜けを責めたがすべては後の祭りだ。

 短髪の男の方がルムの白くて華奢な太股を鷲掴みにすると、一気に自分の方へ引き寄せた。


「へぶっ」


 ルムはバランスを崩し、あっさりと窓から体が離れ床に頭を打ちつけた。床の上でうずくまっていたが、さらに足を揺さぶられたかと思うと、気が付いたら仰向けに寝かされていた。


「おい、お前は腕を押さえてろ」


「う、うん!」


 短髪の少年はおかっぱ頭の少年に命令した。おかっぱ頭の少年はルムの頭の方に回り、腕を床へと押さえ込んだ。同時に短髪の少年がルムに馬乗りになった。今の華奢なルムにとって彼は重く撥ね除けることは不可能だった。

 ボタンを一つ一つ外していくことさえ間怠っこいのか短髪の少年はルムのブラウスを思い切りめくり上げた。まだ未発達の胸と壊れそうなほど細くくびれた腰が露わになる。


「うわー! 小せぇ!」


 小さいと言いながらもその口調は興奮を抑えきれないといった様子で、少年は両手で胸の膨らみを力任せに揉んだ。


「ひ……いた……ぅあ」


 痛みのあまり出る声は小さい。自分の乳房を掴む少年の手に力が入る度、自分の意に反して体が仰け反った。すでに十分以上抵抗し暴れていたルムには上に乗った男をどうにかする体力が残っていなかった。


「さて」


 疲れ果てぐったりとするルムの上に乗った男は自らのズボンを脱ごうとした。もう一人の少年も、興奮と羨望を隠さない。


「……やだ」


 ルムは小さく呟いた。

 こんなところで、こんな奴らにいいようにされるなんて。


「助けて、ユー、サンダー……」



『グォゴオオオォォォォン!』


 突然の轟音と共に、車が大きく揺れた。轟く雷鳴と強い衝撃。


「な……何だ!」


 ルムに乗った男もさすがに驚いて手を止め、辺りを見渡した。男はルムの腕を押さえ込んでいたもう一人の少年に聞いた。


「落雷か?」


「で……でも雷雲なんか全くないよ!」


 言う通り車の窓から見える空は抜けるような青空だ。

 しかし天井から、振動と共に金属を削り取るような不愉快な音が鳴っている。ルムにはこの雷鳴も、何かを削る音も記憶にあった。

 少年達は慌てて窓の外を何度も見ている。自分の周囲に何が起こったのかを必死に把握しようとしているようだ。


「うぎゃああああああああっ!」


 短髪の少年の方が野太い叫び声を上げた。彼の視線はリアウィンドウに釘付けになっている。

 そこには屋根の上から逆さまに車内を覗き込む、真っ青な怪物の姿があった。青空に轟く雷鳴。思いも寄らない怪物との遭遇。まさに青天の霹靂。


『グルァァァァァッ!』


「ひぃわあああああぁぁぁぁぁ!」


 地を揺るがすような咆哮と共にリアウィンドウには怪物の唾液が飛び散る。少年達はルムを放って、争うように運転席へと移動した。

 ルムには雷鳴の、不愉快な音の、そして覗き込む怪物の正体がわかっていた。


──サンダー? どうして?


 怪物はもう一つ吼えると、リアウィンドウに掌底を一撃入れた。強い揺れと同時にガラスには瞬時に蜘蛛の巣のような割れ目が入る。前の座席からはガチャガチャ音がする。必死に車を発進させようと少年達が車のキーを何度も回していたが、うまくいかない。

 一度怪物はリアウィンドウから姿を消した。天井から軋む音がする。屋根の上に再び登って移動していることを示していた。運転席の少年はよりいっそうガチャガチャと激しくキーを回している。

 怪物は今度は後部ドアの窓から中を覗き込んだ。そして躊躇うことなく、掌底の一撃でそのドアの窓ガラスを粉砕した。


「ぎゃぁぁぁぁぁぁっ!」


 前の座席では少年達が完全にパニックに陥っている。

 しかし怪物は少年達をどうこうするわけでもなく、窓を割ったドアを大きな手で鷲掴みにし車体からドアを剥ぎ取った。逃げ道が一つ確保された瞬間だった。ルムは恐怖も疲れも忘れ体を起こすと、ただの抜け穴となった車体の出口から外へ飛び出した。

 怪物が、いつの間にか車の屋根から降りて佇んでいた。ルムは何の躊躇いもなく、怪物の逞しい青い体に飛び込んだ。それと同時に耳を裂くようなエンジン音が聞こえた。車が急発進し、巻き上げられた砂埃が二人に降り注ぐ。


「サンダー……」


 ルムは目を閉じて怪物の胸に顔を埋めた。同時に全身が震え始めた。怖かったのだ。自分の体が蹂躙されることが。

 怪物の体に顔をすり寄せた。ひんやりとしてザラついた感触を頬に感じる。


「ルム!」


 名前を呼ばれたと同時に触れていた冷たく硬い感触は失せ、人肌の温かさと柔らかさを感じた。目を開けると眼前には鮮やかなタトゥーがあった。顔を上げると血相を変えたサンダーの顔が見えた。


「え……? サンダー? どうして人間に?」


 サンダーはルムの質問には答えず、彼女を強く抱き締めた。


「遅くなってすまない! 怖かっただろう」


 サンダーはますます強くルムの体を抱き締める。そのせいでルムの体は少し仰け反っている。

 彼は繰り返しルムに謝罪の言葉を向けた。そんな中でルムはようやく安心し、サンダーの背に腕を回した。


「怖かった……」


「すまない。俺はお前の盾だと言ったのに守れなかった」


 サンダーはそれでもルムを離すことはなかった。

次話に続く

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