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邂逅そして

 体の震えが止まらない。ルムは目を見開いたまま、その場から動けずにいた。


「ボス。こいつもボスと同じ【魔女】の呪いがかかってますぜ」


──ボス? ボクはボスって奴はてっきり人間だと思っていたぞ? だけど今、目の前にいる奴は何だ?


 ルムの目の前にいるボスとやらは、身の丈は二メートルを超えるであろう。まずは青い。頭のてっぺんから足の先まで皮膚という皮膚が青い。下半身はゆとりのあるズボンを穿いているが、さらけ出された上半身は筋骨隆々としているのに鱗に覆われている。

 腕は明らかに人間のそれよりも長く、指の先が床につきそうだ。腕も長いが手自体が大きく、指も長い。手足も爪が異常に長く、太く鋭い。廊下の傷は間違いなくこいつの爪によって付けられたのであろうことはわかった。基本的に毛はないが、額のあたりから後頭部、それから背骨に沿って、ちょうど馬のたてがみのように金色の毛が生えている。顔は大きな体の上にちょこっと乗っかっているように小さい。人間ならばスタイルがいいと褒めてあげられるが、その顔は眼球が落ちそうなほど目を剥き、口は顔の端から端まで裂けていてそこから鋭い牙が覗いてる。鼻があるはずの位置に二つの穴が開いているだけで、耳は人間の耳の位置よりもやや高いところにある。尖っていて獣のような耳だ。

 そいつはゆっくりと床を踏みしめるように歩く。歩く度に爪が床に食い込む。そして少しずつルムのいるソファへと近付いていく。


「【魔女】の呪いがかかってるなら、その解き方も知ってるんじゃないのか? ボスを元の姿に戻してやってくれよ」


 ボスの背後から彼をこの部屋に招き入れた男が叫んだ。


「冗談じゃない! そんなもの知ってるんならさっさとボクは元の姿に戻ってる!」


 動揺を悟られてはなるまいと、男に対抗するようにルムは強く怒鳴り返した。震える手を強く握りしめ拳を作る。


──この集団が【魔女】に関するものを集めようとしていたのは、ボスの呪いを解く方法を探していたからなのか!


 しかし【魔女】の呪いが解けていない者同士、ルムとボスは同じ穴のむじななのだ。為す術なくもがいているだけのちっぽけな人間だ。

 次第にボスという怪物との距離が詰まっていく。


「ひぃっ」


 ルムは体を縮み込めてボスに背を向けた。ソファの背もたれに顔を、胸を押しつけ目をぎゅっと閉じた。体の震えがさらに増す。自分では抑えることが出来ないほどに激しく。


──怖い。


 得体の知れない存在を前に、初めての感情を覚えた。命の危機を感じるような恐怖。【魔女】に呪いをかけられた時よりもはるかに「恐れて」いた。来ないで、と心の底から願った。

 突然ソファに押しつけられた。ルムは目を開けてその感触のする方を見た。願いは怪物には通じていなかった。怪物の右手が自分の体を押さえつけている。奴の全ての指の爪がソファの背もたれに突き刺さり、自分を完全に拘束している。血の通っていないような冷たい手のひらの感触が服の上から伝わる。


──怖い! 怖い! 怖い!


 頭が恐怖で支配される。初めて見た怪物、それに近付かれた恐怖、命の危機。恐れて縮こまり、戦うことを忘れ、声にならない命乞いをする。そして気が付いた。自分は敵に屈したのだ、と。

 気が付くとルムは涙をボロボロとこぼしていた。涙の理由は恐怖だけじゃない。戦うことから逃げ出し命を惜しんだ自分に失望したから。【魔女】と対峙すべく心身共に鍛えてきた自分が、【魔女】以外の存在に怯え、泣くなど万死に値する。


