強きを挫いて弱きを助く2
「何やってるんですか! 怒鳴ってどうにかしようとするんじゃない!」
ルムはキッカを隠すように立ち塞がり男に怒鳴りつけた。男は口元を一度痙攣させ、露骨に不愉快さを表した。男は無言で威嚇しながらルムとキッカに迫ってくる。二人はじりじりと後退し、男は廟の中に押し入った。
男は近くに置いてある長椅子の背もたれに手をかけた。人差し指で背もたれをトントン叩いているあたりに相当苛立ちを募らせているのだろう。
「またテメェか」
「それはこっちの台詞だ。だから彼女らが練習している間は貴方がここから少し離れていれば済む話でしょう。離れられない、彼女らに静かにしてもらいたい理由があるんなら話し合いをすべきでしょう」
「お前も人間同士の友情ごっこに加わりたいっていうのか?」
「ごっこだろうが何だろうが、何かを成功させるために努力している子達を自分の気分だけで妨害しようとする理不尽さがボクは気に入らないだけですよ。友情ごっこが羨ましいぼっちはぼっちらしく遠巻きに見てなさいよ」
ルムの罵倒で男は瞬時に鬼の形相になった。それと同時に熱風がルムの頬を舐めるように吹き抜けた。竃で火を焚くとき、空気を吹き入れたときに跳ね返ってくるあの感じだ。
次の瞬間、長椅子の背もたれの『男の手が触れている部分』一帯が激しく火を噴いた。
「ぬあっ……!」
ルムの背後、廟の奥から少女達の「キャーッ!」という悲鳴が上がった。手が『炎に包まれている』のにもかかわらず男はそこから手を離すことなく憎悪の目をルムに向けている。
ルムは息を飲んだ。きゅうっと胃が締め付けられる痛みを感じる。
──この雰囲気、不安感……まさか。
「ルム!」
「ちょ……っ! 何が起こったのよ!」
廟に駆け込んできたサンダーとモディは燃える長椅子を見てぎょっとしていた。サンダーはシャツを、モディはジャケットを脱ぎ椅子の燃えている箇所を自分の服でばしばし叩いた。
男はそこから離れ、必死に消火する二人の姿をちらりと見た。燃えたのは背もたれの一部だけで二人のおかげで火は消え事なきを得た。
「次はねえからな」
男は取り乱す様子もなく、一言だけ残して扉へと向かった。ちょうど廟に入ってきたリンドウと目が合ったらしく一瞬だけ彼らが睨み合いをしたように見えた。
しかし男は何も言葉を交わすことなく廟から出て行った。
「リンドウ!」
ルムが大声で呼びかけるとリンドウはすぐにルムの方を向いた。
「彼、手を火傷していませんでしたか?」
「いや……? そのようには見えなかったでござる。何かあったのか?」
「やっぱり……」
黙り込んだルムの顔をサンダーが心配そうに覗き込む。
「顔色が悪いぞ。あいつに何かされたのか?」
「あいつ、まさか【魔女】?」
その瞬間、サンダーとリンドウは廟の外へと飛び出した。険しい目つきで平原から森の方角まで見回している。
「……いない」
「何という逃げ足の速さか」
「ルム、どういうことよ?」
「あの燃えていた椅子なんですが、何の火種もなかったのに突然彼の触れている箇所が激しく燃え上がったんです。しかも彼が急激に怒った瞬間に。それでいて傷一つ負っていないなんて……彼は【魔女】なのではないのでしょうか?」
「は? 男なのに【魔女】? 何の冗談よ」
「【魔女】っていうのは人間の姿をした人間以外の魔法が使える生物のこととは言いましたよね。ですから【魔女】には男もいるんです。実際『山脈の魔女』は男なんですよ」
「はぁっ! ルムあんた『山脈の魔女』にまで会ってるの? 大したもんね」
モディは呆れたような感心したような様子だ。【魔女】に遭遇したことのあるモディには『山脈の魔女』以外にも【魔女】が存在することは説明済みだが、『山脈の魔女』に会ったことはうっかり話していなかった。
ルムはすぐ傍でまだ状況が理解できず怯えたままのキッカの顔を見た。
「あいつはかなりの危険人物です。今日はここまでにしてください。明日もここに来てはいけませんよ」
キッカは頷き、他の四人に帰る支度をするよう促した。
あの男の正体を【魔女】だと告げ、彼女達の恐怖心をさらに煽る必要はない。ルムはそう判断し男を『危険人物』と言うに留めておいた。【魔女】というのはこの世界において最も触れてはならない存在として伝わっている。ただしこの世界の人々は【魔女】と言えば『山脈の魔女』テラのことを指し、人間のことなど歯牙にもかけないある意味で無害のテラに怯えているのだ。まさか『山脈の魔女』以外に【魔女】が存在するなんて無関係の人間には教えることなどできない。パニックに陥るに決まっている。
「明日の祭本番、警戒した方がいいかもな」
帰る支度を進めている少女達を見ながら、サンダーは深刻な顔をして呟いた。ルムもモディも深く頷く。あの男のことだから、もしかしたら祭そのものさえも「うるさい」と言って乗り込んでくるかもしれない。
その中でリンドウだけが無言でサンダーを睨みつけていた。
──どうしてリンドウ、サンダーのことを睨んでいるんだ?