──誇りを失った。もう生きてはいけない。


「ボクは騎士失格だ……」


 俯いて力なく呟いた。

 しかし怪物はルムを傷つける訳でなく、彼女の匂いを確認するように顔を近付けている。何か冷たく濡れたものが顔を撫でた。片目だけ薄く開けて確認してみる。怪物の牙の間から舌が伸び、自分の顔を舐めている。どうも涙の筋をなぞっているように思えた。冷たくて滑らかでどす黒い舌は明らかに自分達のそれとは違う。

 思わず怪物の顔を見た。それでも怪物は自分を舐めるのを止めない。まだ涙が溢れているから、拭い続けるように。やがてその舌先が首筋に触れた。


「ん……!」


 何とも言えない感触とともに、今まで味わったことのない感覚に襲われる。体の奥から湧き上がる熱に困惑した。怪物は執拗と言えるほどに、彼女の細い首を味見するように舌を滑らす。それが触れる度に自分の体が小さく痙攣する。(この時彼女は自分が喘ぎ声を出していることに気が付いていない。ついでにルムのその声に案内役の男が劣情を催していることなど、彼女は微塵も気が付いていない)

 ようやく終わる頃にはルムの涙は乾いていた。冷たいものが体を這っていたのに関わらず、体の芯は火照るように熱い。


──この怪物、ボクを慰めようとしていたのか?


 怪物はソファの背もたれに突き刺さる自分の爪を抜いた。同時に拘束を解かれたルムはソファの上に崩れ落ちた。恐怖心が薄れ、呼吸が整ったところで体を起こした。慰められたと感じたからだろうか。失望と屈辱は少し和らぎ、頭の中はクリアになっていた。乱れた髪を掻き上げようとしたが、両手はまだ縛られたままだ。軽く頭を振って顔にかかった髪を払う。案内役の男に尋ねた。


「このボスは本当に【魔女】に呪いをかけられたんですか? まあこんな姿だったらそれ以外ないのかもしれませんけど」


「そうだよ。突然こんな姿にされて」


「誰か見たんですか? 【魔女】の姿を」


 案内役の男は首を横に振った。


「見れる訳ねえだろ。【魔女】ってのは確かにいるけど、誰も見たことはねえんだろ?」


「ボクは見ましたけど。発生するはずのない白い靄が部屋に現れ、去っていくところを」


 ルムの言葉の直後、怪物が呻り声をあげた。そいつは喉を震わせて低い音を出している。ルムは驚いて身構えた。

 しかしタイミングが良すぎる。ルムは試しに怪物に聞いてみた。


「貴方は見たって、『イエス』と受け取っていいですか?」


 怖々としながらも怪物に尋ねた。すると驚いたことに怪物の剥かれた目から、液体が一筋、二筋と流れ落ちていく。ルムは怪物を見上げた。それが何か、彼女にはわかった。


「……泣いているんですか?」


 自分が流した涙。同じ物が怪物の目から流れ、顔を伝っている。両手を拘束されているため拭ってやることが出来ない。怪物相手なのに、それがもどかしく感じた。この怪物の中に人の心がまだ残っているのではないか、とルムは思い始めた。


「しかし一体いつからこの人はこの姿をしているんです?」


「一ヶ月前だ」


「一ヶ月!」


 一ヶ月間も異形の姿をしていたのか。自分のことを棚に上げるのはどうかと思ったが、人の心を残しているままならさぞ辛いだろうと同情した。自分達の頭領を怪物にしたまま放って置いている集団に苛立ちを感じ始めたルムは案内役の男を罵る。


「何で貴方達自身が『魔女の棲む山脈』に行かないんですか? 遠いならまだしも、このあたりを根城にしているならすぐ行けるでしょう? それを近場の町を襲って【魔女】の情報集めからなんてまだるっこしい」


「だって俺らが山脈から戻ってこれなかったらボスはこのまま……」


「『だって』じゃない! お前等は自分の身可愛さにボスを放置しておくのか! 大の男が何人も集まってるくせに女々しい! その武器は見かけ倒しか!」


 ルムの罵倒に案内役の男は反論するが、図星を指されているのか声が弱々しい。ルムは自分は酷いことを言うと自覚しながら、敢えて『ある考え』を口にした。


「だったら何で怪物に変えられた彼を始末しなかったんですか? 彼はもはや外に出ることも出来ない。集団の頭領なんて務まるわけがないでしょう? 貴方達の手に余っているというなら、武器もあることですし……」


「出来るわけねぇだろ!」


 ルムが罵り始めてから初めて男は強く言い返した。

 だがルムは言葉を止めない。


「何でですか? 貴方達、彼に怯えているじゃないですか。こんな怪物と一つ屋根の下なんて嫌だったんじゃないですか?」


「出来るわけねぇだろ……。だって」


 あろうことか、案内役の男は涙を流していた。


「ボスはその姿になってから……一度だって俺らに手を上げたことはないんだぜ?」


「じゃあ、何で助けようとしないんだ! 長いことこんな姿のまま放っておいて可哀想だと思わないのか! お前等クズか! 外道! ウスラトンカチ! でれすけ! 骨無しチキン!」


 案内役の男は黙って俯いた。ルムの言っていることは誰よりも自分達がわかっているというように受け入れているように思えた。

 なおも罵ろうとしたルムの唇に、太い棒のような物が触れた。冷たくざらついた感触が柔らかい唇を覆う。怪物の指がルムの口に当たっている。爪が当たらないようにか、手のひらに近い箇所で。


「これ以上、仲間の悪口は言うなってことですか?」


 ああ、やはりそうか──ルムは確信した。このボスは人の心、人としての意志を怪物の体の中に持っているのだと。もう初めて彼を見た時のような恐怖心は完全に消え去っていた。ルムは怪物の懐に潜り込むように近付き、彼の顔を見上げて言った。


「わかりました。貴方の優しさに免じて、ボクが『魔女の棲む山脈』に行って、呪いを解く方法を見つけてきます。貴方は待っていて下さい」


 怪物の剥かれた目が、瞼と下瞼で少しずつ覆われ始めた。まるで目を細めているように見えた。


「何だ。目、閉じられるじゃないですか」


 不意にそれが可笑しく思えて、ルムは吹き出した。


「ん? 洒落たもの着けてますね」


 怪物に近付いて初めて、その首にペンダントがかかっていることに気が付いた。真っ赤な血の色を思わす、よく磨かれて丸くツヤツヤした石がぶら下がっている。鎖と石だけで出来た簡単なものだ。ルムは縛られた手を上げて、両手の指で包み込むようにその石に触れた。


──グゥオオオオオオーン


 その瞬間、雷が落ちた。

 いや、そう思えただけだった。音源は怪物の体だった。怪物の咆哮は雷が轟く音とまごうほどの轟音だった。ルムはその音に驚き転倒した。


「な……何だよ! どうしたんですか、ボス!」


 案内役の男が叫ぶ。ルムは床に横たえながらも顔を上げて怪物の様子を見た。怪物は頭を抱え上半身を激しく上下させ、悶え苦しんでいるように見えた。言葉で訴えてこないが、その身を何らか苦痛が襲っているように思えた。


「何で? ボクはただ、石に触れただけなのに……?」


 ルムは呆然とした。

 ボクが石に触れたから?──きっかけが自分の行動の気がして、彼を苦しめたのは自分なのではないかと恐怖心と罪悪感に飲まれそうになる。


──石を。


 ルムの頭の中に突如声が響いた。あの案内役の男の声とは全く違う。落ち着き払ったもっと年輩の男の声だ。周囲を見ても、自分と、怪物と、案内役の男しかいない。


──あの忌々しい石を。


 なおも続く男の声。この状況にも乱れない声色。まるで万物のことわりを知っているような賢者のイメージ。


──壊せ!