ルムは首を傾げた。
***
翌日、サンダー達は朝から町の中をうろついていた。天気にも恵まれ、設営されたテントではそれぞれ下準備などでいよいよ忙しくなってきた。町全体がざわざわと音を立てている。
「あの男は騒がしいのが嫌いみたいですからね。祭が始まったらもっと音が出ますから、あいつが妨害しに来るかもしれませんね」
「こんだけ一生懸命準備してるんだから成功してほしいわよねー。まっ、あの男の妨害云々(うんぬん)じゃなくて『祭は計画しているときが一番楽しい』を地で行かないようにね」
ルムとモディはあの男の妨害を阻止しようと意気込んでいる。ルムは存外モディと気が合うのか、良く話をするようになっていた。ルムにとって愛する人は自分だとわかってはいるもののサンダーにはちょっと妬ける光景だ。二人を眺めていると背後にリンドウが立った気配を感じた。ちらりと目だけ彼の方へ向ける。彼はサンダーを冷ややかな目で見ている。
「そなたはこの祭を【魔女】に接触する好機と思っているのであろう?」
サンダーは反論もせず黙る。リンドウの目は冷ややかさから侮蔑を含んだものになった。
「そなたは祭を、彼女達を餌に【魔女】をおびき寄せようとしているのでござろう。違うか?」
なおもサンダーは黙る。リンドウは溜息を吐いた。
「……己の欲のために弱者を利用するとは恐ろしき奴よ」
リンドウの全ての言葉をサンダーは黙って聞き流した。いや、受け入れた。サンダーにはリンドウの言葉を否定し反論する要素など持ち合わせていなかった。全て彼の言った通りだ。表向きは「あの男に警戒する」としながら、あの男が姿を現すことを望む自分が何を反論できようか。サンダーはリンドウの言葉を甘んじて受けようと思った。ただ願わくばルムには伝わってほしくない。あの子に幻滅されるのだけは耐えられない──そう思った。
「彼女達がいませんね」
その愛しい人の声でサンダーは我に返った。ルムはサンダーの意図には全く気付いていないのか、純粋にキッカ達を心配して、そして辺りをきょろきょろと見ている。その顔はサンダーへの疑いも侮蔑もない。サンダーは安堵した。
「ステージの周辺にいると思ったんですけど」
「まさかあそこに行ってるんじゃ……」
モディが声を低くして呟く。その途端、ルムは駆け出した。
「ルム!」
サンダーも続く。彼女の走り出した先にあるのは勿論あの小さな廟だ。顔を上げると、その方角には細く黒い煙が上がっていた。
***
全速力で町を抜け平原を駆け抜けた。廟の前に着いたルムは不吉な予感が現実になっていたことを目の当たりにした。廟が炎に包まれている。そしてその前にはあの男がいた。火の粉が降りかかる位置にいるにも関わらず平然と立っている。ルムはこみ上げる不安で取り乱しそうになるのを抑えて男に問う。
「彼女達は?」
「中にいる。忠告を聞かなかった罰だ」
男はさも当然かのように言い放った。それを聞きルムの体が小刻みに震え出した。彼女達の命の危険に対する恐怖、そしてこの神気取りの【魔女】に対する怒りで体が打ち震える。
「罰って……神でもないくせに。いや、無い罪で罰するなんて神でも許されない!」
男に向かって叫ぶ。
だが男はルムの言葉に心が揺り動かされることもなかった。淡々とした表情で彼女を見ている。
ルムはポンチョから『念導銃』を取り出し、銃口を男に向けた。
***
「ルムっ!」
サンダーの目に入ったのは、燃えさかる廟の前でルムが『念導銃』を構えている姿だった。そして彼女が銃を向ける先にはあの男がいた。
「サンダー! 中にあの子達がいます、助けに入ってください!」
「そうか」
サンダーはシャツを脱ぎ刺青まみれの体を露わにする。そして自分の体に変化を与えるイメージを……