 頭を揺らすような強い口調の命令と、体を突き上げるような衝動。あの石を壊さなきゃ、という思いに体が支配される。


「……おい。ボクの『念導銃』を持ってこい、すぐに!」


 うつ伏せの状態で腕で上半身を起こした。抑えていた乱暴な口調を解放し、ルムは案内役の男に命令した。衝動が押さえきれない。上半身を支える腕が震える。


「何を考えてるんだ……」


「口答えするな! すぐにこの縄も切れ! ボスを助けたいんだろう!」


 ルムの最後の言葉に反応した男は、ナイフを取り出しルムの両手を縛る縄を切った。同時にバタバタと複数の足音が廊下から聞こえてきた。


「どうした!」


「いや、ボスが!」


 仲間が部屋に集まってきた。


「お前等、ボクの『念導銃』を返せ!」


「あぁ? 何を言ってるんだ?」


 仲間のうちの一人がルムに凄んだ。状況から、ルムがボスを撃つのであろうと疑っていることは明白だった。


「いや、こいつがボスを助けるって……」


「銃なんかで助けられるわけねえだろ! 頭おかしいんじゃねぇのか?」


 最初から部屋にいた案内役の男と、あとから来た仲間達が口論を始めた。

 誰もが恐れ、戸惑い、足踏みしている。だけどルムには伝わった。ここにいる誰もがボスを助けたいということを。その方法がわからず、前に進めないことも十分わかった。


──この調子じゃ返してくれなさそうだ。仕方ない。


 ルムは体を翻し、自分に凄んできたスキンヘッドの男に近付いた。そしてその腰に下げていた短銃を抜き取り、素早く離れる。体勢を調えると短銃をしっかりと両手で構え、銃口を怪物に向けた。


「てめぇ! 何やってんだ!」


「お前等に出来なかったことを、ボクがやるんだよ!」


 短銃に弾倉はなく、持ち手に水晶のようなものが埋め込まれている。間違いなく『念導銃』の一つだ。

 だがルムは猟銃のような長い銃は使ったことがあるが、短銃は初めて持った。自分の銃でだってお世辞にも精度が高いとは言えないのに、使い慣れない短銃など未知数だ。


「ボスを殺さないでくれ」


 案内役の男が、泣きながら叫んだ。


──ボクはこの怪物がどういう存在なのかは知らない。身内でも知人でさえない。元の姿だって知らない。正直、どうなろうと知ったことではないし、この人を失おうとボクが困ることはない。


──だけどこの怪物は……泣いているボクを慰めた、涙を流した、仲間の悪口に耐えられなかった、それでもボクを傷つける真似はしなかった。


 ある想いが、ルムの口を衝いて出た。


「ボクだって、この人に死んでほしくない!」


 引き金を引いた。ガァン、という音とともに赤い何かが霧状に散った。同時に怪物は仰向けに床へと倒れ込んだ。


──外した!


 ルムは泣き出したかった。短銃を放り投げ、倒れた怪物に駆け寄る。

 だが怪物の傍に辿り着いたときルムは呆気にとられた。その場に腰が抜けたようにへたり込む。


「誰だ?」


 そこに倒れていたのは体を刺青に覆われた、金髪の大男だった。皮膚は肌の色、どう見ても怪物ではない。


「ボス!」


 誰もルムの質問に答えることなく、部屋にいた全員が彼を囲んだ。まだ彼は目を開けることなく眠っているように見える。体に傷や出血は見られない。よく見ると顔色も悪くない。首には鎖が掛かっているだけで、石は跡形もなく消えていた。