「そなたの望み通りあの男が現れた。炎に巻かれているオナゴ達は放っておいて、あの男と存分に戦うがいい。拙者が中へ助けに入る」
リンドウがサンダーを睨みながらも皮肉たっぷりに言い放ち、燃える廟へとずんずん近付いていく。
奴がそう言うならそれに従おう。俺はルムの方が大事なんだ──サンダーは少女達を救うよりも今まさに敵と対峙しているルムを援護し、彼女の安全を確保したかった。
だがルムが再びサンダーの方をキッと強く睨む。強い意志を秘めたその眼に射抜かれると、そんな状況ではないとわかってはいながらも惚れ惚れとしてしまう。俺はこの子のこの強さが好きなのだと自覚する。
「サンダーは変身して中から彼女達を助け出して下さい! モディはそのフォローをお願いします!」
「オーケー!」
「待て、ルム殿。彼はその男に用がある。中には拙者が行く」
「怪物のサンダーの方が力もあるし体も強い。あの子達も自分も助かるにはサンダーが行くのが一番なんです!」
「そなた等は呪いを解くために【魔女】に会えればよいのだろう? それならば好機の今、心置きなく【魔女】に挑めばよい」
リンドウの皮肉にルムはいよいよ怒りに感情が振り切れた表情を見せた。
「明らかに力のある相手が理不尽な暴力を振るっていたら、それから弱い人を守るのが力のある者の務めだろう! そしてそれを実現するためには適材適所だ! ああ、もうこれ以上喋らせるな! 時間がないっ!」
彼女の怒号を聞き、サンダーは思わず場違いな笑みをこぼした。彼女の騎士としての信念がそれを言わせている。その事実がサンダーに喜びを与える。
──ああ、この気高さ。そこから来る優しさ。それでこそ俺が好きなルムだ。
愛する人を守りたい。その気持ちは変わらない。
しかしそれ以上に愛する人の望みを叶えたい。愛する人の信念を守りたい。それならばサンダーのやるべきことはただ一つ、決まっていた。
『グルァアアアアアアアッ!』
青き怪物が姿を現す。怪物は燃える廟に駆け寄り扉に向けて拳を振るう。ここを壊すと一気に中に酸素が流れ込み燃焼が加速する。のんびりしていられない。木製の扉はよく燃えているが怪物は怯まない。炎に巻かれた扉に拳を叩き込む。脆くなった扉が崩れ落ち、そこから中へ飛び込んだ。
廟の中はとんでもない煙と熱気が籠もっていた。怪物は周囲を見渡す。渦巻く煙で先が見えない。
──壁はレンガなのに、炎に巻かれているとはどういうことだ?
普通に考えれば木でできている床板や梁は燃えてしまっても仕方ない。
しかし不燃性であるはずのレンガまでもが火を纏っている。あの男が【魔女】で、魔法によって熾した『魔力を帯びた火』なら説明がついてしまう。そのせいで中は蒸し風呂状態だ。
『ガァッ!』
怪物は奥に向かって吼えた。
だが彼女達から返事はない。
──まさかもう手遅れか……? 間に合うのなら、全力を尽くすのみ! あの子達も自分も生還する!
燃える炎の音に負けない怪物の聴覚を、煙の先をも見抜く怪物の視覚を信じて奥へと駆ける。熱気に巻かれても鱗の皮膚は耐えている。サンダーは礼拝堂の名残として置き去りにされた長椅子を掴んでは壁へと投げつける。逃げ道を広くするためだ。
一番奥の精霊の木像の前で少女達は床に伏せていた。
──この一帯だけわずかに温度が低い? 煙も薄いような……。
怪物は少女達の真横に駆けつけ、床に伏せて姿勢を低くした。
『ガァッ! グガァ!』
彼女達に顔を近付け間近で吼えたが、皆ぐったりとしていて反応を返さない。温度はどんどん上昇していき、天井からはギシギシと軋む音がする。
──無事かどうかの確認は外に出てからだ。まずは彼女達と俺の安全を確保しなければ!