 仲間のうちの一人が彼の胸に耳を当てた。安堵の表情を浮かべているあたり、最悪の状況は免れたようだ。


「呪いが……解けたのか?」


 仲間のうちの別の一人が呟いた。その瞬間、歓声が沸いた。彼らはその立役者のルムを放って内輪で騒ぎ始めた。


「しかし目を覚ましてくれねぇ……おい、女! ボスにキスしろ!」


「はぁ?」


「眠り込んだのを起こすのはお姫様の接吻だろうが」


「するかっ! しかも逆だろうが!」


「接吻! 接吻! せーっぷん! チュー!」


 沸き起こる接吻コール。何なんだ、このノリは? ついていけない……とルムは呆れた。その場にへたり込んだままのルムに誰かが囁いた。


「ねぇルム。大丈夫だった?」


「あぁ。大丈夫ですよ、ユー」


 そこには彼らの歓喜とは無縁の、心配顔で半べそのユーがかがんで自分の顔をのぞき込んでいた。ルムもユーの顔を見て初めて安堵し、彼の肩に頭を置いて寄りかかった。


***


「ここに……女の子はいないか?」


 ようやくボスが声を発した。


「ボス! 大丈夫ですか?」


 男達はボスの言っていることを全く聞いていないかのように、口々に話しかけている。体を起こしたボスは困ったような笑みを浮かべている。


「心配かけたな。悪かった」


「いえ、そんな! 助けられなくてスンマセンでしたぁッ!」


 ルムとユー、ボスの三人以外の全員が床に額を擦り付けるように土下座した。体を起こしているのはその三人だけ。


「お前か?」


 ルムはボスと目が合った。金髪碧眼で、『王子様』と形容されるに相応しい美丈夫がそこにいる。この荒くれ者をまとめるボスとは縁がなさそうな姿だが、どうやら彼がボスだということはわかった。


「何がです?」


「俺を助けたのはお前か、ということだ」


 果たして助けたのだろうか。こんな事態になってもルムには実感が湧かない。一連の出来事が全て夢だったのではないかと思えてきた。


「お前とは【魔女】の話をしたい。二人になっていいか」


「どうぞどうぞ」


 彼の仲間達は寸分の狂い無く揃って叫んだ。


「てめぇら、今夜は宴会だ! お前も手伝え!」


「え、ちょっと。ルムー!」


 大はしゃぎの彼ら(と巻き込まれたユー)を置いて、ルムはボスに手を引かれリビングを出た。


***


「ゲンさん、ちょっといいッスか?」


 案内役の男がスキンヘッドの男に声をかけた。彼はルムに奪われ投げ捨てられた自分の短銃を腰に納めているところだった。


「何だ、トロ?」


「いや、ゲンさんの『念導銃』って、どんな弾が発射されましたっけ……?」


「どんなも何も、『念導銃』の弾っつーのはエネルギーの塊だろ? 撃った奴の念に多少は影響されるが、だいたい光の弾だろうが。誰がどの銃撃ったって違いはねえだろ」


「そうッスよね……」


 ルムが『念導銃』を撃った瞬間に発射された弾の色が案内役の男・トロの脳裡に灼き付いている。


──あんな真っ黒な弾、見たことがねぇや……。


***


──身長が、怪物の時と大差ない。


 ルムは少し先を歩く彼を見てそう思った。怪物の時の方が少し大きい気がするが、見上げるほど大きいという意味では全く違いはない。体格も怪物の時に受けた印象と一緒で、筋骨隆々としている。髪は短く切っていてさっぱりとしているが、あの怪物の鬣と同じように光を弾いて輝いている。


「あそこは少し騒がしいし、あいつらに聞かれたくない話もある」


 彼は苦笑いした。廊下の突き当たりまで行くと、そこにあるドアを開けた。部屋は襲撃を警戒してか、窓は小さい。彼はサイドテーブルに置いてあった水晶に触れた。すると天井から吊り下げられた大きな水晶が光を放ち、部屋を明るくする。部屋の灯りのスイッチだったようだ。部屋の中には彼に相応しい大きなベッドと、机と、本棚だけしかない。それだけのシンプルな部屋だった。


「もともと人を招く部屋ではないからな。ベッドに座ってくれ」


 つまり椅子も座布団も茶菓子もない、ということなのだろう。ルムは促されるままベッドに腰を下ろした。彼も隣に並んで腰をかける。


「まずは助けてくれた礼を言う。本当にありがとう」


 荒くれ者をまとめる者としては随分紳士的だった。


「いえ。ボクは大したことはしていません。それよりその、体は大丈夫ですか?」


「いや、どこも怪我一つない。大した銃の腕だな」


 ルムは首を横に振った。あの石だけを撃ち抜くなんて芸当、できるなんて思っていなかった。

 それにしても彼じゃない、とルムは思った。思い出していたのは彼が苦しんでいたときに頭に響いた男の声。その声もボスの声もどちらも低いが、質が全く違う。優しく低く響くボスの声に対し、あの姿なき声はもっとハスキーで威圧的だった。