怪物は床にうずくまっている少女達をすくい上げるように抱えた。太く逞しく長い腕は少女くらいなら五人まとめて抱えられる。なるほどこれがルムの言っていた「適材適所」かと思う。ただの人間ならば一度に一人を担ぎ出すのが限界だ。そして何度も往復している余裕はない。天井の梁は焼け、火がまだ付いている破片が頭上へと落ちてくる。怪物は背を丸め、彼女達に当たらないよう背で弾く。屋根を支える梁が焼け落ちているということはこの廟が崩れるのは時間の問題だった。
怪物は地面を蹴り大きくジャンプする。三歩とないうちに怪物は廟の外へ飛び出た。直後に背後で轟音がした。廟が屋根から崩れ落ちたのだ。地面に落ちた瓦が割れて粉々に弾け飛ぶ。
サンダーは気付いた。これは救助者である自分の無事を確保しつつ少女達を確実に救い出すだけでなく、間接的にリンドウの身も守ることになっていた。彼ではこのような救助はできない。
「サンダー!」
モディがすぐそこで待っていた。怪物は草の上に少女達を転がした。気を失っているが全員奇跡的に軽傷で済んでいるようで息はあった。モディは彼女達が横たわるすぐ隣に膝を突き、彼女達の顔や首に触れた。
「ちゃんとみんな生きてるわ……。奇跡かしら」
サンダーはふと思い出した。精霊像の前だけ空気が違った。祀ってある像を守るため、火や煙、熱がそこに行きにくい構造になっていたのだろう。芸を奉納していた彼女達は結果として精霊様に守られた。
──ただの偶然かもしれないが、精霊様の加護に違いない。
サンダーは名も知らぬ精霊に感謝した。
***
ルムはサンダーが怪物化し廟に飛び込んだのを見届けた。サンダーならば自分の意図を読み取ってくれると信じていたものの、それを見届けるまでは安心できなかった。
だがサンダーは自分の言葉を信じて従ってくれた。彼が自分を信じてくれることを本当にありがたく思う。
ルムは視線を男に戻した。『念導銃』をがっちり構え、照準を男の眉間に合わせるために睨む。そしてそのままルムは口を開いた。
「ボクのことを手助けして下さい、リンドウ!」
見えているわけではないが、背でリンドウが刀を構える気配を感じた。彼もサンダーのように自分に応えてくれたことを嬉しく感じた。改めてルムは男を睨みつける。
「お前は【魔女】だろう?」
男は絶句し、唾を飲み込んだのか喉仏が動いた。明らかに動揺を浮かべていた。以前出会った【魔女】も【魔女】だという指摘を受けると激しく動揺していた。どうやら【魔女】は自分が【魔女】だと明かされることに苦手意識があるようだ。彼の様子からルムはこの男が【魔女】だと確信した。
何かおかしいと感じていた。火種もなく椅子を燃やしたり追いかけても姿を消していたりと彼は人間ではできないようなことをやってのけていた。
だがもう一つ、【魔女】だと疑う理由があった。彼は「人間の友情ごっこ」という発言をした。それはあたかも『自分は人間ではない』ということを顕示しているようにも思えたのだ。
「……確かに俺は【魔女】だ。【炎の魔女】で通っている。だから何だ?」
「【炎の魔女】だと? じゃあ他に水とか風とかがいるのか?」
「知るかっ!」
男……【炎の魔女】は当たり散らすように怒鳴った。
「お前が【魔女】なら……ボクやサンダーに呪いをかけたのはお前か? ボクを女にしたり、サンダーの故郷を消したりしたか?」
「人間ごときに俺が呪いなんかかけるか」
彼は心底くだらないと言わんばかりに吐き捨てた。彼は『山脈の魔女』テラと同じように「人間ごとき」という考えを持っているように感じた。
しかし彼のそれはテラの考える「人間ごとき」とは違うように思えてならない。人間の存在を全く意識しないテラに対して、彼は人間の存在を強く意識している。そうでなければ少女達に絡むものか。
彼にどこかアンバランスさを感じた。「【炎の魔女】で通っている」と他の【魔女】の存在をほのめかしながら関わりたくないかのように否定する。「人間ごとき」と言いながら人間に関与しようとする。
──訳が分からない。だから【魔女】は嫌なんだ。
【炎の魔女】の意図が読めず困惑する。
しかしそれを知ったところで情けをかける理由にはならない。奴は少女達を危険にさらした。もう遠慮する必要はなかった。
ルムは銃をしっかり構えた。