「お前も【魔女】に呪いをかけられているのか?」


 彼に尋ねられ、ルムは頷いた。


「はい。この体が【魔女】の呪いです。ボクは女にされました。元々は男だったんですよ」


 ルムはユーに説明したときのように話した。彼は一瞬目を見開いてから頭を軽く振った。


「女にされるなんて聞いたことがない……」


「それを貴方が言いますか。ボクだって呪いで怪物にされるなんて聞いたことないですよ」


「そうだな。だが俺を苦しめているのはそっちの呪いじゃない」


 全く予想だにしない彼の言葉に、ルムは首を傾げた。そっちじゃない、とはどういう意味だ? と当然の疑問が浮かぶ。彼はまだ上着を着ていない。彼は鍛えられた筋肉質な躰の、左胸に自分の手を当てた。


「この刺青が、何だかわかるか?」


 体中に入っている蛇や翼やいろいろな刺青の中に、彼の左胸に一つだけ綺麗に浮かび上がるのは何かのエンブレムのような刺青だった。

 しかし何のエンブレムだかはルムにはわからず、首を横に振る。


「そうだな。わかるはずがない。今までだってわかった奴なんかいない」


 彼は落胆したようにやや自嘲気味に言った。


「これは俺の国の紋章だ。それなりに大きな国だった。だが突然跡形もなく国は『消された』」


「消された……?」


「消された、というよりは最初からなかったことに……なっていた。両親も、城も、町も、国民も、全てある日を境に……この世界から消えた。……そんなことが出来るのは【魔女】くらいのものだろう」


 彼は途切れ途切れに言葉を紡ぐ。


「ただそれだけなら俺も国のことを誰にも話すことなく自分の中だけに留めて、黙々と復讐の準備が出来ていた。だが【魔女】はそれを許してはくれなかった。俺の躰に唯一の国の痕跡を残した」


「それがその紋章なんですか?」


「ああ。誰かが俺の躰を見る度『それは何の紋章ですか?』と尋ねるように仕向けた。誰が見ても気付かない、知らない。この世にはもう俺の故郷が存在しないことを何度も俺に思い知らせるように」


 何て酷い仕打ちだ、とルムは思った。国のことを思う度、彼は悲しみや憎しみに押し潰されそうになっていたはずだ。そして【魔女】はその機会が増えるよう敢えて彼にその痕跡を残した……。何と言っていいかわからずルムは戸惑った。

 しかし彼は柔らかく微笑み、ルムの肩を両手で掴んだ。


「お前が【魔女】の姿を見たと言った時、自分以外にもその姿を見た人間がいたんだと、可笑しいかもしれないが嬉しかった。自分だけじゃなかったと、わかり合える奴が居るんだと」


 あの時怪物が、いや彼が涙を流したのは、初めて自分と同じ経験をした人間と出会えたからなのか。彼の話を聞いて初めてわかった。


「こんな話をしたのは他でもない。俺も『魔女の棲む山脈』に共に行きたい。元の姿に戻ったんだ。外に出られない理由はない」


「はぁ……」


 ルムは間の抜けた返事をした。一人で行くことしか考えていなかったし、二人となると自由が利かない。彼女は少し考え込んだ。


「その姿では不便なこともあるだろう。ボディガードと思ってくれればいい」


 彼の言う通り、不便なことは多い。治安の悪いところは通れないし、酒場に行けば子供扱いされて門前払いされることもある。治安が良すぎる場所であると補導されそうになったこともあった。何より、ならず者に襲われるのだけは避けたい。

 しかし残りはわずか。『魔女の棲む山脈』の最寄りの町に着いたことだし、もう人の大勢居るところを行く予定はない。


「とは言ってもあとは洞窟を抜けて山を登るだけですし。【魔女】に復讐したい気持ちは分かりますが、それは個人でお願いします」


「お前と共に行きたい、と思ったんだ」


 彼の柔らかな笑みの奥にある真剣さにたじろぐ。


「お前はトロに向かっていっただろう、『長いことこんな姿のまま放っておいて可哀想だと思わないのか!』と。あれは突き刺さった。俺も結局は我が身可愛さに【魔女】のもとに乗り込めるのに関わらず、消された故郷を放ってズルズルとここまで来てしまった。俺に決心をさせたお前と一緒にいたい」


「わかりました。盾くらいにはなりそうですしね」


「そうだ。俺はお前の盾だ」


 ルムは冗談めかして言ったが、彼は真剣な口調で言った。


「では宜しくお願いします。宜しくついでに貴方の名前を教えて下さい」


「名前か……」


 彼の様子が先程の自分と重なった。


「『ボス』じゃダメか?」


「何でですか。貴方はボクのボスじゃありませんし、名前くらいいいでしょう」


「いや……ボスで事足りていたからな。自分の本名は出来るだけ名乗りたくないんだ」


「どうしてですか?」


 自分のことは棚に上げ、ルムは彼を責めるように問いかけた。


「俺の名前は俺の故郷特有の、王族だけの名前なんだ。何も知らない奴からすれば興味を引くには十分すぎて出身を聞かれる。それは避けたい」


「辛い思いをするくらいならじゃあ……って王族?」


「言ってなかったか? 俺はその国の王族、いわゆる王子だ。といっても三十になるけどな」


 ボスは不敵な笑みを見せた。見た目のイメージだけでなく、本物の王子様だったのか──ルムは納得したような、驚愕したような不思議な思いだった。


「それなら後でユーに名付けてもらったらいかがですか? 居たでしょう、ちんちくりんの少年が。あの子がボクの名前も付けました」


「お前の名前を?」


「はい、そうです。まぁボクも本名は名乗れないんですよ。そしたらユーが付けてくれました。『シュトゥルムフート』と」


「長いな」


 彼はその名前に疑問は抱かなかったようだ。「トリカブト」とは気付いていないのかもしれない。


「はい。ですから『ルム』と呼んでいただければいいです」


「そうか、よろしくな。ルム」


 彼は両手でルムの両手を包むように掴んだ。最後に彼が呼んだ自分の名前が耳に心地よくて、何だかくすぐったかった。

 彼はルムの手首を視線を落としていた。ルムの手首には、まだ縄の跡が傷として赤くくっきりと残っている。


「仲間が悪いことしたな」


 彼は言うや否や、ルムの手首を自分の目線まで持ち上げた。そしてそのままその傷跡に舌を這わせた。


「ちょっと……!」


「傷なんて唾を付けとけば治ると、親に言われたことはなかったか?」


 彼は少し意地悪そうに笑うと、さらに続けた。怪物の時とは違い生温かい。触れられるとわずかに滲みて刺激となる。どういう訳か先程感じた熱が再び湧き上がる。激しくなる鼓動に耐えながらルムは尋ねた。


「そう言えばさっき、怪物の時、ボクのこと舐め回してくれましたね。アレどういうつもりだったんですか?」


「お前が泣いていることに気が付いたから涙を拭いてやりたかったんだが、手があんなんだったからな」


「それなら首は関係なかったでしょう?」


「すまない」


 そう言って彼は苦笑いした。


「あまりにもお前が愛くるしくて止められなかった」


 そして彼はルムの手首を掴んだまま引き寄せ、顔を近付けた。慌てて彼の左手を振り払った自分の右手でルムは彼の唇を覆った。


「わかっているはずですよ。ボク、『元』男ですけど。それでも構わないですか?」


 弾けそうな心臓の動きに耐えながら、ルムは何とか冷静に、そして最大限に皮肉っぽく言った。彼の顔は今までの穏やかな微笑みとは全く違い、満面の笑みをたたえていた。


「ああ、構わない」


 再び右の手首を掴まれるとそのままルムは彼に引き寄せられ、深く口付けた。

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